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元記事:人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?

お世話になっております。三毛と申します。
以前、投稿したプロットを見直して要らない箇所を削る作業をしていました。起と承まではいいのですが、転と結が思いつかなくて困っています。

私はこの話のラストに人類の90%近くを絶滅させようと思っております。
理由は、アポカリプス世界が好きだからというのと、主人公がサバイバーに活躍し、衰退世界で細々と生きる人々に感謝される展開にしたいからです。

ところが、この物語の舞台は現代です。
一体何が起これば、この現代で全てのライフラインが止まり、人類が90%滅亡してくれるのか?
そこに至るまでの経緯や展開をどのようにすれば自然に衰退させられるのか?
何某か知恵をお貸しいただけますと幸いです。

上記の回答(人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?の返信)

投稿者 あざらし : 0 投稿日時:

訂正。

× こっちに舵取りした方が良いように感じました。
  物騒な物言いですが、人類滅亡より難しい条件です。

○ どうすれば10%の人類が生き残るか、に舵取りした方が良いように感じました。
物騒な物言いですが、90%だけ死亡させるのは人類滅亡より難しい条件です。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?

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元記事:人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?の返信の返信

あざらし様

コメントありがとうございます。

意外にも、10%のみ生かすというのは難しいようですね…
私は物語で人類が90%滅亡するまでの時間をおよそ一年程度に見積もっていましたが、挙げられた例など見てみますと、そんな短期間で90%滅亡は無理があるように感じました…

そして、作品の雰囲気と飢饉の無残さが合うのかと言いますと… めちゃくちゃ会いそうにないです。児童文学ということもあって、主人公含む物語中心人物たちは、あっけらかんとした呑気者ばかりなので…
やはり、90%人が居なくなるとなると、悲惨な展開は不可避なのでしょうか。

10%を生存させる為の、天然痘などにかからない遺伝子の存在なのですが、特殊な遺伝子の持ち主のみ生き残れるとなると、この物語の主人公が普通の日本人の子供であることを考えたら、なかなか厳しいでしょうか。一応、主人公には生き残って貰う方向で話を考えておりましたので…

この10%の割合が難しいようなのですが、あまりに死なれ過ぎてしまうと、主人公を活躍させる場面がなくなってしまうというジレンマ。

今まで頂いてきたアドバイスなどを参考に、環境やらバイオやらを駆使しつつも、児童の為にもゴアな描写にならないように頑張って書いて行こうと思います!
応援どうもありがとうございました!

上記の回答(人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?の返信の返信の返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

返信ありがとうございます。
さらに見えてきたものもありますので再度、発想を変えてみますね。

>主人公がサバイバーに活躍し、衰退世界で細々と生きる人々に感謝される展開にしたいからです。

こっちに極フリしてみます。
現在、日本人が享受している文明社会には『電力』が非常に重要ですよね。
水道をひねれば水が出ますが、これだって電力がないと浄水という作業すらできません。
ところがライフラインのひとつとしてではなく、局地的になら浄水された水を作ることも比較的簡単にできます。
もっとも簡略化された方法なら、ペットボトルの下から層になるよう(布等のフィルター)(炭)(砂)(小石)こいうったものを敷き、上から水を注ぐ。状況に応じて出てきた水を煮沸する。科学的な汚染がなければこれで代用できますし、もう少しだけ規模を大きくするならドラム缶でもできます。
局地的な対応と、ライフラインは全く別のことというわけです。

なにが言いたいかと申しますと、送電というレベルで電気が使えなくなると『人類の90%近くが絶滅』この状況自体を(少なくとも主人公は)知る術がありません。
たとえば現在でも『アメリカで起きた災害』というのは、電力があってこそ知ることができます。
今日的な情報の伝達には、アメリカから送信し、日本で受信する。国内で発信された情報を各個人が知る、テレビもラジオもこういう流れを取りますが、その何処にも送電が関わっています。携帯やネットも同じですね。
いうなれば送電がストップすると「山の中でラジオもなく過ごしている」のと同じ状態になります。
空を見上げて「嵐が来そうだ・天気が荒れそうだ」これが精一杯で、巨大台風が接近していても直撃する数時間前まで気がつかない、ということです。だから昔の家は雨戸や鎧戸という短時間で家を守るシステムが存在するわけです。
主人公にとっては身の回りで見聞きしたことが情報の全てです。

で、送電の完全停止。
これは大規模太陽嵐、太陽フレアで有名なあれで比較的簡単に起きちゃいます。
実際にほんの160年ほど前に起きています。当時たいした被害にならなかったのは、文明が電力に依存していなかったから。
人体に深刻な害はない(地表にいれば)とされていますが、樹木の年輪に後を残すほど強力な影響がでています。
ぶっちゃけ電気系と通信系は全滅、コンピューターに依存するシステムも破壊されますので、自動車も含めて移動手段が壊滅しますので物流の停止、それに伴い食料の供給も停止と、簡単にいうと19世紀の文明に逆戻りします。(自動車がわかりにくいかも知れませんが、今の自動車は自家用でもフューエルインジェクションという電子式燃料噴射装置を積んでます。これを積んでいない車は好事家のレストア対象になるようなクラッシックカー。キャブレター方式でエンジン始動時にチョークを引くタイプです。丸一日ドライブしても、バイクで数台、車はまず見ないと言い切れるぐらいしか残っていません)
ちなみに直近では2012年にも地球をかすめています。(通常の1000倍程度なら数年単位で頻繁におきてます。おおよそ11年周期で大爆発。原子爆弾1000万個ぐらいのエネルギーが放出されてます)
おまけに地球到達の警報は速くても1時間前。現実的にはこの目的のために米国はACEという衛星まで持ってます。アメリカすげぇ。
それまでは(いつ)(どれぐらいの規模)(地球への影響)これらは正確にはわかりません。
『朝起きたら文明が崩壊してた』なんてことが起きちゃいます。
ライフライン復興には、楽観的に見て5年ぐらい(諸説あります)かかる費用はアメリカの場合で国家予算の半分が吹き飛びます。
と、いわれてますが、発電所でつぶれたシステムを作るための設備が動かない、おまけに車さえ動かないのに、どうやって費用を捻出して復興させる気なのかは知りませんが。

>悲惨な展開は不可避なのでしょうか。

冷たい話しですが、主人公は『どれぐらいの事態が起きているか』これすら想像が精一杯。実態は全くわからんでしょう。
『いくら待っても助けは来ない』『文明崩壊に自力対応』これを悟り次第、作物のタネをありったけ持って古い車か、バイク。それもなければ自転車か徒歩で山奥をめざし、そこからは人力を駆使して山中に移住(登山ですね)すれば悲惨な展開は(主人公は、つまり読者も著者が書かなければ)見ずに済みそうです。
日本は国土の3分の2が森林です。
地図を開くとすぐに判明しますが、山間には都市部のA地点とB地点を結ぶ大きな道が一本。そこからは生活道路程度の細い道が分岐しており、そもそも登山道程度以外は道もないという山も多くあります。
開墾という超重労働が待ってますが、

>主人公がサバイバーに活躍し、衰退世界で細々と生きる人々に感謝される展開にしたい

能力次第、つまりは最終的に着地するのは農業ですが、可能かと思います。
あとは児童文学なりの読者への伝え方の工夫をなさってください。
いずれにせよ発想の転換。
此度の書き込みそのものにも拘らず、可能性を模索して下さい。
努力の見返りはあるはずです。
ではでは執筆頑張って下さい。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人類を滅亡の危機に追いやりたいのですがどうしたらいいですか?

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元記事:ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?考察スレ

私は以下のように考えています。

・リアルで成功する空想が誰にも持てない
・変化が早すぎて、現実を舞台にした作品は賞味期限が短くなる
・現実世界は複雑過ぎて、読者も作者も理解できない

ファンタジーはリアルと違って、成功できるし、変化がないし、単純だから良いのです。
なにより希望が持てるの売りだと思います。
進撃の巨人や約束のネバーランドのようなダークファンタジーでも、ファンタジーなら主人公が逆転できる希望が持てます。

逆に、闇金ウシジマくんのような現代日本を舞台にした物語は、どうしても重苦しく絶望的になります。
ウシジマくんの登場人物は、進撃の巨人や約束のネバーランドのキャラよりも、安全で快適な世界で暮らしていますが、彼らが逆転して幸せになることは、まず不可能なのが特徴です。

でも、エレンやエマなら、圧倒的な絶望にも押しつぶされないで、逆転できそうな気がします。

ラノベを読む読者は、楽しくすっかとする話、承認欲求を満たせる話を求めているので、逆転の希望が持てる異世界ファンタジーが王道となるのではないかと思います。

また、そもそも日本人は時代劇のようにワンパターンな物語が好きだという特徴があるのではないかと考えています。
例えば、水戸黄門で一度だけ印籠を出さなかった回があったそうですが、その時はTV局にクレームが殺到したそうです。
つまり、型通りの物語を求めている人が多いということです。

このため、なろう系のようにテンプレ化した異世界ファンタジーが求められているのではないかと考えています。

あなたのご意見を投稿いただければと思います。

上記の回答(ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?考察スレの返信)

投稿者 あざらし : 4 人気回答! 投稿日時:

いろいろな原因が積み重なって応じた結果、その複数の結果が影響を互いに与えながら生まれるのが現在ですから、『原因はこれ!』というような話しはできませんが、有り体には『なるべくしてなった』という感じはします。

最近ちょっとマシになったようにも感じますが、特にアマチュア作品に偏りが見受けられますね。
これは非常に真似やすいのが原因にあると思います。
単なる読者がいうのも失礼ですが、異世界ファンタジーは(A:どんな人物が)(B:どんな世界で)(C:なにをする)この三点のうちAだけを取っかかりにして物語を作れますよね。
Bは異世界で基本部分が固定されてますし、CはAの依存関係です。
例えば職業で分けて(料理人・警察官・医者・ピアニスト)ちょっと慣れた人なら最低でも四つの物語の骨子がすぐにできると思います。高校生主人公なら職業を特技に変えるだけ。
あとはBの異世界を主人公にとって(それなりに)都合の良い世界にすれば大活躍できます。
おまけに取っかかりにするAはキャラクターのことですから、ラノベにもピッタリで掘り下げやすい。
本当に失礼な物言いですが、『とりあえず書いてみよう』というアマチュアに向いたライトに書ける題材だと思うのです。(言い方をかえれば、アマチュアであっても人気作品はこんなに単純ではなく+αや、更に捻られたりしているわけですが)

この『アマチュアが真似しやすい』『作り出している感じが味わえる』というのは、流行のプロセスのひとつSNS・インスタを代表に、ぶっちゃけネット全般から発生する流行タイプの特徴のひとつです。
ちょっと前にも、穴と雪の女王の主題曲に合わせる口パク動画、 ポッキーシェアハピダンス、直近にもU. S. A.ダンスがありましたが、アマチュアが発信する時代特有の流行タイプです。
ここで重要になるのは、ダンスはアナログ的行為である故に『真似ても全く同じにはならない』要するに発信者も創作感を味わえます。
プロ野球選手のバッティングを勉強するようなもので、いくら学んでも全く同じにならないがために、真似であってもその人なりのオリジナリティが多少なりとも出てきます。一方でデジタルというのは、そのままでは全く同じができあがってしまいますから、著者の思考というアナログの介入が不可避です。
本来はハードルがちょっと上がるわけです。
ところが前述のようにAを触るという行為でハードルがグンと下がります。
小説においては『真似しやすいけど、他者との違いも出せるという満足感』これが偏りの原因になっているように感じます。

ここまでをちょっと掘り下げてもうひとつ、時代背景が強く後押ししているようにも思います。
異世界ファンタジーものの流行発端は、おそらく【ヤマグチノボル著:ゼロの使い魔】のアニメを含む大ヒットでしょう。
もちろん本作以前より異世界ものはありましたが、現在の潮流、スタンダードとしての影響が非常に大きい。
確認したところ1巻の発売が2004年、アニメの第一期が2006年、二期2007年、三期2008年、四期2012年になっていました。

で、ですね。
ネット上の小説投稿サイト、歴史そのものはパソコン通信と呼ばれていた時代ですが、敷居が低くなったのは現在でも草分け的な存在の『小説家になろう』だと思います。『小説家になろう』ですが、個人サイトとして始まったのが2004年。2008年にグループ化、2010年に法人化と成長しています。
成長したという事実が示すのは、アクセス数が増加したということで、サイトの特色からして”それより以前に”投稿者として名乗りをあげたアマチュア作家が増えたということです。
ほとんどゼロの使い魔と一緒に成長してる形になってます。
全ての原因だとは口が裂けても申しませんが、ちょっと影響を無視するのも辛いように思うのです。

前述の【ゼロの使い魔】のあらすじですが、主人公がある日突然異世界に召喚されてしまう。召喚したのは落ちこぼれ魔法使いの少女。でも実は非凡な才能を持つ。
と、現在も手を変え品を変え繰り返されている”異世界ファンタジー”の王道パターンですね。

おそらくですが、
a1)ゼロの使い魔を(観た・読んだ)人がインスピレーションを刺激される
a2)自分でも書いてみる
a3)往々にして、ゼロの使い魔そっくりの物語が完成する
a4)出版社公募に応募する
a5)評価されなかった
a6)小説投稿サイトに公開してみる
所々すっ飛ばしたりもあるでしょうが、初期はこんな感じの人も多かったのではないでしょうか。

ところが小説投稿サイトに公開する人が多くなる(分母が増える)と、元々地力の高い方や本当に面白い小説を書く人も出てきますし、執筆が面白くなり公開を繰り返すうちに上達する人も大勢でてきます。
a7)ランキング上位になり注目される
と、いう成功パターンが出てくるわけですね。

この a7)の中に『ゼロの使い魔に影響受けまくり小説』も結構な数が含まれていたように思うのです。

更に時間を進めると、
b1)インスピレーションを『a7)投稿サイトの公開作品』から得る
b2)自分でも書いてみる
b3)往々にしてインスピレーションを受けた作品に似る
b4)投稿サイトに公開してみる(人によっては新人賞に応募)

この時点で【ゼロの使い魔】を読んでいる(観ている)かどうかは無関係になってます。
ただ、源流が同じ川、そこから発生した支流である限り、どうしてもb1)に似た話、意識せずともa1)に似たものになります。ある意味、アマチュアの宿命的傾向。
『影響下にある小説』ですね。
同じ川の支流なので水は変わりませんし、ましてやアマチュアの方は趣味である以上、本人が楽しむのが第一義。
『他の作家が書いたから、意地でも似た話は書かない!』なんてプロ根性を出す必要もありませんし、またそれで全く問題はありません。
小説以前に著者がライトです。(一応書きますが悪意も否定意思もありません。実際、私もアマチュアの方が書いた小説も好んで読みます。趣味ですから著者がライトに楽しもうが、それは本人次第です。楽しまれているのが一番)

さらに【川原礫著:ソードアート・オンライン】のヒットも後押しをしたように思います。
またa4)やb4)でプロとしてデビューする人もいたでしょうし、さらにそれを参考にして書く人も増えたと思うのです。
おまけに近年Web系で注目を浴びた作品は、出版社が目を付けて書籍化してますよね。
個人的には率直に出版社のだらしなさも感じてしまうのですが、ある種すでに売れているものを売っている状態です。
歯に衣着せぬ物言いをすると『数が多い=読者が望んでいる』という勘違いすら一部にはあるように感じてしまいます。

ただ、こういった流れは出版社そのものが危惧しているとも思います。
ちょっと前にカドカワがNOVEL 0の募集要項に『異世界転生以外・成人男性主人公』を入れたことで話題になりました。
私のような執筆しない単なる読者でも情報がはいってくる程度には注目されたわけです。
出版社も少なくとも大人の読みものを売りにする、ラノベレーベルカラーに添える条件に異世界転生は不要だと判断しています。
大手各社はWeb系のレーベルを独立したものに変えていますし、なによりコミカライズという展開にかなり積極的になっています。
一昔前の『とりあえずコミカライズしました』というような稚拙な作品が少なくなり、実力のある漫画家がコミカライズ担当をするようになってきています。
現在アニメ放送中の【蝸牛くも著:ゴブリンスレイヤー】のコミカライズなどは良い例ですね。

>ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?

これはもう『毛色が違う』『真似しやすい』このふたつを満たす大ヒット作が生まれていないからではないでしょうか。
大ヒット作に前述の【ソードアート・オンライン】がありますが、これもゲーム内という異世界が舞台。
【化物語】【とあるシリーズ】他にも大ヒット作は色々とありますが、(冒頭のABC)骨子の一部を変化させるだけでは物語になりませんし、真似る部分を増やすほどに丸パクリの印象に近づくので真似にくい。

こういった直接的な影響ではなく、作品をかみ砕いて咀嚼し、肉になった部分から創作する『プロ作家』『現アマチュアであっても本気の人』が次の大ヒット作を産み出すはずです。
Web系小説はロジックとして『流行に強く影響を受けた著者』が多数生まれますから、アマチュア著者があきるまではこの現象が続くと思います。
プロ作品は『あえて離れる、新境地を模索する』というのが主流になってきているように感じます。まぁこれは当然ですね。
実際売れている作品を見るとBook Walker、Reader Store、BookLiveこれら電子出版系の上位作品にも異世界ものは多いですが、それ以外もちゃんとあり多様性は(ギリギリ)保たれていると思います。
ざっくり書きましたが、なるべくしてなったのだろうと思います。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラノベが異世界ファンタジーばかりなのはなぜなのか?考察スレ

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元記事:推理小説物の書き方について

推理小説を書いてみたいんですが、トリックの書き方がよくわかりません。
トリックを考える時ってどうしたらいいんですか?

また推理物は頭が悪いと書けないって聞いたんですが、頭が悪くても書けますか?

上記の回答(推理小説物の書き方についての返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

推理小説好きが簡単に思うところを書きます。
トリックについてのご質問ですので、トリックを極力排除する推理小説のパターンについては割愛します。同様にヴァンダイン二十則、ノックスの十戒という基本がありますが割愛。必要に応じてググって下さい。

推理ものは著者の素養が必要ではないでしょうか。
端的には好奇心。疑問をもつこと。
ニュースをみていて事件報道があったとしますよね。これを「ふーん」と見ているのではなく、物騒ですが「完全犯罪にする方法」を模索する、ドキュメンタリーなら「その人の立場で現状を変化させる方法」を考える。
こういった日常生活で身についた習慣的素養がものをいうように感じます。
ドキュメンタリーの件なんかは、うちの小学生の娘でも年齢なりではありますが、結構鋭いことを発言しますから日常生活の意識だと思いますよ。

あとは国内に限らず海外のニュースにも注目を。
新聞は複数、それらに必ず海外の新聞社を混ぜて、同一内容の記事を比較してみて下さい。
ネットの日本語版で良いので大国の新聞社だけでも数社比較すると、大きな事件でなにが起きているのか新聞の行間から解ってくるようになります。
とりあえず程度ですが、いくつかリンクを貼っておきます。

CNN(アメリカ)https://www.cnn.co.jp/
ウォールストリートジャーナル(アメリカ)https://jp.wsj.com/
ロイター(英国)https://jp.reuters.com/
スプートニク(ロシア)https://jp.sputniknews.com/
NNA(EU)https://europe.nna.jp/
TUFS(中東)http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html
人民日報(中国)http://j.people.com.cn/

わずかな情報からより多くの情報を読み取り、本質をつかみ取る練習になると思います。

>また推理物は頭が悪いと書けないって聞いたんですが、頭が悪くても書けますか?

学力よりも地頭の良さが求められるように思います。
二律背反、客観的認識力ここらが特に必要になるのではないでしょうか。
あとは一般常識+αの知識。

たとえばですね、
『人物Aをまったく違う他人として戸籍から変えてしまう方法』
条件:超法規的手段は禁止。あくまで個人で実現可能な方法に限る。刑事罰で捌かれることは問題にしないとする。

この答えを導くには、大した学力は必要ありませんが基礎的な民法の知識がいりますよね。無戸籍者にしようというわけじゃありませんから、新しい戸籍が必要になります。
主観で「これで出来るはず!」ではトリックになりませんから、客観的に俯瞰して物事を見つめる必要があります。
読者に速攻でバレバレになるような代物はトリックとして成立しませんから、二律背反的思考能力が必要になります。
最低限、これぐらいでなんとかなると思いますし、どれも鍛えることができますから、たいして頭の良さは必要ないのではないでしょうか。
実際のところ、推理小説に限りませんが一般常識の欠如は致命的欠陥。ここが大丈夫なら時間で解決できます。
頭の良い人が一時間で考えられるなら、一日かければ良いという見方もできます。
ではでは執筆頑張って下さい。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 推理小説物の書き方について

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元記事:三人称におけるカメラを向けた相手の心理描写について

視点移動についての疑問です。
現在三人称で小説を書いているのですが、視点移動がタブーという話を聞きました。
三人称というカメラが映している人間の心理描写を、カメラで映す人間を変えて何人もやっていいのか気になり、相談させていただきました。
説明が下手で申し訳ないのですが、具体的に言うと、男、女の2人が同じベッドにいるとします。男をA、女をBとしたときに下記の例文のような描写の仕方をしていいのか気になりました。

朝日が差し込むベッドの上でAはBの穏やかな寝顔を見つめていた。緊張から一睡もできなかったAはぐっすりと眠るBの幸せそうな顔に少しばかりの恨みとそれを大きく超える愛おしさを感じている。頬に軽く唇を触れさせ、優しく髪を撫でると、触れられたことに気が付いたのかBの目がうっすらと開いた。
「おはよう、B。よく寝れた?」
「おは……、っ!?」
一緒に寝ていたことをすっかり忘れていたのかBの目が大きく開く。ぽやぽやとした眠気が一気に吹き飛ぶのを感じたBは、羞恥心からベッドを飛び出し勢いよく平手を振りかざした。

この場合、Aの恨みと愛おしさという心理描写した後、会話文を挟んでBの眠気の吹き飛んだ感覚や羞恥心を描写するというように、カメラがAからBに移るのですがこのような視点の変わり方をしてもいいのでしょうか?

そもそも三人称でこのような心理描写をしていいのでしょうか、その人物しかわからない心理を描写してしまったら一人称になってしまうのでしょうか。

上記の回答(三人称におけるカメラを向けた相手の心理描写についての返信)

投稿者 あざらし : 2 投稿日時:

まず始めに、何故タブーが存在するのか。
小説に限らず、演劇でも映画でも漫画でもタブーが存在します。
これは『観衆や読者が物語を楽しむことを阻害する恐れがある』からです。観衆が存在してこそ成立する、だから物語に集中してもらうように邪魔になる雑音を排除しましょうという、当たり前っちゃ当たり前の話し。
言い方を変えれば(観衆からすれば)『タブーを犯した”おかげで”物語をより楽しめるならば、なにをやって頂いても結構です』ということです。
要するにタブーを軸に(楽しむことを阻害する)(より楽しめる)という相反することを埋めるには技術や計算が必要で、そこに問題がなければ工夫そのものは歓迎されます。
手塚治虫氏の漫画でもよく見かける基本的なコマ割から逸脱した工夫、あれは技術と計算が支えになっているということですね。

>そもそも三人称でこのような心理描写をしていいのでしょうか、その人物しかわからない心理を描写してしまったら一人称になってしまうのでしょうか。

ここまでのことを大前提、下敷きとして続けますが、おそらく人称に対する認識がごちゃごちゃになっています。
ちょっと整理から始める必要性を感じました。

【一人称】
基本的には主人公を指し、物語は主人公が(見た)(感じた)(思考)を通して描かれます。当然ながら(主人公が認識し得ないこと:例えば他人の思考や、主人公が存在しないシーンで起きた出来事)は書くことができません。これをすると「超能力かよ!」という脱力感、人によっては「読んでられない」という感想を産みます。
一人称をカメラの視点で例えるなら、no more 映画泥棒です。(頭部がカメラになった例のアレ)
本当に映像で一人称をやると【イリヤ・ナイシュラー監督:ハードコア(2015)】という映画のようになります。映画として個人的には特筆してお勧めするレベルにはありませんが、人称を理解しやすいと思いますので予告編のリンクを貼っておきます。http://y2u.be/UI1Ovh5JnOE
視点人物を変えるというのは、幽体離脱して他人に乗りうつるようなものですので、読者が混乱もしますし、読む気もなくすわけですね。
おわかり頂けたと思いますが、

>視点移動がタブーという話を聞きました。

代表的な『やらない方がよいタブー』は、この一人称です。
冒頭の繰り返しになりますが、それでもやっているケース、これはふたつに分けられます。
1)筆致が達者な著者が(最も物語が魅力的になるという)計算の元でやる
2)文章の下手な著者が自分が楽をしようとしてやる

率直にプロ作品でも大多数は2)で、ストーリー構成の上手な著者が工夫の元に希にやるぐらい。ぶっちゃけ下手くそな著者ほどやりたがります。(結構上手にやってるのはラノベですと【丸戸史明:冴えない彼女の育てかた】でしょうか。セリフのみで構成するという本編とハッキリした区別で、より楽しむため、に徹しています)

一般小説を中心に読んでいる人にラノベを勧めて『読みにくい、好きになれない』という時、感想と共に理由を聞くと『一人称の(無駄な)視点移動』が結構な頻度であがります。ファンになったかも知れない読者を態々切り捨ててるような感じがします。

身近なことで例えると、料理の隠し味みたいなものですね。
料理の上手な人だったり、レシピという計算があっての工夫が1)。
下手な人が思いつきでやるとマズイ料理ができるという2)になります。

計算ずくで読者をより楽しませるために達者な筆致をもって書いていただけるならOK。著者がラクをしたり工夫を放棄してやるなら、「もうちょっと読者のことを考えて」ということです。
幽体離脱させたくなければ、はじめから三人称で書く、カメラの距離感を調節してより視点人物に踏み込めば良いだけで、そもそも一人称を選択する意味がありません。
読者へのサービス放棄です。(「おまけ」「奉仕」ではなく、役務に伴う責任や義務の意味です)

【二人称】
短編で変則的に使われることがありますが、これを使う=人称を熟知しているということで、特殊なケースでしょうから飛ばします。
興味がありましたら【藤野可織著:爪と目】【テッド チャン著:あなたの人生の物語 】をどうぞ。どちらも変則二人称、物語として後者は名作レベルです。

【三人称】
ご質問を読む限り基本的な部分に不安はお持ちでないように見受けられますので、種類を書きます。

【誰の心理にも踏み込まない三人称】
読んで字のごとく。あまり見かけませんが独特な雰囲気が出ます。
【主人公の心理以外には踏み込まない三人称】
上記とシーンごとに使い分けたりもされます。たとえばファンタジーでも戦記物で、主人公の心理・認知したものは書く。一方で敵陣営や村人などは一切心理・認知に踏み込まず、俯瞰したカメラで見えた行動やセリフを通して描くという具合。
【自由自在に、主人公は無論、各登場人物の心理・認識したものを書く三人称】
ほぼココが本題ですね。
読んで字のごとくなんですが、自由自在とは決して無闇矢鱈ではありません。

これ、たぶん漫画で例えるのが解りやすいと思います。
漫画は、というより小説以外の物語は多くの場合ほとんどが『三人称』で描かれていますよね。一人称にしろ二人称にしろ実験映像的な代物に限られてきます。
当然ながら(主人公不在のシーン)三人称を基本にしていますので、これを描くことも普通にされます。
手元の漫画で結構ですのでページをめくってシーンが変わる部分に注目してみて下さい。
やり方はいくつかありますが、
1)遠景を利用する
2)小物のアップを利用する
3)コマの枠、サイズを利用する
他にもありますが、多くはこういう工夫がされているはずです。
例えば、建物の全景1) 携帯電話2) 時系列なら枠外をベタ塗り3)
著者の作風によって変わるものですが、こういった感じの約束事がありますよね。

漫画の場合、心情は吹き出しの形状で変えることができます。
そういった便利な約束事があり、絵を利用して直接的に読者に訴えることができる漫画でも、読者に対して『シーンが変更されました』という読みやすくする工夫はあるわけです。
漫画を例にしましたが、これは映画のような映像作品でも同じ、1)や2)を利用してシーンを変えます。

では小説で『シーンが変更されました』こういう工夫はどうされているのか。
著者の作風によっても異なりますが、『章を変える』『段落を開ける』このふたつが最も多いかと思います。著者によっては、これはラノベが多いですが☆や◇といった記号を使う場合もありますよね。
読者が『変更されたのだな』と認識できれば、ここからは異なる人物に視点を変えても大丈夫です。

>Aの恨みと愛おしさという心理描写した後、会話文を挟んで ~中略~ このような視点の変わり方をしてもいいのでしょうか?

ご質問の例文をもとにしますが、読めなくはありませんが、小説を読み慣れた人は引っかかりを感じるはずです。

>ぽやぽやとした眠気が一気に吹き飛ぶのを感じたBは

ここですね。
これ別にBに感じさせる必要はありません。
『眠気が一気に吹き飛んだように』
一部を変えただけなので通して読むとリーダビリティに欠けますが、これだけで視点人物であるAから見たBの様子、Aによる認知に収まりますよね。
充分に推敲でカバーできる範囲だと思いますよ。

ではでは執筆頑張って下さい。
応援いたします。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称におけるカメラを向けた相手の心理描写について

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元記事:あまり小説を読まなくても小説書けますか?

質問です。

よく、こちらのサイトで「書くのならたくさん小説を読んだ方が良い」と言われておりますが、別に小説に拘らず、一つのストーリーとしてまとまっているものであれば、映画とかドラマとかアニメや漫画からでも参考にしても良いのでしょうか?

恥ずかしながら私は、現在小説を書いている身でありながら、あまり小説を読んでおりません(^^;;
(更に恥ずかしいことに、ラノベも読んだことありません……)
手がけている物語のアイデアは、映画やドラマ、アニメ、漫画から「このシーンは使えるぞ」とどんどん取り入れていったものが殆どです。
ただ、そういった媒体でしか表現できないダイナミックな景色とかコミカルな動きを一つ一つ文字に起こすのがとても難関な作業ではありますが。

じゃあ全く小説を読んだことがないのか?
って聞かれたらそう言うわけでもなく、ある程度参考になりそうな作品を読んでみることにしています。しかし、小説を読んでいるといかんせん「書きたくなる衝動」に駆られてしまい、「読む時間より書く時間!」と体が疼いて読むのを放棄して、気づいたら取り憑かれたようにパソコンに向かってキーボードをカチャカチャ打ちまくってます。
読んでいると書きたくなって仕方がないんです。
ある意味病気なんです。

それでも物語を書く以上は月に2、3冊程度は触れておいた方がいいんでしょうか?

やっぱりこういう人の書く小説って読むに値しないのでしょうか?

よろしくお願い致します。

上記の回答(あまり小説を読まなくても小説書けますか?の返信)

投稿者 ごたんだ : 0

分析家になるということは、言葉を鵜吞みにしないということである。

そして、ピーポーから距離を取る為に綿を抜いている。

専門家にしか分からない質問を専門用語を使わず話せって無自覚にストレス掛ける行為。

カテゴリー : ストーリー スレッド: あまり小説を読まなくても小説書けますか?

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投稿日時:

元記事:原型をいじって改変で済むのはどこまでか

質問お久しぶりです。
このタイトルではわかりづらいので具体例を出します。
ガルパンで有名な独逸のⅣ号戦車、この戦車の初期型は24口径75mm砲を搭載していますが、この砲を30口径にしたり77mmにした場合それはⅣ号戦車と呼べるのでしょうか。(いちおう説明しますと75mmは打ち出す砲弾の直径、24口径は砲身長を砲弾径で割った値)
ここまではまだ根拠が無きにしも非ずです(野砲を転用した場合30口径くらいになる、帝政ドイツ時代は75mmではなく77mm砲を使っていた)。しかし後期型が搭載している48口径75mm砲を区切りがいいからと50口径にしたり、防御力が上がりそうだからと車体前面と砲塔前面の装甲厚を入れ替えた場合にはどうでしょう?
このように実在の兵器などのスペック・外見をいじる場合、どの程度の改変までなら名前をそのまま使え、またどれほどいじるならオリジナルのものに仕立て直した方がいいのでしょうか?

上記の回答(原型をいじって改変で済むのはどこまでかの返信)

投稿者 にわとり : 1

固有名詞を振ればいいのでは。

整備士「これはドイツの4号戦車をベースに、77mm砲をとりつけた改良版だ。愛称はナナちゃん号。今日から君たちはこの戦車で戦ってもらう」

みたいな。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 原型をいじって改変で済むのはどこまでか

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投稿日時:

元記事:スレチ失礼します。創作と本業について

クソしょうもないスレ立てしてすみません。
センター出願後に心の余裕なんて2ミリもなかったこともあり相方をひどい方法で突き飛ばしました。「確認次第、アカウント削除します、と一方的に言った)
彼が今何をしているのかはわかりませんが、主に講談社に夢をかけた相方と、少なくないはずの私の一年近くの時間と、上を向き始めた(はずの)壱番合戦さんとで。
すごい頼ってくれるのはうれしかったけど、もう教える余裕なんてからっきしだし、最近(似た質問でもないのに教える方の私が)似たようなことばかり言ってしまい、壱番合戦さんに投げやりになっている感じです。
ハイリターンで教えることができないイラつきと執着で自棄になりました。
甘ったれたこと言えば同情されたいですが、それ以上に壱番さんが何かを得られたのたが心配です。
頼ってた人に裏切られた怒りで彼の生活がメチャクチャになってるかもしれないと思っているのを後悔しています。しかも睡眠薬なんて限界以上に飲むな、などと相手の生活をできる限り立てたつもりだったのに、そいつをいきなりブチっと破壊って……わけわかめですよね。
人を引っ張る人には一貫性が大事だとは思いますが、私には結局そんなことできませんでした。
ただ切るなら納得かもしれませんが、不安をあおって突如消えましたのほうだから、どうしようもありませんね。
壱番合戦さんがここを見ているのかはわかりませんが、主に悩みの区切りをつけるために謝らせて下さい。
中国語や世界史の単語が頭に入りません。勉強に手がつきません。

上記の回答(心配かけてごめんなさい。)

投稿者 壱番合戦 仁 : 1

 僕は元気にしていますよ!薬も適量飲んでいますし、友達もたくさんできて幸せに生きています。お師匠さんとは今度お会いする予定ですし、地元で友達が二人もできました。

 お師匠さんが、「まろんの会」という互助グループを作るそうです。僕は、そこで彼女の参謀を務めることになりました。
 障害を持った会員の夢を相互に叶え会い、「傷を舐め合わず、自分たちの悩みは自分たちで解決しよう」をモットーに活動する予定です。

 具体的な活動内容は厳密には決めません。叶えたい夢があればだれでも発案できるうえ、賛成するメンバーが一定数いればみんなで一緒に叶えます。
 例えば、「僕が障碍者を主人公にした小説が書きたい」と言って、メンバーが賛成すれば、みんなで制作します。その代わり、僕の夢が叶ったら次は別の人の夢をかなえるお手伝いをする義務があるわけです。

 クリスマスまでには、会員は一定数集める予定です。そこからスタートアップします。対象者は、「才能ある発達障碍者」。もしくは「頭の回転が速い人」。入会審査は雑談による面接とします。

 ゆくゆくは、障碍者雇用率最高の、『障碍者の障碍者による障碍者のための会社』を作る予定です。(これ、実は僕の発案ではなく、お師匠さんの発案なのです)

 まあ、そういうわけですから、桂香が心配しすぎなくても大丈夫ですよ。だから、僕はもう大丈夫です。僕のことは心配しないで、センター試験頑張ってください!!
 応援しています!!気張(ちば)りよー!松小(まーちぐゎ)(松ちゃん)!

カテゴリー : ストーリー スレッド: スレチ失礼します。創作と本業について

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