小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

兵藤晴佳さんの返信一覧。最新の投稿順11ページ目

元記事:プロの方がやる間違いについての返信の返信の返信

ハイファンタジー・ロウファンタジー・日常ものでリアリティ(本当らしさ)の扱いは違うでしょうが、エンタメは要は読者をいかに騙すかですよ。
騙すというと聞こえが悪いですが、読者も気持ちよく騙されたがっているものなので。

上記の回答(プロの方がやる間違いについての返信の返信の返信の返信)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 投稿日時:

それは分かります。
もの書きはマジシャンですから。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: プロの方がやる間違いについて

この書き込みに返信する >>

元記事:プロの方がやる間違いについての返信

これを書いている時点でのレスも拝読してですが、スレ主さんが間違っています。「こう解釈すれば間違いと出来る」といったことに固執している感じです。「こう解釈すれば正しいかもしれない」がスッポリ抜け落ちているようです。

箱馬1つは仰せのサイズだとしましょう。大きいほうが「6寸×1尺×1尺7寸」(約18cm×約30cm×約51cm)ですね。自分の主観では結構デカいですよ?

「一抱え」は寸やセンチと違い、主観的基準です。あるいは自分基準と言い換えてもいいでしょう。「一抱え」と何かについて言う人にとって「一抱え」なら「一抱え」です。何センチとか何立方センチなら「一抱え」である、と決められるものではありません。

辞書的には例えば「両腕で抱えるほどの量、または太さや大きさ。」(デジタル大辞泉)とあります。片腕では抱えられない、と思ったら「一抱え」でもいいわけです。既出ですが、持とうと思えば片手でも持てる花束を、両手で持って「一抱え」と表現している事例は画像検索などで散見されます。

さらに、スレ主さんは書いていないからと否定してお出でですが、複数の箱馬(ハコウマ)の可能性はあります。英語と違い、単語に単数形・複数形が原則としてないのが日本語です。複数とは書いてないけど、たった1つしかないとも書いていない。どちらとも取れるわけです。

> 本文中では箱馬について「大きさ」と表現しているので、数を意味するものではありません。

こういう指摘をスレ主さんはされているわけですが、事実誤認でしょう。お示しの節では箱馬について、

> ほかは、一抱えほどある長方形の木箱――聞けば「ハコウマ」と言うらしい――や、

としか表現されていません(ハコウマと書かれたのはこの部分のみ)。逆に「大きさ」は1語もありません。

小説の当該節の書き出しは、きちんと読んだんでしょうか。こうありますよね。

>  演劇部の“ブシツ”とやらは、大きな家具は何もないのに、細かい物で雑然としていた。

大きな家具はなく、あるのは細かい物だと記してあります。これをどう解釈してイメージするかは読者次第です。箱馬は「細かい」が1つが「一抱え」なのか、箱馬が複数詰まれて「一抱え」なのか、文脈に沿って読者が解釈し、無理なくイメージできれば、作者の表現は成功ですし、当然、間違いと指摘できるものではありません。

箱馬のサイズも同様です。当該小説の舞台が演劇系ですから、演劇用の箱馬だとしても、スレ主さんもお書きのように「が中心」ですし、辞書などでも「ふつう(6尺×~)」といった限定があります。それ以外を許容しない、というわけではない。「絶対に~ありえない」とは言えません。

三人称地の分の語り手「一抱え」と表現したら、読者は「一抱えあるからにはこう」と想像するのが普通です。「一抱えであるはずがない、例えばこうイメージすれば」なんて読み方はしないでしょう。

お示しの小説の節を読むと、主人公らしきロキの三人称一視点と思われます(ロキの内心が地の文で直接語られたりする)。そして、他のキャラについて「ロキと同じくらい小柄で」と表現されています。

通例、小柄でないキャラついて「同じくらい小柄」とは表現しません。小柄なキャラ視点で、他のキャラが同じくらいの背格好であるとき、「同じくらい小柄」と言うわけです。このことが「ハコウマ」の「一抱え」にも影響します。小柄なロキにとっての「一抱え」は、ロキより大柄なキャラの「一抱え」は異なる。

短くまとめて再掲すると、スレ主さんの疑問、主張には少なくとも以下の問題があります。

・「一抱え」の主観性、個々人依存性を無視した客観基準
・「ハコウマ」の恣意的な数量の決めつけ
・具体的に表現された文脈の無視
・恣意的に代表例に限定している
・誤読している部分がある

パッと見でも、これだけ問題がありつつ、お示しの表現がどうこうと言うのであれば「難癖」に分類されるでしょう。

上記の回答(プロの方がやる間違いについての返信の返信)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 投稿日時:

ありがとうございます。数とは気づきませんでした。
変だな……「大きさ」とあるのを確認してから書いたと思ったのですが。
これが「一抱えほど積まれた長方形の木箱」と書いてあれば、自主公演が打てる準備のある部が間違いなく表現できたのですが。
「こう解釈すれば正しいかもしれない」と考える余地のない文章を書けるよう、私も気を付けます。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: プロの方がやる間違いについて

この書き込みに返信する >>

元記事:プロの方がやる間違いについての返信の返信の返信

念のため、申し上げておきます。

> 「こう解釈すれば正しいかもしれない」と考える余地のない文章を書けるよう、私も気を付けます。

そういうことは、私からは一切申し上げておりません。仰るような文章は、契約書や特許文書などで見ることがありますが、とてもではないですが一読して分かりやすいものではありません。

「「こう解釈すれば正しいかもしれない」と考える余地のない文章」は誰にも一切文句を言わせないことが主眼であり、言い換えれば、読者の想像の余地がない文章です。そんな文章を小説向けにお勧めすることは、私としては一切ありません。

小説では普通に読んで、紛れの余地はあっても、作者が狙ったターゲット層の8割くらいにとって、楽に適切なイメージが湧きさえすればいいと考えております。

上記の回答(プロの方がやる間違いについての返信の返信の返信の返信)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 投稿日時:

ありがとうございます。
解釈の幅と、誤読のおそれは違います。
「こう解釈すれば正しいかもしれない」は、正しくない解釈があり得ることが前提です。
「読者の想像の余地」とは、「ここからここまでは読者の想像に任せて差し支えない」という解釈の幅です。
誤読のおそれのない、しかし解釈の幅のある文章を書きたいものだと思います。
たとえば。
演劇部の部室にある箱馬が、「一抱えほどある」のと「一抱えほど積まれている」のとでは、その背景にある部員たちの行動の有無が違います。
さらに、雑然とした部室なら、おそらく箱馬も雑に積まれているでしょう。それが一見して「一抱え」できそうかどうかは疑問ですが。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: プロの方がやる間違いについて

この書き込みに返信する >>

元記事:アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?

例えばアニメにおいて微細な心情の変化を間や表情、声の調子などによって表現することはよくありますが、ライトノベルで同じことはできないでしょうか。

三島由紀夫の文章読本には確か「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」というようなことが書かれていたと思います。自分もそう思うのですが、しかしながらキャラクターの心情をいちいち描写していたのではいわゆる「そのまんま」になってしまってつまらないのではないかと感じました。

個人的には、拙いながら設定やキャラクター、ガジェット等に関する直接的な説明はなるべく省いて、外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが、どうにかならないでしょうか。

上記の回答(アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信)

投稿者 兵藤晴佳 : 0 投稿日時:

国語の教科書に載っている作品の描写から。
夏目漱石『こころ』

 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立こだちの茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、梢こずえを並べて聳そびえているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛かじり付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡おかへ上のぼるべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃ころになって、ようやく外套がいとうの下に体たいの温味あたたかみを感じ出したぐらいです。

 三角関係において、純朴な親友に恋をあきらめさせようと追い詰めた直後のシーンです。公園の「淋しい」「寒い」情景描写で内心の寒さを描写しています。

 同じ作品中には次のような表現もあります。

 私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。

 親友の思いがけない自殺の現場を見た、茫然自失の状態が描かれています。

 芥川龍之介『羅生門』

 すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉からすの啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。

 下人に刀を突きつけられた老婆が、「危害を加えるつもりはないから、何をしていたのか答えるだけでいい」と告げられて、恐怖の中で警戒しながら言葉を選んで答えている様子が描写されています。

 以上の例から、おっしゃっていることは可能かと思います。
 

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?

この書き込みに返信する >>

元記事:アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?

例えばアニメにおいて微細な心情の変化を間や表情、声の調子などによって表現することはよくありますが、ライトノベルで同じことはできないでしょうか。

三島由紀夫の文章読本には確か「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」というようなことが書かれていたと思います。自分もそう思うのですが、しかしながらキャラクターの心情をいちいち描写していたのではいわゆる「そのまんま」になってしまってつまらないのではないかと感じました。

個人的には、拙いながら設定やキャラクター、ガジェット等に関する直接的な説明はなるべく省いて、外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが、どうにかならないでしょうか。

上記の回答(アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信)

投稿者 兵藤晴佳 : 0 投稿日時:

国語の教科書に載っている作品の描写から。
夏目漱石『こころ』

 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃になって、ようやく外套の下に体たいの温味を感じ出したぐらいです。

 三角関係において、純朴な親友に恋をあきらめさせようと追い詰めた直後のシーンです。公園の「淋しい」「寒い」情景描写で内心の寒さを描写しています。

 同じ作品中には次のような表現もあります。

 私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。

 親友の思いがけない自殺の現場を見た、茫然自失の状態が描かれています。

 芥川龍之介『羅生門』

 すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。

 下人に刀を突きつけられた老婆が、「危害を加えるつもりはないから、何をしていたのか答えるだけでいい」と告げられて、恐怖の中で警戒しながら言葉を選んで答えている様子が描写されています。

 以上の例から、おっしゃっていることは可能かと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?

この書き込みに返信する >>

現在までに合計62件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全13ページ中の11ページ目。

ランダムにスレッドを表示

キャラクターの一人称について

投稿者 黒猫サンバ 回答数 : 1

投稿日時:

今書いている恋愛小説で2人の男性キャラがでてくるのですが、その男性キャラの一人称が「オレ」と「俺」です。 そこで質問なのですが、や... 続きを読む >>

東京欲望楽園俱樂部LINE:qsaki東京・大阪泡泡浴 本番高級出張サービスTelegram:@a5

投稿者 日本欲望楽園俱樂部 回答数 : 0

投稿日時:

日本・東京・大阪|高級本番出張サービスLINE:qsaki| Telegram:@a52jp 東京23区 & 大阪府... 続きを読む >>

筆が乗らないのです

投稿者 藍川 回答数 : 4

投稿日時:

お世話になっております。藍川です。 タイトルの通り、小説の続きが書けなくなってしまいました。 全く書けない訳ではないんですけど、... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:王道か邪道か

私はこの夏から新たな作品を執筆し、新人賞に応募したいと考えています。
今は構想段階なのですが、王道路線にするか邪道路線にするか決めあぐねています。
あまり詳しくは語りませんがざっくり言うと、王道路線は操り人形のような主人公が仲間との出会いを通じて成長していく物語です。対し邪道路線は主人公の内面が他者と接しても変わらず、仲間も平気で貶めます。
インパクトがある邪道路線にしようと考えていたのですが、それでは主人公に共感性を持てないため厳しいのかなと思います。どちらにした方がいいかアドバイスしていただけると幸いです。

上記の回答(王道か邪道かの返信)

投稿者 読むせん : 2

仮にその展開で成功したとして、次作もその次々作も、同じ展開で書く事を望まれ続けたとして、後悔の無いほう。

胸糞ミステリーとか後味悪い系とかは、作家ごと「そういう作風の作家」として読者に記憶されます。急な路線変更とかすると売れなくなる危険性があるからね。
「どっちの路線の作風の作家として他者に覚えて欲しいか?」で選んだらわ?

カテゴリー : ストーリー スレッド: 王道か邪道か

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:ストーリーの作り方

このサイトでは二回目の質問になります。
前回回答下さった方、ありがとうございました。

さて、今回の質問なのですが、実は今ストーリーの作り方について迷っています。
キャラは決まりました。
主人公もヒロインも、主人公とヒロインの仲を引き裂こうとしてくる脇役(敵役?)等もなんとなく決まったのですが、いざ物語を書こうとすると筆が進みません。

みなさんはこういう経験はありますか?
ストーリーで躓いた時、どうすればいいのでしょうか。

上記の回答(ブルーチーズの作り方)

投稿者 ごたんだ : 0

小山痴獣のフォローかなぁと思ってたけど…

下手したら小山痴獣がルーキー潰しに朴ろうとしているのって…

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーの作り方

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:設定被りは、どこまでが仕方ないのでしょうか

初めて質問させていただきますため、至らぬ点がありましたら申し訳ありません。

質問なのですが、タイトルの通り、他作品との設定被りはどこまでが許されるのでしょうか。
と言うのも、自分が書いている作品の設定が色々な作品に似ている気がしているのです。
簡単に書けば、現代を舞台に魔術師や不死の存在が人知れず戦っている、と言う話です。
何となく、よくありそうな設定だと自分でも思います。具体的に言えば、主人公が即死能力的な物を持っているのですが、それは、不死と言う単語と相まって月姫のように感じられますし、敵が実在(?)のオカルトをベースにした組織と言うのは、Diesや科学ADVシリーズのような印象を受けるかも知れません。何より、自分がそれらの作品の影響を受けていないとは全くもって否定できないのです。どれも、好きな作品なので。
無論、パクリはしていないつもりですし、話の流れや結論は、それらとは違う物になっているはずです。ですが、設定だけ見ると、単なる二番煎じに陥っているような。もっと言えば、パクリになってしまっているような気がしてきて、こうして質問させていただきました。
皆様は、創作においてどの程度の設定被りは許容されると思いますか?

上記の回答(設定被りは、どこまでが仕方ないのでしょうかの返信)

投稿者 サタン : 21 人気回答!

結論から言えば、どこまでもソックリだろうと問題ありません。
しかしこれはあくまで「設定は」の話です。
「その設定でどんな話を作るのか」という部分では、例え設定が180度違っていても「パクリ」と言われてしまいます。

例えば、
「過去の英霊を召喚して、その頂点である全能の存在になる戦いに身を投じる話」
という物語と、
「過去の英霊を召喚して、願いを叶える全能のアイテムをめぐる戦いに身を投じる話」
という物語があるとすると、
これは「設定」では非常に似てると言わざるを得ませんよね。
さて、前者は漫画「シャーマンキング」の要約で、後者はゲーム「Fate/stay night」の要約です。
今の若い人はシャーマンキングを知らないかもしれないけど、一時期ジャンプの看板を背負ってただろう作品です。
この両者を立て続けに見たとして、しかし両者を「似てる、パクリだ」という人は少ないでしょう。

一方で、
「未来から来たロボットが不思議な道具を出して主人公を助ける話」
という物語と、
「主人公が過去の文献から不思議な道具を作り出し、問題を起こす話」
という物語では、
あくまで「設定」というレベルの話では180度違うものです。
さて。前者は「主人公を助ける話」かどうかは疑問だけど、ご存知「ドラえもん」の要約です。
後者は、これも最近の若い人は知らないかもしれないけど、「キテレツ大百科」というアニメの要約です。
設定レベルではまったく違う両作品ですが、見てみりゃわかりますが、非常によく似ています。
キテレツ大百科は、ぶっちゃけ道具を出さないドラえもんがお調子者になってのび太が不思議道具を作れるくらいに天才になっただけ、というレベルでほぼやってる事は同じ。
でも、「設定」ではまったく違うし、それどころか真逆だと言えるほどぜんぜん違うものです。
まあ、作者が同じ藤子F不二雄なので似てるのはしょうがないんですが。
しかし、では「なぜ似てるのか?」と考えてみましょう。

これは端的に、「やってることが同じ」だから似てるんです。
結局のとこ「不思議道具を出す過程」が違うだけで、「不思議道具を中心にコレにまつわるトラブルを描く」という作品の本質が同じものだから似てるように思えるわけです。
「過程」や「前提」における「設定が似ている」なんてのは、物語を語る上でこれっぽっちも問題にはなりません。
一方で「やってる内容が似てる」というのは、例え設定がまったく違ったとしても、「似てる」と言われてしまいます。
故に、初心者に多いのは「似てるから設定を変えよう」と必死に既存作と違う設定を作ろうとする事ですが、これは結局「やりたいことが既存作と同じ」なので、いくら設定をいじってもどっか似てるように思えるし、読者にもすぐ指摘されてしまったりします。

「ドラえもん」や「キテレツ大百科」の「不思議道具を中心にコレにまつわるトラブルを書く」というテーマは、実は両作品だけでなく非常に広くよく使われています。
例えば「ToLOVEる」なんかの日常系(エブリデイ・マジック)ボーイミーツガールなどはほとんどコレですね。
道具が「宇宙技術」か「魔法道具」か「未来技術」か「古代の神秘道具」かと、まあアレコレ「設定」が違うだけで結局やってることは同じです。
それで言えば「ToLOVEる」と「ドラえもん」は似てるハズなんですが、この両作品を並べて「パクリだ」という人はいません。
言うまでもないだろうけど、これは「ドラえもん」には無い「ラブコメ」という要素を追加して新しくしたのが「ToLOVEる」なので、ここで大きな差別化がされているため「同じ」には見えない違う作品に仕上がっています。

では、「エブリデイ・マジック」と「ラブコメ」を含む作品はどれも同じか? と言うと、これも違います。
例えば「ToLOVEる」「うる星やつら」「ああ女神さま」と、完結済みで古いのばっかで申し訳ないんですが、これらはラブコメとしての主旨が違うので「似て」はいるけど「別物」という認識をされるでしょう。
「ToLOVEる」はラッキースケベな主人公があちこちで問題を起こしてしまう話で、そのキーに不思議道具が関わってくる内容です。
「うる星やつら」はヒロインが主人公に振り向いてもらうため(つなぎとめるため)にあれこれ問題を起こす内容。
「ああ女神さま」は基本は日常系の延長で、そこに不思議道具を混ぜてる作品。

で。
こうした内容の「主旨」になるものですが、これが似てると既存作と大きく似てしまうことになる。
そして、自身の作品を見て「こういう主旨の話」と自身で明確にできない場合、設定や物語から「似てる作品を探してしまう」という事があります。
赤山さんが「月姫」や「Dies」や「科学ADVシリーズ」を挙げたようにね。
不死や即死能力が出てくる物語はけっこうありますけど、なんで月姫をピンポイントで挙げたんでしょうか?
ちなみに「ブギーポップは笑わない」という作品では何作目かに「相手を必ず倒せる線のようなものが見える素人剣術家」というキャラが出てきます(月姫より前の作品だと思う)。
最近では「MIBURO」というアダルトゲームで主人公が「相手を殺せる点のようなものが見える」という設定でした。
作者本人が「似てるものを探してしまう」ために、「作者の中で似てるということになる」だけでしょう。

自身で「こういう主旨の物語」と明確にできていれば、そもそも既存作と同じ設定だろうと「似てる」とは思いません。
よって、「設定」それ自体はどこまでも被ってても問題ありません。
物語と設定は別です。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 設定被りは、どこまでが仕方ないのでしょうか

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ