小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき

大正時代や昭和初期の作品を書く場合でも、現代人が差別用語に認定し変化させた「看護師」を使わなければならないのか、時代考証を考えて「看護婦」でもいいのかが以前から気になっています。
読者が「看護婦は差別用語です」とつっこんできたら、創作上の全体像や雰囲気で不都合が生まれると思った次第です。
例えば「ナイチンゲールは夜の帳が降りる不安のなかにも人々の心に寄り添い続けた看護婦でした」と「ナイチンゲールは過酷な戦場下でも献身的に人々の看病を続けた看護師であった」では雰囲気や伝わり方が違います。付属の言葉選びは名詞の雰囲気に合うものを即興でつけただけですが。
看護師は私の感覚的に堅い感じでより行政的な感じで、極めて現代風な映像しか浮かびません。最新鋭の機器に囲まれた清潔な病院とか。このように人によっては言葉の持つ映像がついてまわるのではないかと思うんです。どちらしにろ名称に関係はなく立派な職業に変わりはないものですが。
あとは「

江戸時代まで来るとさすがに今現在はいないけど、「武将」は(差別用語関係ないし、当てはまる役職でいえば大地主あたりでしょうけど)使ってますよね。
さすがに明治・大正の男性作家作品に多くみられるものですが、「妾(「わたし」と読むらしい)=女性が自身をへりくだって言うもの」は現代ではどう読んだって、ご主人が本妻以外に屋敷に愛人として抱え込んでた「めかけ」につながるから使わないとしても。「わらわ=あるていど高貴な雰囲気もあるような感だが、成人女性が自身をまだ子供のように言うもの」は使えると思いますけど。

上記の回答(現在「看護師」 昔「看護婦」 使うときの返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

厳密に言えば、「看護『師』」の呼称は2002年3月からです(法改正に伴うもの)。それ以前は、女性のナースが「看護『婦』」、男性のナースが「看護『士』」でした。看護婦のチーフが以前は「婦長」で、今は「師長」だったりもしますね。
(同様に、保健婦・保健士→保健師、助産婦→助産師(日本では女性のみの資格のため「助産士」はなかった)の変更があります。これも上記と同じく、2002年3月からです。)

大正、昭和初期どころか、21世紀初めまでは「看護婦/看護士」でないと、時代考証的にはおかしいわけです。だけど、もはや「看護師」という呼び方に慣れている人のほうが多いですよね。「看護婦」なんて忘れてるか、知らない人も少なくないかもしれない。お考えのように、「看護婦」に「それは差別用語だ」と反応する人もいるはず。

時代考証、分かりやすさ、NGワードのいずれもを満たす方法はないと考えるべきです。例えば、時代的には「看護師」ではなく「看護婦」だけど、差別用語と思われることを恐れ「ナース」としたら、一読して楽に分かるようにはならないかもしれません。それに、ナースコールとかは普通に言ってても、看護師をナースと呼ぶことは少ないでしょう。

ですので、作者の方針(何に重きを置く作品か)次第で腹をくくるしかないように思います。

1.時代考証を優先する

以前に、昔が舞台の小説で「女給」という言葉を使って、読者などから苦情を受けたという話を聞いたことがあります(作者、作品名は忘れましたorz)。作者はきっぱり「作中の時代では女給なんだ」「女給と言わないと時代の雰囲気を壊す」と言い、苦情をはねつけたそうです。

時代背景に忠実であることが大事なら、「看護婦」でしょう。苦情の予防をするとしたら、例えば前書きなどで「本作は昭和初期が舞台ですので、一部、現代にそぐわない用語、言い回しがあります」と断っておくくらいでしょうか。

2.分かりやすさ優先

昔が舞台でも、読むのは今の読者ですから、昔の用語などは今の言い方に変える、一種の翻訳をすることがよくあります。「看護婦」では分かりにくいかもしれないと思ったら、現代用語の「看護師」に翻訳するのは一理あります。

あるいは、当時なかった言葉を使うこともあります。例えば、鉄道ができる以前に、あるいは鉄道がない異世界で「話が脱線した」と言ったら、考証的には変です。だけど、気にせず小説で使ってますよね。今の読者になじみがある表現なら使ってもいいはずです。

今の読者に楽に読んでもらうことを考えるなら、今の言葉で統一するのも悪くありません。

3.NGワードだけ回避

「看護婦」ですと、対応する「看護士」があるわけですから、必ずしも差別的ニュアンスがあるとは言えません。しかし、昔は普通に使っていたけれど、差別的ニュアンスがあるなどで忌避されるようになった言葉はあります。上記1でいえば、女給は言わなくなった。

言わなくなると分かる人も減るわけで、2と重なる部分がありますが、現代の言い方に翻訳してしまうことはよくあります。一方、特に忌避されていない言葉は、できるだけ当時のものを使って雰囲気だけは確保するというのも考えられる手段と思います。

この3も2も、時代考証的に文句を言われる可能性はあります。「そんなこと、当時に言っているはずがない」とかですね。気になるなら、1と同じく、断り書きを入れておけばいいと思います。

この他にも、いろいろ考え方があると思います。ですが、どういう方針で書こうが、全方位的に文句が出ず、納得してくれる方法はないんじゃないかと思います。大事なのは、執筆方針がブレないことで、ブレていなければ表現について文句を言われても、説明は可能です。合理的な説明さえできるなら、読者を1人残らず納得させる必要もありません。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき

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元記事:ヴィランについて

最近、ディズニー映画になるような作品を作りたいなーと思っています。

そこで、魅力的なヴィランを書きたいと思い立ちました。

ところが、私が考えると、どうも昼ドラの悪女みたいになってしまいます。

魅力的なヴィランの条件というものがありましたら教えてください。

上記の回答(ヴィランについての返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

主人公に敵対するキャラということで、少し区別してみたいと思います。主に次の2つになるように思います。

・悪役(ヴィラン)
・敵対者(アンタゴニスト)

悪役は悪いと知りながら悪いことをするわけで、読者に嫌悪感を抱かれないならキャラ作り・イベント描写が失敗と見るべきです。魅力的な悪役、と考え出すとジレンマに陥りがちです。白雪姫の「お后様」であれば、身勝手で白雪姫を殺害しようとしたわけで、誰もが「懲らしめてやりたい」と思うようなキャラに仕立てられています。

一方、敵対者は主人公の邪魔になる存在です(ライバルも敵対者に入ります)。おとぎ話ですと、例えばシンデレラの義理の姉たちがいます。シンデレラを蔑み、舞踏会に行かせまいとはしているけれど、それ以上のことはない。争点は「王子の愛」で、その争奪において非道とまではいえないわけですね。実際、ガラスの靴の判定に応じて敗北している。それで充分、という感じの敵役です。こういうのが敵対者です。

シンデレラの義理の姉はわき役に近いものもありまして、魅力的とはいえません。しかし、引き立て役ではありますね。主人公の行く手に立ちふさがり、主人公に敗れることにより、主人公の強さを引き出しています。そういう点で、敵対者の役割をきちんと果たしているように思います。

古典的といってい名作の「ドラゴンボール」ですと、主人公の悟空より明らかに強い敵役として初代ピッコロ大魔王が出てきます。主人公の敵というよりは、世界の敵ですね。悟空が修行して勝つわけですが、悪が滅びたカタルシスが大きかったような気がします。いなくなってスッキリする存在。ですので、初代ピッコロ大魔王は見事な悪役であったと思います。

初代ピッコロ大魔王が今際に生み出したのが2代目ピッコロ(大魔王)。世界を滅ぼしたい魔王というよりは、ただただ悟空に勝ちたいという意思が、当初から見え隠れする敵役でした。主人公の悟空に勝っては欲しいけれど、2代目ピッコロがいなくなればいいという感じはしなかったと思います。2代目ピッコロは敵対者であっても悪役には徹してないからですね。

悪役(ヴィラン)であれば、作品世界に不快感をもたらし、存在自体が嫌悪感を生じさせれば成功だと思います。主人公は「こいつ(悪役)を排除したい」という気持ちを抱く。悪役に魅力があるとすれば、いなくなったらスッキリするという点でしょうか。かゆい背中みたいなもんです。

普通に魅力があるとすれば、敵対者でしょう。主人公が乗り越えるべき壁です。悪役性はあってもいいんですけれど、主人公との対立を重点的に浮き彫りにし、主人公が「こいつに勝ちたい」と思うように描ければ成功だと思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: ヴィランについて

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元記事:ホラーについて ほんとうにこわいもの

ホラーに興味があるんですが、ホラー小説とはどんなものかと言う概念はある時を境にずいぶん変わったと思います。
こう言うとあまりにありきたりと思われるかもしれませんが、特に関東より北に住んでいる人なら、東日本大震災です。関西より南なら、それより前の阪神淡路大震災かもしれません。
ホラーというのはそれまで、ある種の約束事の上にできあがっている世界でした。慣れた人なら、その約束事のキーワードが出てくれば、『アレだ』と気づき、そして怖がる準備が始まります。恐怖感を盛り上げてくれるわけです。
ホラーという分野は、人生における本当に怖いことを描いているわけではなく、怖いと思う気持ちを盛り上げてくれるものであって、高度に洗練された記号学みたいなところがありました。作家と読者のあうんの呼吸と言い換えてもいいでしょう。
でもこういった約束事の根本には、人間のほとんどは本当の恐怖を知らないという前提があります。皆がそれをはっきり認識できない、恐怖感はふわっとしたつかみ所のないもので、それを小説の言葉が具現化するのです。人は初めてそこで、恐怖の形をイメージできる。でもそれが正しく恐怖を描いているかどうかは、実は読者は認識できていないのです。怖いとは感じるが、本当に怖いのかどうかはわからない。
でも恐怖を楽しむことはできた。
でも震災の時、それを体験した人だけでなく、その存在を知った日本人のほとんどが、本当の恐怖が何であるのか知ってしまったんだと思います。本当の恐怖は予告もなく表れ、約束事もなくすべてを奪っていく。死ぬことと死なないことの境界は約束されたストーリーではなく、単なる偶然に過ぎません。それを知ってしまうと、ホラー小説の前提が崩れてしまうのだと思います。実際震災以降一定期間、ホラー分野の小説や映画がさっぱり売れなくなりました。みんな作り物の匂いが鼻についてしまったからです。今はそれほどでもないですが、それでも、恐怖の約束事は変わったように思います。一般小説でも震災後は震災前とは違ってしまったところがありますが、ホラーは顕著だと思います。
そういう意味では、これからのホラーは新しい形が必要になるでしょう。でもそれがホラー小説として洗練された作品に昇華するかどうかはわかりませんが。

上記の回答(ホラーについて ほんとうにこわいものの返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

うーん……正直に答えると、それってどのジャンルにも言えることで、特別ホラーに限った話ではないような気がします。
特に少年漫画やライトノベルもだけど、ある程度の型があって、読者はそれを楽しんでいるので。
震災があって現実の恐怖を目の当たりにしたため、空想のリアリティがなくなった……正確には現実か非現実かわからない曖昧な恐怖感が一気に空想のものだと認識できてしまった、という論調だと思う。
じゃあ、「震災で死んだ友人を見た主人公」なんてテーマであったら、これはむしろ経験したからこそリアリティがないかな? もちろん不謹慎だって話でそんな本すぐには出ないけど。

ホラーが売れなくなったのかどうかは調べてないので私は知らないけれど、80年台後半から90年台のオカルトブームに比べてかなり日陰に追いやられてるのは確かで、テレビでも心霊特集など滅多にやらなくなりました。
これは単純に流行だけど、社会背景というものも大きく関わってきます。
例えば、バブルがはじけて不景気になった頃は「お金がない!」とか「サラリーマン金太郎」とかサクセスストーリーが広く流行した。
不況でしんどいから、そういう話がウケるわけですよ。
これは日本だけでなくアメリカなんかでも、政府に対し信用が無くなってくると陰謀論が流行ってUFOの話題が大量に出てきたりしました。
震災が二度あって、しかもそれは都心のコンビニで品薄になるほどの影響で、日本全国で「災害」の実感を伴う社会的背景があった。
それが影響して暗い話全般が避けられていた、というだけで、たぶん逆に心あたたまるハートフルなジャンルは売上が微増したんじゃないかな?
つまりホラーに限った話ではないと思うし、オカルトの恐怖と災害の恐怖は別だし、それは「緊張感」という意味でサスペンスとアクションを一緒に語ってるようなものだと思う。

ホラーは、特に心霊モノだと、ぶっちゃけ四谷怪談や番町皿屋敷の頃からほとんど形は変わってなかったりします。
西洋の心霊ホラーは割と「怪物・悪魔が出てきて、それを退治撃退する」というのが主ですが、日本の場合は「得体の知れない何かがひたすら怖がらせてくる」というもので、このジメジメ感がジャパニーズ・ホラーと言われる所以ですが、逆を言うと、まあ、ぶっちゃけ「怖がらせてくるだけ」で、何も解決しなかったりもします。
つまり「恐怖演出」に特化していて、物語していないモノもしばしば見られるほど。
これは個人的な見解だけど、おそらく日本のホラーはもともと物語ではないからですね。
四谷怪談は落語だし、番町皿屋敷は歌舞伎です。
「怖い」という演出に特化させる噺で、ストーリーを楽しむ物語ではないんですよ。
なので物語的に「解決」する必要がなくて、その恐怖演出を受け継いだのが日本のホラーになってると思います。
小説の場合、それだけでは文字通り話にならないので、サスペンス的要素を加えたりミステリ要素を加えて、そのサスペンスなりミステリなりを解決してホラー要素は解決させないまま、というのがよく見られると思う。

小説というくくりで言えばサスペンスやミステリ要素を加えてるあたり四谷怪談の頃から変化していると言えばしてるけど、ホラー部分でくくるとほぼ変化してないです。
震災が理由で変わるかも、という話であるので、江戸以前からある番町皿屋敷が関東大震災・二度の世界大戦以降も変化してないことから、おそらく今後も大きく変わることはないでしょう。
ただ、落語から小説へと媒介が移ったことで適切な表現方法へと変化しているのは確かですから、Webが流行ってる昨今、ホラーの形式も変わるかもしれないとは思っています。
ーーとはいえ、Webで言えばもう10年以上前から洒落怖などSSで掌編が書かれてますから、変わるとしてもそうした短い中で恐怖が伝わるホラーという形ではないかなと考えています。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ホラーについて ほんとうにこわいもの

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元記事:物書きへの適正について

当方自分は文章を書くのに向いてないと思っています。
理由はだいたい二つ
1) 何事にも無感動、無感想
作文を一行未満で完成とし、講義の感想?を書けといわれて30分以上居残りさせられるような人間です。無論読書感想文は鬼門、正直一人で書き上げた覚えがないです。
2) 対人能力の不足
当方中学卒業後はネット環境を含めても交友関係がほとんどありません。そもそも人の気持ちをうかがうこと・空気を読むことがまるでできず、弟の同級生が亡くなった際、その人が長期入院中だったと聞いて『どうせ誰も覚えていない』と発言するほどです。
他に、他人とはだいぶ違った思考をする点(例えば好きな人に値段をつけてといわれれば10円だか50円だかという安値をつけたり、怖いものと聞かれてペストと答えたり)も挙げられるでしょうか。
国語自体は答えればたいてい当たるほどには得意なのですが、こんな人間はアイデアをプロット投稿板に投げて他人頼みにするほうがいいんでしょうか?
それとも意地と執念だけを頼りに自分で書くことに挑戦した方がいいのでしょうか?

上記の回答(物書きへの適正についての返信)

投稿者 甘粕 : 0 投稿日時:

ここで適切な言葉選びが出来ているのだから、まあ創作能力はあるのだと思う。
作家というのは、変わり者が多いので
気にしなくてもいいのではと思います。

文章を書くのに向いてない、と
自分で決めつけてしまうのは悲しい
(私も自罰感情に左右されるとそうなるが)

自分はちょっと自信があるのだと
思い込むくらいで書くと上手くいくのではないか。

問題としては些細な事である。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 物書きへの適正について

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元記事:物書きへの適正について

当方自分は文章を書くのに向いてないと思っています。
理由はだいたい二つ
1) 何事にも無感動、無感想
作文を一行未満で完成とし、講義の感想?を書けといわれて30分以上居残りさせられるような人間です。無論読書感想文は鬼門、正直一人で書き上げた覚えがないです。
2) 対人能力の不足
当方中学卒業後はネット環境を含めても交友関係がほとんどありません。そもそも人の気持ちをうかがうこと・空気を読むことがまるでできず、弟の同級生が亡くなった際、その人が長期入院中だったと聞いて『どうせ誰も覚えていない』と発言するほどです。
他に、他人とはだいぶ違った思考をする点(例えば好きな人に値段をつけてといわれれば10円だか50円だかという安値をつけたり、怖いものと聞かれてペストと答えたり)も挙げられるでしょうか。
国語自体は答えればたいてい当たるほどには得意なのですが、こんな人間はアイデアをプロット投稿板に投げて他人頼みにするほうがいいんでしょうか?
それとも意地と執念だけを頼りに自分で書くことに挑戦した方がいいのでしょうか?

上記の回答(物書きへの適正についての返信)

投稿者 ふ じ た に : 0 投稿日時:

書かれた文章を読みましたが、とても分かりやすかったですよ。
結論→理由と流れていて、何を言いたいのか伝わりやすかったです。
この分かりやすさっていうのは、エンタメ系の作品を書くには向いていると思いますよ。

このように、欠点だけではなく、できる点や良い点も考えて、
文章を書くのに向いてないと判断する必要があるかなぁと思いました。
また、欠点があっても、本人のやる気次第で、
年単位で時間を掛ければ直る場合もあるので、
それだけで向いてないとは判断しにくいとは思います。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 物書きへの適正について

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元記事:作者の情報が流出しないようにしたい

やや気の早い話ではあるかと思うのですが、例えば自分が死んだり、あるいは(何かやらかすつもりはありませんが)逮捕されたりした場合、自分の本名や性別や職業や病気や家族関係などの情報や、書いていた作品なんかも公開されてしまう訳ですが、もしある作品を作っていたとして、その作者の情報が公開されてしまった場合、例えば異世界転生のハーレムものの作者が死亡して、その人物が50代の独身だった場合は「ああ、欲求不満で書いてたんだな」などと変な推測をされ、作品が“そういう目”でしか見られなくなるし、(特に現実から離れることをウリにしているなら)読者が夢を見る邪魔になるだろうし、誰も得をしない訳です。

人工言語の作者が人を殺した事件があるそうですが、自分もそういうことがあるような創作物にはあまり触れたくないと思うし、少年漫画やSF小説の女性作者が男性を名乗っていたりとかいうのを聞くと、「みんなそういうのは気にするんだな」とそう思ってしまいます。
また、特に男女の違いは歴然だと思っていて、女性を名乗る作者の書いた地の文というのは頭の中では女性で再生されるし、キャラクターの一人が「女(男)に生まれてよかった」などと口にしているのをみると、「これは女(男)が書いてないと批判が来るだろうな」などと思ってしまいます。

こういうことは良い悪いの問題ではなく、誰でも意識するものと思っていて、何かあった時に作者の個人情報などが公開されてしまった場合には、読者はその経歴や社会的な立ち位置などを気にせざるを得ず、それによって作品の見方が変わってしまうのだと思います。

芸術というのは一人一人の見方があってしかるべきだと思うのですが、それでもそこから作者の事情が(無意識にとはいえ)憶測を受けてしまうのは良くないと思うし、何より作者が「作品」として与えた範囲を超えた情報が意図せず含まれてしまうのは、それは芸術とは違うのではないかと思う人もいると思うのです。

そこで、何かあったときに作者の情報が流出しないようにしたいのですが、それはどうしたら可能でしょうか。

自分で考えた手段としては、

・誰かと一緒に作っているとして、自分はほんのアシスタントにすぎないとする
・誰かから聞いた話を再構成しているとする

というのがありますが、いかがでしょうか。何か詳しい方法などありますでしょうか。

上記の回答(作者の情報が流出しないようにしたいの返信)

投稿者 にわとり : 0

>その人物が50代の独身だった場合は「ああ、欲求不満で書いてたんだな」などと変な推測をされ、作品が“そういう目”でしか見られなくなる

 そんなものは下衆の勘繰りでしかない。あなたは『こういうことは良い悪いの問題ではなく』と言いますが、違います。これは良いか悪いかの問題であり、悪いことです。
 最近だとあまり聞かないけれど、昔はよく"映画などで悪役を演じた俳優や女優が嫌がらせを受けた"とか"私小説風の文体でインモラルな小説を書いたら心配した知人から電話がかかってきた"みたいなひどい話はあったわけで、作者(出演者)と作品とのあいだにちゃんと線を引かないとろくなことにならないんですよ。
 もちろん作家にもプライバシーはあるから、素性を知られたくない気持ちは尊重されるべきだし、ペンネームでキャラを作ってロールプレイングするのも面白いとは思うけれど、だからといって、作者と作品を単純に同一視してしまうようないわゆる"厄介読者"の目線にそのまま迎合してしまうのは違うと思うんだ……。

>・誰かと一緒に作っているとして、自分はほんのアシスタントにすぎないとする
>・誰かから聞いた話を再構成しているとする

 それっていわゆる"ゴーストライター"ってやつでは? それはそれで倫理的な問題があると思うけど。たとえば極端な場合、作品が盗作などで炎上したとしても責任をなすりつけて名前を出さずに逃げられちゃうわけでしょ?

 そもそもの話として、匿名を貫く(=作品と自分自身を徹底的に切り離す)っていうのは作品に対して責任を取らないこととニアリーイコールだからあんまり著作者の態度として褒められたものではないんだよな。覆面作家はべつにいいんだけど、逮捕された場合まで個人情報を流出させたくないっていうのはそういうレベルを超えている。記事の信憑性の担保や、今後の防犯のためにな実名報道を含む犯罪者の身辺情報の報道ってある程度は必要だし、作品イメージを崩したくないとかいう個人のわがままで押し通せるような状況じゃないよそれ。

カテゴリー : その他 スレッド: 作者の情報が流出しないようにしたい

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投稿日時:

元記事:ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

SFが「嘘っぽくない」ようになるため、あらゆる論理性によって本当のように見せているのに対し、ファンタジーはそもそもそうした努力をしているのでしょうか。

ファンタジーの「嘘っぽくなさ」は、おそらくは形相によって保障されています。
つまり、石を削って彫刻を作る際には、その目的としての対象が存在しているのであって、作者が想像したり、観客がそれを見たりする以前からそこに存在し、作者はいわば観測者に過ぎないという考えです。
であればSFもまた、このような作り方でもいいはずです。「未来少年コナン」が「あり得ない動作を現実の動作の延長のように見せることで本当のように見せている」のは何故でしょうか。

SFがこのような手法を取る理由としては、たとえば読者に「自分にもできるかもしれない」「もしかしたらあの時こういう結末になっていたかもしれない」といった同一化を生む機能や、主人公の行動パターンを論理的にすることによって、推理に合理性を与えたり、あるいはその社会が持つ限界を明らかにして風刺等を行ったりする、といったことが考えられますが、そうした理由がなくとも有名なSFでこの手法を使っているものは少なくないように思えてなりません。

また、ファンタジーの方としても、ある部分はそうしたSF考証を行うことで「嘘っぽくない」ように見せながら、またある部分では、読者や視聴者には明らかに嘘であると明らかなものを見せることもあります。「精霊の守り人」において、序盤から幻想的な世界観が広がっており、読者にもこれが虚構の世界であると理解されますが、中盤には文化人類学的な「類感魔術」の要素が入っています。これらの描写の違いを決める線引きは何でしょうか。

さらに言えば、作品が本の中の出来事であると改めて明示することもあります。M・エンデの作品は言うに及ばず、絵本に描かれるファンタジーなどもそうです。ファンタジー以外でも、「この世界の片隅に」などは鉛筆を使った描写やコマが紙のようにめくれる手法などによってそれがなされています。これは一見、読者が作品から現実世界へと引き戻され、「嘘っぽくなさ」としても「形相」としてもマイナスの効果になると思うのですが、実際にはどのような効果を狙ったものでしょうか。

上記の回答(ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。の返信)

投稿者 ごたんだ : 0

フルタイプだとか、ファンタジー伊勢海とか、空気のようにラノベやマンガはそれを表現するのに適してます。
もしかしたら、二次元人は本当にマンガの判子絵に近い姿をしているのかも知れませんね!
ダイバージェンス値でも近いのでしょうか?

楓の盾では、ゲーム感を出す為の演出の方が難しいようで、定期的なNPC的なゲームイベントを手っ取り早くクリアします。
なろう的更新ペースを維持するテクニックでもあると思いますし、
個人的にはNPCをCGにする演出もあったことかと思います。

ラスダンに拾われた女子では、一秒に満たない演出で獸人娘四人が尻尾を握りながら寝ています。

獸人娘四人でスピンオフ出ねぇかなぁ…

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

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投稿日時:

元記事:okなのかNGなのか知りたいです。

想像は少し出来ますが、書こうとなると頭が真っ白になり書けない者です。何年も前の作品があるんですが私はその作品が好きで文体と文章を真似したいと思ったのですが、調べてみるとNG?でした…。やはり、お金をかけて学ぶべきでしょうか?分かりづらい質問ですみません!回答貰えると嬉しいです!^ ^

上記の回答(okなのかNGなのか知りたいです。の返信)

投稿者 t : 0

>3人の作家を真似すれば自分のオリジナル文章になると書いてあったのですがこれは文体の事を指しますよね?

文体ですね。
これは経験則ですが、最初から小説っぽい文章を自分のセンスだけで書けるような人は、1年に1回出会うか出会わないか、まずいないと思ってもいいレベルです。
そしてそのような人達は小学生低学年の頃からの習慣で、すでに何百冊と本を読んでいたり。本が好きすぎて1~5年の間ノートに向かって誰にも見せない自分だけの、一大スペクタル長編を書いていたりします。何千時間と積み上げてきたものがあるので、だから上手い文章が書けるのもの納得です。

私もそうでしたが、普通は文章が書けなくて苦労するところから始まります。どう書いていいか分かりません。無理に書こうと思えば書けますが、自分でも何か違うんだよなぁと分かっている文章を人に読んでもらうのは感想も含めて、大変です。(※それでも感想は貰った方がいいです)

最初に小説の文章が書けないところで挫折してしまう人が一番多いと思います。
これらの問題を解決する一つに作家の文体を真似する方法があります。
教科書を決めて、自分で文章を書くために必要な地力をつける練習です。

例えば、プロの作品を教科書としそこに書かれている文章をノートに手で書いて、模写します。
どれか一つ教科書を選べといわれると普通は有名作品を選択します。

作家の文体を真似するという発想は別に新しい方法でもなんでもないので、同じようなことを考える人は大勢いて。
例えばA作家とB作家とC作家もしくは、
A作品B作品とC作品の良いところだけを合わせて、自分がD作品を作れば、ABCの作品より売れるもしくは人気がでるのではないか。このように考える人は大昔から一定数います。

1つの有名作を教科書にして文章の書き方を学んでも、結構な確率で元ネタを言い当てられたりします。そこで3人混ぜればバレにくいよ、文体も時代にあわせて変化させやすいしみたいな……。
ただまぁ、
その作品が教科書になって長く付き合っていくことになるので、大変な場面も結構あるのと。
これをやったからといって物語が作れるかどうかは違う話で、
世間やネット記事たびたび目にする文章力や文章の多くは、物語を作れる力の方の文章力です。
文章力とだけ書いてあるので普通は2種類あるなんて気づきません。

>文章となると盗作になってしまうので自分の力で書くしかない
私は教科書を参考にしながら、どうしても難しいところは10文字だけとか、真似しながら書いていました。これは誰にでもあてはまることですが、文章は書いていればそのうち上手くなります。

文章を書くときは、最初はなんとなくでいいんです。
こんな場面が書きたいなぁ、なんとなくその雰囲気が伝わればいい。
そのなんとなくの文章が最初はでてこないので教科書を参考にしながら、教科書ならこの場面でどういう文章つけるかなーというのを書いていく。なんとなくそれっぽい文章を書きながら、探り探りやっていると、そのうちリズムが分かってくる。

誰にだって最初はあります、とにかく書いてみましょう。
どれだけ知識もためこんでもこればかりは、書かないと書けるようになりません。
最後に一つ付け加えるなら、楽しみましょう! 

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: okなのかNGなのか知りたいです。

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