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戦闘シーンにおけるスタンドプレーはそんなにリアリティーが描写なのかの返信

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戦闘シーンにおけるスタンドプレーはそんなにリアリティーが描写なのか(元記事)

どうもお久しぶりです。如月千怜と申します。
今回はバトルシーンの構成に関する疑問を質問させて頂きます。

本スレッドは以前のスレッドに書きこみをされた回答者の方が発端となって立てることになったスレッドです。
まず先に断っておきますが、私には回答者様及び提供していただいたご意見を糾弾する意図は一切ございません。
ただ納得できない描写への疑問を解決したいだけなのです。ですので「まだ根に持っているのか」などと言ったご意見はなるべく避けるようにお願い申し上げます。

まず私はどんな作品でも基本的に強い主人公が好きです。
前作の主人公は非戦闘員でしたが、代わりにヒロインがとても強く疑似的に彼女が主人公になっていました。
今回の主人公もかなり強いものを想定しております。
ただ頂いたプロットの中ではこういった記述がありました。

>>基本一匹狼で戦うのが性に合う主人公は個人戦での戦績は目覚ましいものの、チーム戦は苦手でそちらの方は芳しくないため実は学園での総合成績はそれほど高くない。(チーム編成は一学年ごとに可能で、今まではぎりぎり落第しないレベルで何とかチーム戦をこなしてきた)

私はこの記述に対してかなり強い疑問を感じています。
というのも私の書く戦いは主人公のスタンドプレーが戦況を好転させるものが多いからです。
私は「強い奴(この場合は主人公)が前に出て暴れるだけでザコの集まったチームは何もできずに負ける」というのがチーム戦のセオリーだと思っています。
これが実現できずに負ける状況ももちろんあるのですが、かなり限定されていると思うのですよね。
個人的には下記の状況が強い奴が実力を生かせないで負けるパターンだと思います。

1.明らかに足を引っ張るような弱いチームメイトがいる。
2.体調のコンディションが不調で全力を出せない。
3.相手チームの連携力が極めて優れているor相手チームの司令塔が極めて優秀。

ただ1に関しては誤射とかで負けたとかなら一応納得はできるのですが、それが起こらなければスタンドプレーで全然覆せるピンチです。
2に関してはやはり敗因に直結するものだと思うのですが、そういう日はそもそも見学させられるのが妥当です。
最後の3に関しては相手の能力に依存するポイントです。確かに相手チームが優秀ならスタンドプレーで切り崩すのは難しくなります。
ただこの授業をいつも同じチームで戦うと仮定すると「優秀な相手チームが優れたメンバーだけを集め、主人公は弱いチームメイトと組まなければいけない」という状況は教育の場として明らかに不公平すぎると思うのですよね。
私の学生時代の体育の授業で球技は勝率がなるべく平等になるよう別のチーム編成でやらせるものでした。
この方はいつも同じチームメイトと組む前提でプロットを組んでいるので、まずそこが重大な疑問なのですよね。(しかもその想定じゃないとシナリオが成り立たないというジレンマがあるという……)
だから3の状況も落第に直結するレベルで影響させるのは難しいと思います。

ただ上記の結論は、私の想定が100%正しいと仮定した上で成立するものです。
このような提案をした方がいるということは、私の想定が間違っている可能性もあるのですよね。
私のスタンドプレーに対する持論は皆様からしたらそんなにおかしいものなのでしょうか?
そちらに対してご意見を聞かせてください。

戦闘シーンにおけるスタンドプレーはそんなにリアリティーが描写なのかの返信

投稿者 ヘキサ 投稿日時: : 2

どのジャンルらへんの話のなのかさっぱりわからないんですけれど、とりあえずリアルの話いきます。

他の方にも書いたことがある話ですが、ノンフィクションで傭兵体験をした方の著書によれば「若く充分に体力があり、英語(共通語)が堪能で仲間との意思疎通がはかれること」が重要条件で「条件に満たなければ仲間の迷惑になるだけなのでやめておけ」だそうです。

つまり、主人公がコミュ症なのは実はけっこう致命的なんです。確かスラムダンクでは、時期尚早で海外留学した弟子の生徒がが、語学を学ばずチーム内で孤立している空気を安西先生が感じ取ってその事態を憂慮しています。

あとは、「一人で複数のザコを撃沈」ですが、そもそもこれ自体がリアリティがないです。
数の暴力は偉大です。いちおうFEARゲーでは「ザコランクは攻撃宣言のみで全滅可能」つまり、「一騎当千」の無双ゲームに近い扱いになっています。そして、日本の時代劇の殺陣も伝統的にそのウソをいかに嘘っぽく見せないか、「敵がいかに主人公を殺さないように、手を抜いていないように見せられるか」そこに注力しています。「プロレスはエンタメ」という概念も近いかと思いますが、いかに「派手に見せるか」に重きを置いています。

ですが、ボードゲーム、ウォーゲームに端を欲するD&Dやガープス、およびロードス島戦記やソードワールドのような初期のSNEゲーは、原則「ターン制」で、一人一行動が確保されています。チェスや将棋からの伝統でして、つまり、人数が多ければそれだけ手数も多い。これは戦争が基本的に消耗戦で、どちらの勝敗が決まろうともそれなりの犠牲者は出る、ということを象徴しています。このタイプは「複数に囲まれるとそれだけ判定にも追加修正が入り厳しくなる」ことが多く、雑魚の数を甘く見ていると後悔するタイプのゲームです……。

もちろん、地形をうまく利用して接敵部分を減らすことで、多数対少数に持ちこませない戦術をとることもできます。ですがそのための意志疎通がチーム内でとれていなければ、そのフォーメーションに持っていくことはできません。

そういう可能性もあることを考えず、自分一人だけで先行し相手チームを倒していれば、おそらく勝利していても教官からの評価点は低いでしょう。よく軍則で「勝利していても命令違反は厳罰」と言われる所以です。
それはチームメイトにも伝わります。「こいつ(主人公)は、自分達を信用していない」のが見え見え、という状態。

一人でできることには限界がある。例えばですが、先程のリアルの傭兵体験などもですが、原則見張りなどは二人一組であったりします。「その人が見逃がしたら・失敗したらおしまい」という状況はつくらせない。

やや脱線した話ですが、以前コミケの売り子を頼まれたことがありますが、その理由が「一人だとお手洗いにいけないから」でしたww純粋に人手が二倍になるって、ものすごく重要なことなんですよ。

だから、学校がチームプレーのできる人を育成しているんなら、「一匹狼」って要注意ですね。シーフ、ニンジャなどの斥候役はまた基準が違ったりしますが、あれは最初に死ぬ覚悟で任務をこなす人たちのことですので。だから花京院は他の人より先に死ぬ人なんだってば……

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