小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

あまくささんの返信一覧。得点の高い順2ページ目

元記事:txtファイルのページ番号について。小学館ライトノベル大賞

お世話になります。小学館ライトノベル大賞に応募しようと考えています。
txtファイルで応募しようと考えているのですが、ページ番号の振り方がわかりません。
応募方法に※作品開始1ページめから、必ずページ番号を振ること、と書かれています。
調べてみても、ページ番号を振る事は常識であるとか、左下に振るべしという情報はあったのですが、どうすればいいのかわからなくて困っています。
どなたかお詳しい方が居ましたら、どうかご教授下さい。よろしくお願いします。

上記の回答(txtファイルのページ番号について。小学館ライトノベル大賞の返信)

投稿者 あまくさ : 7 人気回答! 投稿日時:

ソフトによって違うと思いますが、Windowsのメモ帳の場合で言うと、「ファイル」-「ページ設定」-「フッター」に&l&pと記述してみてください。
フッターは印刷領域の下の部分、&lは左寄せ、&pはページ番号を振る指定です。

メモ帳は印刷プレビューが無いので画面では分かりませんが、印刷には反映すると思います。

カテゴリー : その他 スレッド: txtファイルのページ番号について。小学館ライトノベル大賞

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元記事:伏線の回収率について

先日、あるリアルの友人に作品を読んでもらったときに『回収しきれていない伏線がある』という風に言われました。
事実として俺の作品の伏線回収が悪く、微妙に不時着したみたいな作品になってしまったのですが……。
それはそれとして、『伏線って全部回収する必要があるのかな?』と思ったのです。
僕個人としては、2000年代初頭の西洋ファンタジーなんかが好きで、そういった作品の中にある黒幕の正体とか、魔法の使い方、視点ではない人物の感情の在り方とかの部分に暗喩とか一切なく読者が考える余地がドーン! ってくる作品が好きなのですが、流石にそれは日本じゃ受けないと理解してます。
実際問題、三日四日『なんじゃこりゃ!?』って悩みますし。そこが楽しいと思うのですが。
脱線しました。ともあれ、『読者の考える余地』の範囲について皆さんに問いたいと思います。よろしくお願いします。

上記の回答(伏線の回収率についての返信)

投稿者 あまくさ : 6 人気回答! 投稿日時:

読者に考える余地を残すということは、うまく使いこなせば余韻を残すということにつながるとは思います。必ずしもNGではないと考えますが、匙加減には注意が必要なのかなと。

そもそも、

1)未回収の伏線を残す。

2)明かされない秘密を残す。

3)ラスボスや黒幕など、倒されない大物の適役を残す。

これらは、似て非なるものなんじゃないかと。ご友人の指摘は1~3(または、その他)のどれにあたるとお考えですか。

2と3に関しては、一つのプロットの主筋となる要素にきっちり決着をつけていれば許容される場合もあると個人的には考えています。
しかし1は基本ダメでしょう。

私見ですが、プロット上のテクニックとしての「伏線」にも、大きく分けて二種類あるんじゃないかと。

4)意外性・衝撃性のある展開の前に、唐突感やご都合主義感を緩和するためにそれとなく情報をまいておく。(補強情報であることが後からわかるエピソード)

5)重要な展開・感動的な展開をより効果的にするための下準備。(明暗のはっきりした逆のエピソードなど)

5は例えば主人公の成長を描くストーリーなどの場合に使います。気弱な主人公がいじめっ子に勇敢に立ち向かうラストを効果的にするために、序盤でいじめっ子に脅かされて逆らえないシーンを見せておくなどです。

4と5の場合は、回収しなかったらまったく意味が無いことはお判りですよね?

   *   *   *

もう一つ。
これも私見ですが、作者が意識しないのに伏線が生じてしまうというケースがあるように思います。

例えば、ヒロインや重要キャラの個性や魅力を際立たせるために、何か独特の言動をとらせるということがありますよね? しかしこういうのは読者に「何かの伏線かな?」と思われてしまうことがあるんじゃないかと。
で、伏線というのは4・5のように後半の大きな展開の下準備になっている場合が多いので、読者は期待感をいだきます。読者に期待させておいて肩透かしという感じになってしまうのはまずいんです。

「伏線が回収されていない」と指摘されて「え、そうかな?」と思うときって、けっこうこのケースもあるんじゃないかと。書き手は伏線のつもりではなかったので、意外に感じるんですね。しかし重要なのは作者の意図ではなく読者がどう受け取るかですから、これはけっこう落し穴になりかねないようです。(私にも経験があるし、他の方が同じミスをやっているのを見かけることもあります)

カテゴリー : ストーリー スレッド: 伏線の回収率について

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元記事:三人称挑戦の返信

>三人称一元視点 というのを見つけたのですが、一人称(主人公)の部分を三人称に変えた表現で良いのですか?

厳密に言うと少し違いますが、慣れないうちはそう考えておいてもいいかもしれませんね。

三人称一視点(一元視点)と一人称の違いは、やはり視点人物の心の声の扱いになります。作者によっては三人称の地の文に心の声をそのまま混ぜ込むように書く人もいますが、これはかなり文章センスが必要で、上手くやらないとほぼ確実にぐちゃぐちゃになります。
なので三人称の心の声は、

1.(~)のように括弧でくくる。

2.彼は~と思った、というように間接的に書く。

のどちらかにするのが無難ではあります。1・2の~の部分が心の声で、同じような内容になりますが、1ならセリフ感覚で書いてしまうことが可能。2は少し硬い文章になります。

以下は、最近他の方の質問に返信したときの(いい加減な)例ですが、

3.しずかちゃんはかわいいなあ。  ← 一人称

4.(しずかちゃんはかわいいなあ)  ← 三人称

5.のび太は、源静香という少女を可愛いと思っている。  ← 三人称

だいたいこんな感じ。ただし標準的なパターンを誇張気味に示しただけで、絶対の決まりではありません。

4か5なら三人称でも普通にどんどん入れて大丈夫ででしょう。
問題は3です。先に「三人称の地の文に心の声を直接まぜこんでしまう作者もいる」と書きましたが、それで巧くこなしてしまう人もいるんですね。
実例としては少し古いですが、今野緒雪さんの『マリア様がみてる』の一読をお勧めします。この人の三人称は本当に「ここまでやるなら一人称でいいんじゃないの?」と思うほどです。しかしよく読んでみると、それでも一人称とは微妙に違う文体になっているし、形式的には三人称なので必要に応じて一人称の制約(視点人物の居ない場所の出来事は書けないなど)から離れられるという強みもあります。ある意味、こういう文章が書ける自信があれば向かうところ敵なしです。

『マリア様がみてる』が三人称一視点の一方の極端とすると、他方、最も三人称的に書く場合は、

6.普通の三人称の書き方で、カメラ(視点)の位置だけを一人のキャラクターに固定する。

7.心の声は書いてもかまわないが、1か3(4か5)の形で控えめに入れる。

という感じになります。
この場合は、

>一人称(主人公)の部分を三人称に変えた表現で良いのですか?

ではなく、カメラ位置の固定だけが特徴になります。これだけでも視点が安定することによって、読者が情景をイメージしやすくなるのが狙いです。

上記の回答(補足)

投稿者 あまくさ : 6 人気回答! 投稿日時:

あと三人称一視点は、キャラの心の声を書けますがカメラを固定した人物の内心だけにかぎります。他のキャラの内心は書かず、心理描写が必要な場合は視点人物から見た言動や表情などの描写にかぎります。

カメラの固定。心の声を書くのは一人のキャラにかぎる。この二つに注意するのが、三人称一視点(一元視点)の理解としてスッキリするかもしれません。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三人称挑戦

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元記事:異能力ものに関して

異能力ものを作っていて異能力を作っているんですが、異能力って制限・制約、範囲、対象などこれら全て細かく設定した方がいいですか?描写するかどうかはともかく。
自分はなくていいと思うんですがそれだと制限・制約の中で繰り広げられる頭脳戦(できるかどうかはさておき)の面白味が減ってしまうと思います。
あと、それらが必要ならば、どのようなものにすれば面白くなるでしょうか。
参考にさせてください。

上記の回答(異能力ものに関しての返信)

投稿者 あまくさ : 6 人気回答! 投稿日時:

異能力をモチーフとして何を表現したいのか、何を作品のウリにしたいのかによるかと。
主人公のチート性ををかっこよく演出するために異能力を使うのなら、ノリと勢いで勝負するのもありかも。細かい設定は必ずしも重要ではないと思います。その場合のモデルとしては、ワンピースあたりが参考になるかな。

ただ。
アニメなどにはスピーディーなバトルを視覚的に表現できる強みがあり、そういう部分で小説は太刀打ちできません。だから、頭脳戦というほどでなくても、ある程度理詰めな駆け引きを盛り込むのが、唯一の選択ではないにしろ、有力な手法にはなるんですね。
要領としては、まず序盤~中盤の流れを通じて、主人公の勝利条件、勝ち筋を分かりやすく提示します。で、物語の勝ち筋って揺れ動くから面白いんですね。何か予期せぬ出来事が起こって勝利条件が崩れ、一転して主人公は大ピンチになる。そこで前半の伏線が活きて再逆転。こういう流れは小説と相性がいいように思います。
このような筋書きが狙いなら、ルールや制約条件を明確にしておくことは必要でしょう。

とは言えこういう方法論は有力ではあっても唯一の道とも思いませんので、まずはご自身の作品のウリをどこに置きたいのか。それを再確認することをお勧めします。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異能力ものに関して

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元記事:作品の評判に関する疑問

どうも如月千怜です。また疑問が生じたのでスレッドを立てさせて頂きます。
今回は自作の評判に関しての話です。

去年の正月頃からノベルアッププラス(以下ノベプラ様)というサイトに登録して、最近はそちらでの活動をメインにしています。
それで一年くらいの間ラ研様で公開した作品を転載したり、そちらとラ研様で同時公開をさせて頂きました。
(初めて私を見る方向けに注釈しておきますが、ここでは鍛錬室の短編の間が私の主戦場です)
ただ両サイトでの評価の傾向にギャップが大きすぎて戸惑っています。
具体的にはラ研様で不評だった作品程ノベプラ様では好評なんですよね。
私が両サイトで掲載した作品の一つに「愛されなかった勇者」というものがあります。
ラ研様では「無用な固有名詞と設定が多すぎる。しかも全部そぎ落としたら途端に話が薄くなる」「悪役寄りの主人公が死ぬことで幕引きするなら、せめて主人公が自分の間違いに気づいてから逝くようにしてほしかった」「こういう必殺技は主人公のものにしましょう。それか主人公を倒したこのキャラクターを主人公に昇格させてください」(いずれも原文ではなく、私の意訳です)といった具合に酷評の嵐でした。
ちなみにいずれの評価も正しいものだと思っています。
ですがノベプラ様ではそんな欠陥だらけの作品なのに人気は衰えることなく伸び続け、今では短編作品の中でPV、ポイント共にナンバーツーです。
(逆にラ研様ではほとんど苦言を頂くことなく安定した平均点を頂いた作品に限って、ノベプラ様ではPVが閑古鳥だったということも一回だけありました)

もちろん集まる人が変われば評価者の性質が変わるのは当然のことだと思います。
ただ両方のサイトで評価が一致することがほとんどないというのは、さすがにびっくりしましたね。
(もちろん私はどちらの利用者が正しいとか、そんな議論をする気は全くございません)
自分の作品で満足してくれる人がノベプラ様に多くいる、という事実はもちろん大変嬉しいことなのですが、このギャップに関してはどうとらえればいいでしょうか?

上記の回答(たった一つ、気になったこと)

投稿者 あまくさ : 6 人気回答! 投稿日時:

それでは、余計な挨拶はぬきにしますが、はなむけがわりに気になったことを一つだけ。

>例え相手に非があったとしても好ましいことではなかったと思います。

つまり、ここです。おそらく問題点のすべてだろうと言い切ります。

反省しているようにみえるときにも。
謝罪しているようにみえるときにも。

「例え相手に非があったとしても」

この一文が必ず入るんですね。書かれていない場合でも、そう思っていることが言外にわかってしまうんです。

これが私が気になったたった一つのこと。そして、ここでお会いしたときからずっと気になっていた、たった一つのことでもあります。

問題点は、たぶんこれだけ。
なぜ「例え相手に非があったとしても」と書いてしまうのか、色々な意味でよく考えてみることをお勧めします。

それでは、またいずれどこかで。

カテゴリー : その他 スレッド: 作品の評判に関する疑問

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元記事:小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?

質問させてください。
小説の書き方講座などで映画などを例に挙げて主人公は最初とラストで精神的に成長していなければならないと書かれているのを見かけたことがあります。
でも漫画などではドラゴンボールやトリコなどのように、精神的な成長はさほどなく肉体的な戦闘力の成長に重きを置いた作品も結構あります。
主に少年漫画のバトルものですね。小説だとその作風ではWEBや新人賞などで受け入れてもらえないのでしょうか?

上記の回答(小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?の返信)

投稿者 サタン : 0

もっと抽象的に言うと、最初と最後で何かしらの変化がなくてはならない、という感じだと思います。
それが精神的成長であることは多いし、それが一番理解しやすく納得しやすく受け入れられやすく、そして扱いやすい。
最初はAという考えを持っていたけど物語を通してBという考え方になったとなれば、AからBへと考え方が変わった、そういう成長をした、という話だと認識できる。
まあ世の中にはダークサイドへと落ちてく話ってのもあるけど、物語を通して「考えが変わった・人生観が変わった・感じ方が変わった」そういうキャラクターの感性に変化があるものはだいたい「精神的成長」って言われちゃう。
大事なのは「変化」で、その変化がキャラクターの精神に関することだと成長と受け取られちゃうってだけだと思う。

で。
別にこの「変化」は主人公の特権じゃなくて、例えば教師的な主人公に反発する生徒たちが物語を通して主人公を尊敬し始めるって場合は、主人公は特に大きな変化がないけど生徒たちサブキャラには大きな変化がある。
例えば主人公は最初から正義の心があるいい子で、だけど弱くて才能もない、そんな主人公がいじめっ子と戦ってチンピラと戦って悪党と戦って巨悪を倒す、なんて話の場合は弱者から強者へという変化がある。こういう話の主人公は強者になることで大きく精神的変化があることを好まない(力の変化のほうに注目してほしいため)ので、強いけど性格的にはヘタレのままって事が多いと思う。
例えば、主人公も周囲のサブキャラも特に大きな変化がないけど、Fラン冒険者からSランクになって貴族になって王族にも意見できるようになった、という環境の変化がある場合もある。

つまりは、大事なのは変化で、その変化は主人公に限定されずキャラクターに拘らず、何を書きたいのかによって最適解は変わるため、「主人公には精神的成長がなくてはならない」と思考を固くしちゃうのは良くないと思う。
ただ、どんな物語でも「主人公」というキャラは必ず存在するし、その主人公には心があるのだから、恋愛でも冒険活劇でもサイコホラーでも「主人公の精神的成長」は入れることが出来るし馴染みやすい要素だとは思う。

そんで、「映画」というワードにちょっと引っかかったのだけど、映画の脚本術はとても役に立つものの、映画脚本の技術はだいたい海外の思想が多く入ってるので、書かれてる内容をちゃんと理解して自分の中にフィルターを作って要点だけをつまんだほうがいい。
えーと、これはまあ私も説明しきれないんだけど、海外の映画監督ってのは当然海外の視聴者がメインターゲットだから、主に白人であって主にキリスト教圏だったりするわけで、思想的な部分で考えると日本人読者をメインターゲットにする場合にかなりズレてたりすると思う。
うーんと、間違ってるかもしれん私見だけど、「主人公の精神的成長」って結局のとこ教訓的な説話っていうか、グーテンベルグが活版印刷で聖書を安価に生産したのもあって本=聖書で、本というものには「何か得られるものがある」のが当たり前の風潮なわけで、そういう教訓みたいなものが書かれてるのは言うまでもない当然のこと、だから「主人公には精神的な成長があるべきだ」という主張になるんではないかなぁ、と思う。
私も映画脚本術の本はそこそこ読んだけど、たしかにどれにも「主人公の精神的成長」と書いてあった。
けど、それは日本のエンタメには正しくはない、けど言ってることは間違いではないと思うから、その言葉の本質はといえば「変化があることが大事だよ」って話ではないかな、と考えてる。

結論としては、主人公が精神的に成長するような「変化」は書くべきで、これは必須。けど、大事なのは変化であって、それは主人公ないし人物に限ったものではなく、物語のテーマや内容によって適切な選択をすべきだと思う。
そうした変化しえる要素の「人物」「環境」「状況」「関係」もろもろの中で「人物の精神的変化」はどんな物語にも乗せやすい万能ツールであるということは確かだと思う。

新人賞においては、どーだろうなぁ。
精神的変化って、心理描写が得意な小説って媒体において非常にわかりやすい「変化」だから、書けば確実に武器になる。
けど無いからといってマイナスになるわけではないし、「変化」それ自体は必須だから、精神的変化がなければ当然のこと別の要素で変化を作ってるはず。
それが小説には向かない要素の変化「綺麗になった」とか見た目の変化などであったら弱いし、なら「綺麗になったことで精神的にも変化が欲しいね」ってなっちゃうから、そこで作者がどういう工夫をするかっていう技量の問題になっちゃうんじゃないかな。

うーん。
かつてはオタク作品を代表する「涼宮ハルヒの憂鬱」も今じゃ若い人は読んでないかもしれんけど、
「涼宮ハルヒの憂鬱」の主人公には一巻の最初と最後で自分が置かれてる状況に変化があるけど、いまいちパンチが弱くて、すげーことに巻き込まれてるんだけど人間的に変化が乏しい。ヒロインは最初は「恋愛なんて一種の病気だ」と言ってたんだけど、最後に主人公から髪型を褒められてまんざらでもない空気が流れる。つまりヒロインの精神に何かしらの変化があったと感じられて、それは主人公の最後のセリフ一個で見られるヒロインの変化なんだけど、この変化が「あ、ヒロインは恋愛を意識したな」とわかって結構な印象に残る感じになってる。
というのも、やっぱ小説は心理描写が得意な媒体ってのもあって、精神的変化は読後感が良いのよね。
それが「成長」である必要性はまったくないけど、セリフ一個で変わるものなら書いたほうが絶対に良いよね、って感じかな。
ただまあ、もともと無い話なのに精神的変化をあまりに意識しすぎてしてしまうのも良くないから、執筆が終わって推敲する段階で、どっかに精神的変化をぶっこめないかな、序盤に二・三伏線を書けば終盤の一言で変化を出せるかな、とか考えるくらいでいいんじゃないかな。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?

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投稿日時:

元記事:問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

https://www.raitonoveru.jp/cms2/2019/11/30/46153/
 「冒頭で主人公が焦っている傾向」が挙げられていますが、これは大昔からそうなっているので、決して珍しいことではありません。
 そもそも、「自己紹介パート」という概念があること自体が不自然なことだったのではないかと思いますが……。

 紀元前427年頃にソフォクレスが書いた『オイディプス王』では、主人公のオイディプスがテーバイを襲う天変地異に冒頭から焦っています。
 ここで長い長いセリフのやりとりによって語られるのは、事件の背景です。
 大事件を最初に起こしておけば、それを解決しようとして登場人物たちが動き出すのは当然のことです。その葛藤によるセリフのやりとりを通して「時・所・人」の情報を提示するのは、「自己紹介パート」の設定より効率的ではないかと思います。

 では、なぜ今まで、そんな当たり前のことが当たり前ではなかったのでしょうか?
 かくいう私もラ研の企画で「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」方法を酷評されたことがありましたので……。
 
 言われた通り2~3本書き直しましたけど、いやほんと、キャラと背景の説明してから事件を示すのは、まどろっこしくていけません。書き直すんじゃなかったと後悔してます。

上記の回答(問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信)

投稿者 あまくさ : 0

例えばラストでキャラAとキャラBが命をかけて戦う物語があったとします。いきなり戦っているシーンを読まされても読者は何のために戦っているのかわからず、あまり興味もわかないものです。
これがアニメであれば作画や動きの迫力で魅せることも可能でしょうが、そこは文章だけの小説では太刀打ちできないところです。なので、小説はストーリーが重要なのです。

ストーリーの基本的な構造は、はじめに前提があり、前提を受けた展開があり、展開を受けた必然的な流れとしてのクライマックスがあり、クライマックスの結果としての結末がある。そういうものではないでしょうか?
それらを構成するストーリーの要所要所は、読者に的確に伝えなければなりません。そこを無味乾燥な説明でやってしまうのは確かにあまり良いやり方とは言えません。キャラの言動やエピソードで自然に伝えていく方がベターでしょう。

でも。

言動やエピソードで表現しても、その時点で結末を知らない読者には狙いがちゃんと伝わらない恐れがあります。すべて知っている作者が陥りやすい罠なんですね。
物語の軸にエピソードがどう絡んでいくのか理解できないと、読者にとってはただ散漫にエピソードが数珠つなぎになっているだけに見えてしまいかねません。
きちんと伝わらないことには何にもならず、そのくらいだったらいっそ地の文で説明してしまった方がまだマシです。

伝えるための方法として私なりに考えていることは、

1)まず何よりも作者自身が物語の狙い・着地点をきちんと把握する。

2)キーワードとなる印象的な言葉を織り込んで理解の補助とする。

3)重要なポイントにはフラグを立てる。

4)最終的な狙いを途中まで明示したくない場合は、ダミーのストーリーをつくり読者の興味をつなぐなどの工夫をする。

などです。

4は先のスレで気にされていた「読者を裏切ることにならないか?」という問題を生じますが、それについてはあちらに色々考えを書いたので省略します。

>「自己紹介パート」その他、設定を説明するための段落はそもそも必要なものでしょうか?

必要あるとも無いとも言えます、
上記のようにプロットに密接に結びついた設定であれば、何らかの形で伝える必要はあるでしょう。
仮にそうでなくてもキャラそのものの魅力、強烈に斬新な設定を売りにするような作品も有り得ますから、一概には言えないところかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

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投稿日時:

元記事:設定を盛り込みすぎました。

今2つプロットを作っているのですが、設定盛りすぎかなぁと迷っています。
キャラクターのことなど込々で色々質問してしまうのですが、一つでもいいので相談に乗ってもらえると嬉しいです。

舞台→政府によって最近作られた東京の人口過密によって芸能関連だけが隔離された街<便宜上今回は地区Aとします>
(住んでいる人も会社も全部芸能関連の街)
主人公→芸能人に全く興味が無かったものの、地区Aになる直前にマイホームを親が建てたせいで入学する羽目になった。
ジャンル→学園物
※ここの学校の設定で盛りすぎかな?と迷っています↓
学科が3つある。芸能音楽科、芸能スポーツ科、特進科
音楽科では俳優女優アイドル、スポーツ科はタレント、スポーツ選手、特進科は芸能を諦めた人や進学した人用の学科。
主人公は音楽科に入ってスポーツ科の相手といい感じになる。
様々なオーディションを受ける義務があり、それも全国で放送される。
後ろ向きだった主人公が前向きに芸能界に向き合って、進学するところまで
★悩み★
設定が多いがどれを削るか迷う
この設定はラノベ向き?


舞台→現代社会
主人公・設定→冷静かつ賢い高校の生徒会長。現代の年功序列の無能が上にいて巨万の富を得ていることに疑問を持っておりそれを壊したいと若者向けにSNSを発信し信者を増やし政治の投票や権力者の情報漏洩を画策している。
★悩み★
主人公がそこまで必死になれる理由が分からない。
設定は活かしたいもののオチが迷う。

よろしくお願いします。

上記の回答(設定を盛り込みすぎました。の返信)

投稿者 あまくさ : 4 人気回答!

とりあえず①について。

これは設定が多いのではなく、一つの設定を詳しく煮詰めている内容です。で、それは悪いことではないと思います。

この構想を要約すると、芸能関連に特化した学校を舞台に、芸能音楽科の主人公と芸能スポーツ科の相手役との恋愛をからめながら、はじめは後ろ向きだった主人公が様々な体験を通して芸能界と向き合うようになる話。

ですよね?

1行に要約可能で、書かれている設定はすべてこの1行に絡んでいますから、まったく問題ありません。

つまり、この1行が物語の「本筋」になっているということです。で、良くないのは作品を面白くしようとして、本筋と関連性のない要素を安易に追加してしまうことです。それをやると、話の方向がどこへ向いているのか分からなくなってしまって失敗しやすいです。

示された設定について考えてみると、強いて言えば政府によって作られた特区的な街という背景が必要かどうかということはあります。単に芸能関連に特化した学園でいいんじゃないかとは思いました。
街全体にまで話を広げてしまうとかなり特殊な社会になってしまうので、そういう社会や街になった経緯や学校外の仕組みなどについても、ある程度は書かなくてはいけなくなります。そうすると、そこから派生してさらに設定が増殖してしまい、結果的に「設定盛りすぎ」と言われる状態になってしまう懸念はあります。

もう一つ注意することは、実際の作品として執筆するにあたっては、背景や舞台として設定したことの全てを詳しく書きすぎないこと。
学校に複数の学科があること自体は普通ですよね? ですから3学科と言わず、もっと増やしてしまってもかまいません。ただし主人公と相手役が入っている芸能音楽科と芸能スポーツ科以外は本筋に関係ないわけですから、詳しい説明は不要。あるということだけ、それも話の流れ上、触れる必要があればサラッと書く程度に止めるべきです。

作者の頭の中で、舞台設定への理解を確立するために本筋と関係ない要素も詳細に考えておいた方がいい場合はあります。でも、それは考えるだけに止めて、文章では書かないこと。最初からそう割り切っておくのが重要です。
せっかく考えたのだからということで、ストーリーのバランスを崩してもつい書きたくなってしまうものなんですね。それがクセモノです。

まとめると。

1)ストーリーの本筋を把握し、話を面白くするためだけに本筋と関連性の薄い要素を追加しない。

2)設定は、作品の土台として詳細に考えておくことはOK。しかし実際に書くにあたっては取捨選択が必要。

この2点かと思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 設定を盛り込みすぎました。

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