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やり直しについての返信

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やり直しについて(元記事)

よろしくお願いします。

小説を書いて約十年、幼い頃からの血の滲むような修正、添削、やり直しにて、元々苦手で嫌いであった日本語、国語という枠を克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで参りました。
最初はケータイも無く、ただ1ページ三十五行のノートに物語を書き連ね、酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々でした。それを一般の小説、童話などと比較し、物語の構成や文章の中にさりげなく入れる変化球のような単語、読みやすさなど到底そのレベルに達していないと判断してゴミ箱にシュートしていたのです。
しかしながら、自らの才能を見極める目はありました。私は書いたものの中で、キャラクターがどのように動きたがっているのか、どうすれば不自然ではなくなるのかなど、飲み込みが早いのです。
なので、自分で書いたものを読み返し、必ず改善点を見つけてしまう。妥協をしないから必ずゴミ箱に入れる。これが延々と繰り返されて来ました。
長編を書きたいが、今の自分では面白くない。長編を書き切ったが、見返して改善点を見つけ、これを世に出して良いはずがないと捨てる。
確かにやり直す度に面白くなってはいるが、上限なく面白くなるのだが、底がないのです。
今ではスマホがあり、アプリを入れて小説を書いてもやり直してばかりで未完の小説がゴミ山のように溜まっていくのみ。
私は一体、どこまでやり直せばいいのでしょうか……。

やり直しについての返信

投稿者 手塚満 投稿日時: : 1

結論から申せば、ある種の幻想に囚われているということです。しかも、その幻想を強化する訓練を続けて、今に至っている恐れが強い。ですので、推敲、改稿はそこそこにして、作品の完成と公開を最優先にすべきでしょう。そこを少し説明してみます。

1.手より先に目が肥える

小説に感動して、読み手から書き手に変わろうと思い、いろいろ書いてみるわけですよね。そのとき何が起こるかって、当然、書くことが上達していきます。一説には長編10本くらいまでは、ただ書きさえすれば上達するとも聞いています。

が、文章を書く手だけが上達するのか。そんなことはなくて、書いているとき書いたものをは逐一追いながら考え、推敲するには改善ポイントを探せるよう、注意深く読むわけですね。それがまた書くことにフィードバックされる。

そうやっていると、確かに書く手は上達するけれども、その前提にはしっかり読む、しばしば分析的に読解することが必要なため、目が肥えても行きます。そしてほぼ間違いなく、手より目が肥える速度のほうが速い。

2.目が求めるものを手はこなせない

そうなりますと、自分が満足する文章を書くことが遠のきます。書き手としてより、読み手としての上達が早いんですから当たり前です。手を動かすと先に目が肥える。どうかすると、書くほどに下手になった気がすることさえある。その点はよく承知しておかねばなりません。実際には着実に上達しているのです。

しかし仰るように改善ポイントは見えてしまう。よく読めるようになっていくだけに、キャラの動き、気持ちを分かることが深くなり、そのために必要な言語化が不足していることだけは分かるようになる。当然、推敲や改稿をしたくなります。創作者としては当然の気持ちです。

3.やってみた気分に騙される

そして手を入れてみる。そこで罠が発動しがちな点は要注意です。「自分が作ったもの、自ら手を入れたものに高い価値を感じてしまう」という「イケア効果」です。鶴の折り紙実験などで知られています。自分が折った出来損ないの折り鶴は正しく折れた鶴より価値があると嘘偽りなく感じてしまう。他人は折る前の折り紙のほうが価値があると思っているにもかかわらず、です。

推敲、改稿でも同じことが発生します。手を入れてみると文章的に改善した気がする。しかし前より良いはずという感覚と、実際の文章は乖離してます。せいぜい数日前の文章のはずです。書き手が数日で格段の進歩を遂げるはずもなく、むしろ同じ程度でしょう。せいぜい、そのときどきのコンディションによる変化があるに過ぎない。

4.同じ自分で大差出せるわけがない

実際は推敲後、改稿後の文章は特によくなってはいない。それをまた読んで、同じように改善ポイントを見出してしまい、同じように気分だけの文章・描写改善に取り組んでしまうわけです。だからよく言われてるわけです。頭を真っ白にしてから推敲せよ、とか。あるプロの言では数か月放置するそうです。そうしないと自作を他人の文章同然に読むことができず、有効な推敲なんかできないから。

5.他での感動を自分の文章の感動と取り違える

スレ主さんのご質問文(やご回答文)を拝読しますと、まだ罠がありそうで危惧しています。それは「借り物の感動」とでも言うべきものです。どこかで見聞きして感動したものを、自分の文章に感じてしまう現象です。自分もよくやらかしますが、偉人の名言とか、有名な警句とか、口に出してみると、実にいい気分で自分が凄いこと言った気がしてしまいます。

しかし実際は、自分の言が自分で感動するほどには他人に感銘を与えたりはしない。せいぜい「ふーん、それで?」くらいの周囲の反応しかありません。上記のイケア効果(自分が言った)以外に、名言や警句を読んだり聞いたりしたときの自分の感動を再現しちゃってるんです。よくある、例えば銀英伝のキャラクターの名言なんかですと、銀英伝を鑑賞したときの感動まで加わっちゃってる。

6.決め台詞だけで感動が発生すると思う勘違い

スレ主さんのご質問文って、大仰な言い回しですよね。ここへは誰かを感動させに来たんじゃなくて、悩みを聞いて欲しくていらっしゃったはずなのに。例えば「幼い頃からの血の滲むような」とか「克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで」とか「酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々」とかとか。大仰であるだけでなく、どっかで聞いた、手垢のついた言い回しでもある。

おそらく、その手の言い回しで感動したことがあるはずです。そして、感動したものについては、その言い回しはうまく用いられていたのでしょう。文章の工夫は感動した文言そのものより、その前の段取り、後のフォローで作られていることが多い。決め台詞などと同じですね。決め台詞そのものより、決め台詞が発生する条件を整えるのが大事。

そこをよく読み取らず、いいと思った文言だけ覚えて使いまわしてしまうと、ちぐはぐなツギハギの感じがする文章になってしまいます。少なくとも、この掲示板に見えるスレ主さんの文章はそういう感じがしてしまっています。

7.書くべきことが分からないと悪いポエムになる

そういう文章は書くことがない、あるいは書くべき内容を整理できないときによく発生します。内容のなさをレトリックで補おうとしてしまうのです。しかも饒舌になる。内容がない、とは思われたくないので文章量を増やしたくなりますし、言い訳にも近いのでついくどくど言いたくなってしまうから。何を書いていいか曖昧なので、具体性を欠いて、情緒重視にもなってしまう。

8.もし未完成で推敲を重ねているならハイリスク

別の問題点としては、スレ主さんのご質問が具体的な説明を欠いていてはっきりしないのですが、もしかして未完成のうちに推敲、改稿を重ねていないかということがあります。

少なくとも、書き進めている最新の2割は有効な推敲はできません。文章は各部分が文脈、つまり前後の支えがあって読めるものになります。最新部分はまだ後があるのに、書いてない。だから推敲するにも、その後の文脈が支えてくれない。これではいくら書き直して納得するものにはなりません。最新部分に拘泥せず、さっさと書き進めたほうがいい。そうすれば戻って来て推敲が有効にできるようになります。

これは当然、書き始めの部分でも発生する現象です。よく言われるコツに「書いたら冒頭をバッサリ捨てろ」というものがあります。読者は嫌いなプロローグを作者は好みがち、なんて指摘があるように、最初の部分には無駄が入りがちだからです。捨てればスッキリする。

しかし書いてみた効果はあります。捨ててしまうとはいえ、新たに実際の書き出しになる部分にもしっかり冒頭より前の文脈が生じるから。そうしない場合でも、書き出し以前には何があるか、しっかり構想くらいはします。慣れればそれで充分に書き出し部分の文脈の支えになります。

ですので、もし未完成のうちに推敲、改稿を重ねて、満足できずに中途で全部捨てているのなら、よく考えたほうがいいでしょう。充分に推敲、改稿ができるのは最初と最後の2割ずつは無理で、その間の6割だけです。推敲すると、特に後に影響しがちで、さらに改稿の必要が出たりしますが、受け入れるべきでしょう。いくら推敲、改稿しても後に影響ない最新部分は書き直しが楽ですが、力を入れるのは無駄であり損です。

9.いわゆる純文学とエンタメ作品の文章の相違

これもスレ主さんのご質問が具体性を欠いていて、はっきりとは申せませんが、純文学とエンタメ作品の文章傾向の違いをはっきり認識しているか、ちょっと不安になります。

純文学では、仮に主人公の言動、行動が特に際立っていなくても、言い回し、視点、比喩などの文章技術で読み手を引き付けることを重視しているようです。朝起きて顔を洗ったとか、パスタを茹でたとかだけで、面白く読めるものに仕上げる技量ですね。

一方、エンタメ系では何が起こったかが大事。それがどう書いてあったかは問題ではありません。すらすら読めて、ぱっぱと分かればいい。読み手は何が起こったかは思えているけど、どう書いてあったかは忘れている。それくらいできれば上等です。念のためですが、それはそれで高等技術です。

どっちを書きたいかがはっきりしないと、どう書いていいか分からなくなりがちです。当然、推敲、改稿も不安定になり、無駄にやり直しするようになります。そのときどきの書き手の気分次第の面がありますので、要注意です。

10.最良の読み直し手は他人の読者

いろいろ工夫するとしても、書き手が自分一人でやっていては限界が低い。何を書こうとしたか分かってるし、文章判断の自分一人、つまり主観でしかない。小説は赤の他人に読んでもらうのが大前提です。

ですから、赤の他人の感想、批評を得る必要がある。これは自作を公開しないことには不可能です。そこで感想を得たら、読者の感想であることを大前提に(決して改善ポイントを指摘してくれないのが読者、たとえアドバイスの体裁であっても)、推敲、改稿に活かすことができます。

複数の赤の他人の批評ですから、きちんとまとめればある程度の客観性は得られます。書き直しに直接役立つだけでなく、自分の(主観的な)判断基準と他人とのずれを意識することにも役立ちます。あまり世間相場と乖離したくないなら必要といっていいでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: やり直しについて

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