作品と作者の人格の返信の返信
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作品と作者の人格の返信(元記事)
元Vedaです。
過去の偉人や現代の著名人も、何か世間的に素晴らしいことをしていても、性格やプライベートではクズ……なぁんて事は多々ある話で。
個人的に一例を挙げるならば、昔の偉人では野口英世、現代だと2012年に芥川賞を受賞した小説家の田中慎弥氏。
田中氏は芥川賞受賞の記者会見で、「芥川賞をもらっておいてやる」発言した時は、こいつクセ強すぎ。嫌なヤツだなぁ〜と思っていましたが、賞を取るぐらいだから素晴らしい作品を書いているのでしょう。
数年前までは甘粕さんのように、例えば作者が嫌いだと作品も嫌い……と、分けて考えられなかったのですが、去年から分けて考えられるようになりました。
「完璧な人間などいない」という事を悟ったんです。
(そういう風に考えられるきっかけは長くなるので割愛します)
多分人って、何か素晴らしい作品(小説に関わらず)やモノなどに触れると、この作品を創作する人ってどんな素晴らしい人なんだろうと期待を寄せ、まるで非の打ち所が無いような完璧な人間を無意識のうちにイメージしてしまうと思うんです。
ですが、現実のその人を見て落胆する。
でも、どんな素晴らしい作品を創り出す人だって、どんなに素晴らしい功績を残した人だって、私たちと同じ弱い心も汚い心も持っている人間なんですよ。
そう思うと、なんか人間って面白いなぁと思うようになってきました。
ただ、人対人なので、相性が合う・合わないはあるかと思います。
私も、どうもこの作家の(人を叩く)人間性は好きになれないから作品も今はもう好きになれねぇな。と思う人はいます。
かつては好きでその人の作品をたくさん読んでいたのに(笑)
でも、10代後半の頃その作品に出会ったおかげで、凝り固まった思考がその人の毒(?)によってうまい具合中和され、今の私が居ると思うと、「あの時あの作品に出会ってよかった(今は嫌いだけど)」と思っています。
今、読みたいと思うものを読む。それが1番だと私は思うんです。
読みたく無いものをいやいや読んでも、身にならないと思うんですよね。
作品と作者の人格の返信の返信
投稿者 大野知人 投稿日時: : 1
これまた微妙に違う話かもしれませんが。
俺は『作品の面白さと作者の人格』は全く無関係だと考えますよ。
例えがアレですが、正直ネット上とか漁っているとパクリ小説とか『著作権ダイジョーブ!?』って言いたくなる作品とかちょくちょく目にします。
俺個人としては『差別主義者は滅べ!』(これもまた差別)と思っていますが、それは其れとして極端な差別主義者の言っていることは一貫している場合があって、文章として考えるとすごく面白かったりします。(滑稽、ではなくですよ)
正直言って、中国が作ったパクリアニメが日本の原作より面白いこともありますし、ヒトラーの『我が闘争』を読んで部分的ながら『気分はわかる』と思う時もあります。
良い作品かどうかと、どんな作者・制作背景があるのかは関係ありません。
ただ、それでも気持ちの上では難しいことがあるのはわかります。
そう言う意味で言うと『ツイッター絶ち』とかは有効かもしれません。
どんな作品であれ、娯楽品である以上は『読者を楽しませよう』という思いがあって作られていることを覚えておくといいかもしれません。
宗教的な発信であれ、人気に便乗したパクリ作品であれ、承認欲求を満たすための作品であれ、『人に楽しんでもらう』ことで、『知ってもらいたい』『買ってもらいたい』『認めてもらいたい』意思があるだけです。
人に楽しんでもらう、という思いそのものはきっと純粋なんだと考えれば結構楽しめるものですよ。