返信一覧の表示
どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか? (No: 1)
スレ主 壱番合戦 仁 投稿日時:
タイトルのまんまの質問ですので省略させていただきつつ、この疑問を抱いた経緯を説明した方が良いかもしれません。
なので、一応参考までに書いておきます。
ズバリ、《聲の形》という青春映画を観たからです。
ろうあ者の少女が昔自らをいじめていた少年に恋をするという、かなりセンセーショナルな内容であるにも関わらず、ジャンルは違うとはいえ、コミュニケーションの祖語によって人間関係が崩壊してしまい、そこから何を得て、何を取り戻していくのかを描いたその筆致に一目惚れしました。
感情表現が凄まじく鮮やかだったのを記憶しています。
僕はこの作品を見て一番考えさせられたことがあります。
曰く《他人の事を想う純粋な気持ちと言うのは、こんなにも美しいものなのか》と。
誰かが傷つくことで、自分へでは無く他の誰かを憎み、誰かが悲しむことで涙を流せるなんて、僕には真似できないことばかりです。
この作品に登場する彼らが、僕の目にはとても眩しく映りました。
この外側に向いた美しい感情を【他でもない僕自身が】表現できない限り、主人公のレイヤも成長しないし、脇役たちも根っこのところでは自分のことしか考えていない、とても醜く泥臭い人間のままです。
ここで質問です。
どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
今までの僕の質問に応えて下さった皆様のお察しの通り、僕はアスペルガー症候群を持っており、感情の共感性が著しく低いです。
母が父にDVを受けて泣いているときに、一緒に泣いてあげられなかったことを今でも勝手に後悔しています。
外側に向いた他人を想う気持ちを理解できない人間が、どうしてその美しい感情を描くことができるでしょうか。
どうやらこの先を書き進めるには、僕自身の『身勝手な考え方』と決別する必要があるようです。
皆様どうか知恵を貸してください。
よろしくお願いいたします。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!人気回答!どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信 (No: 2)
投稿日時:
>外側に向いた他人を想う気持ちを理解できない人間が、どうしてその美しい感情を描くことができるでしょうか。
勘違いする事が多い部分だけど、極端に言えば「読者が勝手に感動したと思ってるだけ」で、作者がその気持を理解してる必要はありません。
ファンタジー作家は魔法を使う感覚を知ってるのでしょうか? ホラー作家は幽霊に取り憑かれたことがあるのでしょうか? サスペンスを好む作家は人を殺したことがあるのでしょうか?
そりゃ、恋愛経験のない恋愛作家というのも滑稽なので無いより経験あったほうが良いことは確かですが、別に必須ではありません。
似たような話で学園ラブコメが流行ってた時期によく聞いた悩みでは、「萌えはどうやって書くの?」というものです。
ロリっ子を見て萌えると思う人もいるし、姉御肌の大人を見て萌えると思う人もいる。
これはそう感じる「読者側の問題」であって、作者側から出来ることは「その特徴をアピールする」という事くらいしかありません。
要するに、「萌え」は書けないし、作者が書くものじゃない。そういう特徴のキャラを見て読者が「勝手に感じ取る」もの。
「感動」と「萌え」で、そりゃ話が違うだろうと思ったのなら、ぶっちゃけ考えが浅いと言わざるを得ないです。
「人の感情」ないし「目に見えない心の機微・雰囲気」を書いてる事に関しては同じで、その表現の技術としても同じです。
竹牟礼さんはアスペルガーを理由に共感性が著しく低いと仰っていますが、本当に低いのであれば「聲の形」を読んで感動しないでしょ。
表現者にとって障害は個性という武器になりますから、これを理由にするのは止めましょう。
>僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
私も一度もないよ。家族含め他人に興味ないし。誕生日も覚えてない。それどころか家族の名前を間違えることもあるよ。
>どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
単純にそういうシーンを書けばいいだけ。
「聲の形」は、確か耳が聞こえない少女と活発な少年の青春ドラマだっけか。
この設定の時点で「他人を思いやる」事ができないとコミュニケーションすら困難だとわかるでしょ。
「他人を思いやるシーン」を作りやすい設定で、概要を聞いた時点で「感動させようとする作者の意図」がビンビン伝わってくる。
一時期話題になったタイトルだけど、私は読んでないので、いまWikipediaでざっと確認した程度だけど、
「作品の投稿当時から現在に至るまで育っているテーマ「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」の答えを作者自身が見つけ出せなかったため、「読者に意見を聞いてみたい」という気持ちで描いたという。(Wikipedia引用)」
この作者も「自分は理解してないよ」と言ってるようだね。
その「伝えることの難しさ」を表現しただけで、その場面を見て読者が「勝手に感動した」というだけ。
もちろん感動しやすい設定で感動しやすい演出でもって、そういう感情に誘導してはいるけど、基本的には「作者が「他人を思いやる気持ち」を描写した」というわけじゃないです。
単に、「伝えたいけど伝わらないもどかしさ」や「伝わったときの嬉しさ」を書いていたら、読者が勝手に「作者は他人を思いやる気持ちを書いている」と読み取っただけ。
だから、「感動させやすい物語のプロセス」は理解が必要だけど、「その感情そのもの」を理解してる必要はありません。
感情を理解する必要が必ずしもあるとは限らないのはもちろんですが……。 (No: 4)
投稿日時:
ええですが、感情誘導のテクニックを使って読者に自己補完してもらうだけでは手ごたえが無いんですよ。
確かにその技術を使えば《聲の形》のような名作を書く事ももしかしたらできるかもしれません。
だって仄めかすよりも、ダイレクトに伝えた方が、心にガツンッ!!とくるでしょう?
あと、サタンさん。毎回勘違いされていますけど、別に僕、障害を理由に言い訳がしたいのではなくて、レイヤは投影型主人公なので、僕自身の問題がモロにレイヤに投影されちゃっているんですよ。
だから、僕が成長すればレイヤも成長するんです。
その逆もまた然りでしょう。
当然、僕が筆を執っているのだって障害要素をウリにした小説が書きたいからです。
大事なことなので重ねて言いますが、「僕、アスペだからムリーっ☆」とか微塵も思っていませんから。
そんな事を言うやつがいたら、そいつが自分であったとしても反吐が出ます。
正直言ってね、今のままの僕じゃ、バットエンドしか書けないような気がするんですよ。
当初、アイルとレイヤが人間辞めるエンディングはハッピーエンドだと思っていましたが、この前公開したプロットもあまくささんに見てもらったら、バットエンド的な評価をもらっちゃったりしましたし。
レイヤが人間的に強くなるためには僕が強くならなくちゃ意味が無いんです。
だから、今のままではいくらハッピーエンドを書こうとしても悲惨なものになりかねません。
アイルもレイヤも自分の問題と向き合うことすらできないでしょう。
今回の質問はそういう趣旨の質問だったのですが伝わらなかったようでごめんなさい。
僕の個人的な問題を持ち出されて迷惑だというならば、どうかこのことは忘れてください。
虫がよさ過ぎるとは思いますが、勘弁してください。
僕はサタンさんが怖いです。
感情を理解する必要が必ずしもあるとは限らないのはもちろんですが……。の返信 (No: 27)
投稿日時:
>だから、僕が成長すればレイヤも成長するんです。
これがずーっと理解できなくて静観してたんだけど、他の方へのレスなどを読んでいると、つまり、キャラクターと作者を重ねてるから、キャラクターを説明するためには自分のことを語るのが一番だ、ということで自身のことを語っていたのでしょうか?
作者の性格を作品のキャラクターに投影することは多々ありますが、基本的には作者とキャラクターは切り離して考えるものです。
なぜなら、重ねすぎると、それは創作ではなく自伝になるためです。
自伝を書いているというなら理解できますが、そこへ創作の話を持ってくると食い違うかと思います。
例えば、
>だって仄めかすよりも、ダイレクトに伝えた方が、心にガツンッ!!とくるでしょう?
と書かれていますが、自伝なら最もな返答です。自分が感じた感情をダイレクトに発信したいのは当然だし、自伝ならそれが可能でしょう。
しかし創作の話をすると、「それは物理的なレベルで無理だ」という事を先の返信で私は返しています。
なぜなら、感情に形はないし目にも見えないので、書きようがないためです。
ダイレクトと言うけど、「何をダイレクトに書くの?」って話です。
また、普通は作者とキャラは切り離して考えるものなので、「僕が成長すればレイヤも成長するんです」ということも普通はありません。なので理解できなかった。
だって、その考えで言うと、成長した作者が書く「序盤のレイヤ」は、成長してるレイヤになっちゃいますよね?
序盤から終盤までずっと成長したレイヤを書いてたら、レイヤは作品の中で成長しませんよ?
ここで単純に考えれば「じゃあ、序盤はあえて成長前の状態で書く」という答えが出るでしょう。
だったら、今から同じことをすればいいじゃない。これは別に作者が成長してなくても出来ることでしょう。「数年前の作者」をイメージして序盤を書けばいいんだから。
しかし、おそらく今の私の話を理解されてないことでしょう。そうじゃない、違う、と感じてることでしょう。
それは、自伝を書いてるためです。創作の話とは食い違うのは当たり前だ、ということですね。
ついでに。
>毎回勘違いされていますけど、別に僕、障害を理由に言い訳がしたいのではなくて
私も「障害を言い訳にするな」とは書いてないよ。
「障害を理由にするな」とは書いたし、前回のスレッドでは「その障害をもっと前に出せよ、武器にしろよ」とも書いた。
たぶん「理由にするな」という部分を誤解されたのだと思うけど、これは前回のスレッドにも書いたけど、創作の場で障害の有無はどうでもいい事ですから。
綺麗事と思うかもしれんけど、実力主義の世界で実力があれば障害の有無は関係ないでしょ。障害があろうがなかろうが、面白いもん書けりゃいいのよ。
例えば、「私は男だから女性の気持ちがわからない」なんて言ったら、それにだって私は突っ込みますよ。「ならわからないモノとして書けよ。理由にすんな」って。
竹牟礼さんが言う「反吐が出る」ような事はまったく思ってませんよ。
正直、私のほうこそ、竹牟礼さんの中で妙な私のイメージができてると感じる。まあ、それも創作には関係ないことなのでどうでもいいわけですが。
あともう一つ言うことがあったんだけど、なんだっけな……ああそうだ。
竹牟礼さんに足りないものは、「技術」ではありません。
ここで具体的な技術や解決策をいくら提示したところで、きっと竹牟礼さんは理解されないでしょう。
事実、私は「萌え」の例を上げて具体的に「特徴をアピールすること」と解決策を示していますが、竹牟礼さんはこれを「理解できない御高説」と一蹴されています。
気分を害されるかもしれませんが、はっきりと申しまして、基礎的な部分が足りてません。
「1+1=2だ」という説明に対して「でもくっつければ大きな1になるじゃないか」と言う屁理屈がありますが、これは屁理屈じゃなく数学的に「大きな1」になる説明は可能です。
でも、「1+1=2」を理解しない人相手に集合とかブール代数とか体積は二倍とか言っても理解できないので、どうしようもないです。
竹牟礼さんにとって必要なものは、技術ではなく「経験値」です。
別の方から「短編を書くといい」と助言を貰っていましたが、確かに短編や掌編は経験値を稼ぐのに良いのでオススメでしょう。
ちなみに、私が竹牟礼さんと似たような状態だった頃、プロットノックと称してプロット100個作りましたし(たぶん少ない方)、掌編や短編も数え切れないほど書きました。ぶっちゃけ話になってないレベルのゴミでしたけども。
竹牟礼さんに足りないのは、そういう経験値です。
必殺技を覚えれば勝率が上がるとかじゃなく、必殺技を使えるようになるための基礎訓練が必要だろうと思います。
どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信 (No: 3)
投稿日時:
おはようございます。
その映画(原作マンガもあるんですね)は未見ですが、興味をもったので見てみようと思います。今は、ご質問の文面を拝見して感じたことを少しだけ。
>僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
私もありません。少なくとも「心の底から」というほどには一度も。ほんの少し想いやったことなら何度もあります。
ASDの人は共感能力が低いわけではないという研究もあるそうですよ。ただ他の人と物事に対する受け取り方にズレがあるため、共感しにくいだけだと。自分と感じ方が違う人に共感しにくいのは誰だって同じです。何よりも竹牟礼さんが『聲の形』を見てそれだけ感動したということは、豊かな感情をお持ちである証拠ではないでしょうか?
次に、創作論としての意見です。
>僕はこの作品を見て一番考えさせられたことがあります。
>曰く《他人の事を想う純粋な気持ちと言うのは、こんなにも美しいものなのか》と。
それは視聴者・読者としての感想です。創作者であるならば、物語のどこで受け手をそういう気持ちに導いているのかということを考えた方がいいです。
>どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
その答えはすでに竹牟礼さんの心の中にあるのではないでしょうか? 竹牟礼さんが『聲の形』に感動したという気持ちそのものが、素晴らしいモチーフになるはずです。
《聲の形》と《スクールデイズ》を見た後、こういう修羅場を考えたのですが…… (No: 6)
投稿日時:
おはようございます。
《聲の形》を視聴したあの後、伝説の修羅場アニメ《スクールデイズ》を視聴しました。
あまくささん、ちょっとワンシーン思い付いたので出来栄えを見てくれませんか?
出来ればコメント頂けると嬉しいです。
「修羅場を書くとしたらこういう会話のテンポでいいですか?」という単なる確認ですね。
リンク貼っておきます。
https://ncode.syosetu.com/n4551fd/
《聲の形》と《スクールデイズ》を見た後、こういう修羅場を考えたのですが……の返信 (No: 7)
投稿日時:
『聲の形』見ました。
あれで言えば、終盤近くの「橋の上」のシーンが一つの修羅場だったのだと思います。そこで重要なのは、あのシーンに至る主人公の心理の微妙な移り変わりが丁寧に描かれていたこと。あの時点で視聴者は主人公の心根の誠実さを疑っていません。そういう下地があってはじめて活きてくるシーンなのではないでしょうか?
提示された御作のワンシーンではそういう前提となるパートが示されていないため、これだけでは何とも言えません。例えば先に華とアイルの良好な関係を読者に印象づけておけば、突然の豹変がショックを与えて効果的だった可能性があります。
また、単に会話のテンポの確認だけということにしても。
そもそも発言者名・セリフというト書きのような書き方になっているので小説の1パートとしては評価しにくいですが、仮にこのままだとします。
その場合、
>アイル「っ!!……ぷっ。ふふふっ。あははははははっ!!」
>華「あんた……。何様なのッ!?泥棒猫の分際で私を笑わないでよ!!」
>アイル「いやぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだなぁ。もしかしたら生まれて初めてかもしれない……、くふふっ!!
>やぁ、ハッキリ言ってね、レイヤ君はあなたに付きまとわれて迷惑しているって、さっき彼から聞いちゃったんですよね。
>これどう思いますか?ふ、……ふふっ!!」
ここは、かなり気になりました。
会話の流れとして守勢にまわっていたアイルが反撃に転じるところですが、あまりに唐突すぎます。これでは突然の豹変ではなく、呆気なさすぎるのです。引用1行目の「っ!!」の部分。ここをセリフ内ではなく、地の文で補ってほしいところです。
一方でここはアイルの態度の急変も読者に印象づけなくてはいけないところなので、あまりもたついてもダメ。センスの問われる急所だと思います。
そういうことを含め、会話パートはセリフと地の文を1セットでとらえ、適切なメリハリをつけながら表現する感覚が必要だと思います。
ああ、その部分は省き過ぎちゃいましたね。ご指摘ありがとうございます。 (No: 10)
投稿日時:
なるほど、その豹変するまでアイルの様子を地の文でさりげなく丁寧に描写していけばいいわけですね?
例えば、アイルは華にずっとやりこめられていて俯いていたり肩を震わせていたけれど、実は笑うのを我慢していたとか。
そんな感じでどうでしょうか?
ああ、その部分は省き過ぎちゃいましたね。ご指摘ありがとうございます。の返信 (No: 13)
投稿日時:
内容に関しては。
>アイルは華にずっとやりこめられていて俯いていたり肩を震わせていたけれど、実は笑うのを我慢していたとか。
守勢にまわっていた時間が実は見せかけで、相手の様子を冷静に見定めながら反撃の機会を狙っていたのならそうなります。
そうではなく最初は華の敵意に当惑して実際に弱気になっていたのだとしたら、「っ!!」の部分はその手前の華のセリフのどこかに反撃ポイントを発見して体勢を立て直した瞬間ということになります。そのどちらか、または別の理由なのかによって、書くべきことは当然違ってきますよね? そこを「っ!!」ですませてしまうのは手抜きであって、読み手にまったく伝わらないという大きなマイナスになっています。
技術的な問題としては。
セリフと地の文を含めて、伝えたいことが無理なく読み手の頭に入るような文章量の配分とリズムを考えることが大切。したがって地の文は丁寧な方がよいとはかぎらず、短くスパッと書いた方が効果的な場合もあります。
『聲の形』について丁寧と書いたのは、誰よりも悪者にされてしまった主人公が実は誰よりも誠実であることを、序盤~終盤までのプロット全体を費やして丁寧に読者に納得させているということです。
人気回答!どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信 (No: 5)
投稿日時:
そろそろ創作物より「あなた自身の語り」が投稿の半分を越えて来たので、これに
関してボコボコにしようと思います
ぶっちゃけ、あなたの書いているものを見ていると(読むではありません。読めたもの
じゃないので)、我が身可愛さかつ能力もないのに成果ばかり欲しがるろくでなしなの
か、ASD起因で自分を基準にしたものしか目に入らないのか、分からないのです
いつもいつも、設問を設けても最初と途中と結論とで論旨を違えていて、毎回
前置きとタイトルで何を言っていようが「自分のお気に入りの代物を他人に受け取らせるために力を尽くせ」と、言葉遣いで半端に遜ろうが不遜極まりない自論しか、
最終的には提示していません
今回も「まずは」修羅場などと言っていますが、サタンさんの言うようにその比喩の
程など理解している人間なぞ、そうそういません
何より阿修羅と帝釈の闘争の場に居合わせた者など、おそらく有史以来存在しませんので、この言葉すらファンタジーの産物であり比喩です
「それをどれほど作者の能力に相応しく書き表せられるか」で、出来不出来以前の
作風が読み取れるのですが、あなたときたら様々な言葉にかこつけて勝手に値付けを
しておきながら・最初は人に頼んでいようが、それすらおざなりに身勝手な一人語り
を始めるから輪をかけて話にならないのです
ウリだの美しいだの醜いだの強さだの言っていないで、「それはキャラクタにとって
どういうことなのか」を書くことが、「主人公のいる物語の構造の一部」なのです
欲される物語の主人公や登場人物は、そもそもあなたじゃありません
こういうのはプロットの段階から怪しいと、創作上言うのです
作者自身と登場人物造形と舞台設定とを分つでもなく、かと言って状況の論理展開も
出来ず、散漫な自己の思考に向かって拙い言葉を並べた所で、出来上がるものなどあ
の通りです
前々回だかの投稿でテーマだの問うだのなんだの言っていましたが、この時点から
単なる間違いです
テーマとは日本語では主題ですが、それは「作品すべてを通じてのもの」であって、
半端にあなたが気分で定めるものではありません
あなたの言っているものは、各モチーフの次元でのことです
聲の形に影響されて自作に何事かを割り込ませたことも、あまくささんの言う通り
やはり自作へのモチーフが、感動したことの中でも何に対してなのかを厳密に特定されて然るべきことです
それをせずに粗ばかりの設問など繰り返しても、鼻で笑うようなものです
結局はこれは人間そのものではなく「言語上の論理」の領域にあるものだからです
問われているのはその能力と対象への理解のほどであって、それに気付かないくせに
自分を卑しめて悦に入った所で、自分が何をしているのかすら知らない、ただの阿呆
の所業です
障害のことをやたらと口にするなら、IQ検査等で言語や推理能力を調べられはしたでしょう
ああいった能力の次元で、個体によっては器質的に偏った能力しか備えていないものも概ね障碍者の区分に入れますが、あなたの文章を見る限りでは共感性の欠如が問題ではなく、身勝手な決め付けに執心することとそれを後付けで美化しようと腐心する
こと、それと単なる無知によって、言葉の意味認識すら誤って数々の不始末を引き
起こしているとしか思えません
今回の件などは、やはり「他者にかこつけて身勝手にあなたが感動しているだけ」で
あって、漫画も映画も見た私からすれば、あなたの言うほどのものではありません
身内に身体障害のある者がいますが、彼からした所で「ああいうのはヒロインが
美少女だからいいんだよ。でもあの髪形がない。」と、身も蓋もない要素が真っ先に
先立ってから、その他の要素が備わって他人が「偶然」好んだりする代物が共有されただけです
あなたのしようとしている事は、「自分の阿りによって他者を意のまましたい」と
いう極めつけの愚行なので、修羅どころか別の悪道に直行するような振舞いです
いいかげん障害など関係ない領域でばかり馬鹿を晒していないで、まともに勉強の
一つでも始めなさい
過去を悔やむのは結構ですが、それを虚構であれ覆すことを企んでおきながら、
他者の物語の構造と要素によってその美化を図ろうと、浅はかな企みをするもんじゃ
ありません
結局それは、本質的には自分自身が何かを成しえた訳ではないからです
小説を書きたいのか、自分自身の慰撫をしたいのかを厳密に分けなさい
投稿されたものの何が碌でもないかと言えば、前編で途切れているものへの
感想など「前編で終わっている」以上には持ちようがないのに、あなたにとっての
価値ある言葉ばかりまくしたてられていて、うんざりさせられることです
いまのところ、あなたは他人を辟易させる方向にばかり感動させています
よくもまあ、言いたい放題言ってくれましたね。 (No: 9)
投稿日時:
へりくだった書き方が気に入らないという事なのでストレートに本音を書きます。
不快に思いましたか、そうですか。
僕、質問に答えて頂く以上は礼儀をわきまえようとしているだけなのですが、《自分を卑しめて悦に入っている》なんて思われるとははなはだ心外です。
今回サタンさんの場合、長文でだらだら創作論を述べられても、結局あれこれ高説を述べている割には結果的に何をどうやったら良いかも、何が書いてあるのかさえ視覚的に理解できないんですよ。
これでも理解できませんか?
高野豆腐さんの文も含めて生理的に理解しにくいって言っているんです。
読めない漢字まで使ってイキッているのはどちら様でしょうか。
鍵括弧まみれでめまいがしそうです。
あのね。これ言っていなかった僕が悪いんですけれど、あんまり細かい長文いっぺんに読めないんですよ。
学習障害の後遺症が残っているんです。
自力で大部分直せた発達障害は後にも先にもコイツだけだよ。
ていうか、これ治ってなかったら今頃物なんか書いてねぇし。丁度いい証拠でしょ?
平凡に暮らせている小中学生が送るはずの子供時代の大半を潰して、図書室の本を片っ端から貪り読んだんだよ。
色んな人に迷惑かけたよ。親も相当心配していた。でも、その先の人生考えたら文が読めんってのは致命的だって何となくわかっていたし、夏の間図書室が閉め切られても居残って読んでいた。
でも今では親もそれで納得している。
それでも、普通に読みやすい小説だったら半分は読めるようになった。
そうやって血反吐吐くような思いして、自分なりにリハビリして伸ばした読解力をもってしても、あなたたちの文章は何を書いているのか分からないんですよ。
グダグダ長ったらしい文章を鍵括弧まみれにして、サタンさんもそうですが毎回毎回アナタらは一体何が言いたいのですか?
何言ってんのかわかんないから、僕なりに解釈して要約しているんです。
これでも質問の仕方とか受け取り方間違っちゃったな、とかいつも思っていますよ?
自覚していないと思ったら大間違いです。
美化している?何かを成し遂げたわけでもないのに、虚構とはいえ覆そうなんて浅はかなことを考えるな?
冗談じゃない。そもそも、虚構でもいいから自分の事を整理付けて行って、嘘を本当に変えて行っていく過程を僕は大切にしているんです。
あのレイヤという、僕を投影したクズ野郎がどうまともになるのかを、面白おかしく書いていって、それで皆で笑って「面白かったね」って感想を言い合えたらいいなってのが僕の目標なんですよ。
で、成長したレイヤに似ているだけでもいいから近づけたらきっと僕の周りの人は幸せになる。
そういう意図もありますよ。
でもそれは動機の一つでしかない。
もともと、レイヤが誰から見ても作者の意図が透けて見えてしまうほど、嫌われるキャラだってのは承知の上。
そこから、良い奴に成長するシーンが単に思いつかないから「参考になりそうなものはない?」って聞いてんの。
僕の心境の変化がそのままストーリーに直結するって何度も書いているはずだけど、もしかして僕の気のせいかな?
だったら、素直に言ってくれていいから。そのことについては別に怒らないよ。むしろありがたいくらい。
でね。そもそもこの小説、健常者のアンタラのために書いているんじゃないの。
片輪で苦しんでいる人の慰めになればいいな、って思って書いてんの。
一応ラノベの体裁をとっているけれどそもそもエンタメ小説にする気は当初からないし、スパイス的な役割としてラノベのエッセンスが欲しいだけで、悪いけどアンタラとちがって僕はガチ勢じゃない。
だから、一本筋の通った本物のラノベを書いているアンタラの事、これでも憧れているんだよ?
それにね、極端な事言ったらアンタラ健常者だってそうかもしれないけれど、僕らの中には甘い夢を見る余裕もないくらい辛い人もいるの。
その悩みは同じ悩みを抱えた片輪同士にしか分からない。だから、アンタラにできることはせいぜい側に寄り添うことだけ。
それじゃ、人にもよるけど、誰も助からない。
今まで生きてきて僕は、そういう人を何人も見てきた。
死にたいくらい辛いことがあった日の夜くらい、母親に泣きついて一緒にゆっくり寝たいって子供時代は誰でも一度くらいはあるでしょ?
この喩え抜きにしても、つらい現実から少しだけ逃げたいって願う人々は星の数ほどいる。
『物語は人の願いの数だけ存在する』
これは師匠の言葉です。
僕がラノベモドキの私小説をかいて自分を慰めて、その過程を追うようにして、誰かが少しでもいいから僕と同じように慰められる人がいたらいいなって想って、想い続けて書く事の何がいけないんですか?
障害者にとって都合のいい甘ったれた事しか書いていないのはわざとです。
もともと、まっとうな生を受けて一応そこそこ普通に暮らせている筈のアンタたちに媚びる気なんざ、そもそもないんだから勘違いしないでくれますか?
「人を慰めるための小説」は、本質的には「優しい嘘」です。
でも小説なんてそもそも、根っこの部分では面白いホラ話でしかないと僕は思いますが。
そこに何を籠めるのかが大事でしょう?
正論の剣を振りかざして、人のささやかな夢の欠片をぶった斬らないで下さいよ。
強者の正論で弱者を踏みにじるな。
アンタラはか弱い障害者に夢物語も見させようとする行為にさえ、過剰反応する鬼畜ですか?
別に、自分の好きな物を押し付ける気なんかさらさらありませんよ。
どんな読み物もそうですが、嫌いなら読まなければいい。
障害者の中にだって強く逞しく生きている人だっている。
そういう人にとっては胸が悪くなるほど甘ったれた話でしょうね。
それでいい。そういうひとが世の中にもっと増えればいい。
そして、僕の書いているみたいなものがだれにとっても必要なくなる日が来ればいいと切に願っています。
読者は読むものを選ぶ権利があるのは当然のことですから。
こびへつらった書き方に見えて悪かったですね。
よくもまあ、言いたい放題言ってくれましたね。の返信 (No: 12)
投稿日時:
私の名が出たようなので横槍入れますと、
確かに私は竹牟礼さんの質問に答えていません。毎回と言われてるけど、前回と今回の2回ですね。その前はかなり懇切丁寧に回答した記憶があります。
前回と今回の2回は、「前提の考え方に間違いがあるよ」という指摘をしているので、助言のしようがなかっただけです。
しかし前回も含め、他の方の見る限りでは実りのある回答もあったようですから、私の返信は余計だったのでしょう。
余計な茶々を入れてしまったようで申し訳ありませんでした。
いや、こっちこそ謝らせるようなきつい言い方してごめん。 (No: 14)
投稿日時:
いやいやいやいや、受け手の僕が読めないせいもあるから、僕もかなり悪いって。
僕の読解力が未だに低いのは、まだしょうがないことだけど、どの道一応謝んなくちゃいけないことだから、「余計な茶々」なんて一言は微塵一万粒くらい大げさだよ。
気にしない、気にしない。
ホントすいませんでした。
ただ、ちょっと上から目線の読みにくい文章にイラッと来ちゃっただけだから、そこさえ何とかして欲しいなっておもっただけ。
こんどからこっちも過剰な敬語止めるから、そっちもあんまり鍵括弧ばかり使わないでね。
あと、文章を少し短くしてくれると非常に助かる。
らー、しわさんけー。(まあ、気にしないで)
よくもまあ、言いたい放題言ってくれましたね。の返信 (No: 19)
投稿日時:
これは駄目でしょう。
質問しておいて逆ギレってのは。
俺を理解しろ作品を理解しろって
いくつも立てた質問で結局は自己完結して
障害云々と質問を繰り返している。そんな風に見えますよ、現にね。私にもそう見える。
障害者健常者関係ないというなら
自分を弱者といい、気にくわないコメントにはやれ差別だ、正義の云々だという名でぶっ叩くってのは創作者の姿勢にあらずです。
書くのが好きで、創作者ならグダグダと言ってないで、それを作品で示してくださいよ。それすら出来てないんですよ、今の段階じゃ。
逆ギレは駄目だよ、本当に。
皆真剣に答えてくださっていると思うのだけれど?
逆切れ?とんでもない、僕にも十分非があるけれど、大方履き違えているのはそっちの方だ。 (No: 22)
投稿日時:
これね、自分でも自覚しているんだけど、障害者健常者関係ないって言うのは僕の偽らざる本音だけれど、自分の障害にコンプレックスを感じていることもまた本音なわけね。
真剣に答えて下さっている以上は、嘘も隠し事もしたくない。
気分を害したならそれは僕が悪い。
それはそれで本当にごめん。
でもさ。それとは別に、いい加減察してよ。
障害者健常者が関係ないと言っても、それでも現実問題として社会性には歴然とした差があるし、それによる独特な苦しみだってある。
どんなに障害者と健常者が対等だって言っても、そこに強弱の差、感じ方の差は厳然とそこに存在し続けるんだよ。
あんたも僕の同類なのにこれだけ言ってもまだ分からないかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・
そういった社会的なヒエラルキー上の強弱を除けば、対等だ、っていってんの。
だからこそ、僕が書いたことは逆切れじゃないよ?本来対等であるべき部分と、現実に対等でなくてそれが仕方がない部分があるのに、それもわきまえず額面通りに真に受けてあんなこと書かれたら、そりゃ怒りますよ。多分これ以上連投したらうざいだろうなって思いながら聞きたいことを一つ一つ聞いていったことが、全くの無駄だったなんてこれっぽっちも思ってやしないからさ。
確かにキャラクターに入れ込み過ぎて自分の問題と混同しているかもしれないけれど、僕はあくまでも【主人公のモデルが障害を持った自分だから】、こうして本来関係のない下らない障害の話をしているわけ。
何が下らないってTPOもわきまえず、自分が一番嫌っている自らの弱みを露出狂みたいに曝しまくってこういうことを書いている事実自体が、本人や周りにとって苦痛なわけがないでしょう。
自分ですら苦痛を感じているのに返ってくるレスが「関係のない障害の話をするな」じゃあ障害をモチーフにして書いているこっちが虚しくなるよ。
それとも、障害をモチーフにしたところで返ってくる感想などその程度だとでも言いたいのかな?
目的が手段を正当化するとまでは言わないけれど、僕だって訳もなくこんな関係のない下らない噺なんかしたくないよ。
自分の特性なんか嫌いだよ。当たり前だよ。ましてやそんな話なんかしたくない。
グダグダ言っている自分にも嫌気がさしているから、書き終わった自分の作品曝したんでしょうが。
障害云々かんぬんの話もいい加減嫌気がさしたよ。
だから、新しくスレッド立てたけど障害の話は0だよ?
だってわざとそうしているんだもん。
でも、目的があるから敢えてこういうのを書いている。
気に食わないから無差別に噛みついているんじゃなくて、掌編小説一本分にも及びそうな気の遠くなる批判レスに自分と同じような利己的な感情が透けて見えた気がしちゃったからさ。
少なくともjjさんの文章はともかくとして、あれは読んでいる人に見やすいようには書かれていない。
自分の言いたいことをただ書いているだけ。
その態度にムカついたの。
そういうこと。
言い忘れた事。 (No: 26)
投稿日時:
まあ、発達障害だから健常者の人よりも得意なことはあると思う。
そこは否定したくないし、言い訳したくない。
得意なことまで卑下しちゃったら、あざらしさんに悪いから一応書いておく。
逆差別書いてどうするんですか。健常者、障害者関係ないから (No: 21)
投稿日時:
勝手に引用失礼させてもらいます。どうしても言いたい。
〉それにね、極端な事言ったらアンタラ健常者だってそうかもしれないけれど、僕らの中には甘い夢を見る余裕もないくらい辛い人もいるの。
その悩みは同じ悩みを抱えた片輪同士にしか分からない。だから、アンタラにできることはせいぜい側に寄り添うことだけ。
引用終了
改めて読んでみる。
これって逆差別じゃないのか。
そして何を決めつけてモノ言ってるんだろうと思いますよ。
俺も障害があるし、同じような立場にいる。
障害がある、困難がある。だから何? この場では関係の無い事。
創作においてエッセンスにはなるだろう。存分に活かして書けばいい。
でも自分の不自由さをひけらかして、あんたら健常者は〜なんて高説垂れて、
貴方自分の事何様だと思ってんのさ。
障害や生き辛さ、それすら取っ払えるのが創作という一つの場所じゃないの?
同じ土俵に立てるって事じゃないの?
か弱い障害者なんてレッテル自分から貼ってるようじゃ駄目だと、俺は思うよ。
健常者と障害者、そして自分の過去や事情、
(健常者ってこの言葉大嫌いなんだけどさ)
それに作品と貴方の過去や現在は関係ないんだよ。
もちろん、小説を書くまでに至る過程は努力して凄いって思うよ。
でも、それでも著者自身の過去なんて関係がない。
そういうもんなんだよ、小説って。
想いがあるなら、つらつら言う前に完成させてほしい。
未完成じゃ想いなんか届く訳ないだろう。
想いがある、同じ立場の人に少しでもってその思いは素敵ですよ。
だけれども、ちょっと障害者健常者って言いすぎだと思うんだ。
そして逆差別的になっているから、釘刺しときます。
同じ障害を持っている立場として言わせてもらう。
習得困難な勉学は別として
自分でやりたくてやっている事に関して、障害を言い訳にするな。
言いたいことは十分わかったよ、障害を言い訳にするな、か。 (No: 23)
投稿日時:
決めつけているっていうか、単なる素直な感想だけど?
人と人とが【完全】に分かり合えるなんてほぼ完全ならできても、それは土台無理な話だ。
自分から張ったレッテルどころか、人から張られたレッテルをはがせないまま生きているんだが。
まあ、人から貼られたレッテルを引き剥がしたいのなら、もう道を踏み外さなければいいことだし、そういう意味ではあなたは正しいよ。
過剰反応し過ぎたよ。
素直に悪かった。
ごめん。
もう一つ謝っておくべきことがある。
人から張られたレッテルを今すぐ剥がせるほど、僕は強くない。
素直にそれもごめん。
そういう人がほかにもいるってことを無視されてカチンときたのさ。
あと、これは意見の違いだと思うけど、僕は創作ってそんなに素晴らしいものなのかなって思うんだよ。
創作ってさ、作品と作者の過去を無関係に出来るほど凄い物なの?
確かに素晴らしい文章には人の生き方を変える力がある。
楽しい小説は僕らに一時の夢を与えてくれる。
でもさ、いい意味でも悪い意味でも、それ以上でもそれ以下でもないじゃん。
障害を持ち続ける限り、寝ても覚めても僕らは僕らだろう?
一瞬でも過去が消えるわけじゃないし、物事と関係がなくなるわけじゃない。
創作なんか特にそう。
作るものが物語である以上、その人の知識や経験から物語は生まれる。
じゃあ、書いている人が障害を持っていたら?
そっちにジャンルやモチーフの比重が偏るのは当然の心境だよね?
理屈と膏薬とハンディキャップは何処にでも付きまくる。
やりたくてやっている事にもいつかは障害による限界が来るんだ、ってことくらい貴方も分かっているでしょ?
考えれば簡単な事じゃん。
だったら、出来ない事をできないっていうことの何が恥ずかしくてダメなの?
そりゃいい過ぎたよ。
健常者だの障害者だのピーチクパーチク言う過ぎたよ。
でもさ、そりゃ人にもよるけれど、重度の知的障害を持った画家の殴り書きの絵を、誰が芸術作品だって言うと思う?
その前にどんなにやさしい人でも、第一声はこれは何の絵ですかって訊くと思うよ?
展覧会も出ているけれど、ちゃんちゃらおかしいよ。
だって身の丈に合わないことを無理して背伸びしてやっているんだもん。
どんなにきれいごとを並べても、僕らは僕らでしかないんだよ。
それをこの短い半生で嫌と言うほど思い知らされた。
だから、分を弁えた上でせいぜい大したことができない僕でも、貴方の言う言い訳をなるべくせずに良い物を書ける方法を模索しているんじゃん。
そういうこと。
言いたいことは十分わかったよ、障害を言い訳にするな、か。の返信 (No: 24)
投稿日時:
忠告だけど、得意な事や好きなことで対等になれると思いあがらない方が身のためだと思うよ?
じゃないといずれ、痛い目に遭うから。
障害を持っているのに上手いね~、の本音は、仕方ないけどへたくそだよね、だからさ。
ああ、何書いているんだろう、僕。下らない。
高野豆腐さん、同意見です。 (No: 20)
投稿日時:
私も高野豆腐さんと似た様な感じで、彼を見ているんですが
こういうグレーゾーンな人達ってネットには凄く多くて、私も昔やっていたサークルにも、こうした、必ず自分語りに持っていってしまう人っていたんですよ。
非常に身勝手で消耗するだけなので、余りこうした返答にも答えてくれなかったりします。(実際私が返答しても答えてないですし
能力もそれほど高くはなかったりする人達が多いです。
自分自身を見てもらいたい傾向が強いんじゃないかな、と。
何らかの形で愛情を受け取れなかったか、としか思えないですけどね。
小説という表現媒体を、何かを受け取るものや同一視の手段として使うと
それこそ修羅の道という感じですかね。
横槍失礼しました。
どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信 (No: 8)
投稿日時:
一気に書きますので口語が混ざることを予めご容赦願います。
もう一点最初に。
私自身が数年前から自閉症スペクトラムについて理解を深める必要に迫られており、そういった経緯から先入観的なもの、これらを排除しようと努めていますが、同時にそれが影響しひょっとすると不快な点が見受けられるかもしれません。
遠慮無くご指摘頂ければ幸いです。
湾曲表現を避けたいところですので、伝えたいことから端的に。
『ご自身が感じられている特異性を足かせにする必要は全くありません』
さて本題。
あのですね、これ、難しい話です。
どこが難しいかと申しますと、
>僕はアスペルガー症候群を持っており、感情の共感性が著しく低いです。
この、ご自身に対する認識を部分的にでも覆す必要があるように感じてしまいます。
有り体に申しますと、あなたは特別に共感性が低いわけじゃないと思うのです。
これは医師という専門家に診断を受けられたであろう、おそらく『共感性』について説明を受けられたであろうことを考慮に入れても、それでも少なくとも私の身の回りの方を拝見してそう感じますので、こう書かざるを得ません。
実際に竹牟礼さんと対面してお話ししたわけじゃありませんので、たぶん、とつけますが、それでも、きっと、表現方法が多数派から解りづらいだけではないでしょうか。
こう書いたのは前述の通り私自身の経験に基づくのですが、ここ数年生業であるデザイン関係で某教育機関において客員みたいなことをしており、そこの生徒さんに多くいらっしゃるのです。(と、いうか職種的にも、同業者とその関係者に比較的多くいらっしゃいます)
『なにと比べて多い?』というと、学生時代に家電量販店で接客業のアルバイトをしており数え切れないほどの人と会話しておりましたので、その経験に基づき『世間一般・不特定多数のお客さん』と比べてですね。家電量販店というのは接客時間が長くなりがちですので、こういってはナニですが、たかが数年のアルバイト経験とはいえ、やっぱりちょっとした事で「おそらくは、」と感じることがありました。
現在の生業として周囲には世間一般の認知に近いアスペルガーの方、いわゆる『得意なジャンルで力を発揮する』というプラス面の特徴をそのまま発揮している方がいらっしゃいます。
職種的に困難だろうと思うのは『個人事業主となったときの営業』ですね。これは個人事業主、特に駆けだしにとって避けようのない出来事になってしまいますが、それ以外の企業所属という道もありますので、選択の幅です。
なにが言いたいかと申しますと学内、つまり場所によっては多数派や少数派という垣根がなくなり、普通のことになる。
半数は流石にいませんが、それでも自閉症スペクトラム分類ASの特徴が多分に見受けられる人が”5人にひとり”ぐらい(かな?)になると、『多数派の意識の持ちよう・観察認知の角度の差異』程度のことになります。
そしてですね、生徒さんも少数派は結構少数派同士で仲が良い、いや、ちょっと感覚的にストレートではないのですが、静寂の仲の良さといいましょうか。これは悪くとらないでください。単純に価値観や物の見方が同じなので自然にそうなるのでしょう。
ともかく綺麗事抜きに、少数派が少数派として存在しない場、そうなると時として多数派が客観的には浮いた存在にすら見えることがあります。
ここらは『大前提として学内関係者は見とけ!』と紹介されている資料のひとつを手っ取り早く。NHKのサイトです。http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu/about_nt.html#video-03
さて、冒頭から書いたことをもうちょっと突っ込んで。
人間、言葉だけじゃ無く全身で感情を表します。興味がある出来事には”前のめりになる”といった具合に体幹が変化しますし、”どん引き”なんてのもそうですね。
手の位置や足の組み方、顔なら眉や口元は特に雄弁に語ります。そして興味のある内容を話し出すと目が輝きます。
これら全身言語というべき観察を加え、彼ら彼女らを見る限り間違いなく共感してます。ポイントが多数派と若干異なるだけ。要するに多数決の問題で、これが当人の置かれている場の影響により、噴出したり引っ込んだりということです。
DSM分類という存在からしても程度問題でもありましょうが、少なくとも私が知る限り、教育機関に通うことが自主的に出来る人は”特定の場において共感を表現しずらく、その方法が多数派とは異なる”が私の認識です。
そもそもですね、私を含めて多数派の人間が『共感している演技をしていない』と何故いえるでしょうか。
ぶっちゃけ『そういう反応が正しいという教育のたまもの』だったり、もっといえば『ウソをついてる』だけかも知れませんよ?
>母が父にDVを受けて泣いているときに、一緒に泣いてあげられなかったことを今でも勝手に後悔しています。
同様の経験がございませんので、本来は黙して語らずべきかも知れません。
ただ、ですね。
多数派の人間だって泣けないことがあります。
小説でも映画でも、漫画だってもちろん泣くヤツ、私なんですが、それが母親が亡くなったというのに涙が出ない。
葬儀が終わっても泣けない。自分でも冷たいと思いましたが、あるのは苦しいほど悲しくとも涙が出ないという事実だけです。
でもある日、結婚して数ヶ月後、お気に入りの音楽をならしてくつろいでいるとき、寄り添ってきた愛犬の頭を撫でながら、嫁さんが裁縫をしているのをぼんやり眺め、ふと顔をあげると母親の写真が目に入った。そこでいきなりボロボロと涙が落ちました。
これが母親が身罷って3年後、まだ子供も産まれる前でした。
そんなことだってあります。
これは嫁と犬が自覚せず泣かせてくれた、というありがたくも大切な出来事。
で、たぶんですね。
御作の参考になればという思いで書きますが、もし暴力行為を受けて泣いている人を見たとすると、それがたとえ親しい人であっても私も泣けないと思います。
肉体は起こりえる戦闘準備に備えて忙しくなりますし、頭の方も今後の解決方法の模索、こっちに感情が向くでしょうから、それに大部分が支配されます。
人の反応なんてそれぞれです。
>僕は他人を心の底から想いやったことが、ほぼ一度もありません。
ごめん。
いや、謝るこっちゃないんですが、思わず。
『心の底から』という条件なら、私もほぼしたことがありません。
心の底から思いやる事が出来る(と、自分で思っている)のは親友・恋人・親族、こういった相手だけです。
こういった相手が幸せに生きてる限り、また人生において重大なトラブルに見舞われたとしても解決方法がある限り、つまりそういったケースは何度も発生しておらず、そういう意味で”ほぼ”です。
言葉遊びじゃ無いですよ。
そりゃ赤の他人に対して可愛そうだとか、辛いという感情を見てとり、心を揺さぶられることはあります。
物語で涙を流しても、だからといって流さない人より共感しているなんて勘違いもしてません。
これそのものが『あんたは多数派だから』という愚を犯しているだろう自覚もありますが、たとえば私が病院に入院したとしても、いや死んだとしても、親しい人間に泣いて欲しいとは思わないんです。
私に共感してくれるなら、できることなら『良い生涯だった、お見事!』と微笑んで欲しい。そうしてくれるなら、これだって共感だと思うのです。
むしろ親しい相手に対して、ほんの些細な事であっても心の底から共感していると思えるのは人間よりも犬ですね。
犬は生まれついて愛を知っている素晴らしい生き物です。人間がそれを忘れさせようと育てない限り、先天的に愛情で溢れています。これは一般的に『怖い』と思われがちな獣猟犬と、その血統だって全く変わりません。
田舎、というより先祖代々の土地がありますので猟もしますが、犬は自分の体重の10倍近い相手に口の周りを返り血で真っ赤に染め、猛然と立ち向かいます。
で、猟が終われば普段はペット。行動も愛玩犬と変わりません。こういう猟犬がやってくれてるのは《イノシシを家族(人間)と一緒にとっちゃる!》これだけ。
変に人間が『猟犬はかくあるべし!』と気負って育てちゃうと禁猟期に手に負えない犬になります。よくあるのは主従関係が~ってヤツ。バカがやる犬の育て方です。
あることはあるがまま。自然に逆らわずナチュラルで良いんです。
人間の欠点は雑念が多すぎること。感情の表し方なんて個性です。
で、だ。
>僕はアスペルガー症候群を持っており、感情の共感性が著しく低いです。
「第三者に、そう言われた」が元々ではないですか?
相手が医師なら(受診時に、その医師が持つ当時最新の医学的知見に基づき)
こういうことです。
他の情報も一緒。
ネットなら(どっかの誰かが)もしくは、ってか悪くいえば(馬の骨)
発信者が明確なネット記事や書物なら(著者が)突っ込んだ事実として(玉石混淆の出版業界において)
私だって個人情報を晒す気はちぃともありませんので、どっかの馬の骨未満です。それを承知で書きますが、私は竹牟礼さんのご質問を拝読して、共感性が著しく低いという根拠は見つけられませんでした。
むしろ、
>僕はこの作品を見て一番考えさせられたことがあります。曰く《他人の事を想う純粋な気持ちと言うのは、こんなにも美しいものなのか》と。
『美しいモノを美しいと感じる感性』はお持ちですよ。
『美しいと感じられない人』よりも間違いなく遙かにアドバンテージがあります。
>>僕はアスペルガー症候群を持っており、感情の共感性が著しく低いです。
ご自分が指摘された特異性と向き合うことは大切です。
医師のアドバイスに向き合うことも大切です。
でも足かせにする必要はありません。
最後になりますが、興味深い記事を紹介して締めくくります。
もう5年も前の記事ですが。
https://news.mynavi.jp/article/20130625-a145/
竹牟礼さんが得意とされる部分を、ご自身の力で発見されることを切に望みます。
応援します!
応援してくれて本当にありがとう!! (No: 11)
投稿日時:
うらやましいです。
自分が自分のままでいられる場所にいられるなんて素晴らしいことですね。
僕の住む世界は、「あんたの得意なことはあんたが勝手に探せばいいんじゃないの?その件にしては関知しないし、私たちが支援するのは、【普通の健常者】並みでなくても良いからまっとうに働けるように、あんたを普通にすることだけ。それ以外は手伝わない」というスタンスの家族や支援機関に囲まれた矮小な世界です。
それに僕は余りにも多くの罪を背負い過ぎた。
家庭内の不仲が原因で精神的に追い詰められて、両親の財布から札束をパクったまま家出して一日ホームレス生活したり、キャンプ中にはしゃいで箸を振り回して間違って他人の目を突いちゃったり。大声で説教されたことで聴覚過敏が限界に達し、家で大暴れして精神病院に入院したり。数え上げれば枚挙に暇がありません。
悪気はほとんどなかったとはいえ、僕はその罪を今償っています。
また道徳的な罪を犯せば、どのみちホームレスかムショ行きです。
だから今のままの自分を愛して許すなんて甘ったれた事、だあれも許しちゃくれないし、望んでなんかいないんですよ。
いつだってそう。
皆が正しくて僕が間違っている。
それが僕の世界のルールです。
どうすればいいんでしょうね、いや、どうしたらよかったんですかね。
でも僕は知らずの内に勘違いをしていたみたいです。
リアルの人から言われたことを鵜吞みにしていました。
勘違いを解いてくれて本当にありがとうございます。
正しくは美しいものを美しいと感じることはできるけれど、リアルの対人関係での友情とか、愛情を読み取ることが苦手、と言った方がよかったでしょうか。
>>『心の底から』という条件なら、私もほぼしたことがありません。
心の底から思いやる事が出来る(と、自分で思っている)のは親友・恋人・親族、こういった相手だけです。
問題は親族が辛い目に遭って、それからいくら時間がたってもなあんにも感じないし、何をしてあげようとか今更思わないのです。
昔だったら思ったかもしれないけれど、今はそんなこと、微塵しか思いません。極端な話、まるで赤の他人同士です。
でもおっしゃるとおり、誰かに酷い目に遭わされた人、たとえばもし母が死んでしまった場合、「大丈夫、心配しないで。僕は立派に生きて見せるから」って言って笑って墓前に拝む方が、気持ちどうこうは別にして、絶対に本人も安心して逝けるはずですよね。
参考になりました。ありがとうございます。創作には関係ないかもしれませんが、できれば前半の質問にも応えてくれたらななんて甘えていいですか。
うざかったら無視して下さい。その方がかえって傷つきません。
それでは。
応援してくれて本当にありがとう!!の返信 (No: 15)
投稿日時:
順をおって書いていきます。
>自分が自分のままでいられる場所にいられるなんて素晴らしいことですね。
点をあげると素晴らしい世界に見える、ということです。
生徒さんの生活の中心になりえても、全てにはなりません。それもたかだか4年という期間にすぎません。
そして学内をそうする理由は勉学の場であるから。勉強に専念してもらうための処置です。
ホントはね、そうではない。
もっと根源的な問題ですが、そういった大切なことを取り残したまま、勉学の場を提供するための苦肉の策でもあります。
私が彼ら彼女らをみてるのも、ほんの一部。
プライベートは関知しませんし、できません。相談を聞くのが精一杯。
生徒さんからすれば、真実が存在するのは学内という点ではなく生活全般における面であり、彼や彼女らへの本当の解決は面として自分らしいまま生活できることであるはずです。
が、そうはなっていません。
学内は率直に進歩的な考えだと思います。
必要に迫られ、ではありますが。
ただね、これは社会全体でもゆっくりと歩みを進めています。
見えないけし、10年スパンではあるが、ゆっくり進めている。
こっちは必要に迫られ、ではなく正しい道として。
この手の問題に関しての常ですが、おそらくアメリカの10年後が日本の姿です。
アメリカで変化が起きたきっかけは、それ以前になりますが有名人のカミングアウトでしょう。
多数の有名人が、知的障害を伴わない自閉症スペクトラム障害に関すること、以外にも注意欠陥障害・失読症・多動性障害こういった”生きづらさの経験”を告白しています。
結局ですね、多数派が少数派に関心を持つ、これが第一歩で、そこからゆっくりと歩みを進めていくしか、人の意識や価値観の転換には方法がないんだと思います。
>悪気はほとんどなかったとはいえ、僕はその罪を今償っています。
>また道徳的な罪を犯せば、どのみちホームレスかムショ行きです。
経過は特異だと思うが、実際問題としては誰にとっても一緒だ。
解ってますよね?
うん、解ってるはずだ。
>皆が正しくて僕が間違っている。
>それが僕の世界のルールです。
これは、ね。心にジンっと来た。
不謹慎だと自分でも思うけど、でも事実です。
これを『文字として一切書かず、読者の心に届ける』
それができて、かつ読後感をさわやかにできれば飯を食えるよ。
それだけのテーマになりえます。
ラノベより一般、漫画でいえば少年誌ではなく青年誌で扱うテーマではありますが、向き不向きを超越するってのも新機軸としてアリです。
>うざかったら無視して下さい。その方がかえって傷つきません。
ここだ。こういうところだ。
これがイカン。
他の人とのやりとりを見てるんだから、うざいと思ってたら最初から書かんつーの。
それにね、私が忙しくて書けない場合、それでも『うざい』が理由になってしまうでしょ?
私はそれでもいいよ。
でも、きみの心の中で『うざいと思われた』というクサビがハートに突き刺ささるだろう?
意図せずとも、自分自身で可能性を狭めちゃってるんですよ。
世の中はゆっくりであっても動いている。
竹牟礼さんが今より少しでも生きやすい世の中に、牛歩、いやカタツムリの歩みでも確かに前進している。
きみは取り残される気かい?
世の中が変わるなら、君も代償を払うべきだ。
過去に、そりゃ十分すぎるほど払っているけど、残念ながらそうじゃない。
人の心に対する代償は、過去じゃない、現在に対して求められる。
>どうすればいいんでしょうね、いや、どうしたらよかったんですかね。
どうしていけばよいだろう、ですよ。
他人の評価ってのは、最終的決断はここに集約されます。
で、だ。
代償に対する提案があります。
物語の主人公のように生きてみませんか?
きみが好きな、ではなく読者が好きになってくれる王道の主人公。
別にね『かめはめ波をぶっ放せるようになれ!』というのじゃない。
ドラゴンボールなら、悟空がいいそうにないこと。
これを禁止しよう。
傷つけられることだってあります、これは誰でも一緒。
もうね、そんなときは『まだまだだぜぇ!』心の中でいいから、こうやって笑おう。
そうできるように、今よりちょっとだけ、前に。
それで良いと私は思いますよ。
竹牟礼さんが持っている特質。これは転ずれば、という切っ掛けが必要。
そのための主人公のような(プライベートでの)生き方です。
小説が好きで、小説を書くのが生きがいで、飽きることがない。
もしそうならそれだけで伸びる素養を持っているということです。
書いて書いて、書きまくることができる。
これは間違いなくもの凄く強いことです。
>創作には関係ないかもしれませんが、できれば前半の質問にも応えてくれたらななんて甘えていいですか。
おう、甘えちくれ。
いつもは無理だが、今日は大丈夫。
これは元々の質問文か、それとも返信に対することか、そこが悩ましい。
と、いう風に、相手に伝えるには、ひと言足りない。
さっき書いた指摘は、ひとこと多い。
ちょっとずつ意識していこうや。
返信に対することなら、私なりの応えは以上です。
元の文に対してなら、
>《聲の形》という青春映画を観たからです。
という臨場感に関すること、で良いでしょうか?
これはですね、竹牟礼さんがタイトルを知っている物語。
それも『産まれる前なのに、なんでだろ? タイトルは知ってる』
こういう映画・小説・漫画を片っ端から鑑賞し、読んでみて下さい。
中にはハズレもあるでしょうけど、ほとんどが発見に満ちているはずです。
すぐに思いつかなくても大丈夫。
徐々にで結構です。
レンタルなりオンデマンドなり手軽に観られて比較的お金もかからないので映画から、ちょっと例を出しておきます。
【バックトゥザフューチャー(1985年~三部作)】
【インディ・ジョーンズ(1981年~シリーズ】
【ロッキー(1976年~シリーズ)】
とりあえずカラッとしたエンタメで三本。
竹牟礼さんの年齢は知りませんが、なんとなく産まれる前っぽい印象です。
”超”とか”ド”がつく定番映画ですので、観てることも充分考えられますが外すわけにもいかないエンタメ映画。少なくともタイトルはまぁ知ってるはず。
いずれにせよ『産まれる前で、内容も詳しくしらない、でもタイトルは知ってる』これだけで奇跡的な話です。
おもいっきり遡って、そうですね【源氏物語】産まれる前だとかそういう話じゃなく1000年前の小説。
タイトルは日本人なら全員知ってるレベルですね。
なんとなーくなら内容も知ってるはずですし、一部だけなら学校でもテキストで利用されてますよね。
ところが見方をちょっとだけ変化させると、ライトノベルで今日的にも使われまくっているヒロインの大枠タイプがそろい踏みです。
性格がよく癒やしヒロインだとかツンデレはもちろん、悪い子じゃないんだけど圧倒的ポンコツヒロインやら生き霊になって思い人の現恋人をとり殺すヤンデレ、運命の国母認定を受けたヒロイン、他にもまだまだ十数人いらっしゃいますし、ロリコンで有名な主人公、光源氏から代替わりして子孫に話が移った後も色々ありです。
翻訳版でも気軽に読むには大変ですが、読みやすさ優先なら【瀬戸内寂聴訳著:源氏物語】全10巻がお勧め。
他にも連載中漫画で【稲葉みのり著:源君物語】という変化球もありますし、真っ向勝負なら【大和和紀著:あさきゆめみし】も面白く読めます。
ちなみに”聲の形”ですと、アニメも良かったですが、是非原作漫画もどうぞ。
時間制約に余裕があるだけに、心情の描き方が丁寧です。
ではでは、ゆっくりと確実に前進を。
どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信 (No: 16)
投稿日時:
レス含めて色々気になる部分があったので書いてみました。
>どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?
こうタイトルを書かれた直後に
>タイトルのまんまの質問ですので省略させていただきつつ、
自分の聞きたいことのはずなのに省略してはだめなんでは?
そしてその後
>ここで質問です。
>どうしたら、他人を想う気持ちを描写できますか?
聞きたいことって結局これでいいんですよね?
もうすでに何人もの方が回答されてますし竹牟礼さん自身もそれに答えられているので今さらですが、もう少し最初から要点をまとめて書けばよかったんではないでしょうか。
会話しているのとは違ってネットの掲示板は文字が形として残りますから書き出したものをすぐ投稿するのではなくある程度時間をかけて推敲した方がいいですよ。
>ええですが、感情誘導のテクニックを使って読者に自己補完してもらうだけでは
>手ごたえが無いんですよ。
>確かにその技術を使えば《聲の形》のような名作を書く事ももしかしたらできる
>かもしれません。
あなたが他人を思う気持ちを描写できたと言う手応えが欲しいのなら、残念ながらあなたが感動したと言う当の「聲の形」すら参考にはなりません。
サタンさんの投稿を読む限り、聲の形の作者ですらそこまでに至っていない訳で、それ以上の「感動できる何か」を望むのはあり得ないものを求めているようにしか見えません。
いやそうじゃないんだ、自分の作品はそうしないと完成しないんだと思われるかもしれませんが、現状でもっとも有効な方法として「感動できる場面、設定を作る」「それらを読者にうまくアピールする」しかありません。
聲の形の作者も含め、古今東西の作家に「他人を本当に思う気持ちって書けますか?」と聞いてもおそらくは「そんなもの書けるはずがない」と言う答えしか返ってこないでしょうね。
まあこれすらも私の勝手な考えだとして捨て置いてもらっても結構ですが、言いたいのは大多数の作家は人間心理に基づいておそらくこうするであろう、こう思う・考えるであろう事柄を適切に描写しているに過ぎないのであって、本当にそれがわかると言い切れる作家はまずいないと思います。
>なるほど、その豹変するまでアイルの様子を地の文でさりげなく丁寧に描写して
>いけばいいわけですね?
あまくささんとのやり取りでどうも勘違いされてるんじゃないかと思ったからですが、地の文にしろセリフ部分にしろ読者に必要な情報を与える働きがないといけません。
なぜキャラの態度が豹変したのか?事前に情報を知っていて直前まで黙っていたからか、それとも相手の何気ない言葉から自分にとって有利となる情報を引き出せたからか、どちらでも構いませんがそうなることが読者にとってもわかるように、かつ納得できるかたちでさりげなく作中の文章に織り込ませる必要があります。
聲の形自体は私も読んだことがないので具体的には言及できませんが、
>あのシーンに至る主人公の心理の微妙な移り変わりが丁寧に描かれていたこと。
>あの時点で視聴者は主人公の心根の誠実さを疑っていません。そういう下地が
>あってはじめて活きてくるシーンなのではないでしょうか?
これは必要だから作中でそのように描写しただけで、丁寧に描くことそのものに意味はありません。
大事なのは必要な情報を必要なだけ読者に与えることです。
これは作家としてそれらの効能・意味を熟知・熟達する必要があるだけで、作家個人の人間的成長は一切関係がありません。
今竹牟礼さんに必要なのは作家としての実力をつけることだけで、それには数多く書く以外の方法はないと思います。
ゲームでもレベル1ではラスボスはおろか、当面の関門のボスすら倒せないでしょう。
もしそれをやれた例があったとして、TASみたいな変態じみたプレイは誰にでも出来る訳ではなく、普通はコツコツ雑魚モンスターを倒して地道にレベル上げをしてから挑むしかないでしょう。
何を言いたいかと言うと今書かれている作品はひとまず置いておいて、まずは簡単な短編などでもいいから一作、できることなら数作は書き上げることです。
そんなことはしたくないんだ、今書いているものでないと書く意味もない、書く気にもなれないと思われるでしょうが、正直なところ御作の概要をチラと見ただけでも並の作家でも中々書きづらい内容なのに、処女作でそれを書くのは無謀極まりないのではないかな、と。
もちろん最終的に判断するのは竹牟礼さん自身ですが、本当に自分の作品として納得のいくものにしたいなら一旦筆をおいて作家としての自分の実力をつけていくことにまず注力した方が結局は近道になるのだと思います。
何を悠長な、そんなかったるいことはしたくないと思われるでしょうが、私自身かつての浅はかだった自分の行動を省みて(小説ではないですが)今はそうするのが一番だと思った上での意見です。
あ、あと読みにくいなら読みにくい、わかり辛いと伝えるのは恥ではないですよ。
文章だけで情報を得るのは読む側の読み取る力や内容をかみ砕く力も備わってないと、特に長文だと難しい場合もありますから先方に失礼にならない程度に伝えるのは問題ないと思います。
私なりに思ったことを書き綴っただけで、かなりレスもついていて疲れたでしょうから返信はなくても結構ですよ。
気が向いたらレスしてください。
では。
じゃあ、短編執筆のコツについて、スレッド立ててみますね。 (No: 17)
投稿日時:
ああ確かに、高難易度の題材を使った長編を何年もかけて完成させるよりも、短編を何本も書いていった方が作家としての腕も上がりやすいですものね。
ちょっと書きたいものにこだわり過ぎたかもしれません。
一度頭を冷やして質問し直してみます。
ご指摘ありがとうございます。
どうしたら臨場感あふれる修羅場が書けますか?の返信 (No: 18)
投稿日時:
経験したことのない感情を、書くというのは難しい事かと思います。
多くの人と交流すれば、心の底から思いやれるという事でもないのでしょう(障害特性上、緩和できるかもしれないけれど、出来ないものは出来ないのですから)
障害特性上の困難はここで相談すべき事ではなく、医療機関や自助会などではないですか?
ちょっと己の障害にとらわれすぎではと思わなくもないです(私も色々困難抱えてる人間です
障害に囚われなくてもいいって……。 (No: 25)
投稿日時:
コメントありがとう。
でも残念なことに身近なところに自助会が無いの。
せっかくのアドバイスだけど行けないんだ。
ごめんね。
あと、そもそも発達障害は原因も治し方も不明な以上、囚われた状態から抜け出せるものじゃないんだから、それと囚われなくてもいい、じゃなくって、囚われ続けているってのが正しいと思うけれど。
どう思う?
意見を聞かせて。