小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ワルプルギスさんの返信一覧。得点の高い順4ページ目

元記事:二次創作について

私は一次創作と並行して、二次創作も書いています。その時にふと気になったのですが、二次創作をしていることは一次創作の妨げになるのでしょうか。
あくまでキャラや世界観を借りているだけなので、小説の練習になりにくいことは分かっていますが、二次創作をやり過ぎることで一次創作に悪影響が出たりしないか気になってしまいました。

上記の回答(二次創作についての返信)

投稿者 ワルプルギス : 1 投稿日時:

アーニャさん、こんばんは。
このサイトの過去のコラムに、アーニャさんにぴったりのがありますね。
http://www.raitonoveru.jp/cms2/2015/12/14/3822/

要約すると、「二次創作ばかりだとキャラや(ストーリーの)ネタを作るのが苦手になる傾向がある」との事。
キャラクターは基本的に原作から借りてくるわけですし、ストーリーも原作の隙間を突くようなものになりがちと考えれば納得いく内容ですね。

しかしコラムにもあるように、あくまで傾向ですから、意識して補っていけば問題なし。
アーニャさんは一次創作もしておられるとの事ですから、補う機会は十分にあるわけです。

そして、二次創作には二次創作のメリットもある。
うっぴーさん・ジジさんも挙げておられる様に、設定等を考える時間を書く方に回せるので書ける量は増えます。
また、二次創作したいと思うぐらい魅力的なキャラが実例としてあるわけですから、それを分析しながら読めば、キャラ作りの参考になるデータを貯められますね。

カテゴリー : その他 スレッド: 二次創作について

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元記事:冒頭のテンポと分かりにくさについて

僕は現在、主人公が死後の世界で活躍する物語を書いています。
試作段階ですが、ある程度書き進めました。しかし、未だ冒頭のテンポと分かりにくさについて悩んでいます。
「主人公が命を落とす直前から物語を進めるもの」と、「主人公が命を落としてから、それまでの過程を会話などで表すもの」の二つを用意しましたが、前者は分かりやすいがテンポが悪く、後者はテンポがいいがわかりにくいといった状況です。
web上で連載する予定の作品なのですが、その上で、どちらの入り方が向いていると思いますか?また、それに関してアドバイスがあればお願いします。

上記の回答(冒頭のテンポと分かりにくさについての返信)

投稿者 ワルプルギス : 1 投稿日時:

主人公が死んだところから始まる物語としては、なつかしの『幽遊白書』。今年新作アニメでしたっけ?
それはさておき、あくまで一般論として。

古人曰く、冒頭には死体を転がせ。
これはミステリの話ではあるわけですが、とにかく最初のほうで読者の興味を引いておくべきなのはどのジャンルでも共通のことです。
つまり、後者の「主人公が命を落としてから、それまでの過程を会話などで表す」方を私は推します。
web連載だと、読者側が「ちょっと読んで面白くなさそうだったら閉じる」をし易いのでなおさらですね。
分かりにくさは工夫で補っていきましょう。

最初に断ったように、あくまで一般論なので、
死ぬ前から始めて、別の要素で読者の気を惹くつくりにするのも良いと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 冒頭のテンポと分かりにくさについて

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元記事:主人公が得た力を無意味にしたくないです

バトル系の作品で、主人公は物語を進めるうちに強くなります。
強くなる形は新しい能力が主流です。
スピード特化の能力、パワー特化の能力を手にすることで色んな敵に対抗できます。

そして、そういった主人公はすべての能力を併せ持つ最強フォームというものを手に入れます。
スピードもパワーも今までの形態を凌駕する最強の力です。

この力を手にしたら、以前の形態になる必要はなく、それらはお払い箱になります。

仮面ライダーではそういうことが多いです。

最強の力を手に入れても、以前の力を使うのに納得のいく理由を付ける方法はあるのでしょうか。

すぐに思いついたのが、最強フォームは負担が大きいというものです。

他にもなにかあればご意見をお聞かせください。お願いします。

上記の回答(主人公が得た力を無意味にしたくないですの返信)

投稿者 ワルプルギス : 1 投稿日時:

結局のところ、
「最強フォームとそれまでの弱フォームの使い分けをさせたい」
なら、
「最強フォームを弱フォームの完全な上位互換にしない」
のが解決策でしょう。
そうすれば、弱フォームの方が有効になる状況を作り出せますから。

じゃあ、具体的にどう設定するかと考えると、
一つには最強フォームになにかしら使いにくさを持たせておくこと。
挙げておられる負担が大きい以外ですと、
・使いこなすのが困難
・時間や回数の制限がある
・特定の条件を満たさないと使えない
・他者の協力が無いと使えない
・暴走の危険がある
・使うと敵の利益になる
とこんなところが代表的かと。

もう一つとしては、弱フォームに最強フォームにはないメリットを持たせておくこと。
手塚満さんの挙げているエグゼイドのように、弱フォームのみの特性や技があるあたりが設定しやすいかと。

更なる応用としては、能力そのものの設定ではなく使用者や周囲の設定で縛る手もあります。
戦術的な話だと、敵に対策させないために使用を制限するとか、
コピーや反射などのこちらの強さを利用される技を警戒するとか。
心情的な話だと、トラウマがあって使いたくない、外見が良くないなど。
ショーとしての戦闘や使用者が戦闘狂である場合などであれば、強すぎること自体が使わない理由になりえます。
変わったところだと、強化フォーム習得済とバレると組織内で昇進させられるので隠しているという例もありました。

とりあえず思いつく内容をつらつら書き連ねただけですが、何かの参考になれば幸いです。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公が得た力を無意味にしたくないです

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元記事:習作を書きたい、けれど……の返信の返信

返信ありがとうございます。はい、ずっと書けないで投稿させてもらってます(^_^;)
小説は途中まで書き上げたものの、完成にこぎつけるまでは至っていません。一作も。

現段階では小説を身内にも見せたくなくて、不出来なものをとにかく人に見せるのが恥ずかしいです。
人と混ざって執筆することに自信がありません。

二人でイベントをやってみるとありますが、申し訳ありません。ちょっと無理です…。前述のように恥ずかしいです。
お優しい言葉ありがとうございました。

(それとURLを拝見しましたが、エラーが発生しました。リンク切れのようです)

上記の回答(習作を書きたい、けれど……の返信の返信の返信)

投稿者 ワルプルギス : 1 投稿日時:

やはり、1作も挙げてないんですね。
出来の如何に関わらず、書き上げたことがある、というのは一つの自信につながると思います。
そういう意味で、本命の作品を書くための準備運動だと割り切って習作を書くのは有意義なはずです。

イベント恥ずかしいは了解です。私だって恥ずかしい(笑)
家族には見せたことないし、リアルの友人に見せたのも数えるほどですからね。
イベントURLは貼り直ししておきます。今度はいけるかな?
https://boutnovelers.stars.ne.jp/hp/hosi/index.html

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 習作を書きたい、けれど……

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元記事:恋愛経験が無いのにどうやって恋愛物語を書けばいいの?の返信の返信の返信

ここに返信をつけるのはスレの流れから言うと横槍になりますが、そもそもこのスレが立ってから4か月近く経過しています。で、これが最新のスレ主様の書き込みになると思うので、ここに返信してみます。

>相談している時、相談する側と相談される側の意見が噛み合っていないのですが、

そうですね。それだけは全員同意していると思います(笑

……いえ、(笑)とかつけてすみません。別に揶揄する気はないのですが、あまりにもその通りだったので。

取り合えず、質問に対して。

(1)
>みんなは恋愛に対してどういうイメージを持っているんですか?
>みんなは恋愛に対してポジティブなイメージで話しているみたいなんですが、僕は恋愛に対してネガティブなイメージを持っています。

「みんな」のことは知りませんが、私は別に恋愛に対してポジティブなイメージは持っていません。
かと言ってネガティブでもないです。恋愛は人間が持つさまざまな感情の一つというだけで、良いとも悪いとも思っていないということです。

(2)
>あと、もう一つ、僕はギャルゲーやエロゲーで遊んだ事がありません。

私もありません。ラブコメは読んだことがありますが。

(3)
>あと、さらにもう一つ、小説で「恋愛」を書く事は出来たとしても「ライトノベルらしいラブコメ」を書く事は出来ませんけどそれでも良いのですか?

それでも良いです。

   *   *   *

ちょっと説明しますね。

(1)について。
ひょっとしたら、恋愛にポジティブな感情を持たなければいけないというバイアスがかかっているのではないでしょうか?
しかし恋愛というのはたいていは身勝手な感情だし、現実問題としては性欲と切り離せないものなので、少なくとも特に良いものではないです。
逆に性欲が悪いものだとも思っていないので、良くも悪くもないということです。

(2)について。
ラノベの場合、ラブコメに限らずゲームから影響を受ける人は多いみたいですね。しかし必須とは思わないし、小説とゲームは性格が違うので、直接応用はできないと思います。せいぜい参考にする程度です。

一方。

ラノベを書くなら、ラノベを読むことは必須です。

(3)について。

上で取り合えず「それでも良いです」と言い切ったのは、そもそも「ラノベならラブコメやハーレム展開が必要」という紋切り型のテーゼに疑問を持っているからです。

スレ主様の言い分を煎じ詰めると、

A)そもそも書きたいのは能力バトルもので、ラブコメは好きではない。
B)しかし、ラノベではラブコメやハーレムの要素がなければ人気が出ない(と誰かに言われた?)。
C)しかし、恋愛経験がないからラブコメが書けない。どうしたらよいか?

ということになりそうです。
この三つが強い思い込みになっていて、思考が堂々巡りしています。この堂々巡りから抜け出すには、A・B・Cのどれか一つは外して考えてみるしかありません。

私としてはBを捨てることを推奨したいので、別にライトノベルらしいラブコメを書けなくても良いのでは? と提案しました。

しかし、どうしてもライトノベルらしいラブコメを書きたいなら、方法はあると思いますよ。
上のA・B・Cで言えば、Aをあきらめ、Bを前提として、Cに絞って作戦を立てるという方向になります。

>恋愛の場合はそれを調べるための参考資料が無いじゃないですか。

ミリタリー方面のような参考資料は無いでしょうが、小説として書かれたラブコメはたくさん有ります。

>小説で「恋愛」を書く事は出来たとしても「ライトノベルらしいラブコメ」を書く事は出来ませんけど

小説で恋愛を書くことができたとしたら、課題の半分以上はクリアしていると言えます。

>「ライトノベルらしいラブコメ」

それは、ラノベのテンプレということです。
特にラノベは普通の小説よりもテンプレを前面に出しますから、作品をいくつも読みまくれば要領が分かってくるはずです。

>ですが、人が恋をした後の仕草や行動がわかりません。
>例えば、「恋をしたとき胸のあたりがドキドキする」とかそういうやつ。

現実の恋愛での仕草や行動、どうドキドキしたかなどを知る必要はありません。すでに書かれたラノベ作品の中で、そういうシーンのキャラをどう描いているか(テンプレ)を調べればいいのです。

それは、できますよね? できないでしょうか?

結論。

◎ラブコメ作品をできるだけたくさん読み、恋愛シーンでキャラをどう描いているか調べる。

やらなければならないことは、これだけです。

もしこれができないと言うのなら、できない理由を教えてください。

上記の回答(恋愛経験が無いのにどうやって恋愛物語を書けばいいの?の返信の返信の返信の返信)

投稿者 ワルプルギス : 1 投稿日時:

言うべきことは大体あまくささんが言いつくしてくださったので、
私は参考資料だけ置いて去ります。
ラノベラブコメを書きたいのなら、つまり売れてるラブコメラノベが最高の参考資料です。
https://ddnavi.com/review/579778/a/
「このライトノベルがすごい」の2020年版はランキングの半分がラブコメだったとのことですから
これでチェックすれば売れてるラブコメラノベが簡単に見つかりますね。
方法論を知りたいんだということであれば、『ラブコメ 書き方』で検索すれば結構な数のブログやら動画やら引っ掛かります。
とりあえずラ研内のページを2つ。
https://www.raitonoveru.jp/howto1/story/index.html
https://www.raitonoveru.jp/cms2/2015/09/19/2800/
これでもう参考資料がないって不安がる必要はありませんね。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 恋愛経験が無いのにどうやって恋愛物語を書けばいいの?

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元記事:本を読むのって必ずしなくちゃいけないのですか?

私は本を読むのが苦手です。

しかし、世の中の小説家を目指す人は必ず本をたくさん読んでいますし、小説家の人も読むべきだと言っています。

しかし、私は読む気にはなれません。まずお金がないです、「本は千冊読むべき」と言いますが、そんなお金はありません。時間もありません、千冊読むのにどれだけの時間がかかるのでしょうか?学生、さらにはもうすぐ就職する年齢なのにどうやって時間を取ればいいのですか?

そもそも他人の考えを見るのが嫌です。他人の書いた作品、千冊となれば昔の作品にも触れなければならない。ですが、私は現実で色々事情を抱えている以上、それを本の中で馬鹿にされたり否定されたりするのに耐えられません。過去の嫌な出来事や歴史を見ることができません。

どうしても、そんな地獄を千冊も繰り返すなんて難しいです。それでも私は小説家になりたいのですが、小説家になる為には「本を読む」という生き地獄を体験しなければならないのですか?これは必ずやらなければならないのですか?

上記の回答(本を読むのって必ずしなくちゃいけないのですか?の返信)

投稿者 ハイ : 1

んー、個人的には好きにしたら? と思いますねぇ。
読みたくないのに読むのって苦痛だと思いますし、そんな気持ちじゃ血肉になりにくいから意味薄いでしょうし。

ただまあ、考え無しに「とりあえず千冊読みました! 内容はよく覚えてないっす!」みたいなのよりは考えている方とは思うのですよ。
なので、それってほんとに意味あるの? って疑問に思うこと自体は大事ではないかと。

で、なのですが。
読まないとどうなると思いますか?
ちょっとそこをどう考えているのかをお聞きしたいです。
読みたくないって気持ちは理解しましたので、読まないための代替え案とかメリットデメリットを見通した上でどうします? いや、そもそもメリットデメリットは見えてます? って話をしたいところですね。それがないとただの押し問答にしかならんのではないかと。
そのように感じました。

あと、他の人の考えを見たくない、自分の考えを否定されたくない、ってことですが。それ自体は別に構わないと思います。人間の半分以上はそうでしょうし。
ただ、そうですねこんな話はいかがでしょう?

仮にですけど、山田さんは「A、B、C」という考え方をする人だとしますね。そして、川田さんが「D、E、F」という考え方を持っている人、とします。
(※アルファベットには特定の思想、思考メソッド、前提認識が入るものとします)

で、この二人に特定の問題を解決してもらうとします。
まあ、政治問題でも、論理パズルでも、旅人のマントの脱がせ方でもなんでも良いです。
それらの問題を解いていこうとした場合、問題を解きうる思想、メソッド、前提知識、ってのが必要になる場面が必ず出てきます。
で、そういった問題を山田さん、川田さんがそれぞれ個人で解いていった場合、このケースだとだいたい3パターンから7パターンぐらいまでに限定されてしまいます。つまり、それ以外の考えが必要な問題には全く太刀打ち出来ないわけですね。
(A、B、C単独使用の他、AB等二種複合や三種複合も考えるとした場合)
(計算苦手なのでもし計算違ってたらすいません)

でも、もし二人で考えを共有しするのであれば、6種のアルファベット複合ですから、対応力は6〜63パターンの3〜9倍にまで膨れ上がります。
それだけ答えられる問題が増えることになる、ということです。

これは単なる数字遊びですからこんなに物事は単純ではありませんが、個人の考えのみでどうにか出来ることというのが非常に少ないということは体感しやすいと思います。
もちろん、個人が次々に新しい考えを生み出せる可能性も無きにしもあらずですが、人類がゼロから今日まで何万年、何十万年とかけてきたことを考えると、ゼロから、というのは非効率を通り越して個人では不可能レベルでしょう。……そもそも全く他人の考えに触れないで、ってこと自体が無理筋ですけどね。

もしかすると模倣や猿真似的、あるいはパクリみたいにタブーだと感じているのかもですが、私個人としてはどちらかと言うと『転生したらスライムだった件』や『星のカービィ』あるいは『ハンター×ハンター』の団長みたくスキル習得とかコピー能力でカッコイイ! と思うのですがどうでしょう?
中二病心とかくすぐられません?w

あと、気になったことですが。
自分の考えを否定されるのが嫌、とおっしゃってますが。
それは勿体ないですね。
考えを否定されるということは。考え方にそもそも粗がある、間違いがある可能性があるということです。言わば成長のチャンスってことではないですか? 成長マニア(?)の私としては検証、検討の機会到来だと思ってます。

むしろ自分の考え方を人から肯定されるところまで研ぎ澄ませられたら、やリィ! と小躍りするので、多少の否定とかは気にするほどでもないと思うんですよね。むしろ間違った考えを持ち続けるほうがよっぽど恐ろしいです。

あー、それとも、間違ったままでいる方が好きな方ですか?
この界隈だとそういう人はまれによくいるので、その場合私からは何も言うことはございません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 本を読むのって必ずしなくちゃいけないのですか?

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投稿日時:

元記事:妄想とか好きだから書いてみたはいいんですけど……

 まず自分はあり得ない位の飽き性です。
 その結果投稿初日から約半年が経過した今でも、計54話、二シリーズ、両方とも未完です。
 更に、元々三人称だったのがいきなり一人称になったり、今こうしてる間にも新しいシリーズなら! とメモもロクに取らずに投稿することを考えています。
 さすがに三シリーズ同時進行は考えましたが、『違うサイトなら大丈夫』、『なんなら全部消して新しいの書こうかな?』等思い付きました。
 実際今後どのようなペースならいいと思いますか?
 また、サイトや、なろう小説上に載ってるものだけではよく分からないので、『レビュー』、『pv』等々の平均等も教えていただければ幸いです。

上記の回答(妄想とか好きだから書いてみたはいいんですけど……の返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答!

主語が不明なので、「どのようなペースで」と聞かれても、何が? と思う。
「多くの読者を確保するために」、「どのようなペース(投稿ペース)が良いか?」という意味なのか。
「飽き性なりに連載を続けるためには」、「どのようなペースが良いと思うか?」なのか。
「未完の物語を完結させるためには」、「どのようなペース(執筆ペース)が良いか?」なのか。
どういう意味で言ってるのか次第でまったく受け取り方が変わってきてしまう。
これは飽き性というより行きあたりばったりで無計画な人に見られる文章じゃないかなと思います。
まあ、自分にも覚えがあるんですけども。

言いたいことはあるのだけど、「言いたいこと」自体はイメージとしてあって、最初は言葉になっていないので、まず書き出す文章は「自分がそのとき思ってること」で、書いてるうちにだんだん言葉が具体化していく。
だから、相手に「言いたいこと」が伝わっていれば、文章は強い感情から入って相手を引き込む良い文章になるんだけど、伝わらないと主語が不明瞭になって何が言いたいのがわからなくなる。
つまり、無計画に出たとこ勝負で書いていて、しかし、こうした文章と違って小説は書き上げることに長い時間と労力がかかりますから、その長い時間のあいだに、失礼ながら、「もともと自分が何を思って書こうと考えていたのか」を忘れてしまっている。そしてそのとき興味を失い、「飽きる」という結果を得る。
まあ、実際飽き性である可能性もあると思うけど、飽き性でも作家として上手くやってる人はけっこういます。
というか、多趣味でアンテナが広い作家はたいがい飽き性です。
飽きてすぐ別物にとびつくから多趣味なんだし。

連載ペースは、投稿頻度が短いほど良いです。毎日投稿が理想的で、こうすると面白いと感じなくてもとりあえず読む読者が一定数いる。
この考えは最長で週1のペースまで、とにかく「決まった曜日・時間」に更新するのが大事。

あとは、飽き性の作家は多いという話ですが、こうした作家の本を読んでみると、短編や短編集、ないし短いシリーズを多く書かれています。
要するに、飽きたらすぐ終わらせて次のを書き始めるわけですね。
それがすぐできるように、長編のような風呂敷を広げることなく、短編でまとまるように構成して連載を始めています。
また、短編の良いところは、あくまで短編なので一話ないし数話で完結し、続編は別の話を書くことが出来るため、飽きにくい事が挙げられます。
学園ラブコメをベースに、ラブコメに飽きたら夏合宿という体で遠征し、殺人事件に巻き込まれるギャグ的展開を書いてもいいわけです。
その作品の「ノリ」に飽きない限り、作者がそのときそのとき影響された何かを持ってきてすぐ短編に書くことが出来るので、自称飽き性の作家はこうした短編を書かれてる事が多いです。
要するに。
飽きる前に完結させろ。という話。

でも、たぶん貴方は「飽き性」ではないと思う。
「完結させられない」から自身を飽き性だと思って、それを原因としてるだけ。ではないかな。
その場合、上記したやり方は合わないと思う。
なにしろ、「短編を多く書け」って話なので「より多くの完結を書け」って話だから、「それができれば苦労はねえんだよ」って思うんじゃないかな?
だから、飽き性じゃない。完結させられない(そのビジョンが見えない)だけ。

であれば、単純に練習不足で「物語の書き方」「作り方」がわかってないだけなので、それを学び、ネタを思いついたらとりあえずオチまで考える、そこから設定にしろキャラにしろ組み立てて、書くかどうか決める。と計画性を持ってネタを作れば問題ないと思う。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 妄想とか好きだから書いてみたはいいんですけど……

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元記事:最強厨になってしまう

私は元々地に足の着いた強さの主人公達が途方もない強さのモンスターに四苦八苦しながら戦う、というコンセプトで作品を作っていました。

しかし最近のなろう系の最強主人公達やスケールのインフレしたSF作品を見ているうちに「こんな奴に負けたくない」「強さに説得力を持たせないと」とどんどん話のスケールや主人公の強さが膨らんでいってしまい、話が破綻してしまっています。

しかし「鬼滅の刃」や「モンスターハンター」を指して「○○太郎様なら鬼や古龍なんて瞬殺ww」などと言えば「キモイ」の一言で追い返されてしまうでしょう。ゴブリンスレイヤーなんて弱い所に魅力があります。実際ちゃんとした作品は他作品との比較などされず作品内でちゃんと敵の脅威や世界観の大きさを表現できています。
実際クロスオーバーされた場合でも、例えばスーパーロボット大戦で原作では街一つの中でウダウダやっているビッグオーが惑星間規模の戦いをするクアンタよりもダメージを稼いでも誰も文句は言いません。

そういう風に考えたいのですが、どうしても「この敵も主人公も○○の主人公や敵なら楽に倒せるだろうなあ」という考えが頭によぎり、どうしても主人公や世界観を、自分の想像力の及ばないところまで広げてしまいます。

こういう風に、他作品と自分の作品のスペックを比べてしまう癖がついたらどうすればいいでしょうか?同じような症状をお持ちの方、昔は持っていた方は少なくない筈です。そういった方はどうやって克服したのでしょうか?

上記の回答(最強厨になってしまうの返信)

投稿者 手塚満 : 0

スーパーロボット大戦はクロスオーバーの名作品(ゲーム)であるわけですが、お考えのように各機が対等に戦えるように強さ調整が行われているわけですね。

クロスオーバーがうまく調整されている例としては、アメコミのドラマ化・劇場版化があるでしょうか。マーベル作品のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)では、多数の独立したシリーズのヒーローが一堂に会し、不自然さなく活躍しています。

DCコミックでは、例えばアローバースと呼ばれるシリーズでしばしばクロスオーバー回があります。特に問題になりそうなのはスーパーマン/スーパーガールの扱いでしょうか。1978年の劇場版のスーパーマン(クリストファー・リーブ主演)は、どうしようもなく無敵です。力は地層を持ち上げ、速さは光速度を超えます。弱点はクリプトナイトと、スーパーマンがたった1人であることくらい。

2013年のスーパーマン(マン・オブ・スティール、ヘンリー・カヴィル主演)ですと、軍事兵器の攻撃で(負傷はなさそうですが)一応はふっ飛ばされたりする程度に弱体化されています。そのレベルですから、バットマンと戦う可能性なんかも出てくる。上記アローバースでも他のヒーローと肩を並べて活躍もできています(それでも最強感はありますが)。

別々のヒーローを同じ舞台に置くなら、対等になるよう調整をする。各ヒーローの元の世界ではない、全く別の統一世界という感じでしょうか。スパロボ大戦でも「スパロボ世界の技術水準に見合ったロボットになる」といった感じでしょう。異種ヒーローが出会う世界の設定は統一しておく。そうしないと、まず間違いなく物語はおろか、設定レベルでも破たんします。

それでも、異なる作品の好きなヒーローが戦ったらどうなるかという想像を巡らすのはファンの常かもしれません。以前に謎本と称される、フィクション作品を勝手に掘り下げる本が流行ったことがあります。その「北斗の拳」版を呼んだことがありますが、案の定、ケンシロウと他のフィクションの強者と戦ったらどうなるか、考察する章がありました。

記憶もおぼろなので、一部想像も加えてみますと、ケンシロウ vs スーパーマン(1978年版)は話にならないとして考察放棄。ケンシロウ vs 悟空は、子どもの頃の悟空ですら銃弾を受けても多少痛がる程度なので、秘孔を突くとか無理。ケンシロウはアラレちゃんにも勝てまい。ボクサーの矢吹丈(あしたのジョー)だと、にバンタム級の矢吹に対し、充分にヘビー級に見えるケンシロウでは戦いにならない上に、技のレベルが違ってケンシロウ強すぎ。そんな感じで「無理」の連続でした。

ある作品世界の主人公に対し、別の作品世界のもっと強いキャラを放り込んでも、戦えない。それ以前に、弱いほうの主人公が存在できなくなることが、ほとんどでしょう。例えば「北斗の拳」世界が標準だとします。

そこへ悟空をはじめとする「ドラゴンボール」の強者を放り込んだらどうなるか。北斗神拳の存在意義自体、なくなりますよね。惑星砕く奴らがゴロゴロいて、なぜ必死に北斗神拳を修行するのか、意味が分からないはずです。強くなりたい奴は、かめはめ波を習得しようとするはずです。

「北斗の拳」では、他の格闘技もありまして、ボクシングもあります。北斗の拳世界の強さに合わせ、パンチのスピードが時速200キロのヘビー級ボクサーなんかもいる(やられ役でしたけど)。通常のパンチは時速40キロほどだそうで、「あしたのジョー」の矢吹丈もそれくらいでしょう(リアル寄りなので)。

矢吹丈が「北斗の拳」世界に行ったら、たとえ体重階級制に従っても、ボクサー扱いしてもらえないでしょう。「ハエが止まりそうなパンチ」呼ばわりされるはずです。「はじめの一歩」の幕之内一歩だったら、もっとひどいでしょう。彼らが北斗の拳世界で生まれていたら、ボクサーを目指しもしなかったはずです。

ある作品世界の強者が強者たるゆえんは、その作品世界の枠組み(設定)にあります。キャラは作品世界と不可分です。キャラが住んでいた作品世界と切り離してしまったら、もう別キャラとなります。もし、ある作品の強者が別の作品の強者より弱い、と思ってしまったとしたら、各作品世界の枠組みをとこかで無視しています。

物凄く簡潔に言えば「ある作品のキャラが、別作品のキャラより弱い気がするのは、比べていないから」ということになります。バトルが成立するくらいに、きちっと比べようとしたら、どちらかが存在すらできなくなりますから。クロスオーバーするには、調整が必要なゆえんです。

という非常に長い前置きしまして、「どうやって克服したのでしょうか?」にお答えするなら、「異作品キャラ同士が戦えるくらいに、大真面目に比べてみればいい」となります。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 最強厨になってしまう

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