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鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか? (No: 1)

スレ主 キュピ水 投稿日時:

僕自身の体験の話からさせてください。
「アイデアや技法をインプットするのと、ラノベにおけるトレンドを理解するために、
 作家志望の人間はあらゆるライトノベルを読むべき」というアドバイスがこのサイトに限らずいろんな場所で
言われているので、最近までジャンルにこだわらず色々なライトノベル、特にアニメ化するほどのライトノベルや、新人賞受賞作を読んでいたのです。

しかし、読んでいく途中で突然、読み進める手が止まってしまうことがしばしばありました。
読んでいて鬱な展開、ショッキングな展開があったときに、自分までショックを受けてストレスで
それ以降のページを読めなくなってしまうのです。
(例を挙げると主人公がいじめで暴力を振るわれるシーンや、チンピラに暴力を振るわれるシーン、
 メインキャラが上司にパワハラで圧力を受けるシーン、年端も行かない子供が殺されたりするシーン、
 露悪的に人間や世界の爛れた部分を描写する台詞や文章など)
(特にきつかった作品を挙げると、月見月理解の探偵殺人、ぼくと魔女式アポカリプス、
 とある魔術の禁書目録のオルソラがアニェーゼたちにリンチされる巻あたり)

そういう風にショックを受けて読めなくなった時、頭では
「このラノベはアニメ化するほど人気(or新人賞を受賞するほど認められている)のだから、
 この作品を読まないと面白い小説を書くためのアイデアや技法、それにラノベ界の最新のトレンドが理解できない。
 その作品に一部でも目をそらしてしまうような要素があるのなら、それは自分の感性が未熟なだけだ」と
自分に言い聞かせて読み進める手を再び動かそうとしても、どうしても読書を再開できません。

結果、「人気作を読んでいないのでアイデアや技法、最新のトレンドを十分に吸収できていない」
「読むべきはずの本を読めていない=自分で決めた課題を達成できていない」
「こんな状態だと面白い小説も書けるわけがない」と自己評価も下がり、
日に日にモチベーションも下がっています。
まして同じ作家志望の中に、上記のような人気作を楽しめている人間がいるならなおさらです。
アイデアの吸収量、トレンドへの理解という点では、明らかに僕は彼らより劣っているわけですから。

で、本題はここからで。
某エロゲ(鬱シナリオで有名)の某所でのレビューコメントに、
「自分は全然大丈夫だった。これで鬱とか言ってる奴はどんだけ打たれ弱いの?」
というコメントがあったんですけど、
ラノベで鬱展開を見ても大丈夫な人って、結局メンタルが強いから
鬱展開があっても問題なく見続けることができるんですよね。

彼らのようなショッキングだったり、重かったりする展開でも精神的に
ダメージを受けないメンタルの強い人間なら、
必然的に読むことができるライトノベルも増えるし、アイデアや技法も吸収できるし、
最新のトレンドに対する理解も深まるから、面白い小説を書ける可能性も高まりますよね。

てことは逆に言うと、僕みたいな鬱展開にいちいちショックを受けるメンタルの弱い人間は、
触れる作品も減るから十分にアイデアを吸収できないし、トレンドも理解できないから
面白い小説を書けないってことなんでしょうか?
僕が面白い小説を書くためには、より多い作品に触れてアイデアやトレンドをインプットできるために
鬱展開の多い作品を読みまくるなりしてメンタルを鍛えるしかないんでしょうか?

もしそうだったら死にたくなってきますね。
メンタルの強い人間が得をしがちな日常から
少しでも解放されるために創作を趣味にしてきたのに、
創作の世界でもメンタルの強さがものをいうだなんて……

カテゴリー: やる気・動機・スランプ

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人気回答!鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 2)

投稿者 s.s : 6 No: 1の返信

投稿日時:

確かに鬱展開があるアニメや創作物は見ている途中に萎えてしまいますよね。私も、僕だけがいない街のひなもりが虐待を受けるシーンで見るのを断念しましたが、かと言って、作家になれないというのは些か早慶な判断かと思います。
確かに、鬱展開のある作品を読めないというのはそれだけ、鬱展開のある作品からアイデアや技法は得られなくなりますが、だったら、鬱展開のない作品だけを読んで、自分の作風をコメディ調のギャグ特化にすれば、なんら問題ないかと思います。
八木耳木兎さんがシリアス調のゴリゴリの鬱展開を書きたいというなら、まぁ、少し我慢してでも読むべきかと思いますが……鬱展開苦手な人がそう言ったのを書くとは思えません。
正直、トレンドとかを追うために話題作や受賞作を無理やり読む必要性はないかと私は思います。
トレンドは移り変わるものですし、昔の作品でも面白いものは面白いですから、常に貪欲に知識を追い求めるのは良いことですが、自分がヤダと思うなら、やらない方がいいと思います。
今のところは本を読むのがヤダで済んでますが、嫌なものを無理矢理やっていると、そのうち、小説を書くのすら嫌になっていくので、自分の心には従った方が賢明かと私は考えます。
もし、それでも、話題作を読みたいと思うなら、レビュー記事などを読めば良いと思いますよ。
しかし、八木耳木兎さんは凄いですね、私なんかインプット用の小説を買っただけで満足してしまいますから……
まぁ、人には向き不向きがありますから、自分に合ったことをするべきかと思います。
お役に立てたら幸いです。

鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 3)

投稿者 読むせん : 2 No: 1の返信

投稿日時:

逆に鬱嫌いな人に安心して読める本が欲しいというニーズ在ります
――――――――——
 なろう内のイージー異世界トリップの起源は、ハード振るボッコなダークネス異世界トリップ【十二国記】をたぶん起点にしています。たぶん(;´∀`)

 ①言葉通じない、②三国志くらいの中国的な殺伐&物騒世界、③妖獣とかいう肉食獣が跋扈しまくり、④親切にしてくれたり友人になった人の半分は死ぬ。という嫌な異世界に強制トリップしてしまう少女向けラノベ原作シリーズです。

これ以降、エンタメぜんたいに胸糞ブームが到来し、何見ても胸糞作品って時期があります。あまりに胸糞に嫌気がさした人々がネットでイージー安心異世界トリップ描きまくっていた部分もあります。

鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 4)

投稿者 サタン : 2 No: 1の返信

投稿日時:

いやいや。
苦手なもんはしょうがないよ。
「メンタルの強さ」というか、うーん……
私も精神や心理に詳しいわけではないのでニワカ知識で結論を先にいうと、
「鬱展開を読んでなんとも思わない、可哀想とも感じない」というのは、
これは単に「共感性が低い人間」であって、メンタルが強いわけではありません。
むしろ、ただの物語、ただの作り物に、そうと知っててダメージを受けるほど気分が沈むというその感性の強さは羨ましいですよ。
スレ主さんは、メンタルが弱いんじゃなくて感性や共感性が強いんです。

だから、あえて苦手なものを読んでダメージを受けることはない。嫌なら嫌でそういう展開は避ければ良い。鬱展開がない人気作もありますよね?

でも。
酷い打ちを受けたからこその楽しさというのもあります。
例えばシンデレラですね。
シンデレラは意地悪な姉にひどい仕打ちをされて虐められてる。だからカボチャの馬車で舞踏会へ行く、つまり「酷い場所からの脱出」が面白く感じる。
白雪姫も同じですね。継母に嫉妬されて殺されそうになるような環境にいるからこそ、森の中で七人の小人との暮らしが楽しいものになる。
こういう物語構造として「酷い仕打ち」というのはアリなので(ようするにカタルシスの抑圧を書くということ)、鬱展開などを道具として受け入れる余裕は持ったほうが良いかもしれません。

それと。
確かに自分が得意と思ってるジャンルは一般文芸もラノベも問わずに名作と呼ばれるものくらいは一通り読んでおくべきだし、毎年上がってくる良作には目を通したほうが良い。
それと、応募しようと思ってる新人賞の作品もちゃんと読んでおくのが良いと思う。
けど、それはあくまで「自分が得意と思ってるジャンル」だけで良いと思いますよ。
競争相手になるのはソコだけなんだし。

「どういうのが良いのか」「どういう展開が好まれるのか」ってリサーチするのも良いけど、物語の構造はある程度の型があるし、作家それぞれ得意なパターンを持ってるし、そこで勝負しているので、そもそもそんな多くの引き出しを持ってても使い切れん。
それに、そういうのは必要なときに調べれば良いだけで、最初から全て頭に入れてる必要はないしさ。
創作は表現の手段でしかなく、目的ではないので、その「表現手段」の技術やセンスをいくら磨いても「何を表現したいのか」って目的がないと中身が空っぽになっちゃいますよ。

作家になるために読書しまくるのも良いけど、それは自分の得意なジャンルのみにしておいて、あまった時間は別の趣味を探して楽しむのが良いと思います。
創作とは違うところで、「表現したいもの」は多く見つかります。
オススメはカメラを趣味にしてフラッと小旅行に出かけるとかですね。

人気回答!鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 5)

投稿者 かにさん : 3 No: 1の返信

投稿日時:

自分は割と鬱展開が好きなタイプです。

沙耶の唄、さよならを教えて、自殺のための101の方法などの割かし重たいゲームでも取り立てて気分が悪くなったりはしないです。むしろ、刺激的にはちょうどいいくらいかなーという感じ。

でも、これってメンタルが強いというより、自分事として捉えていないからだと思います。作内の人物と同化したり、自己投影したりはめったにしないです。自分の場合、漫画小説を何千冊読んでますが、本当に自己投影できたキャラは数人くらいですし。(最近は賭ケグルイの尾喰凛くんには割と自己投影しましたが。鬱屈された精神状態から解放された感じが個人的にGoodです)

基本、私は、作品を観劇するように楽しんでいます。オルソラがアニェーゼたちにリンチされるシーンを例に挙げると、両者の立ち位置を理解したうえで「アニェーゼらの立場からするとそうしうるよね」などと同情や、共感や理解に楽しみを見出します。

読み方みたいな部分で違いがあるのだと思います。単なるDifferenceだと思うので、あまり卑下したり、思いつめたりする必要はないのかなと思います。それだけ自己投影して読めるということは、同じく自己投影型の人間に価値を提供しやすいということですし。

観劇型の私からすると、あまり自己投影しないから、自己投影型の人がどの程度の鬱展開でどれくらいのダメージを受けるのか、感覚的には分からないのですよね。私らが観察を必要とする部分を、感覚的に把握できる分には普通に強みだと思いますよ。

鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 6)

投稿者 手塚満 : 2 No: 1の返信

投稿日時:

結論から先に申せば、苦手な流行ジャンルに挑むか、自分の好きなジャンルで当面やっていくか、スレ主さんの決断次第です。以下、そのことを説明してみます。

1.苦手と感じるものは、創作者としてはむしろ向いている

「お化けの類が怖くない人はホラー作品を作れない」のだそうです(誰の言だったか忘れました)。確かにそうかもしれません。幽霊が怖くなかったら、幽霊がどう現れ、何を言い、どう行動したら怖いのか、想像するのは難しいでしょうから。

その一方、クトルゥフ神話で有名な作家ラヴクラフトはオカルトの類を一切信用せず、無神論者を自認すらしていたそうです。これも頷ける話です。幽霊が確かに存在すると信じているなら、その信じる内容に縛られてしまいますから(結果、作者だけが怖がるという悲喜劇にもなる)。

読者を唸らせるほどの作品を生み出したければ、苦手なもので苦痛を生々しく感じる必要性と、同時に感情抜きで眺める客観性が必要というわけです。「自分は全然大丈夫だった。これで鬱とか言ってる奴はどんだけ打たれ弱いの?」と言う人は、ゲームプレイヤーや読者にはなれても、クリエイター側になることは難しいでしょう。

2.ご質問文から推測してみたスレ主さんの得手不得手

スレ主さんはどうやら非常に他人に共感しやすい、感情移入が強く起こりやすいタイプではないかと思います。そうでなければ、実際には存在しない人物(作中のキャラ)がひどい目に遭うことを、我が事のように感じないはずですから。

ですので、難しい問題です。適性があるゆえにハードルが高くなっています。名作、人気作を読むときもそうですし、自ら書くときにはそういうシーンの必要性が出たら、さらに苦痛ではあるでしょう。

しかし、そこが他人には真似が難しい、スレ主さんの武器でもあるわけですね。なぜなら、作中のキャラになり切って、作品世界を実感することができるから。作者としてよく「キャラが走る」と言ったりします。作中キャラは、作者が想定して行動させているわけですが、作中キャラがまるで己が意思を持ったかのように感じる現象です。
(作者が作中キャラにAの行動をさせようとしたら、そのキャラがAはできない、やれるのはBだと言ってる気がする、とかです。)

こうなればしめたもので、作中キャラが自ら考え、行動している雰囲気が出やすくなります。そこに、キャラになり切る資質が加わると、いわゆる鬼に金棒状態となります。ただ、その鬼に金棒を活かすには、2つの選択肢が生じそうです。

3.リスク承知で苦手に挑むか

1つはいばらの道で、辛い描写のある作品を大量に読み、キャラの苦痛を自分の苦痛と感じても耐えること。そして、得たものを活かして書くんですが、当然、勉強した成果を出すためには、自作のキャラの苦痛も感じながら書くしかありません。

読むときは、ある程度つまみ食い(見たいところだけ注意、集中する)できるんですが、書き手になるとそうはいきません。シーンに登場するキャラ一人ひとりになり切って実感するだけでなく、シーンに出てこないキャラまで意識する必要があります。

例えば、牢獄につながれているヒロインを助け出す物語だとして、主人公が遠くで四苦八苦しているときでも、「このときヒロインはどうしているか」は意識する必要があります。これは私では難しいことなんですが(すぐ忘れる)、キャラを生々しく感じる能力があるスレ主さんなら可能になりそうです。

ただ、しんどいです。下手すると病みます。人生相談でも、他人の悩みを真面目に聞いただけでも、数人~十数人と聞いていると、相談者の苦痛を追体験しておかしくなることって、よくあるそうです。他人の話を上手に聞ける人ほどそうなる。ましてや、自分で創造したキャラですと、自ら苦痛を作り出し、自らが苦痛を受けることになります。

ですので、苦手意識がある分野、ジャンルに挑むなら、下手すると自分が壊れる前に撤退する覚悟と(サンクコストは切り捨てる等)、自分を客観視する用心が必要です。趣味の創作で実生活ができなくなってはいけませんから。しかし、もしやり続けることができれば、生き生きしたキャラが活躍する名作を生み出す確率は、例えば私みたいな共感の凡人より遥かに高いでしょう。

3.仮にニッチでも好きなジャンルを選ぶか

もちろん、それだけが道ではありません。リスクを避ける行き方もあります。ラノベも競争が激しくなってからは、刺激の強い描写を入れることが多くなりました。他人の作品のある過激描写が受けたとみたら、自分の作品ではもっと過激にしてみよう、という競争ですね。とりあえず目を引けるエロもグロは特にそうです。

でも、そんな作品ばかりじゃないですよね。ほんわかした作品だってある。ひたすら小ネタのギャグを延々と展開するものだってある。勝負ものだとしても、命張った血みどろのバトルがある一方で、囲碁や将棋の盤面で勝負する作品もある。どちらも同じくらい手に汗握るものがあったりもします。必ずしも身体的、精神的苦痛が大きいほど盛り上がるわけではないわけです。

スレ主さんもきちんと読めて、好きなジャンルはおありでしょう。もしそうなら、そのジャンルを目指すのも悪くありません。現時点での刊行数やPVでの人気ジャンルは気になる要素ではありますが、次の流行ジャンルが作者さんの好むタイプになる可能性だってある。むしろ、次の流行ジャンルを作り出すほうが得るものはデカいです。そうならなくても、ニッチで安定した人気を得ることも可能です。今は読者の好みが多種多様ですから。

4.たくさん読んで書く想定で選択すべきだが、いつ変えてもいい

作家スティーヴン・キングは小説家になるコツを聞かれて、「たくさん読んで、たくさん書く。それしかない」と答えたそうです。読むのも書くのも大量になることだけは覚悟する必要があります。苦手ジャンルに覚悟を決めて挑むか、今の自分にできるジャンルを目指すか。あるいは他の方法を模索するか。

こればかりはスレ主さんが自らを省みて、決めるしかありません。決めにくくてもとりあえず進むことです。自分がどうしたいかなんて、いつでも変えていいし、変えられるんですから。特に趣味でやるなら自由気ままでいいはずです。

鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 7)

投稿者 甘粕 : 1 No: 1の返信

投稿日時:

私は鬱展開は大丈夫ですが、意味のない唐突なエロや過激なものは年々だめになってきています。

という様に苦手なものは苦手ですし
変化していくものもあったりします。
それを無理に摂取していくとアレルギーと同じで精神に悪影響しか及ぼさないのでやめた方がいいと思います。

鬱展開がない作品も多くありますし
苦手、が分かった事で作品の方向性も変わってくると思うので、むしろ落ち込みのではなく、手がかりを見つけられたぞ!と前向きに考えるといいかもしれないですね。
こんなご時世ですから、自分の見たい事で満たしていきましょう

ダメージ受けないのは、メンタル強いのとは違う。 (No: 9)

投稿者 ごたんだ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

代表作ホワイトブレッドの作者 我浜疾風さんは豊満な女性が大好きでリョナ作品を涼風文庫から出していましたが、ヒロインを苦しめるのを苦にして、筆を置いたそうです。

このようにリョナものをただ弱い男性が好みで、作ろうとすると痛い目に遭うそうです。

リョナ作品を作るには、ある程度の女性にイジメられたい醜男なN的要素が絶対的に必要な用です。

実際にリョナ作品の作者は、童貞やそれに近い女性と縁の無い方ばかりでモテない反動で描いているのだとか…

男性愛はN、女性愛はS的であると言われています
男性は女性でもN性を求めるのは珍しいことではありません。
時には、向こうから女性が寄って来るイケメンも、男性だらけの男系家族の紅一点もマゾ豚的な欲求が潜在的にあるのです!

鬱展開でもダメージを受けないメンタルの強い作家しか創作では生き残れないのですか?の返信 (No: 10)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

はからずも(?)スレが上がりましたので、遅まきながら私からも私見を書いておきます。

スレ主様の悩みは、性格の違う二つの問題を含んでいるようです。

1)鬱展開そのものに対する苦手意識の問題。

2)そのタイプの作品が読めないことにより、インプットの幅が狭まる問題。

1については他の方も仰っていますが、感受性が強いゆえとも言えます。また、スレ主様が拒否感をいだくということは、同じようにそういう作品は読みたくないという読者も少なからずいるだろうと思いますよ。
ですから鬱展開を好まない読者のための作品を書いていくと決めてしまうのもアリで、それでも十分需要は見込めるのではないでしょうか?

そして1の方針に決めるなら、2は別に問題ないことになります。
いや、鬱展開があって他に優れた部分も多く含んだ作品もあるでしょうから、まったく制約にならないとまでは言い切れないかもしれませんが。しかし、少なくとも、

>その作品に一部でも目をそらしてしまうような要素があるのなら、それは自分の感性が未熟なだけだ

>「こんな状態だと面白い小説も書けるわけがない」

とまで思い詰めるのも、行き過ぎだと思います。明るい作品だって参考になるものは読み切れないほどあるはずです。

>メンタルの強い人間が得をしがちな日常

そんなこと、一概に言えませんってw
まあ、メンタルが強いうえに頭が良くて能力も高ければ有利ではあるでしょうが、メンタルが強いだけでバカだったり自分勝手だったりする人はけっこうはた迷惑な存在ですから、かえって排斥されてしまうこともあります。

   *   *   *

……ということで概ねよいと思うのですが。
強いて言うなら、一つだけ気になる点があります。あくまで強いて言うならですが。

明るいハッピーエンド志向の物語を作る場合でも、ある程度主人公を苦しませるパートがあった方が面白くなるという創作上のテクニックはあります。
その程度にキャラクターが苦しむのを見るのも、けっこう辛いでしょうか?

そのくらいの範囲内で主人公を苦しめるということには、慣れた方がいいとは思います。
ただ、そういうテクニックは明るい作品にもけっこう盛り込まれているはずなので、ことさら鬱展開寄りの作品を読まなくても習得できるとも思います。

それと昨今の傾向として、なろう小説などでは主人公が一切苦境に立たない作風が受けているという話もあります。そのあたりのことについては、どのようにお考えでしょうか?

ちなみに、全て『逃げ』だ! (No: 11)

投稿者 ごたんだ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

作家には、斬魄刀に向き合うような純粋さがいると思います。

違うタイプも当然いるのでしょうが、自分が目指す作家タイプでは無いです。

そうして、そういったタイプは足の速さがいると考えてます。

締め切りから、逃げられる足の速さで欲を言えば、缶詰めされても脱出する器用さも欲しいです!

ショッキングな描写に慣れなくてもいいが鬱展開を扱えると有利 (No: 12)

投稿者 田室 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

前置きとして、少し鬱展開について考えてみます。鬱展開というのは、その後主人公達が成長したり、幸せを得たり、何かを達成したりするための前振りだと思います。
しかし、辛い状況を打開するための一手を思いつく、悔しい経験を糧に努力しようと決意する、等何かしらのカタルシスがそのあとの展開や描写に存在しないと、ストーリー上上手く機能している良い鬱展開にはなりません。
また、鬱展開の重さ・長さとそれによって得られるポジティブな展開・感情が釣り合わないと多くの人はモヤッとして終わります。
逆にそのバランスが取れていると、作品の強み、魅力になります。
創作する上で鬱展開が必要とされるのは、上手く作用すると作品を強力に面白くできるからです。

さて本題の「鬱展開に慣れなければならないのか」ですが、まずはNOと答えたいと思います。
コメディタッチな作品だって名作は沢山あります。暖かい日常を描いた作品で、根強い人気がある、なんてこともあります。
笑えるポイントを物語に落とし込んだり、登場人物のやり取りをいかにコミカルにみせるか試行錯誤したり、そういうのも作品の技術です。
日常的、普遍的であればあるほど作品として面白く見せるための表現技術や語彙が必要とされます。
主人公や登場人物に苦難させ試練を与え、取り巻く状況の辛さを描写する。これは創作の大事な要素ではありますが、絶対ではないと思います。

ここまで「鬱展開がない≠面白い作品にならない」について書いてきましたが、ここからはひっくり返して「鬱展開はやっぱいるよ!!」について書いていきます。

鬱展開も色々です。ショックを受けるほど残酷でない鬱展開だってあります。
どうも、スレ主さんの考える「鬱展開」、鬱展開の中でもかなり重いものばかりだと感じます。
子供向けの絵本で考えてみます。
①ある子供が公園に行くと、遊びたかった遊具は人でいっぱいだった。
②怖くて代わってと言い出せず、悲しみながら立ち去る。
③しかし、同じ遊具で遊びたかった仲間に会い、一緒に頼みに行く。
④譲り合って遊ぶことになる。
こういう話があったとします。鬱展開にあたるのは②です。登場人物に負荷をかけるという意味ではこれも鬱展開です。

では少し鬱度を上げてみます。
①ある子供が公園に行くと、遊具は上級生に占領されていた。
②代わって欲しいと頼むが、追い返されてしまい、悲しみと悔しさを抱きながら帰る。
③しかし、同じ遊具で遊びたかった仲間に会い、上級生に抗議することを決める。
④話し合いの結果、遊具は交代で遊ぶことになり、上級生も謝ってくれた。

①相手が、上級生という力関係が上の存在
②口に出して頼んだが断るどころか追い返される
主人公の子供にとって壁が高くなりました。鬱度上昇です。従って、対抗手段・結果も
③交渉→抗議
④解決策が見つかる+詫びもちゃんと貰ったというフォロー
というふうに、釣り合うように変化させました。
抗議が何度か失敗すれば、鬱展開が長くなったということで鬱度上昇です。
また上級生が暴力振るうなど、主人公が傷つく度合いが上がればそれも鬱度上昇です。

主人公に降りかかる苦難が、傷や出血を伴うもの、生々しいもの、どうしようもないものであればあるほど、まさに読者が鬱になりそうなほど辛い展開、鬱展開と言われる訳です。そういう作品が面白いのは、そのあとのカタルシスがその分とても大きいからです。

鬱展開を苦難な展開、と置き換えると、多くの作品に大なり小なり存在します。しかし、必ずしも暴力的で生々しい、ショッキングな描写でなくても大丈夫です。同じ出来事でも描写によってショックさは全然変わってきます。
子供向けのアニメや特撮ドラマでも、周辺人物が亡くなる、仲違いするなどシリアスな出来事はあります。しかし、絶対にショッキングに描きすぎない努力がうかがえます。

色々書いてきましたが、最後に私の考えを。
ショッキングな「鬱展開」に慣れる必要はないです。無理すればマジで病みます。でなければ「途中退場者続出!」なんて煽りの着く胸糞映画なんか存在出来ません。
しかし、ごくごく軽い苦難でも一種の鬱展開と言えることを覚えておいてほしいです。
創作において苦難な展開とそれを打開する時のカタルシスは強い武器に、作品の大きな魅力になることが多いからです。軽い鬱展開を何度も挟みつつ成長していく、というやり方もあります。
「展開の重さ×解決までの長さ」がその後のカタルシスと釣り合うかどうか。暴力的で生々しい展開でなくても、極論ギャグ作品でもいいです。色んな作品を見る時、これをもとに「鬱展開」の扱い方を分析してみてください。

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僕自身の体験の話からさせてください。
「アイデアや技法をインプットするのと、ラノベにおけるトレンドを理解するために、
 作家志望の人間はあらゆるライトノベルを読むべき」というアドバイスがこのサイトに限らずいろんな場所で
言われているので、最近までジャンルにこだわらず色々なライトノベル、特にアニメ化するほどのライトノベルや、新人賞受賞作を読んでいたのです。

しかし、読んでいく途中で突然、読み進める手が止まってしまうことがしばしばありました。
読んでいて鬱な展開、ショッキングな展開があったときに、自分までショックを受けてストレスで
それ以降のページを読めなくなってしまうのです。
(例を挙げると主人公がいじめで暴力を振るわれるシーンや、チンピラに暴力を振るわれるシーン、
 メインキャラが上司にパワハラで圧力を受けるシーン、年端も行かない子供が殺されたりするシーン、
 露悪的に人間や世界の爛れた部分を描写する台詞や文章など)
(特にきつかった作品を挙げると、月見月理解の探偵殺人、ぼくと魔女式アポカリプス、
 とある魔術の禁書目録のオルソラがアニェーゼたちにリンチされる巻あたり)

そういう風にショックを受けて読めなくなった時、頭では
「このラノベはアニメ化するほど人気(or新人賞を受賞するほど認められている)のだから、
 この作品を読まないと面白い小説を書くためのアイデアや技法、それにラノベ界の最新のトレンドが理解できない。
 その作品に一部でも目をそらしてしまうような要素があるのなら、それは自分の感性が未熟なだけだ」と
自分に言い聞かせて読み進める手を再び動かそうとしても、どうしても読書を再開できません。

結果、「人気作を読んでいないのでアイデアや技法、最新のトレンドを十分に吸収できていない」
「読むべきはずの本を読めていない=自分で決めた課題を達成できていない」
「こんな状態だと面白い小説も書けるわけがない」と自己評価も下がり、
日に日にモチベーションも下がっています。
まして同じ作家志望の中に、上記のような人気作を楽しめている人間がいるならなおさらです。
アイデアの吸収量、トレンドへの理解という点では、明らかに僕は彼らより劣っているわけですから。

で、本題はここからで。
某エロゲ(鬱シナリオで有名)の某所でのレビューコメントに、
「自分は全然大丈夫だった。これで鬱とか言ってる奴はどんだけ打たれ弱いの?」
というコメントがあったんですけど、
ラノベで鬱展開を見ても大丈夫な人って、結局メンタルが強いから
鬱展開があっても問題なく見続けることができるんですよね。

彼らのようなショッキングだったり、重かったりする展開でも精神的に
ダメージを受けないメンタルの強い人間なら、
必然的に読むことができるライトノベルも増えるし、アイデアや技法も吸収できるし、
最新のトレンドに対する理解も深まるから、面白い小説を書ける可能性も高まりますよね。

てことは逆に言うと、僕みたいな鬱展開にいちいちショックを受けるメンタルの弱い人間は、
触れる作品も減るから十分にアイデアを吸収できないし、トレンドも理解できないから
面白い小説を書けないってことなんでしょうか?
僕が面白い小説を書くためには、より多い作品に触れてアイデアやトレンドをインプットできるために
鬱展開の多い作品を読みまくるなりしてメンタルを鍛えるしかないんでしょうか?

もしそうだったら死にたくなってきますね。
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少しでも解放されるために創作を趣味にしてきたのに、
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