2015/04/19(日曜日) 09:54:37の質問
どうもジジさん、私の質問(萌え文化の一般文芸への浸透2015年4月/新人賞下読みが回答)にお答えいただき、ありがとうございます!
萌えという文化は明らかに一般層へ浸食しており、キャラ立てにおいてかなりラノベ寄りになってきているのは確かです。
なるほど。
アニメ制作会社ガイナックス創業者の岡田斗司夫さんが、「オタクはすでに死んでいる」と言っていましたが、一般人がオタク化しているのではなく、一般文芸がオタク文化を取り込んでいるという感じでしょうか。
『ビブリア古書堂の事件手帖』(2011/3/25)が刊行された時、ヒロインの栞子さんが、完全に萌えを意識していて驚きました。
美少女萌えやキャラ立てという手法が、オタクだけのものではなく、あらゆる領域に使える物として、浸透している感じがします。
おそらくこれは、日本人の民族的な好みと合致しているからで、オタクは白い目で見られながらも、これを先進的に取り込んでいた、という解釈ができるのかなと、考えています。
ライトノベルはますます萌えと美少女に傾倒している感じがしますが、こういったオタク的要素特化型の作品群は、もしかするとニッチジャンルになっていくのかな、とも予想しています。
●下読みジジさんの回答
ガイナックス創業者の岡田斗司夫さんが、「オタクはすでに死んでいる」と言っていましたが、一般人がオタク化しているのではなく、一般文芸がオタク文化を取り込んでいるという感じでしょうか。
そのとおりかと思います。
ただ、一般層における萌えの吸収源はまちがいなくコミック作品ですね。ラノベもアニメ化が増えている分、作用はしているものと思うのですが、まだまだ規模が小さいものと感じています。
『ビブリア古書堂の事件手帖』が刊行された時、ヒロインの栞子さんが、完全に萌えを意識していて驚きました。
三上延氏がラノベ出身というのは大きいかと思いますが、方法論としての「かわいらしさ(の極端化)」の確立にラノベ手法が向いているのは確実であると考えています。
美少女萌えやキャラ立てという手法が、オタクだけのものではなく、あらゆる領域に使える物として、浸透している感じがします。
おそらくこれは、日本人の民族的な好みと合致しているからで、オタクは白い目で見られながらも、これを先進的に取り込んでいた、という解釈ができるのかなと、考えています。
これは私の師匠の言になりますが、「萌えとは日本的な精神文化の土壌があって初めて嗅ぐことができる「におい」であり、まさに侘び寂びに次ぐ第三のジャパニズム・センスである」とのことです。
そう思えばオタクという民族は「求道」という、ある意味でこれも非常に日本人らしい精神の「鋳型」へ自らをはめ込んでいるように思えますね。実に日本人らしい日本人と言いますか。
ライトノベルはますます萌えと美少女に傾倒している感がしますが、こういったオタク的要素特化型の作品群は、もしかするとニッチジャンルになっていくのかな、とも予想していまじす。
基本的には、どのようなメディアも序々に極端化していくのが法則ですが、読者や別ジャンルになにかを「提供」できているうちは「文化」であることができるのではないかと。
ただ、極端化がさらに進み、別ジャンルになにも与えられなくなれば、一気に衰退し、さまざまな意味で限定化されたメディアになってしまう可能性はありますね。
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