作品と作者の人格の返信の返信
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作品と作者の人格の返信(元記事)
自分は度が過ぎたら気になりますね。不適切発言をすれば楽しみにくくなります。逆に良い主張をすれば、その作者の作品をもっと読みたくなります。
普通に読む場合は作者のことは気になりません。作品に没頭す
れば、作者の存在は頭から消えます。が、作者が不適切な発言をしていると知っていると、そもそも没頭できなくなります。
作者には最低限のモラルは身に付けていてほしいです。
作品は作者の人格を反映するものなので、例えば作者が不適切な発言をすると、「今はよくても、この人の次の作品はこんな感じのメッセージが出てくるのではないだろうか」と身構えてしまいます。あるいは、「文章では綺麗事を言ってるけど本心ではこんなこと考えてたんだな」と冷めます。
キャラクターや作品のテーマに善悪が関わることは少なくないですから、作家が不適切な発言をすると作品に対する期待値が下がりますし、過去に読んだ作品の見方も変わります。読めなくなることもあると思います。
悪を描く作品、倫理をかなぐり捨てる作品もありますけど、型を破れるのは型を身に付けている人だけだと思います。
僕は、何かに対する正当な批判や主張だったらどんどんやっていいと思いますし、怒りをぶちまけようが下品だろうが構わないのですけど、文章で何かを表現しようという人が、少なくとも作家として活動するための場所で、自分の発言が不適切なことに気付けないのは、書き手としての腕を少々疑ってしまいます。
(作家は人格を隠せと言っているのではないですよ。全然発言して構わないですが、酷い人のは読まないってことです)
それに、モラルに限らず、作品を深く知りたいなら、作家の個性って大事じゃないですか?この作者は若いころ苦労したからこのテーマなんだなとか。作品の分析に作者の経歴とかからアプローチすることもありますし。作家の個性を考えながら読むのは、おそらく二回目以降、分析的に読む場合になるのでしょうけど。
作品と作者の人格の返信の返信
スレ主 甘粕 投稿日時: : 0
大体の意見が一致します。
(すみません、名前が打てない)
私も正当な主張であれば許せますし、こういう考えだから作品にはこう上手く反映しているんだな、という楽しみ方も出来ますし、むしろそういうのは好きだったりするのですが、友人はとても正当な主張とは言えず、フェミニストがなんたるかも理解していないまま、大勢が叩いているから叩いていいんだ的ないじめっ子の考えです。
名前が知られていないプロは大した作品作ってない、みたいに少々創作家として疑う発言もしていたりします。
時代が離れた文豪とかは、性格や経歴など深いアプローチが出来ると思うのですけど、現代の特にTwitterを頻繁にやっているとかは個性というよりノイズが強い感じがするのです。