書ける題材の幅が狭まっていくの返信
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書ける題材の幅が狭まっていく(元記事)
これは私自身の気質が関係しているのかどうかは分かりませんが、年々書ける題材が限られてきています。
特に残忍な出来事だったり、エロ的な描写などが年々書くのも何かの拍子で見たり聞いたりする事も無理になってきてしまいました。(地雷っていうのでしょうか、こういうのは)
現実でこうした出来事が起こるのが嫌、もしそんな事になったらどうしよう、という強迫的なところが原因にもなっています。
一度不安になってしまうと、急激にその対象物を遠ざけたり、データを消したり、距離を取り始めたり色々と極端な行動に出ます。(創作、ではなく、現実における想像力が働かない障害があります自閉症スペクトラム傾向ありです)
そういう強迫や障害的な側面が影響して書ける題材が狭まってきているのではないかと思っています。
この掲示板にいる人の中そうした事を思ったりした事がある人はいますか? そうした場合どの様に対処していますか? また過去そういう特徴を持った作家さんなどはいたりしたのでしょうか?
以上の二点が質問になります。
助言頂けると幸いです。
書ける題材の幅が狭まっていくの返信
投稿者 t 投稿日時: : 0
数年前にラノベコーナーで高校生が話しているのを聞いたことがあるのですが、 「このラノベは人体解剖するよりももっと、それを〇〇して××するのが良いんだよ」。
たまたま会話を聞いてしまった方としては、生きている人間の口からそんな残酷な言葉が得意気にでてくることに、作家でも関係者でもなんでもないですが。こんな時代になってしまったことに、どこか罪深いものを感じたことを覚えています。
とはいっても、
フィクションである小説や物語に、倫理や道徳を求めるのはナンセンスというのも分かります。
誰も傷つかない話もありますが、普通に書くと物語というのは誰かが不幸になるものです。
その不幸を書かなければならないという問いに対する答えが、残忍なことだったり。
エロについては、いかに文章を読ませるかを追及していった時代に対する答えの一つと思っていて。
手品のタネが分かってくると、なるほどなすごいな、と感心しました。
残忍もエロもそれをどこまで表現するかは書き手次第だということ。
そう考えると、それらの表現が自然と許せるようになりました。
残忍もエロもそれがあるのが問題ではなく、物語の都合上書かなければならない特別な理由があるから採用されていると考えることで、その理由について考えることはなぜ不幸なことの役割とはなんだろうか、エンタメにエロはなぜいるのだろうか。
普段慣れ親しんでいる物語を別角度から検証していくための、良い機会になるのではと思います。
カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書ける題材の幅が狭まっていく