作品と作者の人格の返信
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作品と作者の人格(元記事)
良く作品と作者の人格は分けて考えろ、とは言いますが、Twitterなど素が垂れ流しになっている現代だと、呟きなどの印象からどうしても読むのが無理になってしまったり、なかなか分けて考えるのは難しいと最近良く感じます。
良く交流していた物書き友人もフェミニストばかり叩いているのを見てしまってから読めなくなったりしました。
皆様は分けて考えられるタイプですか?
それとも分けては考えられないというタイプですか?
また上記の友人の様に執拗に誰かを叩いている人にどの様な印象を持つでしょうか(私の心が狭いだけでしょうか?)
色々な考えを聞いてみたいです。
作品と作者の人格の返信
投稿者 かにさん 投稿日時: : 0
自分は全く気にならないタイプです。
>また上記の友人の様に執拗に誰かを叩いている人にどの様な印象を持つでしょうか?
人格としては「うーん」かもしれないですけど、だからと言って作品とは無関係ですし。正直どうでもいいです。『絶歌』とか犯罪者の書いた作品とかも何の先入観もなく読めますし、自分の嫌いな思想をした人の本も時たまに読んだりしますが論理的に説明されている部分に関しては理解もしますし、同意もしたりします。(読んでいて疲れはしますが、自分と違う思想に触れれば、まあ、あって当然のストレスと思います)
逆に、どうして気になるのか知りたいです。なぜそれが作品評価に影響を与えるのでしょうか。感覚的には理解できないです。『作品を読む=その人を応援する』という意味付けがあったりするからとかでしょうか? それとも『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。坊主崇めりゃ袈裟まで綺麗』なのでしょうか。