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エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか? (No: 1)
スレ主 兵藤晴佳 投稿日時:
エンタメラボ記事より。
シェイクスピアはマクベスなど、悲劇の名作をたくさん残していますが、当時のイギリスは黄金時代と言われるほどの好景気の時でした。
こういう時代では、悲劇が好まれます。
あれ?
木下順二は、岩波文庫の『マクベス』あとがきで、真逆のことを書いています。
シェイクスピアが四大悲劇を書く前ごろから、世の中が変わってくる。
(喜劇)『ヴェニスの商人』が書かれた頃のような初期資本主義の矛盾が出てくる頃になって、シェイクスピアは暗くて難解だが深く、見る者の中に直接訴えるような作品を書き出した、と。
ラノベの傾向って、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?
むしろ景気を意識するなら、暗い時代こそ真面目に考える要素があってもいいんじゃないでしょうか?
カテゴリー: 創作論・評論
この質問に返信する!エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信 (No: 2)
投稿日時:
私も思うところがあるのでコメントさせていただきます。
不景気な時こそ、不運な主人公が頑張って不景気の源を断つような話が流行ると思います。
というか、ラノベの傾向は景気の良し悪し関わりなく、多種多様な需要に満ちているので、何を書いても面白ければそれなりに流行ると思います。
日本のエンタメの良いところは良くも悪くもニッチな世界にあると思います。
なので、考えるのであれば、経済のみならず社会が今どのような状況に置かれていて、大多数の読者は何を求めているかを考えるべきでしょう。
シェイクスピアに関しては良い例で、当時の民衆は王宮に興味がありました。自分たちの干渉し得ない、世界で一体どのようなことが行われているのか、きっと、素敵な舞踏会やラブロマンスがあるのだろう、と予想を巡らせていたはずです。
そこに、シェイクスピアが民衆の娯楽として普及していた演劇を介して、王宮のリアルな悲劇を書いたことで流行ったのです。
暗い時代も明るい時代も、人は経済を真面目に考えるべきでしょう。しかし、それと娯楽の関連性は希薄です。
なぜなら、流行る作品というのは、読者の求めてるものと、技量のある作者の書きたいものとが合致し、更に素晴らしいマーケティングをなされた作品のことを指すのでしょう。
偉そうに私見を述べてしまいました。
深夜テンションで失礼しました。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信 (No: 3)
投稿日時:
シェイクスピアに関しては良い例で、当時の民衆は王宮に興味がありました。自分たちの干渉し得ない、世界で一体どのようなことが行われているのか、きっと、素敵な舞踏会やラブロマンスがあるのだろう、と予想を巡らせていたはずです。
そこに、シェイクスピアが民衆の娯楽として普及していた演劇を介して、王宮のリアルな悲劇を書いたことで流行ったのです。
以上の根拠は何ですか?
出典があれば教えてください。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信の返信 (No: 4)
投稿日時:
正確な出典は分かりません。
YouTubeでシェイクスピアの特集のテレビ番組? みたいのがあったので観ました。番組内でそのようなことを言っていました(私の記憶が確かなら)
恐らく、BSかNHKの番組だと思います。不確定な情報ですみません。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信 (No: 5)
投稿日時:
わからんでもないですが、締め切りのあるプロはある程度考慮するかもとか。私はまだ執筆ペースが安定してないので、時流に合わせることがそもそもできないっていうか。その後別メディアに移植するとかやるとどんどん時間経っていくので、流行りに合わせる気があんまりしないですな~。
ただ日本の平安時代・江戸時代で妖怪ものが流行ったのは生活に安定感があったから、という説は少し信じてたり。そもそも日本はガラパゴスなんで、平安時代は遣唐使やめて国風文化が育った、江戸時代は鎖国して町人文化が育った、とか、好きな時に外界との接触を断って引き籠れたのでなんていうかすごい独特なんですよねー。
江戸時代の識字率の高さに外国人は驚いた(西欧では40%くらいが最高水準だったのに寺子屋のおかげで90%近くあったとか)し、平安時代に源氏物語とか、フランス近代小説レベルの読み物ができたりとか。西洋や中国などでは戯曲などの大衆娯楽の形式をとっていましたが、アメリカは映画が大衆娯楽の代表だし、文字のみの媒体に対する食いつきの違いを感じる……ような気がしますな。
あと浮世絵、漫画みたいなデフォルメや洗練が必要な作業も上手いっていうか。ちなみにアメリカでは漫画は「ムキムキのマッチョが全身タイツでなんかやってる子供の読み物でしょ?と思ってたけど日本の漫画読んでカルチャーショック受けた」という人もいるらしいですな。クールジャパンってそういうことかーって感じ。
最近は収益を考慮して、海外進出を狙ってる作品は多いようですね。ブリーチ・ナルト・鬼滅の刃あたり、キモノ・カタナ・サムライ・ニンジャあたりを意図的に取り入れているものもあるようです。ただあんまりに海外を狙い過ぎてアニメーションがディズニーチックのヌルヌルした動きになって(日本は止め絵を多用するので静と動のメリハリがあるが、海外では不評なことも)逆にスベって不発に終わってるようなのもあるようですが。
コラムにもありましたが「好きなものを売れるように書く」目指したいけどまだまだ道のりは遠いなぁ……
ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン
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エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信 (No: 9)
投稿日時:
お返事ありがとうございます。
いつの時代でも読者の年齢層が求めているものが、必ずあるはずです。
それをきっちり押さえていれば、流行に乗らなくても共感は得られるんじゃないかと思います。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信 (No: 6)
投稿日時:
全然歴史やシェイクスピアの知識がないけど、興味を持ってみたので、ネットで調べてみました。
シェイクスピアは 1564年から1616年までご存命だったようですね。
劇作家として1592年から1613年までウィキペディアによると活躍されていたそうです。
その時代は、どういう感じだったのかな?って疑問に思ってイギリスの歴史をネットで調べてみました。
以下のサイトを参照いたしますと、
「世界史の窓」
https://www.y-history.net/appendix/wh0601-114_1.html
エリザベス1世からジェームズ1世の治世だったみたいですね。
絶対王政の全盛期だったけど、財政難だったみたいで、経済的にはよくなかったみたいですね。
あと、「初期資本主義の矛盾」ってなんだろうって疑問に思ったので、これまたネットで検索してみたところ、私ではよく分かりませんでした。
あいまいで申し訳ないんですけど、資本主義によって起きる貧富の差の拡大とか、労働問題とかでしょうか?
また、「シェイクスピア 景気」で調べてみたところ、
以下のサイトを見つけてさらっと読んでみたんですが、
「シェイクスピア時代のパンデミック 福田京一様」
https://www.romanticism.jp/archives/1480
現在はコロナですけど、当時はペストだったみたいで、シェイクスピアの時代でも流行っていたみたいですね。
この記事によると、当時の貧民層は大変だったみたいですね。
このあたりまで調べて、やっとスレ主様の疑問に共感できるようになってきました(ごめんなさい)。
ただ、このサイトで書かれていますが、
(引用はじめ)
「ペスト禍への言及が彼の作品に多くないのは、観客にわざわざ凄惨な生活状況を思い起こさせるのではなく、儚い人生の一瞬を楽しませるのが観劇の目的であったからだろう。言及するにしても軽く触れる程度で済ますのは、死を無視したからではない。むしろ感染による死の恐怖が、生の喜びを強調する方に反転したと考えるべきだろう。」
(引用おわり)
今年、エモい系の小説が投稿サイトで特集されたことがあったので、悲劇でもそれと同じジャンルなら現在でも受け入れられそうな気がしました。
何も知識がない人間が調べてみたので、間違っていたら大変申し訳ないですm(__)m
何か参考になれば幸いです!
ではでは失礼しました。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信 (No: 7)
投稿日時:
ご質問にして、ご主張でもあるようですが、違和感を感じます。問いの立て方自体が危ういんじゃないでしょうか。もう少し分析すべきでしょうし、そんな細かいことを気にすべきかどうも考える必要がありそうです。
以下、少し説明を試みたいと思います。
1.シェイクスピアの分析は正しいのか
シェイクスピアって、悲劇も喜劇も書く、幅広い作風の有名作家であるわけですよね。しかも、昔の人でありながら、作品は今も名作とされるものが多々ある。時代に乗ることが重要で、旬の大事さなんてことを言われる現代エンタメ作品とは、事情がだいぶ違うんじゃないかと思います。我々は今受けることを狙っているのであって、百年後に名作と呼ばれるものを作ろうとしているわけではないはずです。
また、異なる2人の異なる分析を単に並べて相違を言い立てても、あまり意味はないんじゃないでしょうか。別の知っている例を出しますと、例えばチンギスハーン。大帝国を作り出した英雄と評する向きもあれば、ある歴史解説書では、オアシス国家群を結ぶ水路を破壊して、東西の通交を分断したこと等を以て「世界の鼻つまみ者」と呼んでいるのを目にしたことがあります。
これを「英雄なの? 鼻つまみ者なの?」と問うても意味はないでしょう。各々の評は、別の人が、別のコンテクストを以て、別の判断をしているに過ぎません。こういうのは「人それぞれ」と言うべきであって、矛盾等ではありません。
2.お示しの2つの見解はどちらかが間違いなのか
それでも、お示しの2つの見解を考えると、それらは相矛盾しているのでしょうか? 初期資本主義はおおむね重商主義時代です。産業革命が始まる前に盛んになり、工業化に伴って近代的な資本主義に移っていきます。
ですので、経済的には勃興期と考えていいでしょう。イギリスはヨーロッパでは最後に成功を手中にしただけに、少なくとも20世紀に入るまでは右肩上がり、と大雑把にとらえてもよさそうです。
初期資本主義が勃興していくということは、経済的に発展することではあるんですが、資本主義の負の側面も増大すると考えていいでしょう。例えば、労働者が搾取される事例、歴史はよく知られるところです。欧米を追った日本ではいずれ「女工哀史」なんてことになったりもしました。
経済的発展と社会的矛盾は同時に出てくるわけですね。ですので、お示しの2つを統合するとすれば、例えば、
「 シェイクスピアはマクベスなど、悲劇の名作をたくさん残していますが、当時のイギリスは黄金時代と言われるほどの好景気の時でした。こういう経済右肩上がりのイケイケ時代では、対照的な悲劇が好まれます。
しかし、シェイクスピアが四大悲劇を書く前ごろから、社会の様相も変わってきます。(喜劇)『ヴェニスの商人』が書かれた頃、初期資本主義の負の側面もあらわになってくるようになって、シェイクスピアはそこから暗くて難解だが深いものを読み取り、見る者の中に直接訴えるようなリアリティも作品に加えるようになりました。」
と捉えることも可能です。もちろん、このように統合するのがいいということではなく、対照的な見解として、自分が作品を書くときにはどっちの路線で行くか、と考えるのも有用でしょう。ですが少なくとも、「矛盾しているからおかしい」という思考に進むとしたら、あまり益がありそうではない。
3.エンタメフィクションの旬は世相と逆張り
自分が現時点で採用している方針は「作風、題材は世間にあまりないものにする」です。世間的によく見るようなこと、ものを題材にしても、ありきたりになりがちです。ぱっと注意を引けるものは作りにくい。世相と逆張りしますと、珍しいものにしやすく、目を引きやすい。
例えば、福沢諭吉の1万円札を誰かに見せても、「ふーん」でしかないですが、聖徳太子の1万円札を今見せたら、「なんだそれ?」「まだあったんだ!」みたいな反応になりますよね。もちろん、聖徳太子が1万円札現役だった頃だと、聖徳太子の1万円札は「ふーん」扱いです。福沢諭吉に切り替わると、しばらくは「これが諭吉の1万円札か!」と興味を持たれました。
4.リアリティは馴染んだもので出す
その一方、「リアリティは細かい点で出す」です。細かい点では身近にあるものを使う。映像作品ですが、庵野監督は未来が舞台の作品でも、ドリンク、スナック菓子、ゲーム機等々について、制作時点で実在するものを克明に模し、いかにもそこでキャラに生活があるようなリアリティを演出しています(しかし、ずっと後で見直すとレトロに感じてしまったりもする)。
正確さを期すなら、小道具も未来にありそうなものを想像して描くべきかもしれません。しかし、それだと観客が「これはなんだ? あれは何?」となってしまいかねません。自然に引き込むには不利となります。ですので、細かい点では今あるものを使う。
上記のお示しの2つをまとめたものも、そういう考えで統合してみたものです。方向性等の大枠なものは世相にないものを採り、キャラクターの身近なことは観客にとって身近なものを使ってみる。簡潔に言い換えれば「大きな嘘を小さい真実で飾って誤魔化す」です。
5.景気は世相の指標の1つでしかない
大枠(作風、題材等)では世相と逆と申し上げました。しかし、「世相」ではちょっと曖昧でどうしていいか分かりにくい。もう少し具体的な指標として「景気」があるでしょう。景気が上向く時期には、細かいことが気にならず、将来にも希望を持ちやすい。ではフィクションでは逆張りして悲劇、というのは作者の戦略の1つとしてアリでしょう。しかし景気が根っこだと思うと間違います。気にするのは不特定多数の人々の気分、特に自分がターゲットとする読者層の気分です。
6.失礼ではありますが質問返し
以上、一応の回答をしたうえで、お尋ねしたいと思います。
> ラノベの傾向って、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?
これは質問文ながらスレ主さんのご主張と思われますが、なぜそう思うのですか?
> むしろ景気を意識するなら、暗い時代こそ真面目に考える要素があってもいいんじゃないでしょうか?
これも、そうお考えになる理由をお尋ねしたいと思います。
さらにお尋ねするとしたら、「なぜそんな細かい点が気になるのですか?」も疑問としてはあります。そんな細かいことに結論を出したとして、何か得るものはあるんでしょうか。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
簡単に言えば、「景気との逆張り」の具体例としてシェイクスピアの四大悲劇は不適当ではないかということが言いたかっただけです。ずいぶんといい加減なことを書いてくれるなあと思ったもので。
「イケイケ」のときに好まれるから四大悲劇が次々に書かれたわけではないでしょう。本当に「イケイケ」だった頃にはむしろ、その頃に書かれたハッピーエンドの『ヴェニスの商人』がウケただろうと思います。
むしろ、木下順二が述べているように「世の中が濁ってきて明るい見通しが持てなくなっている」のを感じ取ったからこそ、それを反映させた四大悲劇が書かれたと考えた方が自然ではないかと思います。別に名作を書こうとしたからではなく、そっちのほうが観客にウケるだろうという理由で。
おっしゃる通り、肝心なのは読者層の「気分」です。
第二次世界大戦で破壊されたパリの街で大爆笑を誘った『ゴドーを待ちながら』も、アメリカのマイアミビーチでは
不評でした。これも「気分」の違いといえるでしょう。
さて、挙げた具体例が適当ではなかったのですから、ラノベの傾向を景気と逆張りさせたほうがいいという主張には疑問符がつきます。たまたまこの10年間くらいにその傾向があったとしても、次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。
それならば、「次に何がくるか」考えてあくせくするよりも、敢えて直球を投げた方が建設的なのかもしれません。
ここでいう「直球」とは、世界の在り方や自分の生き方といった、いつの時代でも考えざるをえない問題です。
ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片ではなく、こういったものにほんの少しでも向き合わせてくれる要素を、ライトノベルの読者も本当は求めているのではないかと思います。
それを探し当てて作品として送り出すことで、作者が得るものも大きいのではないかと思います。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信の返信 (No: 10)
投稿日時:
まず、考える視点が間違っています。シェークスピアについて申せば、シェークスピアが書いたことが重要ではありません。作品が受けたことが大事なわけです。書き手ではなく読み手主体で考える視点からブレるべきではないでしょう。
もう1つ。何かしら「例外は認めない」みたいな思考があるように感じます。創作は確固たるセオリーはありません。こうすれば必ず面白くなる、なんて手法は知られてません。事例とコツがあるのみです。
ことわざでも正反対のものがよくありますよね。石橋を叩いて渡る、もあれば、断じて行えば鬼神もこれを避く、もある。どっちが正しいかは判断できない。ことわざを用いる人が、適したものを選んで使ってみるしかないわけです。
ほぼ一文ずつ、説明しつつの再回答を致します。
> 簡単に言えば、「景気との逆張り」の具体例としてシェイクスピアの四大悲劇は不適当ではないかということが言いたかっただけです。
これはスレ主さんの言いたいことであり、問題はありません。
> ずいぶんといい加減なことを書いてくれるなあと思ったもので。
これは説明を要するでしょう。参考にならないと思えばスルーすればいいわけですが、なぜしなかったのでしょうか。反論したくなった、ということは、カチンとくるものがあったわけです。その「カチン」は自分の何に当たったのか。せっかくのチャンスを生かしておいでではないようです。
> 「イケイケ」のときに好まれるから四大悲劇が次々に書かれたわけではないでしょう。
そうですね。いろいろ書いたでしょう。その中で悲劇については4つほど、後世に残るほど受けたものがあるわけです。シェイクスピアは謎のある人です。受けないものもあったかもしれません。むしろ、あったはず、と考えたほうが無難でしょう。受けなかったら消えるのは昔も同じでしょう。
繰り返すようですが、書いたことが重要ではない。受けた作品が何かが重要なわけです。
> 本当に「イケイケ」だった頃にはむしろ、その頃に書かれたハッピーエンドの『ヴェニスの商人』がウケただろうと思います。
イギリスにおいてはずっと右肩上がりだっただろう、ということは、事実関係を元に軽く触れました。そこを無視して、イケイケだった時期、そうでない時期をわけ、悲劇が受けた時期、喜劇が受けた時期を論じるなら、事実関係を提示してください。
でないと、なんとも言えないのです。スレ主さんも、 No: 3の返信において、回答No: 2の内容について出典をお求めです。同様になさってくださるよう、お願いします。
> むしろ、木下順二が述べているように「世の中が濁ってきて明るい見通しが持てなくなっている」のを感じ取ったからこそ、それを反映させた四大悲劇が書かれたと考えた方が自然ではないかと思います。
上記で述べたように根拠不明です。細かい時期別のご解説をお願いします。それまでは、単に「スレ主さんがそう思いたい」でしかありません。
> 別に名作を書こうとしたからではなく、そっちのほうが観客にウケるだろうという理由で。
そこで止まってしまうから分析が甘いのです。何が観客に受けたのか、まで進まないと分析とは言えません。後世に残るほどの作品について論じていらっしゃるのですから。ラノベの傾向って、作者が決めているわけじゃないでしょう?
真逆で、何が読者に受けたかで決まって来るものです。よく言われることですが、「これで売れるかな、と考えるのではなく、これで買いたくなるか、で考えよ」と似ているといえるかもしれません。
> おっしゃる通り、肝心なのは読者層の「気分」です。
> 第二次世界大戦で破壊されたパリの街で大爆笑を誘った『ゴドーを待ちながら』も、アメリカのマイアミビーチでは不評でした。これも「気分」の違いといえるでしょう。
これで何をおっしゃろうとしたか、よく分かりません。パリで受けて、マイアミビーチでは好まれなかった。では東京では、とか延々と続きそうです。「ゴドーを待ちながら」以外に、「ゴジラ」(第一作)はどうか、とかもあります。なぜその事例(作品、場所)を出したか、まで進まないと話が見えて来ません。
> さて、挙げた具体例が適当ではなかったのですから、ラノベの傾向を景気と逆張りさせたほうがいいという主張には疑問符がつきます。
挙げた具体例とは、具体的にはどれですか? どれが、どのように適当ではなかったかは、スレ主さんが具体的に指摘しないことには、こちらとしては意味を取りかねます。ちなみに、景気と逆張りとは私は申しておりません。世相の指標になり得る1つとは申しましたが。
> たまたまこの10年間くらいにその傾向があったとしても、次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。
つまり、人間の性質はそのスパンでガラッと変わるということでしょうか。気分ならそうでしょう。しかし気分のベースとなる脳がそんな短期間に変化するとは思えませんが。かつ、「限らない」と可能性をほのめかすだけでは、判断材料になり得ません。
> それならば、「次に何がくるか」考えてあくせくするよりも、敢えて直球を投げた方が建設的なのかもしれません。
だんだん意味不明さが深まってないでしょうか。次に何か来るか、の「何」は何を指していますか? 世間の人々の気分ですか? 拘っておいでの景気ですか? そして「直球」で何を喩えているのですか? その直球をどこへ投げるとストライクなのですか?
もし、暗い世相なら暗い作風、ということでしたら、まさに直球をお投げになればいい。分かりにくい喩えに頼る必要はありません。そして、なぜその直球なのかをご説明になればよいのです。
> ここでいう「直球」とは、世界の在り方や自分の生き方といった、いつの時代でも考えざるをえない問題です。
一応、「直球」の説明を意図しているんだと思いますが、極めて意味がとりにくい。世界の在り方とか自分の生き方とか、ここまで出てきていない話へ枠を広げていることが理由の1つ。まだあって、「いつの時代でも」と仰る割には、直前で「たまたまこの10年間(略)次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。」と仰っていること。
先が見通せないといった直後に、時代を超えて不変、みたいな話をされても、何をお考えなのか測りかねます。
> ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片ではなく、こういったものにほんの少しでも向き合わせてくれる要素を、ライトノベルの読者も本当は求めているのではないかと思います。
「こういったもの」とは「世界の在り方や自分の生き方」ですか?
また「ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片」は、少なくとも私が申した「世相」ではありません。分かりにくい旨、申し上げたはずです。そんなはっきりしたもので示せるなら、景気が指標の1つになり得る、なんて話はしないのはお分かりになるはずです。
> それを探し当てて作品として送り出すことで、作者が得るものも大きいのではないかと思います。
結局、よく分からないけれど万古不変のもの/こと、といったニュアンスを感じます。ご説明が曖昧なので、はっきりとは申せませんが。私は違うものを申し上げました。シェークスピアの諸作品のような後世に残るものでなく、時流に乗る今のもの旨、申し上げたはずです。
スレ主さんの最初のご質問とて「暗い時代こそ真面目に考える要素があってもいいんじゃないでしょうか?」と仰せです。そしてご質問の趣旨は、2つの相異なるように見える見解についてであり、ラノベの流行りと景気の関係であり、暗い時代は真面目な作風か、であったはずです。
どうもスレ主さんはこのご質問において、反論めいたものを見ると、前後を忘れて目先だけに反駁する傾向があるようです。だから、話があっち行ったり、こっち行ったりになりがちなのではないでしょうか。
これはつまり、考えがブレているということです。まだ試行錯誤している思考をそのまま書き連ねてしまっているといってもいいでしょう。一文ごとに詳しく返信申し上げたのも、そのことを自覚して頂けたらと思ったから。
まず、スレ主さんのお考えを、スレ主さんご自身が整理するべきでしょう。赤の他人を試行錯誤中の考えにに巻き込むべきではありません。
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信 (No: 11)
投稿日時:
受験で読んだ英文なのでソースはよく覚えていないのですが、第一次世界大戦直後はミステリーものや犯罪を題材にしたものが流行ったそうです。手足を失った人や塹壕ショックというトラウマを負った人がたくさんいたため、やり場のない感情のようなものがあったことがきっかけだそうで。なので、世相が作品の流行に関係すると自分は思います。景気もその一つですね。
で、ここからは私見なのですが(あの記事を書いた方には気を悪くしないでほしいのですが)、景気が悪いほうがストレスフリーな作品に人気が集まったというデータは覚えておいていいと思いますが、一方で景気だけをストレスフリーな作品が人気の理由にしなくてもいいかなと思います。というのも、景気の悪い時代に人気になった悲劇っぽい作品や鬱っぽい作品もありますので。
ラノベ以外の例ですみませんが、確かエヴァってバブル崩壊後の作品ですよね。あとは最近の例ですと、東京喰種などでしょうか。
このあたりは景気の悪い時代に売れた暗い作品と言えると思います。
ですので、景気が悪い時代でも、悲劇的な作品へのニーズは確かにあるのではないかなと思います。
また、癒し系とでも言いましょうか、そういう作品が人気となった背景に景気の悪さを考えるのもよいですが、ほかにも理由があると考えるべきかと思います。(当該記事も景気の悪さだけが理由だとは言ってませんしね。個人的にはメンタルヘルスへの理解が深まったことを挙げたいです)
エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信 (No: 12)
投稿日時:
会社の方針と個人の趣味によるかと
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他の方も触れておられましたが、世界大戦以降、ミステリーがやたら流行ったそうです。
はけ口と言うのもあるそうですが、岩石ひとつ、銃弾一発で簡単に死ぬレベルのちっぽけな命をグルグルこね回し、1人の死を丹念に飾り立てる姿は戦争によって奪われた【命の尊さ】の復興に近いのではないだろうか?という論をNHKのダークミステリーで見ました(笑)
ミステリーばっか見ていたら「お前は人殺し作品しか見たがらないサイコ野郎。このキチガイめ、お前は、いつか人を殺すぞ」とか兄によく毒づかれました。
そうなのか~・・・(´・ω・`)とか凹んでいたけれど、わたし、デスゲームと戦争ネタは大嫌いなんですよね【命を粗末に扱うなし!!】って憤(いきどお)りを感じてしまってwww
私は殺人という行為が大嫌いだから、殺人をテーマにした作品が好きです。
むしろ安直なラノベとかの方が【主人公をアゲルための殺人】がポコポコあって胸糞悪ぅ~いって思っちゃうくらい。
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一度読みたい話題書に【ロックダウン】という小説があります。
世界中にウイルスがまき散らされ、あちこちがロックダウン状態になるSF小説?で2005年に書かれて【荒唐無稽すぎww】と出版しそこなっていたのが再燃しているそうです。読みたい。
一方で21世紀少年はあまりに現状が「近すぎて」気持ち悪く、見たくない。
最近、近所の観光バスの【バス本体】を中国人の金持ちが買い占めに来ています。
今なら買い叩けるから。
最近、不景気になったからガチで中国人が日本の資本買い叩きにきている。
どうも他の国でも同様で、コロナ災禍の中、不景気で萎れてゆくなか、中国だけがぶくぶく肥えてゆく姿は、【トモダチ】に踊らされて諸悪の根源をヒーローだと思い込まされてしまう【21世紀少年】のシナリオそのままで心底気持ち悪い。
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あまりに自分の状況に近すぎるシナリオや作品は共感できすぎるし、バッドエンドだったりすると、もう見るの嫌すぎて目を逸らしてしまう心理はあります。
胸糞ホラー嫌的な。