どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信
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どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?(元記事)
タイトルのまんまの質問ですので省略させていただきつつ、この疑問を抱いた経緯を説明した方が良いかもしれません。
なので、一応参考までに書いておきます。
ズバリ、《聲の形》という青春映画を観たからです。
ろうあ者の少女が昔自らをいじめていた少年に恋をするという、かなりセンセーショナルな内容であるにも関わらず、ジャンルは違うとはいえ、コミュニケーションの祖語によって人間関係が崩壊してしまい、そこから何を得て、何を取り戻していくのかを描いたその筆致に一目惚れしました。
感情表現が凄まじく鮮やかだったのを記憶しています。
僕はこの作品を見て一番考えさせられたことがあります。
曰く《他人の事を想う純粋な気持ちと言うのは、こんなにも美しいものなのか》と。
誰かが傷つくことで、自分へでは無く他の誰かを憎み、誰かが悲しむことで涙を流せるなんて、僕には真似できないことばかりです。
この作品に登場する彼らが、僕の目にはとても眩しく映りました。
この外側に向いた美しい感情を【他でもない僕自身が】表現できない限り、主人公のレイヤも成長しないし、脇役たちも根っこのところでは自分のことしか考えていない、とても醜く泥臭い人間のままです。
ここで質問です。
どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
今までの僕の質問に応えて下さった皆様のお察しの通り、僕はアスペルガー症候群を持っており、感情の共感性が著しく低いです。
母が父にDVを受けて泣いているときに、一緒に泣いてあげられなかったことを今でも勝手に後悔しています。
外側に向いた他人を想う気持ちを理解できない人間が、どうしてその美しい感情を描くことができるでしょうか。
どうやらこの先を書き進めるには、僕自身の『身勝手な考え方』と決別する必要があるようです。
皆様どうか知恵を貸してください。
よろしくお願いいたします。
どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信
投稿者 サタン 投稿日時: : 4
>外側に向いた他人を想う気持ちを理解できない人間が、どうしてその美しい感情を描くことができるでしょうか。
勘違いする事が多い部分だけど、極端に言えば「読者が勝手に感動したと思ってるだけ」で、作者がその気持を理解してる必要はありません。
ファンタジー作家は魔法
を使う感覚を知ってるのでしょうか? ホラー作家は幽霊に取り憑かれたことがあるのでしょうか? サスペンスを好む作家は人を殺したことがあるのでしょうか?
そりゃ、恋愛経験のない恋愛作家というのも滑稽なので無いより経験あったほうが良いことは確かですが、別に必須ではありません。
似たような話で学園ラブコメが流行ってた時期によく聞いた悩みでは、「萌えはどうやって書くの?」というものです。
ロリっ子を見て萌えると思う人もいるし、姉御肌の大人を見て萌えると思う人もいる。
これはそう感じる「読者側の問題」であって、作者側から出来ることは「その特徴をアピールする」という事くらいしかありません。
要するに、「萌え」は書けないし、作者が書くものじゃない。そういう特徴のキャラを見て読者が「勝手に感じ取る」もの。
「感動」と「萌え」で、そりゃ話が違うだろうと思ったのなら、ぶっちゃけ考えが浅いと言わざるを得ないです。
「人の感情」ないし「目に見えない心の機微・雰囲気」を書いてる事に関しては同じで、その表現の技術としても同じです。
竹牟礼さんはアスペルガーを理由に共感性が著しく低いと仰っていますが、本当に低いのであれば「聲の形」を読んで感動しないでしょ。
表現者にとって障害は個性という武器になりますから、これを理由にするのは止めましょう。
>僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
私も一度もないよ。家族含め他人に興味ないし。誕生日も覚えてない。それどころか家族の名前を間違えることもあるよ。
>どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
単純にそういうシーンを書けばいいだけ。
「聲の形」は、確か耳が聞こえない少女と活発な少年の青春ドラマだっけか。
この設定の時点で「他人を思いやる」事ができないとコミュニケーションすら困難だとわかるでしょ。
「他人を思いやるシーン」を作りやすい設定で、概要を聞いた時点で「感動させようとする作者の意図」がビンビン伝わってくる。
一時期話題になったタイトルだけど、私は読んでないので、いまWikipediaでざっと確認した程度だけど、
「作品の投稿当時から現在に至るまで育っているテーマ「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」の答えを作者自身が見つけ出せなかったため、「読者に意見を聞いてみたい」という気持ちで描いたという。(Wikipedia引用)」
この作者も「自分は理解してないよ」と言ってるようだね。
その「伝えることの難しさ」を表現しただけで、その場面を見て読者が「勝手に感動した」というだけ。
もちろん感動しやすい設定で感動しやすい演出でもって、そういう感情に誘導してはいるけど、基本的には「作者が「他人を思いやる気持ち」を描写した」というわけじゃないです。
単に、「伝えたいけど伝わらないもどかしさ」や「伝わったときの嬉しさ」を書いていたら、読者が勝手に「作者は他人を思いやる気持ちを書いている」と読み取っただけ。
だから、「感動させやすい物語のプロセス」は理解が必要だけど、「その感情そのもの」を理解してる必要はありません。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?