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元記事:神視点での小説の成功例の返信の返信の返信の返信

>地の文でツッコミが入るからと言って、読者が混乱したりしませんよね。
「些細な一言が、のちに悲劇を生むとは、この時の太郎は思いもしなかったのだ」なんて文章も、ダサいかどうかはともかく、問題視する人は少ないと思います。

ああ、それは「読者の混乱」の問題ではなく「没入感の妨げ」ですね。
神視点の問題点は「読者の混乱」だけじゃないんです。もうひとつに上げられるのがこの「没入感の妨げ」です。

>視点が揺らぐと感じたのは「その3」のガリオンとの絡みの部分で

あ、わかりました。初見で大して話もしてない状態で「トラにしては優しい」とか言っちゃってるあたりですね。確かにそのへんはそうかもしれません。でも、この時点でもう既にガリオンの思考も入ってたりするので、やっぱり神視点だと思います。

……で、話題に上がらない怖い問題点に「視点ぶれ」「破綻」があります。なぜ話題に上がらないかと言うと、通常一次選考落ちするからです。だから、そういう審査を通っていないなろうやアマチュアの作品にも目を通す「小説道場」では時折みかけるんです。

そして、グイン・サーガ自体も破綻を起こしたまま未完で引き継がれている、という点に注意してください。
もっともこれはどちらかというと「時系列入れ替え」が引き起こした矛盾みたいですけどね。グイン・サーガはとにかく「予言」が多いために起こったらしいです。未来は神様でもわからない。

で、「読者から見てわかりやすければそれでいい」と仰っていますが、書き手の話にまで話題に及んでいないことには注意してほしいと思っています。
先程「没入感の妨げ」を挙げましたが、読者だけでなく、作者のほうが没入できてない状態で書いてしまう、ということがあるんです。そのため、思考の表層をすくっただけのような薄っぺらい人間性のキャラクターばかりが集まったような物語になってしまったりするんです。なので小説道場では「キャラクターをくっきり書き分けられること」が条件に上がっているんです。テクニックの問題というよりは「役の作りこみ」の問題だったりする。どちらかというと集中力の問題だったりして。

それでですね……失敗例は、挙げたくないんですよ。どなたもやらかして軒並み大ダメージくらっているので。本当に、「まさかこんなおバカな失敗するわけないだろ」ってくらいのズレを引き起こしちゃったりしてるんですよ……だから、気軽に薦められるものではないんです。私でも、こんな失敗絶対やらかしたくないってレベルの震えあがるほど怖い思いをしたので。

上記の回答(神視点での小説の成功例の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 t-log : 1 投稿日時:

「~太郎は思いもしなかったのだ」という文章がストーリーの流れをぶった切るので、没入感が妨げられるということですよね。
それって、人称とか視点とか、関係なくないですか?
例えば、「ここでその説明いる?」みたいなケースもあると思うんですよ。そこでリズムが狂って没入できなくなる。あるいは、急に回想シーンに突入するとか。
最初の例だって、一人称でも成立しますよね。「些細な一言が、のちに悲劇を生むとは、この時の私には想像すらできなかった」
神視点だけに起こる問題点ではないと思いますよ。

「視点ぶれ」について。
まず自分が書く場合ですが、「読者から見てわかりやすければそれでいい」とは思ってません。一元視点なら、絶対に他視点にはならないよう細心の注意を払います。多元視点の場合は、視点移動が無意識に行われるように工夫します。本当に出来ているかは自分では判断できませんが。
Webで小説を読むようになって、他人の作品に関しては寛容になりました。読んでいて混乱しなければ、ぶれていてもいいんじゃないか。実際、なろう系の書籍になってる作品で、視点の揺らぎがあるものも存在しますから。ラノベの世界では、そこまで煩く言わなくてもいいんじゃないかと。
もちろん、hexaさんのこだわる気持ちもわかります。繰り返しになりますが、私自身、執筆の際は肝に銘じてますので。

>門弟ひとりひとりの技量に合わせて「君にはまだ神視点は勧められない」などとチェックを入れています。おもな理由は「ひとりひとりのキャラクターをくっきり書き分けられているか」などだそうです。

「小説道場」は、恥ずかしながら読んだことがないので、私の解釈が正しいかどうかはわかりません。
が「神視点」を「多元視点」と置き換えても成立するんじゃないでしょうか。
つまり、各キャラクターをしっかり掘り下げておかないと、視点者にはなれないよ。という意味だと捉えました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例

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元記事:神視点での小説の成功例の返信の返信

>イルークレオンの視点から始まり、ミイシャに移動。そのあともちょっと微妙ながらも視点移動を繰り返して、「その5」辺りから神視点になってますね。

確認してみましたが、違いますね。「その3」で既に「イルークレオン、強く生きろ」という地の文がありますよね? これが神視点なんです。この部分がちびまるこちゃんのナレーション突っ込みだと思ってください。

>むしろ一元視点のところで、視点が揺らぐ方が気になりましたね。

たぶんこれが、上記の部分ではないかと思います。「どう考えても笑いを取りに行っている」から私はいいかなと思ったわけで、シリアスで単なる解説でやろうとしているのは面白くなかったりします。

あと「他の作品も一元視点だ」という指摘が多いようですが、つまりうまい神視点の使い手の方は最初はなるべく誰かの視点に固定して、慣れてきたり登場人物が増えてきてから神視点にしているんですよ。だからすんなり入り込めるのではないかと思っています。

ちなみに栗本薫氏も若い頃視点ぶれした作品を書いているのがあってそれを読みましたし、彼女が中島梓名義で道場主を務めていた「小説道場」では、視点の概念をしっかり説明しています。そして、門弟ひとりひとりの技量に合わせて「君にはまだ神視点は勧められない」などとチェックを入れています。おもな理由は「ひとりひとりのキャラクターをくっきり書き分けられているか」などだそうです。

実際、私も昨今のweb小説の普及のおかげで玉石混交状態になったから知ることができましたが、視点ぶれさせてしまったものというのは本当にひどいものです「Aの口からBでなければ言えないセリフが出てくる」などの恐ろしい破綻、キャラ崩壊を目にしたことがあります。率直に言って、世に出ている有名な作品より、そういう恐ろしい失敗例のほうが勉強になったと思っているくらいです。

あと、あまくささんの仰っていた「絶対音感」を認めたのが最高弟の江森備ですが、「くせのない、水が沁み込むように頭にスッと入ってくる文体」でない人の個性も認めていて、それが次に段位の高かった尾鮭あさみです。恐ろしくくせが強すぎて読者をまっぷたつに別れさせるタイプという感じでした。

あとは……神視点が「純然たる俯瞰」という考え方にはちょっと疑問が。それこそ聖書の言葉を引用してみますが「はじめに言葉があった」という文句がありませんでしたっけ? リアルに考えると「いや、はじめに宇宙があって地球があってっていう『世界』があるのが普通じゃない?」と突っ込みたくなるんですけれど、これが言葉、視点の本質を一言で言い現わしているんじゃないかって気がしてます。「そこに何が存在しているのか、それを認知できる何者かの意志がなければそれを表すことはできない。そのための表現手段が言葉なんだ」ってことじゃないかと。

なので「難しく考えすぎ」という気にはなれませんね。ものすごく奥が深い問題だと思っています。

上記の回答(神視点での小説の成功例の返信の返信の返信)

投稿者 t-log : 2 投稿日時:

神の視点について様々な解釈がありますが、私は「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」という点から、技術論だと捉えてます。

地の文でツッコミが入るからと言って、読者が混乱したりしませんよね。
「些細な一言が、のちに悲劇を生むとは、この時の太郎は思いもしなかったのだ」なんて文章も、ダサいかどうかはともかく、問題視する人は少ないと思います。

じゃあ神視点の何が、混乱を招くのか。
それは、乱雑な視点の移動と、俯瞰で描写するのって意外と難しいよね、ということではないでしょうか。

例を挙げると「あちら・こちら」という表現は三人称ではあまり使わない方が良いとされます。一元視点なら、問題ありません。視点者に近い方が「こちら」遠い方が「あちら」です。が、俯瞰で不用意に「あちら」なんて書くと、読者からすればどの方向を指しているのか、わからなくなります。

「突然」なんて表現も、誰にとっての突然なのかによっては、俯瞰の視点で使うと違和感が出ます。

そもそも、一元視点に対比しての神視点であれば、俯瞰の視点と捉えて論じるのが適当ではないですか。

一元視点で地の文にツッコミがあったとしても、違和感はありませんよ。

「黒いおみみのうさぎなの」
ツッコミの有無は置いておいて、誰の視点かだけを追いかけると、「その2」のイルークレオンが部屋を出るまでが彼の視点。それ以降がミイシャの視点です。
視点が揺らぐと感じたのは「その3」のガリオンとの絡みの部分でず。ですが、視点に注視して読んでいたため過敏になっただけで、普通に読んでいたら気にならなかったかもしれません。
「その4」は、イルークレオンからミイシャへと視点が変わります。部分的に揺らぎがありますね。
そして「その5」からは、時折登場人物の心内描写を交えながら俯瞰の視点で描かれます。

というのが私の解釈です。

他の作品については、仰る通り一元視点から神視点に変わるのかもしれませんね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例

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元記事:訂正の返信の返信

神の視点という言葉を最初に使ったのはフランスの哲学者のサルトルです。

(1)彼女は自分の嘘を意識せざるをえなかった。(2)しかし、彼女はこの嘘に安住し、平然としていた。

小説において)こういう文章はおかしいと論じています。
(1)も(2)も「彼女」の心理描写ですが、(1)は客観的であるのに対し、(2)には「安住し、平然としていた」という何者かの「批評」が入り込んでいる。そこに齟齬があるんじゃないかということです。

まあ、哲学者の言うことだから小難しいですよね(笑
ですがこの指摘は世の小説家たちには「痛いところをつかれた」という感じがあったのか、「神の視点」という言葉はあっという間に広まっていきました。一人歩きした末に、今では普通の創作用語になってしまいました。人によって違う意味で使っていることも多いので、注意しないと議論がかみあわなくなります。
サルトルの論からしても、元々は批判的な意味がこめれられた言葉だったと思われます。しかし、肯定的な意味で使う人もいますよね。

というわけで以下はあくまでも私見ですが。

◎三人称一視点 : 小説の手法として、かなり強力なツールだと思っています。一人称よりも客観性を保ちつつ、視点を固定することによって描写に臨場感を持たせることができます。

ただ、三人称一視点は先人の試行錯誤によって洗練されてきた手法であって、三人称としてはむしろ特殊な書き方なのだと思います。今はごく普通になっているので特殊という感じはしませんが。
 三人称で視点を意識するということは、文学史的にはやや新しいんですね。ただ、古い作品でも部分的には見事に三人称一視点になっていることがあります。聖書まで遡れるかどうかは分かりませんが、江戸時代に書かれた『雨月物語』の「菊花の約」にそんなシーンがあったように記憶しています。

◎三人称神視点 : 簡単に言ってしまえば視点にあまりこだわらないということ。だから、部分的にこだわるのも有りです。

・俯瞰的視点
・登場人物の内面に視点が入り込む
・書き手の批評が入り込む

などバラエティに富んだ表現が可能になりまが、安易にやると大抵は読んでいて違和感のあるものになってしまいます。ただ物語性の豊かな作品には、この書き方の方が適している場合があると思っています。

上記の回答(訂正の返信の返信の返信)

投稿者 t-log : 2 投稿日時:

神の視点って、元々は批判的な意味でつかわれていたんですね。勉強になります。

私の解釈が間違ってるかもしれませんが、最初の方でサタンさんが例に挙げていた「Aは死んだ。Bも死んだ。そして誰もいなくなった。…ってこれ誰が書いとんねん! 神か!」ってことですよね。この議論、むかし見た覚えがあります。
私はあんまり気にしませんが、「本当にあった○○」みたいなので、これやられると興ざめですね。

三人称一元視点って、誰がいつ頃始めたんでしょうね。
一人称の感情移入のし易さと、三人称の客観性を兼ね備えた、優れた手法だと思います。

多元視点は群像劇を描くには欠かせない手法ですね。章ごとに視点が変わるのは、私見ですが一元視点の応用だと解釈してます。場面転換などでちょくちょく視点変更するのは、混乱を招きやすいので注意が必要ですね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例

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元記事:訂正

>「神視点」ではなく「視点を誰にも固定しない三人称」と意識したほうが良いと思う。
ちょっと不親切な書き方だったので訂正。
「視点をキャラクターに固定しない三人称」
三人称の特徴はなんと言っても視点の自由度なので、一人称でも視点主がいない場所の描写は出来ないことはないけど、三人称は一人称には決して出来ない「モノ視点」という芸当ができますから。
まあ、モノに人格を与えれば一人称でも出来ますが、確か宮部みゆきの「長い長い殺人」がそんなんだっけ、そういや「吾輩は猫である」も人格アリの猫視点か。しかし、人格なしの「モノ」の視点の三人称だと当然のこと感情も独白もないので、これまたパッと見で神視点との差が微妙なんですよね。
よくあるものでは鳥や猫など動物の視点から風景を書いたりするシーンなどですね。タイトルが思いつかないけど「場」に視点を合わせる作品なんてのも、たぶん心当たりあるんじゃないかと。
まあ、言い方を変えればこれは「そういう場に舞台を固定した神視点の作品だ」と言えなくもないわけですが。

上記の回答(訂正の返信)

投稿者 t-log : 3 人気回答! 投稿日時:

聖書については、サタンさんと同じく私も旧約聖書ですが、半分ぐらい読んでました。
神視点の例に出されていたので、「あれ、あそこって一元視点じゃね?」と思い当たる個所を、改めて拾い読みしました。結果、ぽいのが「カインとアベル」微妙なのが「ノアの箱舟」だけだったというわけです。
どちらも短い物語ですから、一元視点と断言するには無理がありますね。

神視点について、私は単純に「俯瞰で見た視点」と捉えてます。それを「神」と表現しているだけだと。結局、その「神」という表現が、様々な解釈を生み複雑な理論に繋がってしまっているんではないだろうか、と考えてます。

私見ですが、視点の問題ってルールではなくテクニックなんだと思ってます。
視点が固定されていようが、目まぐるしく変わろうが、神視点だろうが、読みやすければ何でもいい。

ただ、頻繁に視点が変わるのは、読んでいてわかりづらい。神視点を使いこなすのは難しい。
だったら、視点を完全に固定するか、変えるならわかりやすい方法をとるかのが、良策ではないか。
視点問題は、そこに集約されます。

サタンさんをはじめ、皆さんちょっと難しく考えすぎじゃないですか。

追伸
宮部氏は大好きな作家さんで「長い長い殺人」も読みました。
なんて言いながら、ずいぶん前なので記憶が曖昧なんですが、各章いろんな人の財布が擬人化された語り部の、一人称小説だったと記憶してます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例

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元記事:神視点での小説の成功例

 まず、現在私は三人称多視点の小説を創っているので、この質問は「神視点の小説は読者の混乱を招きやすい」という定説に触れることなく、誰が見ても秀作だと思わせるような神視点の小説への興味、から出たものです。
 ということで、その存在の有無と、「秀作」があれば作品の題名を是非教えてください。興味を持ちましたら、今後読ませて頂くかもしれません。

上記の回答(神視点での小説の成功例の返信)

投稿者 t-log : 2 投稿日時:

皆さんが、神視点の例に挙げていた作品を少しだけですが、読んでみました。

「聖書」
翻訳の仕方にもよるでしょうし、成立したころに視点なんて概念もなかったでしょうから、論じる意味があるのか疑問がありますが、「カインとアベル」なんかはカイン視点と見ることもできます。「ノアの箱舟」も微妙な感じ。でも全体的に見れば、神視点なんでしょうね。

「黒いおみみのうさぎなの」
Web版で確認しました。
イルークレオンの視点から始まり、ミイシャに移動。そのあともちょっと微妙ながらも視点移動を繰り返して、「その5」辺りから神視点になってますね。序盤しか読んでないので、後々また誰かの視点になるのかもしれませんが。
神視点だから読みにくいということは、ありませんでした。むしろ一元視点のところで、視点が揺らぐ方が気になりましたね。
お話はとっても面白かったので、続けて読もうと思います。

「竜馬がゆく」
試し読みで、一章のみ読みました。
神視点ではなく、乙女(おとめ:竜馬の姉)の視点じゃないですか。
当時はまだ、視点について言及されてなかったのでしょう。なので、乙女が居ない場面は、神視点になってますが、心内描写も乙女のみですし、乙女の視点と考えて間違いないと思います。
江戸に旅立つところまでしか読めなかったので、それ以降、誰の視点で語られるのか、わかりませんが。ひょっとしたら、神視点になってるのかもしれないですね。

「ハードコア」
映画の予告映像ですね。実験的な作品だったようですが、数年しか経ってないにもかかわらず、今ならVR作品で一人称映像は溢れてます。時代の移り変わりの早さに驚愕です。

「グインサーガ」
試し読みで冒頭部分を読みました。
有名な作品にもかかわらず、未読でした。これは見事な神視点ですね。
ただ、これも古い作品なので最近書かれたもの、129巻を確認してみました。試し読みできる範囲が少ないので、何とも言えませんが一元視点になってるような。
栗本氏没後に書かれた132巻は、確実に一元視点ですね。

「美味礼讃」は試し読みができませんでした。
私も神視点の作品には興味があったので、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。
一部しか読んでないので、誤認があるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例

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元記事:作品と作者の人格

良く作品と作者の人格は分けて考えろ、とは言いますが、Twitterなど素が垂れ流しになっている現代だと、呟きなどの印象からどうしても読むのが無理になってしまったり、なかなか分けて考えるのは難しいと最近良く感じます。

良く交流していた物書き友人もフェミニストばかり叩いているのを見てしまってから読めなくなったりしました。

皆様は分けて考えられるタイプですか?
それとも分けては考えられないというタイプですか?

また上記の友人の様に執拗に誰かを叩いている人にどの様な印象を持つでしょうか(私の心が狭いだけでしょうか?)

色々な考えを聞いてみたいです。

上記の回答(作品と作者の人格の返信)

投稿者 かにさん : 0

自分は全く気にならないタイプです。

>また上記の友人の様に執拗に誰かを叩いている人にどの様な印象を持つでしょうか?

人格としては「うーん」かもしれないですけど、だからと言って作品とは無関係ですし。正直どうでもいいです。『絶歌』とか犯罪者の書いた作品とかも何の先入観もなく読めますし、自分の嫌いな思想をした人の本も時たまに読んだりしますが論理的に説明されている部分に関しては理解もしますし、同意もしたりします。(読んでいて疲れはしますが、自分と違う思想に触れれば、まあ、あって当然のストレスと思います)

逆に、どうして気になるのか知りたいです。なぜそれが作品評価に影響を与えるのでしょうか。感覚的には理解できないです。『作品を読む=その人を応援する』という意味付けがあったりするからとかでしょうか? それとも『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。坊主崇めりゃ袈裟まで綺麗』なのでしょうか。

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするには

ストーリーにしてみたいアイデアや、最終的にはこんな結末に落ち着くストーリーを書いてみたいという考えはあるのですが、執筆している途中で筆が止まってしまいます。
一度何故そうなるのか考えたり調べましたが、自分の作成したプロットは数行しかなかったり、骨組みがあっさりしたものなので、大筋はできているのですが肉付けが甘いのかもしれないと思いました。
それが原因で内容も薄くなってしまいます。
もっと裏付けや具体例を足して、説得力を増したいところですが、それが自分にとってとても難しいです。

例えばのプロットで、

父親のような立派な騎士になりたくて騎士学校に入る主人公

だけど主人公には騎士になる才能がなくて、苦悩を強いられる

何やかんやあって(ヒロインを守りたいと思ったり、修行をしたり、事件を通じたり、父親の憧れで騎士になるのではなく自分の本当の意思で騎士になりたい理由を見つけたり)主人公が強くなる

騎士として認められる

普段以上に大雑把なプロットを作ってみましたが、これにさらに肉付けをしてストーリーに出来ないで、そこで執筆がストップしてしまいます。

ストーリーの大筋に肉付け、説得力のあるアイデアや展開を加える方法があれば教えてください。

と、宜しければ短編を作るコツがあれば教えてください。
ストーリーを作る上で、たくさんの短編を作るのはその練習になると聞いたので、それが知りたいです。

上記の回答(ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするにはの返信)

投稿者 ヘキサ : 0

……とりあえずは「騎士になるための過程」を調べましょう。webでも図書館でもけっこうな情報量が転がっています。私事ではありますが現在最寄りの図書館が改装中で利用できずイラついているhexaです(←マジ関係ないのにごめんなさい、誰かに愚痴りたくてしかたなかっただけなんです……)。

で、それに基づいてスレ主さんの作品の世界での騎士になる過程をつくって、それをクリアすることに必死になる。それだけですかね。
ちなみに、物語の主人公って実はこのへんで苦労したり努力したりしているように見せかけてけっこう難なくこなしてるタイプ意外と多いんですよ。ようはもとから才能があるやつ。

なので「才能がない」あたりをウジウジと焦点当てすぎると進まない可能性大です。ちょっとばかしやる気をもらうイベントを作ってその後は順調にいってるほうがいいと思いますよ。あと、それとは別に締めになる騎士に認められるにふさわしいイベントがあるといいですかね。

あと、短編が練習になるかどうかは……人によるかな。うまく削ぎ落しのできるスキルが必要とされるので、むしろ難しいこともあります。私のおすすめとしては前述した「やる気アップイベント」「締めイベント」をメインにしてとりあえず騎士になる過程をひと繋ぎに書ききったほうがいいのではという気がしています。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするには

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元記事:教えてホラー(心霊現象系)が苦手な心理

唐突ではありますが、皆様はホラーが苦手OR好きな方はいらっしゃるでしょうか?よろしければ、その心理、および持論みたいな部分を教えてください。

私はホラーは好きですが・・・・心霊現象系のみ好きなタイプ。

ゾンビ、殺人鬼が全力疾走、ストーカーもの、血とかブシャーするもの、びっくり要素が強い物、デスゲーム物はほんとに駄目で、正直「世にも奇妙な物語」や「彼岸島」すら怖くて見られないレベルです。推理物も探偵も殺されそう(デスゲーム系)だと怖くて見られないし、読めない。

近隣にヤクザ屋さんが多い地域に暮らしているため、幽霊より刺青入りの当たり屋の方が怖いし、肝試しも幽霊が怖いのではなくヤクザ屋さんの私有地に入るのが怖いからやりたくない派。

同様に変質者に追っかけまわされた経験から、深夜のコンビニとかも怖くて行けない派です。

いるかも怪しい幽霊よりにんげんのがこわいやん。

ゆえに私は心霊をファンタジーやミステリー感覚で視聴&読んでしまえるので平気な気がします。

==========================

・・・ただ私の周囲には【ホラー(心霊)駄目絶対!!】というタイプの人しかいません。

しかもそういうタイプの人は、なぜか肝試しやゾンビは平気で、バイオハザードも遊ぶことができるし鑑賞もします。(その間わたしは怖すぎるのでギャーギャー喚いて目を瞑っているというのに・・・・)

一度友人にそのことを訪ねた事があるのですが友人はこう答えました。

「だってゾンビやエイリアンは殺したら死ぬじゃん。幽霊とか盲信出たら殺せないんだよ?」

・・・・・・私には、意味が分かりませんでした。

そういった心理の差はどこからきていると思いますか?
良ければ意見をお聞かせください

上記の回答(教えてホラー(心霊現象系)が苦手な心理の返信)

投稿者 鬼の王の墓標 : 4 人気回答!

どうも、読むせん様。ホラーは私も苦手です……
そんなホラーが苦手な私が疑問に答えさせていただきます。

>>だってゾンビやエイリアンは殺したら死ぬじゃん、というのが理解できない。

これは単純に条件の違いではないですか?
読むせん様は心霊現象系が好きということは、主人公は概ね一般人ですよね?
彼らは大体の作品で恐怖へ対抗する手段を持っていません。
しかし友人様が好んで遊ぶバイオハザードは戦闘員が主人公の作品です。
彼らに襲いかかる恐怖は銃やナイフで解決できます。
だからそれが原因で恐怖心が薄れるのではないでしょうか?
私もバイオハザードはプレイしたことはないのですが、コンセプトが類似した鬼武者というゲームが好きです。
主人公が強いのでプレイしていても恐怖は少しもなかったですね。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 教えてホラー(心霊現象系)が苦手な心理

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