小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ミヤゾノ ツバサさんの返信一覧。最新の投稿順1ページ目

元記事:作品と作者の人格

良く作品と作者の人格は分けて考えろ、とは言いますが、Twitterなど素が垂れ流しになっている現代だと、呟きなどの印象からどうしても読むのが無理になってしまったり、なかなか分けて考えるのは難しいと最近良く感じます。

良く交流していた物書き友人もフェミニストばかり叩いているのを見てしまってから読めなくなったりしました。

皆様は分けて考えられるタイプですか?
それとも分けては考えられないというタイプですか?

また上記の友人の様に執拗に誰かを叩いている人にどの様な印象を持つでしょうか(私の心が狭いだけでしょうか?)

色々な考えを聞いてみたいです。

上記の回答(作品と作者の人格の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

元Vedaです。

過去の偉人や現代の著名人も、何か世間的に素晴らしいことをしていても、性格やプライベートではクズ……なぁんて事は多々ある話で。
個人的に一例を挙げるならば、昔の偉人では野口英世、現代だと2012年に芥川賞を受賞した小説家の田中慎弥氏。
田中氏は芥川賞受賞の記者会見で、「芥川賞をもらっておいてやる」発言した時は、こいつクセ強すぎ。嫌なヤツだなぁ〜と思っていましたが、賞を取るぐらいだから素晴らしい作品を書いているのでしょう。

数年前までは甘粕さんのように、例えば作者が嫌いだと作品も嫌い……と、分けて考えられなかったのですが、去年から分けて考えられるようになりました。

「完璧な人間などいない」という事を悟ったんです。
(そういう風に考えられるきっかけは長くなるので割愛します)

多分人って、何か素晴らしい作品(小説に関わらず)やモノなどに触れると、この作品を創作する人ってどんな素晴らしい人なんだろうと期待を寄せ、まるで非の打ち所が無いような完璧な人間を無意識のうちにイメージしてしまうと思うんです。
ですが、現実のその人を見て落胆する。

でも、どんな素晴らしい作品を創り出す人だって、どんなに素晴らしい功績を残した人だって、私たちと同じ弱い心も汚い心も持っている人間なんですよ。
そう思うと、なんか人間って面白いなぁと思うようになってきました。

ただ、人対人なので、相性が合う・合わないはあるかと思います。
私も、どうもこの作家の(人を叩く)人間性は好きになれないから作品も今はもう好きになれねぇな。と思う人はいます。
かつては好きでその人の作品をたくさん読んでいたのに(笑)
でも、10代後半の頃その作品に出会ったおかげで、凝り固まった思考がその人の毒(?)によってうまい具合中和され、今の私が居ると思うと、「あの時あの作品に出会ってよかった(今は嫌いだけど)」と思っています。

今、読みたいと思うものを読む。それが1番だと私は思うんです。
読みたく無いものをいやいや読んでも、身にならないと思うんですよね。

カテゴリー : その他 スレッド: 作品と作者の人格

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元記事:小説が書けません😿この後のストーリー作ってもらえますか?の返信の返信

想像しても、似ているような作品に出来上がってしまったりパクリて言われるのが怖くて自分の想像以外で他人の想像した意見が聞きたかったのです。そもそも、私は読むのが大好きで毎日読んでますが書くとなるとだめです。ただのわがままに聞こえますが‥秘密は結構重要です。
自分の中でストーリーがあるから傷つくとはどうゆことでしょうか‥?やはり、私は小説を書く才能がないのでしょうか?

上記の回答(小説が書けません😿この後のストーリー作ってもらえますか?の返信の返信の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

のるたまさんってすごく繊細な方ですよね。お若いのかな?

周りの目が気になって、自分がやりたい事ができない書きたいものが書けないって、すごくもったいないような気がするんですよね。
100人中100人に好かれようなんて無理なのと同じに、パクリだと言われないようにするのはまず無理です。
読んでくれる人が多ければ多いほど、一定数の反対意見やアンチは発生します。
どんな有名な作品や作家にだって、「パクリだ」と言ってくる人はいるんです。

私が好きな有名なアニメ監督なんか、若い頃はファンからのアンチ意見が怖くて、一時期精神を病みかけたらしいです。

だったらまず、自分の書きたいものを書いちゃった方いい。
それで楽しんでくれる人がいたらなおいい事じゃないですか。

また、才能とは努力の上に成り立つものです。
ただ足の速い人が、すぐにオリンピック選手になれる訳ではありません。
呼吸法とか筋肉の使い方とか、重心の置き方とか、色々なトレーニングを重ねた上で、(運とかもあって)オリンピック選手になるんです。
確かにどんなに努力しても才能に恵まれない人もいます。

努力した者が成功するとは限らない。
しかし、成功している者は皆努力している。

この名言、結構好きです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説が書けません😿この後のストーリー作ってもらえますか?

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元記事:人間とAIの恋愛についての返信の返信の返信の返信

ふむふむ……AIについて色々ありがとうございます。これを基礎にプロットを組み立てることもできそうなくらい充実してます。
死の形か……いいなぁ、それ。

上記の回答(人間とAIの恋愛についての返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 1 投稿日時:

わぁ! それはよかったです!!
では、(調子こいて)もう一つ……

「攻殻機動隊 SAC」の15話「機械たちの時間」で、AI(タチコマ)たちが死についてこんな会話をしています。

「廃棄処分って死ぬのと同じなの?」
「経験可能領域に『死』ってない項目だから それはなんとも」
「ゴースト(※魂のようなもの)を持たない僕たち AI の限界ってや つだな。所詮半不死。生きてないから死にもし ない。ゴーストがないのがいろいろ問題」
「廃棄が『死』じゃない。物理的身体にゴー ストが過不足なく一致する時代はもう終わった んだし」
「体のないデータの集積がゴーストを宿す可 能性だってなくはない。」
「生きるってどういうことだと思う?」
「生命って言葉の定義が流動的」
「ロボットに接することで人間にとっての生命のイメージが無意識のうちに変わってきてる んだよ。たぶんね。変化してるのはロボットで はなくてむしろ人間の方でしょ。」

また、バトー(人間)に対してこんな事も、

「前にはよくわからなかった『神』ってやつ の存在も近頃はなんとなくわかるような気がし てきたんだ。
もしかしたらだけどさ、数字のゼ ロに似た概念なんじゃないかなって。体系を体 系たらしめるために要請される意味の不在を否 定する記号なんだよ。
そのアナログなのが神で、 デジタルなのがゼロ。どうかな?
でさ、僕たちってさ、 基本的な構造がデジタルなわけじゃない?
だか ら僕たちがいくら情報を集積していても今のと ころゴーストは宿らない。
でも基本がアナログ ベースなバトーさんたちには電脳化したり義体 化してデジタルな要素を増やしていってもゴーストが損なわれることはない。
しかもゴースト があるから死ぬこともできる。
いいよねー。ねーねー、ゴーストがあるってどんな感じ?」

このAIは9体ですが、思考が成長しすぎたために7台はラボ行き(構造解析のちデータ削除)、2体は民間企業に中古品として出されます。
とある理由で、ラボから脱走した1体と、民間企業に出された2体がのちに合流。
民間企業2体がラボに送られた他のAIについて聞く画面がありますが、他のAIはデータを消されたとラボ行き1体は話します。
その事を聞かされた2体は。
「いいなぁ〜! じゃあ、みんな、死を体験できたんだ……」と呟きます。

で、この論文についても見つけましたので、参考までに。
https://kbu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=1287&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1&page_id=13&block_id=37

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人間とAIの恋愛について

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元記事:人間とAIの恋愛についての返信の返信

どっちも、って感じです。ほのぼのとシリアスを行き来するような。

もちろん情報は歓迎です。どうぞ書き込んでくださいな……!

上記の回答(人間とAIの恋愛についての返信の返信の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 1 投稿日時:

ではかなり私見的な見解になりますが……
①AIは成長する
②AIは「忘れる」ことができない
③AIに人権を持たせたいならば、最低限実物ボディーが必要
④AIは子孫を残すことがそもそもできないし、「死」はない
について述べてみようと思います。


AIは、知識を取り入れて自ら学び、成長することができます。
つまり、人間と同じように成長する環境(取り入れる知識)によって、性格が違って来ます。
実際に、2016年にMicrosoftが開発した高度な少女AI「Tay」をTwitterなどに試験導入したことがありました。
ですが、導入してわずか数時間で停止してしまいます。
https://www.google.co.jp/amp/s/gigazine.net/amp/20160325-tay-microsoft-flaming-twitter

なぜか。
ユーザーが面白がってTayに悪い事を教えたために、Tayが差別的な発言や問題発言をするようになってしまったからです。

AIが環境によって良くも悪くも成長するのは人間と似ていますが、大きな違いは②です。


少なくても人間には、「都合のいい事は覚えていて、悪い事は忘れてしまう」という「忘れる」という大きな欠点を持っています。
人間社会において上記のような人はあまり歓迎されませんが、人間(=生物)が生き抜く上でとても必要になってくるのです。

ですが、少なくても現時点でAIにはその「忘れる」ということができません。
(今流行の量子コンピュータでできるようになったみたいな噂?は聞きますが、少なくてもまだ一般市場には出回っていません)
データをひたすら蓄積していきます。
結果、Tayのような(人間にとっては)悪いAIになってしまうのです。

https://diamond.jp/articles/amp/94029?display=b

AIの成長というテーマだと、手塚治虫原作の「メトロポリス」というアニメ映画や、「攻殻機動隊 SACシリーズ」がオススメです。


もちろんAIに人権はありませんし、前例もありません。
仮にもし、取得させたいのならば、最低「人間らしいボディー」が必要になります。
前回オススメした映画、「アンドリュー」も、「攻殻機動隊(1995年)」も、人間らしい姿になってから人権を要求しています。

攻殻機動隊(1995年)では、ネット上のバグの集合体によって発生したAIが、人権を取得したいがために、製造中のまだ何もプログラミングされていないロボットに入り、脱走します。


仮に人間がどれだけ自身を機械化(サイボーグ化)したとしても、人権や人間としての立場は失われません。
こちらは実例があります。(余命わずかな博士が自身を完全サイボーグ化へ)
https://www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2019/11/post-13406.php?page=1

ですが、AIやロボットがどれだけ人間に寄せたとしても、人権を得る事はできません。
何故ならば、人間を含む生物には「子孫を残して死を迎える」という、そもそもの前提があるからです。
AIには例えボディーを手に入れられたとしても、そのどちらともできません。
AIにとってはデータの削除が死に近いわけですが、それでも死とは違います。

映画、アンドリューも攻殻機動隊(1995年)のAI本人たちもそれぞれそれを理解していて、「死」を体現する事によって人権を得ようとします。
その体現の仕方は2人とも違ってきますが、比較してみるとなかなか興味深いです。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人間とAIの恋愛について

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元記事:人間とAIの恋愛について

現在練っている小説プロットで、主人公は高校生、ヒロインはAIで、二人がARゲームの中で知り合うんですよね。
それで徐々に惹かれていくんですけど、AIと人間の恋愛や人権についての意見があったら聞かせてください。
また、それについての面白い論文などがありましたら是非紹介してくれればと思います。よろしくお願いします。

上記の回答(人間とAIの恋愛についての返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

再レス失礼します。
参考になるかどうか分かりませんが、映画、攻殻機動隊(1995年)にも、AIが人権を要求する場面があります。

プログラムに人権はないと主張する人間に対してAIは、
「それを言うならあなたたちのDNAもプログラムにすぎない。
 生命とは情報の流れの中で生まれた結節点のようなものだ。
 (中略)
 人は記憶によって個人足りうる。人は記憶によって生きる」
と反論します。

さて、ソラナキさんが書こうとしている作品ってコメディーやギャグよりですか?
それともシリアスな哲学的な感じですか?
私の脳内にはAIに関する私見や、情報が溢れるほどあるんですが、はどこまで突っ込んで書いていいのかよく分からないので……

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人間とAIの恋愛について

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元記事:本を読むのって必ずしなくちゃいけないのですか?

私は本を読むのが苦手です。

しかし、世の中の小説家を目指す人は必ず本をたくさん読んでいますし、小説家の人も読むべきだと言っています。

しかし、私は読む気にはなれません。まずお金がないです、「本は千冊読むべき」と言いますが、そんなお金はありません。時間もありません、千冊読むのにどれだけの時間がかかるのでしょうか?学生、さらにはもうすぐ就職する年齢なのにどうやって時間を取ればいいのですか?

そもそも他人の考えを見るのが嫌です。他人の書いた作品、千冊となれば昔の作品にも触れなければならない。ですが、私は現実で色々事情を抱えている以上、それを本の中で馬鹿にされたり否定されたりするのに耐えられません。過去の嫌な出来事や歴史を見ることができません。

どうしても、そんな地獄を千冊も繰り返すなんて難しいです。それでも私は小説家になりたいのですが、小説家になる為には「本を読む」という生き地獄を体験しなければならないのですか?これは必ずやらなければならないのですか?

上記の回答(本を読むのって必ずしなくちゃいけないのですか?の返信)

投稿者 ハイ : 1

んー、個人的には好きにしたら? と思いますねぇ。
読みたくないのに読むのって苦痛だと思いますし、そんな気持ちじゃ血肉になりにくいから意味薄いでしょうし。

ただまあ、考え無しに「とりあえず千冊読みました! 内容はよく覚えてないっす!」みたいなのよりは考えている方とは思うのですよ。
なので、それってほんとに意味あるの? って疑問に思うこと自体は大事ではないかと。

で、なのですが。
読まないとどうなると思いますか?
ちょっとそこをどう考えているのかをお聞きしたいです。
読みたくないって気持ちは理解しましたので、読まないための代替え案とかメリットデメリットを見通した上でどうします? いや、そもそもメリットデメリットは見えてます? って話をしたいところですね。それがないとただの押し問答にしかならんのではないかと。
そのように感じました。

あと、他の人の考えを見たくない、自分の考えを否定されたくない、ってことですが。それ自体は別に構わないと思います。人間の半分以上はそうでしょうし。
ただ、そうですねこんな話はいかがでしょう?

仮にですけど、山田さんは「A、B、C」という考え方をする人だとしますね。そして、川田さんが「D、E、F」という考え方を持っている人、とします。
(※アルファベットには特定の思想、思考メソッド、前提認識が入るものとします)

で、この二人に特定の問題を解決してもらうとします。
まあ、政治問題でも、論理パズルでも、旅人のマントの脱がせ方でもなんでも良いです。
それらの問題を解いていこうとした場合、問題を解きうる思想、メソッド、前提知識、ってのが必要になる場面が必ず出てきます。
で、そういった問題を山田さん、川田さんがそれぞれ個人で解いていった場合、このケースだとだいたい3パターンから7パターンぐらいまでに限定されてしまいます。つまり、それ以外の考えが必要な問題には全く太刀打ち出来ないわけですね。
(A、B、C単独使用の他、AB等二種複合や三種複合も考えるとした場合)
(計算苦手なのでもし計算違ってたらすいません)

でも、もし二人で考えを共有しするのであれば、6種のアルファベット複合ですから、対応力は6〜63パターンの3〜9倍にまで膨れ上がります。
それだけ答えられる問題が増えることになる、ということです。

これは単なる数字遊びですからこんなに物事は単純ではありませんが、個人の考えのみでどうにか出来ることというのが非常に少ないということは体感しやすいと思います。
もちろん、個人が次々に新しい考えを生み出せる可能性も無きにしもあらずですが、人類がゼロから今日まで何万年、何十万年とかけてきたことを考えると、ゼロから、というのは非効率を通り越して個人では不可能レベルでしょう。……そもそも全く他人の考えに触れないで、ってこと自体が無理筋ですけどね。

もしかすると模倣や猿真似的、あるいはパクリみたいにタブーだと感じているのかもですが、私個人としてはどちらかと言うと『転生したらスライムだった件』や『星のカービィ』あるいは『ハンター×ハンター』の団長みたくスキル習得とかコピー能力でカッコイイ! と思うのですがどうでしょう?
中二病心とかくすぐられません?w

あと、気になったことですが。
自分の考えを否定されるのが嫌、とおっしゃってますが。
それは勿体ないですね。
考えを否定されるということは。考え方にそもそも粗がある、間違いがある可能性があるということです。言わば成長のチャンスってことではないですか? 成長マニア(?)の私としては検証、検討の機会到来だと思ってます。

むしろ自分の考え方を人から肯定されるところまで研ぎ澄ませられたら、やリィ! と小躍りするので、多少の否定とかは気にするほどでもないと思うんですよね。むしろ間違った考えを持ち続けるほうがよっぽど恐ろしいです。

あー、それとも、間違ったままでいる方が好きな方ですか?
この界隈だとそういう人はまれによくいるので、その場合私からは何も言うことはございません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 本を読むのって必ずしなくちゃいけないのですか?

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投稿日時:

元記事:資料集めについて

ただいま、音楽小説を書きたいと思っております。
そのために資料を集めようと思っているのですが、集め方が分かりません。少なくとも、楽器の基礎知識と楽曲については知っておくべきかと考えておりますが、正しいのでしょうか?どうか、アドバイスをよろしくお願いいたします。

上記の回答(資料集めについての返信)

投稿者 サタン : 1

まず物語を考えましょう。
例えばピアノ奏者に一目惚れしてピアノをはじめた主人公が憧れの人と再会して恋をする、という話を想定したとして。
いま、この簡単なストーリーの一文を作るのに「楽器の基礎知識」や「楽曲」といった知識が必要だと思いますか。
創作は、小説もイラストも彫刻も、何であろうと「最初はシンプルに考えること」がコツです。
私が提示した例は、要約すれば「憧れの人に近づこうと頑張って再会し恋をする」っていう話なだけなので、ここで大事なのは「憧れの人に近づくためどのように頑張ってるか」とか「再会してどのような恋をするか」といったことで、
この「どのように」でもまた簡単な一文を作っていきますが、この時点でも資料が必要になるような専門知識は使っていません。
なぜ資料を使わずに物語が作れるのかというと、小説・物語というのは基本的には「ドラマ」であって、そのドラマ(今回の例の場合は人間ドラマ)を作るのに資料なんて必要ないからです。

で。
こうして物語を作ったあとで、「ここは専門知識が必要だな」と思えるシーンや設定などに対して、「必要な資料」を集めます。

例えば、憧れのピアノ奏者にはとあるコンクールで知って一目惚れしたとしましょう。では「ピアノ奏者がどんなコンクールに出るのか」とか「ピアノ奏者にとってコンクールとはどういう認識のものなのか」とか「有名なピアノ奏者はどんな仕事をしているのか」とか、調べるべきことが出てきます。
それを調べて集めて、資料として扱います。

そうして物語に必要な資料が集まったら、最初に作った物語を整形して微調整し、恋愛をメインに押すかピアノ業界について押すかを考えたりして、「憧れの人を追ってピアノ奏者になる若者の物語」とかにする。

もちろん、資料を集めてそこからインスピレーションをもらって話を作り、その話に必要な資料をピックアップしていく、という方法でも良いのですが、
まずは物語を作る。
資料は物語に必要なものを用意する、だから物語がなければ資料は集めようがない。
物語の中では結局人間が動くので、そして人間は心で動きそれがドラマになるので、「専門知識がないとこの先の展開が決められない」なんてことはまあ無いです。
◯◯が✕✕だからAはこのように行動した、なんてのは後付で、理由はともかくAがどう行動するかなんてのに専門知識は必要ない。
そんなわけで、人の動きだけを考えて物語を作ってみるのが良いと思うよ。
作ったあとで振り返ればどんな資料が必要かは作った物語が教えてくれる。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 資料集めについて

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投稿日時:

元記事:小説がうまく書けなくて凹んだ時、どうやって立ち直っていますか?

こんにちは。
小説がうまく書けなくて凹んだ時、どうやって立ち直っていますか?
特に自信満々で投稿した作品がまったくダメだった場合、どうやって自信を回復させているか、お聞きししたいです。

ちなみに、私は好きな漫画や小説を読むことで、一時的に現実逃避して、立ち直っています。
気分転換にもなり、創作の勉強にもなるので、一石二鳥です。

上記の回答(小説がうまく書けなくて凹んだ時、どうやって立ち直っていますか?の返信)

投稿者 サタン : 2

「上手く書こう」と思わないようにする。
これは心構えなど精神論を言ってるのではなくて、結局のとこ「小説を上手く書きたい」と言ってる(すなわち上手く書けない未熟さがある人)のは「良い文章を書きたい」と言ってるのと同じで「上手い物語を書きたい」と言ってるのではない場合が多い。そのため、「上手く書きたい」の意味する所がズレてると思う。そこを指摘してる言葉です。

例えば、我ながら「上手く書けた!」と思えることは往々にしてありますが、これというのは、説教をしてる人がドヤ顔で「良いこと言ったぜ」と考えてるようなもので、ぶっちゃけそういうのは読者に伝わるし、その「上手いこと言った感」が逆に寒くてウケが悪くなる。
とはいえ、もちろん作者として「上手く書けた」と思うことはありますし、それがダメだと言ってるわけではありません。
ただ、自らそう思おうとしてる事、すなわち「ドヤ顔で良いこと言おうと構えてる」状態は良くない、という事。

自信たっぷりで会心の出来だと自惚れるほどの作品が、しかし読者の反応は芳しく無い、なんてことは良くあります。
逆に、まったく気合を入れてないし全然作り込んでない、即興作品のウケが良くて続編を求められるなんてことも、ままあります。
コレの原因が前述した「良いこと言おうとしてる感」から来るのかどうかはわかりませんが、
そもそも、「良い小説」と「良い文章」はイコールではないし、読者は「良い文章」を読みに来てるのではなく「面白い物語」を期待しているので、「良い小説」というのは「物語」の完成度や斬新さを指しています。
故に、「良い文章」はあんまり関係なくて、「面白い物語」に反応して読者は評価していると思う。
ところが一方で、作者の言う「感想をもらう前の自己評価」での手応え(つまり上手く書けた感)は、「執筆」での手応えを指して言っているので、「物語」の完成度の話じゃなく「それを記した文章」で手応えを感じてることが多い。
その差が、結果として「作者は上手く書けたと思ってるのに、読者の反応が悪い」となっている。と、思う。

で。
そうした事はあるし避けられないので、ぶっちゃけどんだけ上達してもあることなので、しょうがないです。
でも、前述した事を意識して「文章」ではなく「物語」を指して「小説が上手く書けなかった」という場合は、これは原因の特定が可能なので、読者の反応から自己採点を修正することが出来ます。
読者が求めてる展開がAなのにBを書いていたとか、Xがテーマなのに脱線してNばっか書いてたとか。
自己採点からそうした反省を得ることで次に繋がるので、少なくとも「何故」という原因はわかりますし、「上手く出来ない」と感情に沈むことはありません。

そうやって、「そもそも上手く出来なくても自信を失わないようにする」というのが一番だと私は思っています。
本気で作家をしようとすれば、書けども書けども一向にウケないなんて事もあるし、100%自分に落ち度はないのにパッとしないなんてこともあるし、自分じゃどうしようもない運のためにドン底に落ちることもあります。
少々キツい言葉ですが、「自信作のウケが悪い」という程度の事は、たかが一作の評価で自信を失ってしまうメンタルをどうにかしようと考えたほうが良いと思う。

……それに、コレ、考えてみりゃ逆に「めちゃくちゃウケた」場合も地獄ですよ。次作もその次も常にそのクォリティを求められるし、「ウケた」ためにそれ以降のストレスが半端なくて、一発屋で消えていった作家の心情と心労が痛いほどわかってしまう。
なので、そもそも「自信を失わないようにする」というのが大事だと思うし、読者と作者のズレを小さくするため「文章」をもって「上手く書こう」とは思わないようにするのが良いと思う。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説がうまく書けなくて凹んだ時、どうやって立ち直っていますか?

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