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元記事:たまねぎ様への返信の返信の返信

 うーん、逆にないんだって感じがするんですが……。自分が傷つくことに安心感を覚えることって、私からしたらなんというか割と身近な感覚です。周りにもいましたし、これが普通なのかなって思ってました。

 参考までに、いくつかURLを貼っておきます。「なぜ自傷行為を行うのか」という記事なので少し趣旨とズレてしまうかもしれませんが……。
 https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2023/91367/suicide
 https://ubie.app/lp/search/self-injury-s1463
 以上の二記事において、「自傷行為によって脳内麻薬が分泌されること」つまり「苦痛が快楽、安心感などへと転じること」は脳科学的に示されていることが明示されています。他にも多数の記事があると思いますが、全部貼るわけにもいかないのでご自分で検索していただけるとありがたいです。

 それに、こういう造形のキャラはかなり見かける印象です。私が陰鬱な雰囲気の作品ばっかり閲覧しているからだ、と言われたら何とも言えないのですが……。
 たとえば二次創作で有名なハーメルン、プロセカの曇らせタグ付きのものはそれなりの確率で誰かが自傷癖を持っている印象。小説家になろうなどでも「自傷行為」あたりで検索をかければ見ることができます。
 あまり市販の書籍は読まないたちなので知恵袋などのQ&Aからの引用になってしまいますが、商業作品でも「アンテナ」「クワイエットルームにようこそ」「リストカットシンデレラ 上・下」「リストカットの向こうへ」「ミューズ/コーリング」などの作品は自傷行為を扱っています。私も読んでいないので完全なる確信を持って言えるわけではありませんが、これらの作品では「傷つくことで安心感を覚える」ような人物像が描かれているかと。

 なので、大前提として「傷つくことで安心感を覚える」というのはキャラクター造形としては「あり」だと思います。ラノベらしくないって言われたら、まあそうだよねとしか言えませんが。あくまでラノベと文芸の中間くらいのつもりで書いているので、ラノベらしくないっていうツッコミはしないでくださると助かります。

 「【自分を苦しめるために】わざと自分が傷つくことをすると安心感を覚える」のにそれでも違和感がある場合は、こんな風な心理が主人公の無意識下で働いていると考えてください。

 まず大前提として、前の回答のように【自己嫌悪から生じる自殺願望】と【責任感に伴う生存の義務感】の二つが主人公の中で共存しています。自己嫌悪している理由は前にも述べた通り「婚約破棄という【罪(あくまでも主人公にとってそう感じられる、というだけ)】を犯した」という自覚と「婚約破棄への復讐などという【子供の癇癪】で世界を変えてしまったこと」への罪悪感です。
 これらは主人公にとってはとても重たいもので、それこそ「生存への義務感」がなければすぐにでも自殺してしまいかねないほど。作中で、これは繰り返し何度も叙述されていると思います。
 けれども、主人公は死ぬことができない。なぜならば【死ぬこと】とは【責任逃れ】と同義であるから。主人公にとっては、世界のありようを大きく変えてしまったことに対する責任感、罪悪感もまた非常に大きい。ならば、生きてその責任を果たさなくてはならない。
 ここでいう「責任」とは、主人公にとってはかなーり曖昧な概念です。どちらかといえば「贖罪」のほうが意味としては近い。こんなにも世界を無茶苦茶にした「罪」を償わなければならないという感情と捉えていただけるとちょうど良いかな。
 でも、贖罪するにしても主人公はあまりにもやりすぎた。もう「死んでお詫び申し上げます」と言って自殺すればそれで済む、なんてレベルじゃない。あまりにも多くの人を巻き込んでしまったから、その贖罪は自分の死なんていう【軽いもの】では償いきれない。それに、こんな自分を信じ、自分がやったことに付き添ってくれた人々だって沢山いる。それなのに自分が死んでしまえば、【お前らの信じてきたもの、巻き込まれたものには「何の価値もなかった」】と言っているに等しくなる。
 だって、【自殺による贖罪】=【罪を認めること】ですからね。罪ということは、主人公のやったことはただの悪事だったということになる。そして、その悪事のために世界をまるごと作り変え、たくさんの人を巻き添えにした。それを認めることは、【貴族として許容できない】ことになります。
 こうして主人公は、【生きること】も【死ぬこと】も「してはいけないこと」になってしまう。でも現実に、「生きても死んでもいない状態」なんてものはないですよね? 植物状態がそうじゃん、とか言われるかもですが、あれは意識的にできるものじゃないですし。
 というわけで「生きることも死ぬことも自分に許せない」主人公は、そんな「許されるべきでない自分」に対して罰を望むわけです。その「罰」がまさに、自傷行為にあたります。

 「罰」とは苦しむこと、であるならばわざわざ「傷つくために」旅に出ても、何かにつけて自分を自虐して自分の心を「傷つけて」も決して不自然ではない。だって、そうして傷つくことで自分に罰が与えられるんだから。
 そして、自分が「罰」を与えられている瞬間だけは、主人公は自分を逆説的に肯定できます。「生きることも死ぬことも許されない自分」に対して「罰」が与えられることで、その瞬間だけは「許し」が得られたような感覚になる。ちょうど、犯罪者が罪を償えば刑務所から出られるように、です。
 けれども主人公のそれは「状態」に対する罪です。要は、「罰」を受けることで「今この瞬間、生きることも死ぬことも許されない自分」は許されますが、決して「未来にいる、生きることも死ぬことも許されない自分」の分まで罰を受けたわけではない。だから、主人公は何度も過去を思い返して、そのたびごとに自分を傷つけるわけです。

 これが、「自分を苦しめるために自分が傷つくことで安心感を得られる」理由です。自分の罪に対して自分が罰を下すことで、その罰が下された自分をその瞬間だけ許せるから。
 私からはこれ以上に上手くは説明できないです、申し訳ありません……。少なくとも、私自身は主人公のこと「書きやすい」と思いますし、この設定自体は問題ないと思っています。

上記の回答(たまねぎ様への返信の返信の返信の返信)

投稿者 たまねぎくん : 0 投稿日時:

自分を苦しめることを自分で選ぶことによって、自分を安心させる、というのはかなり変わっていると思います。人間は自罰的になることもありますが、大抵人間は原罪を背負っているんだ(キリスト教徒じゃなくても、比喩的にね)などと考え、自分を厳しく律する、という感じですね。
たとえば茨の棘の付いた腰巻きを付けたりとか。
しかし、すでに別れた恋人が今どうしているのか気になるので、もう関係は切れたけどまた会いに行く、というのはすごいタフな精神を持っていますね。

例えばこの主人公のような状態に追い込まれたとき、拡大自殺といって、自分以外の人間を巻き込んで自殺する人はよくいますが、それに比べたらかなり珍しく、肉体的苦痛ではなく精神的な苦しみを求める、というのは珍しいですよ。
まあ、それがいいのか悪いのかは、作品ができあがってみないと分かりませんが。

私が直感的に類似しているな、と思うのは拡大自殺です。
これは、拡大自殺という言葉が作られていることか分かるように、非常に多くの人が選ぶ行為です。迷惑ですが、人間の自然な感情としてそういうことをしたくなるのでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 投稿作品のジャンルについて(&聴覚的描写について)

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元記事:たまねぎ様への返信の返信の返信の返信

自分を苦しめることを自分で選ぶことによって、自分を安心させる、というのはかなり変わっていると思います。人間は自罰的になることもありますが、大抵人間は原罪を背負っているんだ(キリスト教徒じゃなくても、比喩的にね)などと考え、自分を厳しく律する、という感じですね。
たとえば茨の棘の付いた腰巻きを付けたりとか。
しかし、すでに別れた恋人が今どうしているのか気になるので、もう関係は切れたけどまた会いに行く、というのはすごいタフな精神を持っていますね。

例えばこの主人公のような状態に追い込まれたとき、拡大自殺といって、自分以外の人間を巻き込んで自殺する人はよくいますが、それに比べたらかなり珍しく、肉体的苦痛ではなく精神的な苦しみを求める、というのは珍しいですよ。
まあ、それがいいのか悪いのかは、作品ができあがってみないと分かりませんが。

私が直感的に類似しているな、と思うのは拡大自殺です。
これは、拡大自殺という言葉が作られていることか分かるように、非常に多くの人が選ぶ行為です。迷惑ですが、人間の自然な感情としてそういうことをしたくなるのでしょう。

上記の回答(たまねぎ様への返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 たまねぎくん : 0 投稿日時:

原罪というのは、単純に人間は産まれたときから罪を負っている、ということです。
要するに、欲望とか生活上犯してしまう些細な罪から、自由になれないから、人間は元々悪いってことです。
失楽園といってアダムとイブが楽園を追われます。裸を恥ずかしいと思ってしまうのは。知恵の実(禁断の果実)であるリンゴをヘビにそそのかされて食べてしまったからなんです。そのこと自体が罪だという意味ですね、キリスト教では。

つまり頭からっぽなら罪なんか感じようがないという、ものすごい皮肉ですね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 投稿作品のジャンルについて(&聴覚的描写について)

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元記事:投稿作品のジャンルについて(&聴覚的描写について)のの返信の返信

また続けちゃう。
ワタシ的には結→銀髪のカエデちゃんに出会い、主人公のネタバレ&主人公救済の伏線で、素敵やとも思いますよ。
過去に戻ってしまっていた主人公の時代を、一気に引き戻す役割もありますけど、カエデは『職業婦人』、あるいは【女性だって男に頼らずとも自力で金を稼げる時代が来た】でもある気がするんですよ。
ーーーーーーーーーーーーー
≫資本家を誘う女性たち

は、引き合いに【平家物語】出しますけど、鎌倉武士の台頭で、自分で生きる方法も知らない深窓の貴族の姫君共は、だいたい娼婦堕ち。それくらいしか職業選択が無かった。リア嬢だって、【すべてをかなぐり捨てて、愛する主人公と、手に手を取ってゴキブリみたいに生き伸びてやんぜオリャー!!】をしたって良かったんだよ。その場合、彼女が選べる職種は『街娼』くらいですけどね。

主人公が新しく作ったこの地獄で、すくなくともカエデちゃんは『吟遊詩人』なんよ。全員がそう生きられるわけじゃあ無いだろーけど、独身女だって娼婦以外で外貨を稼げる地獄にはなったの。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ヴィクトリア時代の【女】が、怪我一つで殺処分されるワイングラスのステムみたいに華奢で脆い足しか持っていない競走馬だとしたら、今の時代の【女】はバカみたいにたくましい足でドスドス駆ける、野性のどさんこ。

ある意味、主人公は【女の開放】をやらかしているんでしょうね。

もし、リアと主人公が、この時代に生きていたならば、きっと二人は手に手を取って、駆け落ちしてしまう事も出来たかも。リア自身は逞しいっぽいから、街娼以外の何でもいろいろ挑戦して、下手すれば主人公より稼いでますよ。
ーーーーーーーーーーーーーー
ストーリーラインによりますけど、カエデには許婚がいて、そいつが婚約破棄して去っていったのをカエデが追っかけて来た、とかも有りかも。

許婚の青年は植物の研究とかをしていて、あまりに酷くなっている環境汚染行為に一石を投じるために暗躍する覚悟を固めており、その暗躍にカエデを巻き込まないために身を引いていた。浄化槽とか過酷な環境でも育つ植物の品種改良とか環境破壊によって生まれた怪物ゴジラみたいな作品の公開とか。政治思想犯的な?

カエデは「知ったこっちゃねー!!!!私はあなたが好き、あなたは私が好き。なら結婚するわよ!!逃がさねーからなぁぁぁ!!女を舐めんな!!」とか最初の可憐さどこいったの?レベルで怒鳴って欲しい(笑)

宰相さまも、彼の暗躍内容が、宰相の求めていた事とほぼ同じか相乗効果が見込める内容だったから「私も一枚嚙ませてもらえるかな?なーに、暗躍より、もっと良い方法が私の頭の中にあるよ(笑)」とか言って国家プロジェクトに組み込むルートとかを持ってきちゃうとか
こうなると、もう収集付かないかも・・・・・ですけどね(笑)
====================
スチパン系は、ワタシ映像系ばかりで、ちゃんと読んだことはほぼ無いです。「天空の城ラピュタ」「ふしぎの海のナディア」「ムジカ・ピッコリーノ(NHK)」「スチームボーイ」とかです(;´∀`)
田中芳樹の【アップルフェルラント物語】
諸口正巳【謳えカナリア】
菊地秀行【吸血鬼ハンターD】
ーーーーーーーーー入れてもいいのか?枠で
榊一郎【ストレイト・ジャケット】
安井健太郎【ラグナロク(旧版)】
田中芳樹【ラインの虜囚】
ーーーーーーーーーほぼ触っただけ
吉田直【トリニティ・ブラッド】
くらいですねー。戦闘機物に至っては森博嗣【スカイクロラ】くらい。あんまり役に立てない。

上記の回答(投稿作品のジャンルについて(&聴覚的描写について)のの返信の返信の返信)

スレ主 若宮 澪 : 0 投稿日時:

 時間取れたので返信しますね、読むせん様! コメントありがとうございます!

 ≫カエデは『職業婦人』、あるいは【女性だって男に頼らずとも自力で金を稼げる時代が来た】でもある気がするんですよ。

 あー、その視座は全くなかったです。あくまでも「階級と価値観が少し違う少女」みたいな感じで書き始めていたので。というか、主人公青年期の時代の社会的価値観をそんなに突っ込んで考えていなかったというか。あとあんまりそこら辺の知識がなかったので、それならもう「突っ込んで書かなくていいや」と割り切っちゃってました。
 でも確かに、物語の構造としてはそうなりますね。ただ、それならもっと他のことも盛り込みたいですね。

 たとえば、市民と貴族の間にある「緊張関係」の変化とか、あとは文化的な移ろいも。

 ・主人公たちがいた時代
  a-市民は貴族のことを「雲の上の存在」と見ていた。だから自分たちにとっては関わりのない存在で、憧憬と尊敬の念がある。反面、国政が悪化したりすると「あのお貴族様連中は、私たちのことなんて見えていないのね」といった感じの反応を示す。自分たちよりも上の存在であること、を常に求めていた。喩えるならば、自分たち羊を守ってくれる優秀な飼い主のような存在。ルサンチマンを抱えつつも、基本的には尊敬していた。
 b-貴族は市民を「羊」のようなものだと思う傾向が強い。故に国を導くのはあくまでも貴族であり、市民たちはそれを手助けしなければならないという価値観。貴族社会の内部では男女平等的な思考がかなり強く、良妻賢母思想は市民のものと見下す傾向がある。(だからリアは自由に研究などができた)
 c-貴族文化としてはミズホニズム(こっちでいうジャポニズム)が流行、貴族たちはこぞって瑞穂国の言葉を外来語的に使用したり、瑞穂絵画などを求めた。また、上流階梯の嗜みとして歴史や美術への造詣が深いことが求められる。市民階級の文化は「低俗なもの」として見ているものの、羊たちのためには保護するべきものでもあるとして保護する傾向がある。男は「国政や外交などの表舞台」を、女は「科学技術などの舞台裏」を、といった感じの棲み分けがなされていた。この棲み分けの傾向はそれなりに強く、女が国政の舞台に出るのも、男が舞台裏に行くのも「変わり者」「貴族らしくない」などと思われがち。
 d-市民階級は、男女間でかなり厳密な差があった。女は男に従うものという「良妻賢母」思想が強く、独立した女=貴族の女のイメージ。(良妻賢母って東洋だよねっていうツッコミは無しで)富の格差は、市民の間ではそこまで開いておらず、また「金を持つ者は社会的なインフラへと寄付するのが美徳」という古代ローマ的価値観があった。そのため階級を跨ぐ紐帯が形成されやすく、また道路などの交通網も整備されていたことから「国民国家」のありかたの土台が出来上がりつつあった。伝統的な戸主制(家父長制)は農村地域では見られるものの、都市地域では完全に崩壊。また農村地域の家父長制にしても封建制度と混じり合い、「惣」のような地域社会となっている。交通網の整備と都市圏での仕事の拡大に伴い都市地域では大家族の崩壊が見られ、核家族化が大いに進行する。技術的な革新が進みつつあったこともあり職種に基づく伝統的身分制度の崩壊も進んだ。文化的には活版印刷の普及で識字率が向上、子供の9割前後が本を読める状態に。また技術革新により仕事が消えていく中で自由主義の勃興が起こるも普及はしない。いまだに「忠孝」や「遺風」などが中心的な価値観だった。
 ※参考までに。これらは古代ローマ的な「美徳」と中世的契約、近代的価値観とが奇妙に融合している。この世界だと、古代帝国が宗教的権威を用いる前に緩やかな崩壊を遂げたのが原因。

 ・少女の時代
 a-若い世代の市民は貴族を「一つの職業」とみなす傾向が強い。理由としては、急速な社会的変革の中で統治権の売買などが行われ、資本家あがりの「新貴族」が生まれたこと、旧来の貴族の大半が没落したことが挙げられる。これらが合わさり、貴族はもはや「畏敬の念」を抱くに足る存在ではなくなっている。成り上がり貴族に対しては、「旧来の価値観を打破した者たち」という肯定的な見方と「金を搾り取ってくる悪魔」という否定的な見方が存在。旧貴族に対しては、いまだに何となく畏敬の念を抱く人も多い。
 b-貴族という概念が崩壊し、「統治権を持つ者たち」程度の意味しかなくなったことで貴族文化・価値観は大きく変化。資本家層の成り上がり貴族が登場し、彼らによって国政を奪取されたことで、市民は「羊」から「金を搾り取られる対象」とみなされるようになった。また貴族社会と官民合弁企業の癒着が大いに進み、貴族の「高潔な倫理」は崩壊に至る。
 c-貴族文化として奢侈が大いに進行。質実剛健で貴族としてはやや質素だった旧来の貴族に対して、成り上がり貴族が自らの優位性を示すために豪奢な生活を送ったため。この裏側には、旧貴族の文化的資産、倫理に対して「絶対に勝てない」という階級的憎悪心(ルサンチマン)がある。これらの事情もあり、上流階級への富の一極集中が加速。資本主義、金権政治の進行が起きた。資本家はもともと商人社会、つまりは男性社会に生きていたため、貴族社会の男女不平等がむしろ拡大する。文化的には金に物を言わせるものが流行った。
 d-市民文化としては、都市圏では男女の解放が急速に進んだ。急激な技術革新を前に伝統的な価値観はついていけず、職種に基づく身分制度とともにほぼ消滅。一方であらたな文化が誕生する暇もなかったため、非常に軽薄な文化(いわゆる「パンク」)が形成されている。価値観の急激な多様化、個人主義の表層的な需要などの多くの問題を抱える一方で、様々な文化、価値観が交錯する。

 大体こんな感じで。あとは話にこれらを少し絡める、具体的には没落貴族や今の若者たちとの会話を通じて変化を表現する感じになりますね。
−−−−−−−−−−
 カナデに関しては、まー背景とかは考えてます。ただ、すでに時代も移ろったわけだし「許嫁」はないかなあ。むしろ逆に、親から婚約のあれこれを言われるのが嫌で都市に逃げ出して、そこで良い男をひっかけるほうが良さそう。でも、あんまりカナデはストーリーのメイン部分には絡んでこないほうが良いかなって思ってます。あくまでも物語のテーマは「主人公の旅」なわけだし、カナデはその同居人に過ぎない。ふとした時に別の価値観を提示する、それくらいにとどめておきたいですね……。
 あと、カナデはどちらかといえば「婚約にも結婚に囚われない自由な女」で居てほしいっていう。主人公とリアは婚約の中に幸せを見つけ出した(【運命的】)のに対して、カナデは自由の中に幸せを探す(【人間的】)っていう形で対比したいなって思ってまして。だから、バリバリのSFとか陰謀的な話とか、カナデの婚約絡みは無しかなあ……。
−−−−−−−−−−
 ムジカ・ピッコリーノ、懐かしい! 小学生の頃にNHKで放映されてましたね、あの頃は良さが全く分からなかった……。ラピュタ、いつか見たいと思いながらも見れてない。
 アップルフェルラント物語(あとラインの虜囚)ってスチパン系なんだ、知らなかった。今度読んでみよう
 スカイ・クロラはタイトルだけ知ってますね、親から勧められたけど本屋さんで見つけられなくて読むの断念しました。意外と日本人作家もスチパン系書いてるんだ……ちゃんと調べて読んでみよっと。

 さて、だいぶ長々書き連ねちゃいましたがコメントありがとうございました! また気になることがあったら、遠慮なくコメントいただけると幸いです! ( ̄▽ ̄)ゞ (←この顔文字可愛いですね……)

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原罪というのは、単純に人間は産まれたときから罪を負っている、ということです。
要するに、欲望とか生活上犯してしまう些細な罪から、自由になれないから、人間は元々悪いってことです。
失楽園といってアダムとイブが楽園を追われます。裸を恥ずかしいと思ってしまうのは。知恵の実(禁断の果実)であるリンゴをヘビにそそのかされて食べてしまったからなんです。そのこと自体が罪だという意味ですね、キリスト教では。

つまり頭からっぽなら罪なんか感じようがないという、ものすごい皮肉ですね。

上記の回答(たまねぎ様への返信)

スレ主 若宮 澪 : 0 投稿日時:

 原罪って、仏教(バラモンとかもそうか)の輪廻転生に通ずるところありますよね。仏教は「輪廻転生に囚われてる限りは苦しみ続ける、だから解脱するべきなんだ」って感じですし。生物は生まれたときから苦しみの定めが決まってるっていうのが仏教の根底にはある。

 ≫つまり頭からっぽなら罪なんか感じようがないという、ものすごい皮肉ですね。

 最初に原罪思想知った時、私もそれ思いましたね。ていうか、キリスト教って時々皮肉が酷い。バベルの塔とか、「神様と人の意思疎通ですら完璧でないのに、いわんや人をや」ですし。

 拡大自殺については、類似概念というか表出の仕方が違うだけで、根底にあるのは全く同じものだと思います。読むせん様から、確かそこら辺のコメント頂いてたような……。

≫【男主人公の内省】自体は、かなり珍しいんですけど【女の内省】【自罰傾向】は珍しくないんです。鬱とかで無差別連続殺傷とかに出やすいのが男、自殺に行きやすいのが女みたいな。

 これですね、拡大自殺は無差別連続殺傷に当たるのかな。概念的にはかなり類似してると思います。
 あれかな、男主人公だから「珍しい」って感じたのかも。感性が男性にしてはちょっと繊細すぎるから、それが最初の違和感につながったのかもしれません。それはそうとして、精神的な自傷行為が「珍しい」っていうのは個人的に意外ですね。割と多くの作品で見かけてる印象だったんだけどな……読む本が偏ってるからだと思いますが。

 何にせよコメントありがとうございました! 特にこれ以上言いたいことがない、って感じであればコメントしていただかなくても構いません。それでは、良い一日を!

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 時間取れたので返信しますね、読むせん様! コメントありがとうございます!

 ≫カエデは『職業婦人』、あるいは【女性だって男に頼らずとも自力で金を稼げる時代が来た】でもある気がするんですよ。

 あー、その視座は全くなかったです。あくまでも「階級と価値観が少し違う少女」みたいな感じで書き始めていたので。というか、主人公青年期の時代の社会的価値観をそんなに突っ込んで考えていなかったというか。あとあんまりそこら辺の知識がなかったので、それならもう「突っ込んで書かなくていいや」と割り切っちゃってました。
 でも確かに、物語の構造としてはそうなりますね。ただ、それならもっと他のことも盛り込みたいですね。

 たとえば、市民と貴族の間にある「緊張関係」の変化とか、あとは文化的な移ろいも。

 ・主人公たちがいた時代
  a-市民は貴族のことを「雲の上の存在」と見ていた。だから自分たちにとっては関わりのない存在で、憧憬と尊敬の念がある。反面、国政が悪化したりすると「あのお貴族様連中は、私たちのことなんて見えていないのね」といった感じの反応を示す。自分たちよりも上の存在であること、を常に求めていた。喩えるならば、自分たち羊を守ってくれる優秀な飼い主のような存在。ルサンチマンを抱えつつも、基本的には尊敬していた。
 b-貴族は市民を「羊」のようなものだと思う傾向が強い。故に国を導くのはあくまでも貴族であり、市民たちはそれを手助けしなければならないという価値観。貴族社会の内部では男女平等的な思考がかなり強く、良妻賢母思想は市民のものと見下す傾向がある。(だからリアは自由に研究などができた)
 c-貴族文化としてはミズホニズム(こっちでいうジャポニズム)が流行、貴族たちはこぞって瑞穂国の言葉を外来語的に使用したり、瑞穂絵画などを求めた。また、上流階梯の嗜みとして歴史や美術への造詣が深いことが求められる。市民階級の文化は「低俗なもの」として見ているものの、羊たちのためには保護するべきものでもあるとして保護する傾向がある。男は「国政や外交などの表舞台」を、女は「科学技術などの舞台裏」を、といった感じの棲み分けがなされていた。この棲み分けの傾向はそれなりに強く、女が国政の舞台に出るのも、男が舞台裏に行くのも「変わり者」「貴族らしくない」などと思われがち。
 d-市民階級は、男女間でかなり厳密な差があった。女は男に従うものという「良妻賢母」思想が強く、独立した女=貴族の女のイメージ。(良妻賢母って東洋だよねっていうツッコミは無しで)富の格差は、市民の間ではそこまで開いておらず、また「金を持つ者は社会的なインフラへと寄付するのが美徳」という古代ローマ的価値観があった。そのため階級を跨ぐ紐帯が形成されやすく、また道路などの交通網も整備されていたことから「国民国家」のありかたの土台が出来上がりつつあった。伝統的な戸主制(家父長制)は農村地域では見られるものの、都市地域では完全に崩壊。また農村地域の家父長制にしても封建制度と混じり合い、「惣」のような地域社会となっている。交通網の整備と都市圏での仕事の拡大に伴い都市地域では大家族の崩壊が見られ、核家族化が大いに進行する。技術的な革新が進みつつあったこともあり職種に基づく伝統的身分制度の崩壊も進んだ。文化的には活版印刷の普及で識字率が向上、子供の9割前後が本を読める状態に。また技術革新により仕事が消えていく中で自由主義の勃興が起こるも普及はしない。いまだに「忠孝」や「遺風」などが中心的な価値観だった。
 ※参考までに。これらは古代ローマ的な「美徳」と中世的契約、近代的価値観とが奇妙に融合している。この世界だと、古代帝国が宗教的権威を用いる前に緩やかな崩壊を遂げたのが原因。

 ・少女の時代
 a-若い世代の市民は貴族を「一つの職業」とみなす傾向が強い。理由としては、急速な社会的変革の中で統治権の売買などが行われ、資本家あがりの「新貴族」が生まれたこと、旧来の貴族の大半が没落したことが挙げられる。これらが合わさり、貴族はもはや「畏敬の念」を抱くに足る存在ではなくなっている。成り上がり貴族に対しては、「旧来の価値観を打破した者たち」という肯定的な見方と「金を搾り取ってくる悪魔」という否定的な見方が存在。旧貴族に対しては、いまだに何となく畏敬の念を抱く人も多い。
 b-貴族という概念が崩壊し、「統治権を持つ者たち」程度の意味しかなくなったことで貴族文化・価値観は大きく変化。資本家層の成り上がり貴族が登場し、彼らによって国政を奪取されたことで、市民は「羊」から「金を搾り取られる対象」とみなされるようになった。また貴族社会と官民合弁企業の癒着が大いに進み、貴族の「高潔な倫理」は崩壊に至る。
 c-貴族文化として奢侈が大いに進行。質実剛健で貴族としてはやや質素だった旧来の貴族に対して、成り上がり貴族が自らの優位性を示すために豪奢な生活を送ったため。この裏側には、旧貴族の文化的資産、倫理に対して「絶対に勝てない」という階級的憎悪心(ルサンチマン)がある。これらの事情もあり、上流階級への富の一極集中が加速。資本主義、金権政治の進行が起きた。資本家はもともと商人社会、つまりは男性社会に生きていたため、貴族社会の男女不平等がむしろ拡大する。文化的には金に物を言わせるものが流行った。
 d-市民文化としては、都市圏では男女の解放が急速に進んだ。急激な技術革新を前に伝統的な価値観はついていけず、職種に基づく身分制度とともにほぼ消滅。一方であらたな文化が誕生する暇もなかったため、非常に軽薄な文化(いわゆる「パンク」)が形成されている。価値観の急激な多様化、個人主義の表層的な需要などの多くの問題を抱える一方で、様々な文化、価値観が交錯する。

 大体こんな感じで。あとは話にこれらを少し絡める、具体的には没落貴族や今の若者たちとの会話を通じて変化を表現する感じになりますね。
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 カナデに関しては、まー背景とかは考えてます。ただ、すでに時代も移ろったわけだし「許嫁」はないかなあ。むしろ逆に、親から婚約のあれこれを言われるのが嫌で都市に逃げ出して、そこで良い男をひっかけるほうが良さそう。でも、あんまりカナデはストーリーのメイン部分には絡んでこないほうが良いかなって思ってます。あくまでも物語のテーマは「主人公の旅」なわけだし、カナデはその同居人に過ぎない。ふとした時に別の価値観を提示する、それくらいにとどめておきたいですね……。
 あと、カナデはどちらかといえば「婚約にも結婚に囚われない自由な女」で居てほしいっていう。主人公とリアは婚約の中に幸せを見つけ出した(【運命的】)のに対して、カナデは自由の中に幸せを探す(【人間的】)っていう形で対比したいなって思ってまして。だから、バリバリのSFとか陰謀的な話とか、カナデの婚約絡みは無しかなあ……。
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 ムジカ・ピッコリーノ、懐かしい! 小学生の頃にNHKで放映されてましたね、あの頃は良さが全く分からなかった……。ラピュタ、いつか見たいと思いながらも見れてない。
 アップルフェルラント物語(あとラインの虜囚)ってスチパン系なんだ、知らなかった。今度読んでみよう
 スカイ・クロラはタイトルだけ知ってますね、親から勧められたけど本屋さんで見つけられなくて読むの断念しました。意外と日本人作家もスチパン系書いてるんだ……ちゃんと調べて読んでみよっと。

 さて、だいぶ長々書き連ねちゃいましたがコメントありがとうございました! また気になることがあったら、遠慮なくコメントいただけると幸いです! ( ̄▽ ̄)ゞ (←この顔文字可愛いですね……)

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投稿者 読むせん : 0 投稿日時:

お疲れー。

小説という形態に落とし込むことが大事やし、最終的には【自分の書きたいこと、やりたいことを描く】だけは大事にしてね。しょせんワタシも部外者です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【アップルフェルラント】は、いちおうオーバー・テクノロジー皆無。「ラピュタ」は飛空艇や空賊、特殊構造の飛行機が出まくるので、あれと比べたら、ぎりぎり映画「スチームボーイ」のほうが近いかも。

 同作者の「ラインの虜囚」は単なる冒険活劇って感じっす。イギリス貴族のご落胤にあたる凛々しいアメリカ娘が、胡散臭い4人のオッサンと共に、キナ臭い大冒険をする話。どちらも児童文学系レーベルに近いやつなので、ほどほどに読みやすいかな?くらい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スチームパンク系は視覚情報が強すぎるので、文章にすると栄えにくい気はします。その分、叙述トリックじみた使い方はできるんですよね。

ワタシ、ヴァーツラフの容姿を求めましたけど、彼の服に関しては何も触れてないし書きもしなかったでしょ?読者は勝手にヴァーツラフの容姿と装いを勝手に幻視していると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう改稿済みかもですけど、銀髪のカエデちゃんの衣装に関して描かれ出した時に「あれ?」ってなってクラシカルな印象から、スチパンへ、彼女の発言から一気にスチパンからサイバーパンクへ進んだ感が面白かったんです。
そういう意味ではあえて書かないでくれるのも楽しいとか思っちゃいます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
≫カナデはどちらかといえば「婚約にも結婚に囚われない自由な女」
そこはワタシ的に割と意外。
 主人公はリアと両想いなのに結婚できなくて、その悔しさから時代ごと壊してしまった事を【本当に自分の行った選択肢は、正しいものだったのか?】【もっと良い選択肢があったのではないか?】【私は・・・・・間違えたのではないか?】と自己嫌悪というか、畏敬の念というか、おそれ続けていているように思っていましたわ。なんか皇帝や王、国会議員や大統領の『みことのり』みたいな。全人類の命運を、一個人でしかない主人公に託されてしまったプレッシャーを感じているというか?

カエデが好きな人のために、すべてをかなぐり捨てて「両想いなんだから一緒に暮らして夫婦になっちゃおう!!」ってやってくれたら『どうやら、自分の選んだ選択は、彼女の・・・・彼ら二人にとっては良いものになったようだ』と思うことができたら、彼はすこし呪いを赦せる心地になりそうだと思ってん。

まだ最後のリアと主人公の事情編まで読めてないから(;´∀`)いま、ワタシ読書力が落ちまくっていて、読書筋トレ目的で借りたレンタル漫画すら読めないのが判明したわ。今回の読書力低下は、我ながら酷いわー。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 投稿作品のジャンルについて(&聴覚的描写について)

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ネタギレで書けなくなりました。

投稿者 ポコポコ 回答数 : 9

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こんにちは。 考えてもネタが出てこない時はどうすれば良いですか?47話がただ試合するだけになってしまいます。 アドバイスよろしく... 続きを読む >>

文章力をあげる練習

投稿者 ふわー 回答数 : 6

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自身の文章力を上げるために自分なりにこれはどうかなという練習があるのですが。 ・ひたすら文章を読む ・プロの文章をパソコンで... 続きを読む >>

ギャグっぽい会話はどのように作るのか

投稿者 しばまる 回答数 : 5

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小説でギャグは難しい、とはよく言いますが、とはいえライトノベルとかを見ると、少なくとも体裁はギャグになっている感じがします。たとえ笑... 続きを読む >>

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元記事:受け入れられやすい主人公像について

こんにちは、普段は掌編や短編でお世話になっているサイドです。
公募に向けて、学園ラブコメのプロットを書き、執筆もしているんですが、その事で質問をさせて頂ければと思います。
少し長くなってしまいますが、ご容赦頂ければ幸いです。

お伺いしたいのは、主人公への感情移入についてです。
今、二つのパターンの主人公像があって、どちらを採用すべきか迷っています。
メインの登場人物はカースト最下位の陰キャラ「主人公」と、最上位の陽キャラ「幼馴染ヒロイン」のみです。

パターン1
最初から主人公はヒロインを大切に思っており、それが恋愛感情だと理解している。
だが、陰キャラである事に劣等感を持っていて、ヒロインに近付かない。
ヒロインも主人公に好意を持っており、すれ違いや勘違い、カーストの差などの紆余曲折を経て、結ばれる。
王道だが、やや平淡なイメージ。

パターン2
主人公はヒロインを大切に思いつつも、序盤は恋愛感情を持っていない。
中盤で好意を持つ様になり、戸惑いと葛藤の繰り返しを経て、結ばれる。
パターン1の主人公より、ヒロインに対する感情の起伏や欲求が大きい為、物語がドラマチックになる。(見える?

お伺いしたいのは、どちらのパターンの主人公の方が、受け入れられるのか? です。
パターン1なら、主人公の気持ちにブレがなく、最後まで安心して読める、王道的な物語だと思います。
反対に、パターン2では、悪い方へではないにしろ、主人公の気持ちが揺れ動く為、本心が見えなくなり、読者に意味不明と取られたり、ストレスになってしまわないか、と心配しています。

個人的に書いていて楽しいのは、パターン2なのですが、時間と気力も限られている状況なので、公募を意識するなら、手堅くパターン1の方がいいかも……と悩んでいるのが現状です。
最近のラノベや漫画だと、「青春ブタ野郎」、「かぐや様は告らせたい」などの主人公は、ヒロインに一途で、ヒロインも主人公に一途なのが特徴だし、それが心地いい、と分析しています。
また、「ぼくたちは勉強ができない」、「五等分の花嫁」などでは、主人公が意識している明確なヒロインの描写はありませんが、基本的に誠実で、目標を持って(勉強など)頑張っている為、共感しやすい主人公像になっています。

これらの主人公像に関しては、学園ラブコメに限らず、能力者バトル、転生、ファンタジー、SF、ミステリーなどにおいても、応用が利かせられるとも考えているので、広義での捉え方も含めて、ご指摘、助言など、頂ければ幸いです。

上記の回答(受け入れられやすい主人公像についての返信)

投稿者 サタン : 1

パターン1は本当に良くも悪くも王道。
でも、王道ってのはアイディア一つで大化けするので、侮れないです。
パターン2は確かに感情の起伏が強く出そうな山あり谷ありなので感情の衝突が物語を盛り上げキャラを立ててくれそうです。

物語的にはパターン2のほうが良さそうに思えますが、正直なとこ「受け入れられやすいか」で言えば王道に勝るものはないのでパターン1だと思います(受け入れられ続けた結果の王道なので)。
パターン1は王道だけによくありますが、パッと思い浮かんだのは漫画「ナナとカオル」です。
カースト再下位の変態主人公と、生徒会優等生で後輩にも慕われてる幼馴染ヒロインが、SMをテーマにラブコメする内容。
まあ、もともとエロ漫画家が作者なのでエロいっちゃエロいけど、エロをテーマにした普通の青年漫画です。
この場合、「SMをテーマにしたラブコメ」ってあたりがアイディアで、さすがエロ漫画家出身と思える着眼点で王道なのに個性的でした。

それで、パターン2の良いところは起伏があり衝突が多いという事でしょう。これによってドラマを盛り上げられる。
でも、別に感情の起伏は恋愛要素に限らなくても良いし、その衝突が恋愛に繋がれば良いので、なんかアイディア絞れないかな、というのが本音。
王道設定は、王道で目立たないだけにアイディアがよく目立つ。
パターン2は起伏あって衝突が作れるのが良さだけど、だったら別にパターン1のままSMじゃないけど衝突が作れる要素を入れりゃいいだけ、ではないかなと。

一方でパターン2は良いのだけど、ラブコメだから「好き」という感情でドラマを作るというのは、芸がない、というのは失礼に過ぎるコメントだけど、公募用と考えるとそんなストレートでいいのかなと思ってしまう。
なので、個人的にはパターン1で王道が共感しやすいだろうと思う。ほんでお節介だけどもそこに一つのアクセントを入れるのが良いかなと。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 受け入れられやすい主人公像について

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元記事:物語には明確なラスボスが必要でしょうか?

いつもお世話になっております。
長編小説に挑戦中の、やとうです。

このところコロナウィルスで日々の暮らしが大きく変わりましたが、
皆さまはお元気にお過ごしでしょうか。

自宅で過ごすことが増えて、最近家の中も落ち着きだしたのでやっと落ち着いて創作が再開でき、
プロットの構成を見直したのですが、作中のラスボスの存在について、疑問を抱くようになりました。

今書いているものは、例えると〈ハリー・ポッター』のヴォルテモート卿のように、序盤から敵として存在感を示し、これを倒せばクリアというような明確な存在がいないのが現状です。
敵として登場させようと思っているキャラクターの中には、少々書き加えればそのポジションができそうな候補はいますが、いなくても成り立てそうな気もします。
ただ、存在すれば敵側の勢力が色々と作れそうな…とも迷います。
どちらにしても現状のプロット通りにいくと、敵対する存在がまだ薄いので話の流れに合わせた敵キャラクターは追加でいくつか必要だと感じています。
現状だと次々遭遇する中ボスクラスを中~短編ごとにポコポコ戦うような流れです。

共通の黒幕・ラスボスは可能な限り、作れるのならばあったほうがいい存在なのか。
なくても成立するならば、単発の敵だけでそのままやってみても良いのか。

学校も職場も非常事態でお忙しいところ恐縮ですが、皆さまの創作での気付きやご意見を伺えれば幸いです。
よろしくお願いします。

兵藤晴佳様、t様、御茶ノ宮悠理様、以前コメントをいただいていたのに、お返事がなく申し訳ありませんでした。家のごたごた~コロナウィルスで秋から長期にバタバタしていて、返信のタイミングを伸ばしたままで今日まで来てしまいました。
個別のお返事も考えたのですが、そちらにお返事するとほかの方の質問がサイトの表に出てこなくなってしまうためこちらで返信いたします。

兵藤晴佳様
『大君の都』は興味があったのですが、現在図書館がすべて閉館なので、時期を見て必ずゲットしに行きます。
t様
時間がたった後に一章を読み直してみても、この流れは変えられないと思いました。犠牲になった一章をその後にうまくつなげることを優先します。 

御茶ノ宮悠理様 
すこし創作から離れて戻ってくると、設定の至らない部分や違和感に改めて気づきます。設定の浅い見切り発車はうまく続かないと実感しました。

皆様、ありがとうございました。

上記の回答(物語には明確なラスボスが必要でしょうか?の返信)

投稿者 あまくさ : 1

>共通の黒幕・ラスボスは可能な限り、作れるのならばあったほうがいい存在なのか。
>なくても成立するならば、単発の敵だけでそのままやってみても良いのか。

まず一般論として言えば、ラスボスは「なくても成立するならば」必須ではないと思います。どういう物語なのかによるでしょう。

構想されている物語の最終目標はどこにありますか?

バトル主体のストーリーならラスボスは作る方が引き締まるとは思います。しかしその場合、強敵を倒すこと自体が最終目標になってしまい、それ以外のエピソードがサイドストーリーのように見えてしまう恐れがあります。
つまり御作の場合、小公子がかすんでしまいかねない気がします。

ひょっとすると私が御作の構想をよく理解していないだけかもしれないので、見当はずれでしたらスルーしてください。

一応感じているのは、ややもすると「サムライの物語」と「小公子の物語」に分裂してしまいかねない構想なんじゃないか、ということです。
あ、だからダメだという意味じゃなくて。
二人の物語をどうからませるのか、そこをよく考えておくのが最重要なんじゃないかということです。

強敵を倒すというイベントは「サムライの物語」寄りの流れになりやすいと思うので、その戦いが小公子にとっても重要な意味があるものにするプロット上の工夫が必要かと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 物語には明確なラスボスが必要でしょうか?

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投稿日時:

元記事:創作を際限なく続けるには?

私の周りに、HSPというか、二次創作で書きたいものが次々思い浮かんで、いくら書いてもネタのきれない人がいます。
おそらくは日常のあらゆることを観察し、どんなくだらないことでも、創作に生かすに際してどんなに労力がかかりそうでも取り敢えずメモしておく、という癖があるせいだと思います。
そしてそういう人は自分の観察をすぐさま創作に結びつける回路が頭の中にできているのだろうと思います。

私は残念ながらそれほど何かを好きになったことはないし、そうした回路がある訳でもありません。そういう人でも観察をすぐさま創作に結びつける方法があるとすれば、何をすればいいでしょうか?

以下、質問の動機です。
私は複雑なことを考えられないので、何かに意外性のあるものを作る前にまず「どこかで見たことのあるような形」を作ってから、それに手を加えるようにしています。誰でも知ってるような話を真似て、そこに何かしらのまとまった想像の「核」のようなものを次々と代入していき、その後で意外性を加える訳です。
日常生活における観察が「核の種」であるとするなら、種を核にすること(≒ネタ帳にメモすること)こそ、「観察を創作に結びつけること」と言えるのかもしれません。

上記の回答(創作を際限なく続けるには?の返信)

投稿者 t : 0

こんにちは、種を核にーー(≒ネタ帳にメモすること)もいいですが。(≒どこかで見た形を拾ってこれる再現性)の方が「観察を創作に結びつけること」の答えに近いかもしれませんね。
何かの参考になれば幸いです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 創作を際限なく続けるには?

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