小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

カイトさんの返信一覧。得点の低い順3ページ目

元記事:書けない

新顔の浦部と申します。

ラノベを書きたいと思い、筆を取るのですが、自分の書いた文章が汚く拙いものに見えてしまいなかなか書き進められません。(後から冷静に読むと、自分でもこれはすごいぞ、と思うようなクオリティのものであっても書いてる瞬間は気持ち悪く感じてしまいました)どうしたらいいのでしょう。皆さんが小説を書く際にどういうことを考えているのか教えてください。

上記の回答(書けないの返信)

投稿者 カイト : 0 投稿日時:

はじめまして、カイトと申します。

すごくわかります、その気持ち。
自分も今現在その状態になって、軽く一年がたちます。なんとか少しずつ脱却してきたところです。

月並みですがアドバイスできることは、
・書けそうなものを書く(書くのをやめない)
・袋小路にはまらないために、他の人に見せて客観的な意見をもらう
でしょうか。

自分の話になってしまいますが、書くことは決まっているのに、「なにを書いてもピンと来ない」という状態が長く続きました。書いたものを「汚い」とは思いませんでしたが、「これじゃない」感が強くて、書いては消し、または放置の繰り返し。
もしかして今まで書いてきたもの全部ダメ?と思って見直すと、そうとも思えない。
でも、全部独りよがりだったらどうしよう……という不安から、お世辞ではなく厳しい批評をもらえそうな場所を探して見つけたのが、こちらのサイトでした。
いくつか作品を読んでいただき肯定的な意見もいただけて、ひとまずダメダメではない(よくできてるわけでもないけど)ことがわかり、ホッとしました。
しかしかといって、書けるようになったわけではなく。
短いものならなんとかいけたので、呟怖とか400字、800字の作品をガンガン書き散らしていました。
今でも「書ける!」という自信に満ちているわけではありませんが、「書けそう」くらいには落ち着いてきています。

状況にもよりますが、足掻いていろんな方の意見を聞いて、かつ焦らず気長に努力を続けるのがいいのかな、と。
応援しております。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書けない

この書き込みに返信する >>

元記事:天皇について作中で触れることの可否

 お久しぶりです。大野です。

 質問内容は大体タイトル通りなのですが、いくつか補足をば。
 俺はいま、『現実世界を舞台にしたファンタジー物』を書いているのですが、オリジナリティを出来るだけ削って、実在の伝承・神話そのままの魔術・魔法・妖怪・神などが登場する作品を考えています。
 ただ、日本全体にやや右傾化の風を感じているので、天皇をどこまでネタにして良いのか、という所。

 その中の一環として、主人公に乗り越えさせる壁が大きすぎる場合に『それ、神様が解決すればよくない?』となるのを回避するため、『天皇は神ではない』というのを書こうと思っています。
 ただ、俺は実家単位でリベラルーーっていうか左寄りの界隈の人間なので、『別に左寄りではない読者』に受け入れうる展開・内容であるかに結構自信がありません。以下のような内容は受け入れられるのでしょうか?

①天皇について作中で触れる事。
②っていうか、まあ正直アホみたいだと思ってるけど『陛下』ってつけないこと。
③天皇が神ではない理由:『古事記』において『ニニギ(漢字は読みづらいので略)が石長比売を追い返したため、永遠の命を失った』という項目を、『人間にされた』と拡大解釈。憲法については触れない。

 ここまで三つは比較的受け入れられるかな、と俺は思っています。

④天皇制についての批判。主人公(及び作者)が捻くれているため、キャラ的に言うと挟まざるを得ないが、許されるのか。
 ④-A 批判内容としては、『天皇個人は尊敬するが、制度そのものについて言うと人権を踏みにじるような物である』という程度の事。
 ④-B 副次的に、主人公が『陛下』と尊称を付けないことについて、『「陛下」というのは王につける言葉だ。そういった押し付けをするのは、天皇に勝手な義務や期待を押し付ける言葉であって、民主主義社会の人間としてふさわしくない』と言う事。
⑤並びに、制度そのものに問題を感じている主人公が制度擁護派を『正直馬鹿だと思う』と言う事。

 以上、五点です。
 身内であれば政治家だろうが金持ちだろうがスパスパ悪口を言うのですが、当然表の場に出せないことは承知しています。その上で、皆さんだったらどこら辺まで受け入れられるか、というのを聞いてみたいです。

上記の回答(天皇について作中で触れることの可否の返信)

投稿者 カイト : 0 投稿日時:

こんにちは、カイトです。
フィクションの世界ですので、作者の考えを思うように書けば良い、ただし書き方には十分気をつけて。
というのが自分の基本スタンスで、そうでなければアマチュアで創作なんてやる意味ないと思っています。
なので個人的には、①〜⑤までなんら問題ない、と言いたいところですが…

天皇家に関することで、実は苦い経験があります。
数年前、雛人形まつわる掌編を書きました。
『子供がいたずらで、女雛と三人官女の一人の首をすげ替えて箱にしまった。しかし翌年開けてみると、女雛はなんの変哲もなく男雛の隣に収まっている。一方の三人官女は、顔も着物もボロボロの状態で箱に入っていた。自分の婚礼の衣装を着た官女に夫を盗られると嫉妬した女雛の仕業だったのだろうか』
という、ホラー寄りの話でした。
これに対して、
「お雛様は天皇の雛形だから、不謹慎な男女仲を連想させるような不敬はしないで欲しい」
というコメントをいただき、大変驚きました。
このことで不快になる方がいるなんて、自分の配慮不足を思い知りました。(正直、「お雛様=天皇家」って意識してる人そんなにいる⁈ とか、そんなんじゃ源氏物語とかどうなんのさ? とか色々思いましたが…)
なので、天皇家には触れないようにしよう、と心に決めた次第です。同じ理由で(指摘されたことはないけど)、特定の宗教にも触れんどこ、と決めています。特にそれについて書きたい! という願望もないですし。

なんというか、デリケートな話題って自分の思いもよらないところから驚くような指摘をされたりするので、それがどうしても必要・代替案はないという状況でなければ、避けた方が無難かなと思います。
何かの参考になれば幸いです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 天皇について作中で触れることの可否

この書き込みに返信する >>

元記事:異世界ファンタジーにおける言語についての返信

異世界の言語でしたら『シグマリルの物語』がオススメです。
指輪物語の続編というか、設定資料集でして、指輪物語に登場するエルフ語について書かれています。
トールキンは言語学者でして、異世界の言語体系を一つ作り上げてしまうという・・・(その言語を公開するために指輪物語を書いたとも言われている)
異世界の言語に興味があるなら読んでみる価値はあります。

上記の回答(異世界ファンタジーにおける言語についての返信の返信)

スレ主 カイト : 0 投稿日時:

はなさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
「シグマリルの物語」ですか。トールキンは知っていましたが初耳です。早速探してみます。
作品作りもさることながら、世界観作りも大好きなので、楽しく読めそうです。
ありがとうございます。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界ファンタジーにおける言語について

この書き込みに返信する >>

元記事:皆さんのおすすめの本、教えてください!の返信

私の好きな本は……悩む所ですが
神林長平『戦闘妖精雪風』他同作者著作
小野不由美『十二国記』正確にはシリーズですね
ミヒャエル・エンデ『モモ』
がトップですね。他に、好きかと聞かれたら困るけれども、大きく影響を受けているのは『ソラリス』とか『人類補完機構』シリーズとか、ネット小説の『ギスギスオンライン』です。
……見事な程にSFばっかりになってますね

上記の回答(皆さんのおすすめの本、教えてください!の返信の返信)

スレ主 カイト : 0 投稿日時:

siricaさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

『十二国記』は中高生の時に読み耽りましたね〜。懐かしいです。自作における「世界の作り方」は、あの作品に大きく影響を受けています。
ミヒャエル・エンデは、『果てしない〜』も『モモ』も途中で挫折しており、これを読破できる方を尊敬しております(笑 今だったら少しは違うのかな。

SFは星新一と萩尾望都(漫画ですが)くらいしか馴染みがないので、今回紹介していただけて嬉しいです。ありがとうございました。

カテゴリー : その他 スレッド: 皆さんのおすすめの本、教えてください!

この書き込みに返信する >>

元記事:皆さんのおすすめの本、教えてください!の返信の返信

魔王と勇者の戦いの裏で ~ゲーム世界に転生したけど友人の勇者が魔王討伐に旅立ったあとの国内お留守番(内政と防衛戦)が俺のお仕事です~
https://ncode.syosetu.com/n1219gv/
貼り忘れた。スイマセン(-_-;)
未完だし書籍化もしてないけど、わりと楽しめると思います。

上記の回答(皆さんのおすすめの本、教えてください!の返信の返信の返信)

スレ主 カイト : 0 投稿日時:

読むせんさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

『流血女神伝』いいですよね! ご存知の方がいて嬉しいです。
須賀しのぶは学生時代のバイブルだったので、『天バカ』も『天下明朗〜』も、もちろん『キルゾーン』も大好きです。あぁ、KZまた読みたくなってきたー

おすすめ作品、URLまで貼ってくださり大変ありがたいです。早速読ませていただきます。

カテゴリー : その他 スレッド: 皆さんのおすすめの本、教えてください!

この書き込みに返信する >>

現在までに合計89件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全18ページ中の3ページ目。

ランダムにスレッドを表示

復讐する物語のオチについて悩んでいます

投稿者 I 回答数 : 9

投稿日時:

今書いている作品が復讐する物語なのですが、そのオチについて悩んでいます。 (そもそも復讐というテーマがラノベに相応しいかという懸念... 続きを読む >>

不思議な読み方?

投稿者 パクトボー 回答数 : 8

投稿日時:

以前の質問と似通った部分のある質問になること、ご容赦ください。 投稿した小説のアクセス履歴を見ていると、定期的に特定の話だけを... 続きを読む >>

リアリティーについて

投稿者 まとら魔術 回答数 : 5

投稿日時:

 また質問します。  能力もののクルマ小説書いているのですが、リアリティーがないと言われました。  それを出す方法はクルマを買っ... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:創作クラスタのための心理学の参考書

心理学を用いてキャラクターを作りたいと思っています。心理学に完全に従うのではありませんが、虚構を作るのには現実をある程度知っている必要性もあると考えています。
その一環として、心理学を知ろうと思うのですが、何から手をつけたらいいか分かりません。
キャラクターの性格を作るのに最適な心理学書はありますでしょうか。
出典となる統計や論文が十分に記載されたものでお願いします。

上記の回答(創作クラスタのための心理学の参考書の返信)

投稿者 読むせん : 0

うーん・・・・wikiくらいでいいんでない?(-_-;)

わりと心理学好きな方ですが、心理学ってたぶん科学くらい広い世界でっせ?

例えば【カリギュラ効果】ですが、ギリシャ神話における【パンドラの箱】やオルフェウスの冥界への道行、日本神話における黄泉平坂での妻問い(つまどい)?として、映画「カリギュラ」ができる前から「あるある心理現象」です。

①その心理にはまだ名前がない、心理において正しく統計を取る心理学は後追いになるとは思う。

陰陽師ではないですが、名前を付けて「縛る」までが遅い気もするんですよね。
======================
 あと昔、童話における深層心理とかいうの読んだことあったけど、グレートマザーとか提唱者の宗教的概念、風土的価値観もでかくって、西洋東洋のギャップ的な部分も結構出てくる。なんかわかるけれど埋めきれない部分も多いです。

②正しい出展に固執し始めると宗教本とかの参考も必須になるし、そのレベルまで言及していたら心理学なんて使えなくなるんでは?

ヴァガヴァットギータとか複数の解説本とチベット仏教本(ゲルク派しか読めてないけど)よんでふわっとわかる程度やで?
====================
そして一番あるある問題【ハンター×ハンターにおける、じゃんけん心理学の行動変化ー(俺が名付けたww)】

③なまじ心理学もどきが知識として配られると「それを逆手に取ってやりたい」心理によって、心理的行動が変わってしまう。あるあるではないっすか?

犯罪心理学なんかでも推理ドラマや小説が流行するまで、指紋やアリバイ、犯罪トリックが稚拙で簡単だったそうです。

未来の犯人候補たちは、そうやって犯罪行動心理学やアリバイトリックを参考にして犯罪隠蔽に走るため、一部メディアではそれ系の最新データを一般に公表しないように注意しているっぽい・・・・・のも聞いたことがあります。

大衆に知られてしまった時点で、心理学は心理学の基礎が崩壊しやすいかと。
==================

とりあえず、がんばってね_(:3 」∠ )_

カテゴリー : キャラクター スレッド: 創作クラスタのための心理学の参考書

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:自分の小説に他の作品の要素(種族、アイテムなど)を入れたい場合、それはOKかNGか、また位置づけは何になるか

もし仮に、自分の作品にドラゴンボールのサイヤ人と同じ「サイヤ人」という設定のキャラクターを出したい場合、それは大丈夫なのでしょうか?
また、その作品は作者が二次創作のつもりでなくても二次創作の内に入りますか?
(もしくはクロスオーバー?)

上記の回答(自分の小説に他の作品の要素(種族、アイテムなど)を入れたい場合、それはOKかNGか、また位置づけは何になるかの返信)

投稿者 手塚満 : 1

お尋ねの内容から考えますと、マナーやルールは置いておくとしても(既に良回答にありますね)、まず間違いなく不可でしょう。非常に損だからです。

何が損か。むしろ得になりそうですよね。ある作品に「サイヤ人」と書いてあれば、読者は「ああ、あれか」と思う。ドラゴンボールシリーズを一応は読んだ/見た人なら、サイヤ人がどういうものか分かる。その作品内のサイヤ人の描写で、ドラゴンボール通りのサイヤ人描写が部分的にでもあれば、描写されていない部分はドラゴンボールのサイヤ人で補ってイメージすることができる。有名な単語・記号の力は絶大です。

二次創作ならそれでいいわけです。ですが、オリジナルの一次創作ではまずいことが起こります。特に文章作品です。サイヤ人って、言っただけで分かる人が非常に多いですよね。くどいようですが、それくらい記号として力があります。だから、ドラゴンボールのサイヤ人のイメージが被ってしまうのです。

どんなに工夫を凝らして描写しても、オリジナル作品でサイヤ人とされたキャラに、悟空やベジータ等のドラゴンボールの有名サイヤ人のイメージが浮かんでしまう。(種族の)名前こそサイヤ人(で設定も踏襲してるん)だけど、オリキャラや設定の差別化で独自性を出してある、で済む問題ではありません。

オリジナル作品で「サイヤ人」と読むたび、そのサイヤ人とされたキャラが出てくるたびに、読者には、まずドラゴンボールが思い浮かんでしまう。読者はそのドラゴンボールのイメージをいったん否定して、オリジナル作品のサイヤ人はどうだったか思い出し、イメージをし直す必要に迫られます。作者からは見えづらい現象ですが、読者としては大変面倒臭い作業です。

だから、名前だけは変えておく必要があります。サイヤ人で思い出すドラゴンボール以外の作品では、「戦場のヴァルキュリア」(ゲーム:2008年~、アニメ:2009年)があります。「戦場のヴァルキュリア」では、戦闘民族とも呼ばれるヴァルキュリア人のが存在し、ヒロインがその1人となっています。

ヴァルキュリア人の設定・描写がなかなかにサイヤ人~スーパーサイヤ人でして。ヴァルキュリア人の能力を使うときは見た目が変わる、瀕死に陥ると能力に目覚める、ないしは能力が大幅に向上する。まるでサイヤ人の設定みたいです。同作の感想でも、サイヤ人、スーパーサイヤ人がよく引き合いに出されていました。

だけど「ヴァルキュリア人」だからイメージが揺らがないのです。少なくとも、リアルタイムでアニメ視聴していて、サイヤ人とイメージが被ってしまうことはない。後でサイヤ人と似ている設定・描写だなと思えてしまうんですが、混乱は起こりません。

もう一つ、読者にがっかり感が生じかねない点もリスクになります。「サイヤ人」とあったら、ドラゴンボールを思い出し、ドラゴンボールを期待します。だけどドラゴンボールのようではない作品だったら、期待を外されてしまいます。八百屋という看板を見て店に入ったら魚ばかり売っていた、みたいなことになります。

自作に「サイヤ人」という単語を出した作者としては、例えば「設定説明が省けるから、読者も読むのが楽だろう」という配慮かもしれません。ですが、読者は作者の心づもりは知る由もありません。どこまでドラゴンボールと似せたのか、あるいはまったく別の作風にしようとしたのか。読み終えないと分からないわけです。

ですが、読み終えるためのモチベに大切な要素の一つ「どういう作品か」が分からないのでは、何に期待して読めばいいか戸惑います。「サイヤ人」という単語さえ出さなければ、「ドラゴンボール風を期待していいのかな、違うのかな」という迷いは出ません。

上記「戦場のヴァルキュリア」を例に説明したように、有名な設定・キャラ等の名前を変えても二つか三つくらいの特徴を描写しておけば、全く違うジャンルのオリジナル作品で出しても、「ああ、あれだな」と思ってもらえます。記号は変えて、意味はオマージュする。それで充分ではないかと思います。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 自分の小説に他の作品の要素(種族、アイテムなど)を入れたい場合、それはOKかNGか、また位置づけは何になるか

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:近代的自我なしに思想の自由を発達させることは可能か。

異世界の設定を考えています。

もし、西洋文化のもたらされていない前近代的な地域(:=異世界)があったとして、その世界での人々の思想を考えたときに、無条件に我々の住む世界と同じ考え方や行動原理をしている訳ではないと思います。
ヌエル族が牛の尿で顔を洗う行為を一定数の日本人が「理解できない」と感じるように、異世界にも現代の日本人が「理解できない」文化があると考えます。

問題は、その文化の強制力が、近代的自我の概念がもたらされる以前には最大でどのくらいなのか、また、その世界をより「快適な」世界にするために、近代思想に代わる別の思想的変革、いわば「替わりの社会学」があるとしたらどのようなものか、ということです。

自分個人の勝手な考えですが、文化とは往々にして不自由で, 差別的で, 監視社会的であると思っています。
文化人類学的に母系社会があり得ても女権社会があり得ないことを考えれば、個人が文化という仕組みを(文化に対する反感が個人の感想だけにとどまることなく)集団として乗り越えるにはより強力な概念を手に入れる必要があり、それを手に入れるまでは人間が抗えない「何か」が人々にそうさせていると考えざるを得ません。
もし仮に異能の力をもって女性が社会的権力を持つような社会になったとしても、おそらくその「何か」はこんどは男性から権力を奪うかもしれないし、知的障碍者, 癩者, トランスセクシャルといった人々を、差別ないし「区別」するよう人間に仕組むかもしれません。

人類がその「何か」を乗り越えることができたのは思想の変革、すなわち近代的自我, 産業革命, 資本主義を経、さらには大きな物語から小さな物語への移行を経たためであると考えます。
しかしながら異世界という(特に条件がない限りは)全く西洋と無関係な世界に於いてそれほどまで我々の世界に似た思想が生まれるかどうかといえば疑問があります。

この問題を解決するには、
第一に、「異世界なのだから多少人間が暮らしにくくても仕方がないし、それ以上を望むのは傲慢だ」として諦めるか,
第二に、魔法や異能の関与を認め、そのようなものが存在する世界における混沌は予想できないものとして説明を放棄するか,
第三に、異世界に人間が存在することから我々の世界と異世界とが99%似ているとし、残りの1%が似ていないのは確率的に不自然だとして近代思想までもを人間に与えてしまうか,
第四に、ミームや情報の流れといった社会的要因に直接介入できるタイプの異能を登場させ、無理やり個人の力を強くするか,
第五に、異世界と我々の世界を交流させて近代思想をもたらすか,
第六に、近代思想に代わる「替わりの社会学」を考えるか

といったことが考えられます。
そして、自分としては第六の方法を採りたいところなので、a. 実際はどのような方法を採るのが「正しい」あるいは「創作として健全な」のか。b. 第六の方法を選んだとして、「替わりの社会学」がありえるとしたらどのようなものか。といったことが疑問に思われました。

a.の問題は一時的に保留にするとして、b.はどのようなものが考えられるでしょうか。教えてください。

なお、自分の想定している世界のスペックを載せておきます。

・「銃」は、存在していないか、広まっていない。
・西洋近代以前のあらゆる道具を使うことができる。
・西洋近代的な思想を持つ社会はその世界には現在にも過去にも存在しない。
・やむを得ずそうする時を除いて、文化は地球上のどの社会のそれからも借りない。
・ドラゴンクエストシリーズに登場する呪文のような用途/効果の「魔法」は存在する。それ以外の魔法は存在しないか、あまり知られていない。

これ以外の要素を後から加えるのは、避けたいですが可能です。また、第六の方法だけでは不可能であると判断される場合は、関与が最低限になるような経路でその他の方法を混ぜることも可能とします。

上記の回答(近代的自我なしに思想の自由を発達させることは可能か。の返信)

投稿者 あまくさ : 2

>近代的自我なしに思想の自由を発達させることは可能か。

結論から先に言えば不可能でしょう。ただし、それは「思想の自由」が近代的自我の産物だからではありません。「近代的自我」の方が西洋思想の産物だからです。よって非西洋的な世界に「近代的自我に支えられた思想の自由」に似たものが成立したとしても、それは似て非なる物と言わざるを得ません。

>もし、西洋文化のもたらされていない前近代的な地域(:=異世界)があったとして、その世界での人々の思想を考えたときに、無条件に我々の住む世界と同じ考え方や行動原理をしている訳ではないと思います。

>問題は、その文化の強制力が、近代的自我の概念がもたらされる以前には最大でどのくらいなのか、また、その世界をより「快適な」世界にするために、近代思想に代わる別の思想的変革、いわば「替わりの社会学」があるとしたらどのようなものか、ということです。

その点については手っ取り早い参考例として、古代ギリシャ哲学についてどうお考えですか?
プラトンの著作は、おそらく現代の欧米人や日本人が読んでも理解できるものです。論語もしかり。これだけ時代と文化が隔たっていても、人間の思考には論理的な共通点が生じうる証左と思えますが、どうお考えでしょうか?

>自分個人の勝手な考えですが、文化とは往々にして不自由で, 差別的で, 監視社会的であると思っています。

まあ、そういう考え方自体が西洋思想的ですけどね。

>人類がその「何か」を乗り越えることができたのは思想の変革、すなわち近代的自我, 産業革命, 資本主義を経、さらには大きな物語から小さな物語への移行を経たためであると考えます。

もう一度、古代ギリシャ・中国についてどう位置づけられているのかお聞きしてみます。
それと、近・現代社会に生きる人間がその「何か」を本当に乗り越えているのかどうか、一抹の疑問も感じます。

そもそも「小説」というジャンルも「近代的自我」の発生と進展に支えられている部分が大きいので、「近代的自我」と異質な思考をガチで扱うのは難しいと思います。まともにやろうとすると小説の脱構築になってしまいます。
「近代的自我」によって生きる主人公が非西洋的な文化と遭遇し、その異質性にカルチャーショックを受けるという形にするなら容易です。

>ヌエル族が牛の尿で顔を洗う行為を一定数の日本人が「理解できない」と感じるように、異世界にも現代の日本人が「理解できない」文化があると考えます。

そういう風習があるのは知りませんでしたが、そういう行為を見てびっくりするというエピソードを書くなら簡単でしょう?

ま、そういう問題があるから異世界転移・転生モノが流行ったんですよ。主人公が現代日本人の思考や価値観を持って物語を体験するという形は、すこぶる書きやすいんです。

ただ、スレ主様が書こうとされているのは、おそらく登場人物全員が異世界人のハイファンタジーですよね?
それは、本当の意味で論理的に取り組もうとすると、実は不可能に近いほど難しいんです。読者とは異質な思考を持つ主人公が、読者とは異質な世界を体験する状況を書くことになるので。先鋭的な純文学ならいざしらず、エンタメならどこか1点は読者の常識や日常感覚で理解できる軸をもうけないと成立しません。
よって、妥協が必要です。

>この問題を解決するには、
>第一に、(略)

第一~四には設定都合による妥協があり、そのうち第三は無理矢理論理的に見せかけようとしており、第一・二・四は描写や展開により矛盾を隠して押し切ってしまおうという方法かと思います。
第五は先述の異世界転移・転生ものに近く、第六は異文化の異質性をガチで描こうとする方法で、要するにスレ主様は一番難易度の高いことをやろうとされています。

>a. 実際はどのような方法を採るのが「正しい」あるいは「創作として健全な」のか。

これは、「正しい」とか「創作として健全」という問題ではないでしょう。繰り返しますが、「現実問題として妥協は必要」ということかと思います。どういう妥協になるのか具体的に言うならば、

◎完全異世界でありながら、読者にわかりやすい思考や常識を忍び込ませ、描写やストーリー展開で誤魔化してしまう。

これにつきます。
おそらく、これをまったくやっていないハイファンタジーは皆無だと思われます。

異世界を描く方法は、ざっくり分ければ次に三つ。

1)現実世界の文化・歴史・風習を模倣する。

2)先行作品の世界観を模倣する。

3)一から創造する。

3はきわめて難しい上に、類例のないものは読者にとっても難解になってしまうので、推奨できません。
1・2の方法はおそらくスレ主様にとっては不本意なのでしょうが、実際問題としてはこのどちらかしかないと思いますよ。1・2なら読者にもわかりやすく、3は難解になりやすいという点も重要です。

どうしても第六の方法にこだわりたいなら、第二・三などと組み合わせて、言葉は悪いですが都合の良いところだけ読者の常識を紛れ込ませてしまうしかないでしょう。
ファンタジーって、そういうものです。割り切ってください。

まあ、スレ主様の仰っているようなことを一切考えないで、いきなりナーロッパに走るのもどうかとは思わないでもありません。
あれこれ考えた上で、想定読者などのことも含めた大局観からバッサリ妥協するという方法が、けっこうお勧めだったりします。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 近代的自我なしに思想の自由を発達させることは可能か。

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ