小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

金木犀さんの返信一覧。最新の投稿順1ページ目

元記事:誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?

失礼します。
趣味で小説を書いていて、それから公募に応募を始め、なろうでも投稿をしてから十年くらい経ちます。
若かった頃は受賞を夢見て書きたい長編作品を完成させて応募したり、なろうでも供養投稿という形で完結までちゃんと投稿したりしていました。
しかし、最近は仕事が忙しく心の余裕が無くなって来たのか、感性が枯れて来たのか以前ほど熱意をもって執筆に取り組むのが難しくなってきました。

今はなろうやカクヨムの人気作品から傾向を自分なりに研究し、ネットで受けそうな話を考えて投稿しています。
ただ、相変わらず殆ど読む人はおらず、ポイントやPVは芳しくありません。
くわえてなのですが、この不人気作品を途中で投げ出したくなるのですが、嫌でも完結まで書かなければいけないものですか?

よく、完結させないとエタり癖がつくという意見も聞くのですが、自分の場合それなりにプロットを考えて書いた作品は完結させてきました。
しかし、誰も見ていない上に自分自身が書いていて楽しくない作品に対して完結にこだわるのって時間の無駄なんでしょうか?
書きたい作品なら結末まで思い描けるのですが……

上記の回答(誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?の返信)

投稿者 金木犀 : 1 投稿日時:

それは当人の資質の問題かもしれませんね。

大前提として、書きたい作品を書けばいいと思います。それが執筆するモチベになるし、誰だってそうだからです。

本人が面白いと思っていれば、少なくとも自分が読者になったとき面白いと思った部分は書けるのではないでしょうか。

逆に面白くないと思っていれば、書きたくなくなります。面白くないのに書けば、需要をわかった気になってるだけで実は見出せてない作品を書き続けることになるかもしれません。

これでは悪循環です。

苦痛でも、需要を満たせればそれなりの成果がでるので成功体験になります。
しかし、苦痛を我慢しても成功体験がなければ、学習無料感に襲われることになります。

ここに、壁がありますよね。
途方もない壁が。

できるなら、僕は、そんな人が、
壁を超えるとこを見たいです。

自分で考えて成果がでないなら、その考えに穴があるからで、その考えの欠陥に気付ければ良いのですが、気付けるならそもそもそんな苦労はしないかもしれません。需要のある部分、読者が読みたい部分をかけていないと指摘されても当人は需要を意識して書いていると思っているものですから。

あなたの場合、途中で投げ出すことなく完結させるのは間違いなく長所です。本当にすごいことで、誇っていいことでしょう。自信にすべきです。

が、完結させても、読まれないと、なかなか徒労感がありますよね。そこらへんは、現実として、他者はあなたの頑張りには興味がないことを自覚しているべきだと思います。なんのために頑張るかはあなたしか決められず、やめるべきかどうかもあなたしか決められません。

頑張っていたら応援はしたくなりますが、その努力が報われず苦しむだけになるなら、その応援ほど残酷なものもないのかもしれません。

やめたいなら、やめてよいと思います。

でも、夢を追いかけて頑張っている姿は、
どんなにつまらない作品を書いていようが、
人から尊敬されるものですよ。

そして、
本当に需要のある作品を書けたとき、
無駄じゃなかったと思える瞬間はくるかもしれません。

くるか、こないかは、運もあります。
運だけじゃなく、
自分だけでドツボにはまるなら、プロにたよってまずは自分の考えを矯正することも必要かもしれません。

趣味と言い聞かせて、惰性でやれるなら、よいのです。傷つかない範囲で、やれるでしょう。

本気で自分という存在を他者に認めて貰いたいと思い、本気で体当たりしようとすれば、傷が付きます。死にたくなります。痛みで喚き散らしたり、気を失うこともあるかもしれません。

僕はそんな人を笑わない。頑張っている人はそれだけですごいと思うし尊敬します。

が、トレーニングも、無理して筋肉を痛めたら、逆効果です。筋肉を虐めるのは大事ですが、休養は同じくらい大事です。

失敗体験で学習無力感を蓄積するよりは、小さな成功体験ができるような環境を整えのは大事だと思います。

そう、環境です。
意識して環境(人間関係、執筆環境、ルーティン)を変えれば、
あるいは、なにかが変わるやもしれません。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 誰も読んでくれず、更に自分自身が書いていて苦痛な作品を完結させるのって無駄な時間ですか?

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元記事:三人称一元視点を書くコツと注意点の返信の返信

まず基本的な例を示します。以下はすべて地の文です。

1)しずかちゃんはかわいいなあ。(一人称・主観型)

2)ボクは、しずかちゃんはかわいいと思っている。(一人称・客観型)

3)のび太は、しずかちゃんはかわいいと思っている。(三人称)

基本はこれだけです。
2と3は文章は同じですが、2は主語が「ボク」なので一人称になります。

で、これから分かること。
一人称には主観型と客観型があるということが、まず一つ。
一方、三人称の場合は基本的に1(主観型)はNGです。(テクニックで三人称に1的な文を入れてしまう作者がプロにもいますが、それは技術があれば基本を逸脱できるということで、別問題。まずは基本を押さえるなら、三人称の地の文に1を入れるのはNGです)

でですね。
3だけなら単に三人称なのですが、ひんぱんに「のび太は~」「スネ夫は~」とやらずにのび太ならのび太だけに決めて書けば、三人称一視点(一元視点)に近づきます。

   *   *   *

>・視点者は、場面を問わず「主人公」に限定。
>・( )の思考文は、主人公に限る。
>・地の文は「客観(背景・情景)」に徹し、主観は会話文・思考文でする。

それで間違っていないと思います。
ただ、地の文をどう書くかも注意が必要なんですね。

上記の例のように、一人称なら地の文を主観的に書かなければいけないというわけではありません。自分を客観視することもできますから、2の「一人称・客観型」も成立するのです。

で。
ここで注意を要する微妙なことが一つ。スレ主様(金木犀さん)の書き込みの方から引用します。

>例えば、主人公がなにか食べ物を食べたとき、
>「まずそうに食べた」という描写は、三人称ならありですが、一人称だとかなり違和感がある表現だと私は思いました。まずそうな表情をしている、という、客観描写ですよね。

これ、半分正しくて、半分間違ってるんです。わかります?

>例えば、主人公がなにか食べ物を食べたとき、
>「まずそうに食べた」という描写は、三人称ならありですが、一人称だとかなり違和感がある表現だと私は思いました。

これは同意。しかし、

>まずそうな表情をしている、という、客観描写ですよね。

これは間違いと言ったら言い過ぎかもしれませんが、注意が必要。
「まずそう」というのは傍から見ている誰かの印象です。つまりこの文章は、食べている人物とは別の誰かの主観が入り込んでいるんです。

◎一人称の地の文は、客観描写なら入れられます。

◎上記の例文に違和感があるのは、客観描写だからではなく、うっかり「他者の主観」をまぎれこませてしまっているからです。

一人称や三人称一視点の文章に「視点がブレている」というツッコミが入るのは、こういう部分です。

>地の文で、どこまで作者(天の声)が出て良いのか、言い換えれば地の文で、キャラにツッコミを入れたり、視点人物の心情を書いても良いのかが、よく分からなかったですね。

回答。

基本、三人称なので、どう書いてもかまいません。ただし、三人称一視点には「三人称でありながら一人称的な効果をもたせたい」という狙いがあるので、ある程度一人称的に書かなければこの手法を採用する意味がありません。
そこから考えると、「地の文に作者(天の声)が出る」「キャラにツッコミを入れる」をやると、一人称的な印象が著しく阻害されるので、やめた方がよいです。

◎三人称一視点にするなら、地の文は客観描写であっても、主人公(視点人物)の性格・思考・世界観を反映させる方が効果的です。

>視点人物の心情を書いても良いのか

これは、真逆の問題。上の◎以下で説明した理由で、視点人物の心情はむしろ入れる方がよいです(作者や他のキャラの心情は入れない)。ただし、三人称の地の文でそれをやると、ある程度の文章力がないとグチャグチャになりかねません。なので筆力のある作者ならやってもいいのですが、そこに自信がないなら、( )でくくるという方法をとるのが無難です。

上記の回答(三人称一元視点を書くコツと注意点の返信の返信の返信)

スレ主 金木犀 : 1 投稿日時:

眉をひそめ、飲み込んだ。なら、客観ですかね。

確かにまずそうは、誰かがまずそうだと思わないと書けない表現ですね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点

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元記事:三人称一元視点を書くコツと注意点の返信

 ドラコンです。回答というより、スレに乗っからせていただいての質問、という感じになってしまいますが。思うところがあるので、書き込ませていただきます。
 
 2022年8月に、ここの「ノベル道場」に投稿した拙作では、「三人称一次元」で、以下の方針で書きました。なおこのサイトで、今更取り立てて宣伝をするのも、気が引けるので、作品名は伏せます。
 
 ・視点者は、場面を問わず「主人公」に限定。
 ・( )の思考文は、主人公に限る。
 ・地の文は「客観(背景・情景)」に徹し、主観は会話文・思考文でする。
 これについては、第四研究室「ライトノベルは三人称一視点で書くべき?」での泥人形さんのご回答が根底。

 https://www.raitonoveru.jp/howto/h5/677a.html
「簡単なことです。
 会話文は「」
 思考は()
 地の文は情景・状況描写のみ。
 これを徹底すれば、味のある文章は書けませんが、意味不明の文章を書くこともありません。余程変なことをしない限りは。

 繰り返し言いますが、余程の文章力がない限り、味のある文章は絶対に書けません。ストーリーのみの勝負となります。ストーリーに自信があればどうぞ」

・会話文、思考文が先、発言者を示す地の文は後。

 地の文で、どこまで作者(天の声)が出て良いのか、言い換えれば地の文で、キャラにツッコミを入れたり、視点人物の心情を書いても良いのかが、よく分からなかったですね。

 また、背景事情の説明の仕方やタイミングも迷ったところです。

上記の回答(三人称一元視点を書くコツと注意点の返信の返信)

スレ主 金木犀 : 0 投稿日時:

ドラコンさんありがとうございます。

コメントいただいた内容で、ドラコンさんの作品の文体の特徴がわかりやすくまとめられていましたので、興味深く感じました。

 私は感想は書きますが、基本的にこういった場でアドバイスはしません。
 難しいからです。
 自分の実力的な問題がまず一番。
 人になにか助言できるような力は私にはありません。
 アドバイス自体もそうだし、その人それぞれに合わせた回答が必要なわけで、基本的にはあまり有用な助言はできないと思ってます。
 ただ、率直な感想は書けるので、私はそれくらいしか能のない人間だと思います。
 逆に言えば、人を傷つけやすい人間ですね。
 ここでアドバイスをもらった方が、ダメージは少ないと思うんです。作品を通さないから、直接的なダメージは少ないはずですから。
 なので、根本的に傷つきやすい人と私は相性が悪い……困ったものです。

 それを前提にして、ドラコンさんに回答いたしますと、
 ドラコンさんの作品を読んで、「文章が固すぎてよみにくいな。説明が多いな」とは思うものの、「文章が破綻している」と感じることはありませんでした。
 文章力の問題というよりは、読みやすさの問題かな、と私は感じます。
 文章力は確かにあると、思います。

 地の文で、作者が出ていいのか、となると、メタ的な視点になって読者の好みがわかれるところではありますね。結局は書き方の問題なので、あれですが、三人称一元視点なら視点者の心情を描いても問題はないと思います。で、心情を描くなら、突っ込みはその視点者のものと思わせた方がいいのではないでしょうか。

 背景事情の説明の仕方やタイミングも……本当に作品次第なんですが、
 できるなら説明不要な事態を起こして、読者に察知してもらったほうがいいのかなと思います。
 カレーに毒が盛られている事件が起きるとして、
 伏線としてそのカレーを食べた被害者が苦しみ倒れる場面が要所要所で挿入されていれば、
 なんでそんなことになったんだろう、と考える必要があるので、実は毒が盛られていたという説明を挟む必要があるのではないでしょうか。

 必要な説明か、不必要な説明か、というのは伏線になるかならないか、そういうところで判断するのかなと、私は思いました。

 ……うーん。でも、場合によるので、一概には言えないことですね。
 文章ってほんと難しいです……。
 考えると頭が痛くなる。
 書いているときは、感覚で書くので、それを言語化するってなかなか大変ですよね……。

 サタンさんとかあまくささんとかほんとすごい。
 投稿室の質問に答えている人みんなすごい。

 ドラコンさん、コメントをお寄せになっていただきありがとうございました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点

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元記事:三人称一元視点を書くコツと注意点の返信

一人称には明確なルールがありますが、三人称一視点(一元視点)にはそれがないんですね。

そもそも視点に関してはルールがないのが三人称。だからどう書いてもいいのですが、初心者が視点に無頓着にとっちらかって書くとかなり読みにくくなるということが経験則で分かっているので、少しは整えた方がよいというところからこの手法はスタートしたのだと思います。
つまり絵画で言えば構図を整えるというようなこと。良い構図と悪い構図というのは間違いなくありますが、それでいて、じゃあどうするのが正解かというのはないでしょう?

正解がなくても良い構図はあるように、一視点には有効性があります。

ざっくりまとめると、

1)描写が安定するため、読者にとっては読みやすくなる。

2)視点をおいたキャラに読者が寄り添うように誘導することができ、読者はそのキャラに近い位置から物語を体感できる。

この二つになるかと。
おわかりのようにこれらは一人称の特徴でもありますが、一人称では強制的にこのような形を作るのに対して、三人称一視点では読者がこの形に乗るかどうかは自由なんですね。なので、最も読者に負担のかからない形式と言えますし、一人称の長所を誘いながら一人称ではないので、必要に応じて一人称的な特徴から離脱することもできます。

繰り返しますが、三人称一視点は一人称と違って明確なルールがありません。
これを作者寄りの角度から考えますと、明確なルールがなければどのようにも書けるので楽そうですが、実はそうでもありません。どう書いてもよいということは、どう書けばよいか分からないということでもあるからです。

それと。

本来三人称に視点の決まりはないのに、あえて視点を制限するのは、その書き方に一定の効果があると期待するからです。だから、どう書いても間違いではないとはいえ、結果的に効果が得られなかったらこの手法を採用する意味がないんですね。
使いこなすには、けっこうセンスと文章力、構想力が問われる手法だと思います。

上記の回答(三人称一元視点を書くコツと注意点の返信の返信)

スレ主 金木犀 : 0 投稿日時:

 あまくささん、コメントありがとうございます。

 コツを上げてくださっていますね。
 自分があまくささんのコメントを理解しているか、簡潔にまとめさせていただきます。
 違っていたら、ご指摘ください。

・三人称視点問題は、そもそもルールはない。読みにくいか、読みやすいかの問題になる。
・良い構図と悪い構図がある。構図を整えて書くと読みやすくなる。
・明確なルールはないからこそ、どう書けばいいのかわからなくなりやすい。
・三人称に視点の決まりはないのに、あえて視点の制限をするのは、その書き方に一定の効果があるから。結果的に効果を得られなかったら、その手法を採用する意味はないのではないか。

 三人称一元視点のメリット。
・視点が固定されて、描写が安定するため、読者にとっては読みやすい。
・視点をおいたキャラに読者が寄り添うように「誘導する」ことができ、そのキャラに近い位置から物語を体感できる。

 こんなところかな、と思いました。
 やはりあまくささんも、一キャラクター、主人公固定が基本だと考えられているのでしょうか。私はそう読み取ったのですが、どうでしょうかね。
 私も必要ならほかのキャラクターの視点に移行していいと思うんです。
 ですが、あまり頻繁にやると、一元視点の意義がなくなっちゃうのかな、と思いました。

 あまくささん、コメントありがとうございました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点

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元記事:三人称一元視点を書くコツと注意点の返信

これって人称の問題とも言い難いし、視点の問題とも言い難く、もう 作者の問題だ と思う。

とりあえず私の認識としては、
一人称視点は、ゲームで言えばFPS。まあファーストパーソン・シューティングだし直訳して一人称だし。
三人称は、極論だけどゲームで言えばシミュレーションゲーム。シムシティとか。その上で「誰に焦点を合わせるか」っていう視点の問題になる。
それで三人称一元視点は、バイオハザードシリーズみたいなショルダーカメラ。初期のバイオみたいなシアターカメラもそうだけど、主人公を中心に画を撮ってる形。

ただ、この考えだと、つまりは「三人称は俯瞰で誰に焦点を合わせるかの視点の問題」と書いたけど、じゃあ一視点は「それが主人公固定になっただけ」なので、三人称と一視点の違いはソコしかないという考えになってしまう。そして私個人はそれで納得している。
だから、スレ主さんが「一人称と同じような表現」と書かれているけど、あくまで私個人としてはそれは 作者の好みでそのようにしている というだけで、手法独特の強味ではないと思う。念のため書くけども、だから一人称と同じような表現をするのは間違いだという話ではない。好みだし個性だから良いと思う。

そもそも三人称というのは、「私」というのが一人称に対して「Aさん」というのが三人称だから、つまり「Aさん」と声をかける「第三者」がいる。だから「三」人称なわけで。
ということは三人称って「第三者による筆記」ということだから、そもそもそれ以外にルールなんて無い。
対して「一人称」は「私」である以上は「私」から外れれば視点がブレてしまうから、「私」を主観とした事以外は書けないというルールが出来てしまう。そういうルールがあるわけじゃなくて、ルールが出来てしまう。
一人称にルールがあることから、三人称にもルールがあると先入観が働いて、それに合わせた三人称一元視点にはこういうルールがあると考えるのではないかなと思う。

だから、私は「三人称は俯瞰で誰かに焦点を合わせる」と「俯瞰」って書いたけど、実際は、
 Aは驚いて飛び退いた。落ち着いて見てみるとソレはただの流木だったようだ。
 ーー焦ったわぁ、マジ超ビビった。
 危うく声が出るところだったが、Aは口の中に溢れた心の声を殺して静かに息を吐き出す。
とか、こんな感じで「主観的な人物の声」もガンガン地の文に書いてます。
ちなみにこれは普通の三人称として私が書くものです。
つまり私にとって「一人称」と「三人称」の違いは「視点主の主観であるか」「第三者による記述であるか」という違いがあるだけで、それ以外のルールや手法なんてものは無いと思ってます。
「一人称は視点主が見聞きしてること以外は書けない」というルールが有名ですが、これは別にルールではなく「そこを外したら視点主の主観ではくなるよね?」というだけなので、結果的にそういうルールがあるように見える、つまりそういうルールが出来てしまう、あるわけではない、と思ってます。
で、問題の「三人称」と「三人称一元視点」の違いはというと、上で既に書いたけど「視点を一人に固定しているかどうか」というだけだと思ってます。
基本は三人称ですし、視点主に寄せてる以上はより一人称っぽい表現に近づけようと試みるのも良い表現だと思います。けど、それは好みだと思います。
私は、寄せるところはいきなり寄せるし離すとこはいきなり離します。

でも「三人称一元視点」と言っても、長期シリーズになると幕間みたいな形で固定した視点主以外に視点が飛んだりする作品もあるし、そういった作品を否定するつもりもないので、やはり「こういうルールがある」というのは無いかなと思ってます。
本編はあくまで主人公のみに視点を固定し、途中の合間合間に、あってもなくても良い外伝か幕間か補足的なエピソードが他視点で少し書いてある、とかだと私も「三人称一元視点だ」と感じますから。
一方で、
そういう長期シリーズを読んで勘違いして「本筋」の中で物語にガッツリ関わるエピソードなのに他視点にしてたりして、それを「三人称一元視点です」と言われたら、そりゃ普通に三人称だろ、とは思います。

「一人称」と「三人称」には明確な違いがあるけど、そっから先は明確なルールはなく、作者の好みによると思います。
「三人称一元視点」についても、基本は「一人の視点主に固定する」だけど、そういうルールがあるわけじゃない。
「三人称一元視点」って言葉を個人的な感性で意訳すると「この物語を主人公を中心に三人称で語りたい」って感じだと思うから、それが表現できているのなら途中で一時的に視点が変わっても「三人称一元視点だ」と思いますし、そこを外してしまってるのなら「これは三人称一元視点には見えない」と思います。

ついでに、私はそんな考えだから、
「三人称」「一視点」「多視点」の違いは何かって質問を受けたりもするけど、基本的には「三人称を書く上で作者がどう表現したいのかって考えの違いしかない」って答えてる。
手法的には「三人称」で、「一視点」と「多視点」は三人称を書く上で視点の扱いの話になるから、そもそも「一視点」や「多視点」で手法的に三人称と何か違いがあるわけではないと思うのよね。
人称の問題と視点の問題は違うから。
だから、それらを混在して「三人称一元視点とは?」と聞かれると、もうそれは作者の考えの問題になる、と思う。
正解はないし、どっちも正しいと思う。

上記の回答(三人称一元視点を書くコツと注意点の返信の返信)

スレ主 金木犀 : 1 投稿日時:

サタンさんコメントありがとうございます。
まず、自分が見解を理解しているか、まとめさせていただきますね。

・三人称は基本「俯瞰から誰に焦点を当てるか」。
・三人称一視点は「主人公固定」になる。
・一人称に寄せるかは好みの問題であって、ルールではない。
・三人称は「第三者の記述」一人称は「視点主の主観か」の違いがあるだけで、それ以外にルールはない。結果的にできてしまう。
・基本は「一人の視点主に固定する」が、そういうルールがあるわけではない。
・物語の主人公を中心に描かれているなら「三人称一元視点」だと言える。描かれていないようなら「三人称一元視点には見えない」と思う。
・三人称と、視点の問題を混在しないようにする。作者の好みがあっていい。

 間違っていたら指摘お願いしますね。

 簡潔にまとめてくださってありがとうございます。
 要は「主人公固定で描かれているか、いないか」を中心に指摘できれば、少しは実のあることを書けたのかもしれませんね。
 私自身ごっちゃにしてしまっていたから、相手に負担になっていたのかもしれません。
 冷静な指摘ありがとうございます。

 やはり、三人称一元視点も、三人称なので「まずそうに食べた」という表現をしてもいいのですね。なんか固定観念があったのかもしれません。
 全体の文章が、より一人称気味なら違和感を覚えやすく、三人称よりなら違和感を覚えにくい、それだけの話なのかもしれませんね。

 なんか、私なりに整理ができた感覚です。
 ありがとうございました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点

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元記事:カゲプロのパクリをしたい場合

個人的な感想ですが、創作には4、5の要素があると思っています。間違ってたら教えてください。
1、設定
2、説明
3、目的
4、構成
このほかに作家の個性や雰囲気と言った要素もあるかもしれません。多分、1か3から作るのがいいんだと思います。
設定の完成度は、どれだけ真新しいか、読者の価値観を変えられるか、どれだけ夢があるか、といったことだと思います。パンクやワンダーというのはこのレベルでのジャンル分けです。

説明の完成度は、科学的、論理的であることです。SFやミステリーなら科学的であることは殊更重要になると思います。ハードSFというのは説明が科学的なSFで、反対にアニメ映画は記号や比喩を用いた論理による説明が多いです。

目的の存在は重要で、ストーリーは作者や読者の嗜好や知的探求心を満たしたり、対比等を用いてメッセージを伝えたり、あるいは特殊な文章を使ったり、といった目的を達成するために存在します。前者の場合、例えばお色気シーンやパロディのように作者がその場の思い付きで大小いくらでも追加することがありますが、後者の場合はそうではないようです。
ニューウェーブSFや異世界モノ、恋愛や関係性モノというのはこのレベルでのジャンル分けになります。また目的の完成度は、読者層にどれだけ刺さっているかということだと思います。
特にSF色の強い作品では、設定や説明だけでは資料集となり、目的だけではエッセイとなるため、作品を作るにはこの三つが合わさっている必要があると思います。

構成は読者に読みやすくするための方法です。最初に衝撃的なシーンを持ってくるとか、伏線を効果的に配置して恐がらせたり次を読みたくさせたりするとかいうのはこのレベルでの話です。構成はマニュアル通りに行えばいいというわけではなく、流行や読者層がどこにあるのかも考えなければなりません。

で、ここからは副題なのですが、自分はカゲロウプロジェクトのような中二な作品を作りたいと思っています。
カゲプロの斬新さは音楽面や発表媒体、そしてヴィジュアル面だと思います。
というのもこの作品の目的というのは「中二病なネーミングの超能力者たちに中二なことをやらせる」であり、文章もキャラを反映してはいるものの大部分がweb小説等のそれに則っています。設定・説明共にありふれたライトノベルのそれとしてもいいと思います。つまり、それだけではオリジナリティがありません。
したがって、これら以外の要素、すなわち作品全体のデザインに目を向けなければなりません。こうして見えてくるのが音楽やヴィジュアルとのかかわりであり、統一感です。
思うに、カゲプロは絵や音楽がそれぞれ単独で存在しているのではありません。小説が説明、絵が世界観、音楽が目的、といったように、それぞれのメディアが各々別の要素を分担しているわけです。

これと同じことを小説だけでしたい場合、小説の内部に疑似的な別メディアという構造を設けて、それらが総体として小説を構築するように作ればいいのではないでしょうか。

上記の回答(カゲプロのパクリをしたい場合の返信)

投稿者 読むせん : 0

わいアホやさかい、何言われとるんか、サッパリわかんにゃーい\(^P^)/オエっ

えっとカゲプロをパクりたい、で、二番煎じで劣化コピーでハイエナ商法で儲けるには、どんな工夫が必要か?でいい?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①まだ残っている需要を狙え
これカドカワの真骨頂。
なろうとか、カドカワ参入時点でもう飽きられたコンテンツだったし、角川のテコ入れまでは『俺つえーハーレムチートもの』が大手出版社のメイン商品(2000年代くらい)で、それに合致しない人が『なろう』で執筆中だったの。

 いまや『俺ツエーハーレムチートもの』がなろう系になり果ててしまったけど、これカドカワ系の基本です。
あと、おニャン子クラブ商法でAKB48を売っているプロデューサーは同一人物です。

後追いどころか本人がセルフ後追いしている商法やねん。

②リバイバル・ブームを待て
15年スパンおよび3年スパンで流行は変動します。嫌韓ブームが沈静化してから再び韓国アゲ―が侵食してきているように、過去の流行りを知らない読者を洗脳して騙せばいいよ。

③自分の考えに固執しない
流行りの要素をどんどん入れましょう。
今の流行りは【『死に様の選択』転じて「生き方の選択」】だと思う。
 言っちゃあアレだけど【今の子供と生きている】母親とか女の方が、こういう流行の察知力が高い。男は夢に生きがちだから、自分の趣味ばっかで時代の最先端を生きている子供の感性を無私しちゃうのよ・・・・・。

④時代の最先端コンテンツに参入せよ
カゲロウ・プロジェクトの本質って『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『サイレン(ゲーム)』だと思うよ。
どちらも複数メディアにて大量のヒントをチラ見せ&ばら撒いて【みんなで情報共有して謎を解いて遊んでね】ってやつ。

今だとそれらのコンテンツ類がカドカワに食われてオワコン状態だから今は止めといた方がいいと思う。

・・・・これでええやろかい?
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
個人的にポイズン発言

カゲプロを『厨二病的』と安直にラベリングし、言霊で縛って知ったかぶりしてない?

カゲプロを馬鹿にして見下し、理解した気でいそうな気配を察知。
カゲプロの形骸化した輪郭をなぞってばかりで、カゲプロの本質を見ていないし、勘違いしたままじゃない?

押さえるべきは、【そこ】じゃないと思うよ

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: カゲプロのパクリをしたい場合

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投稿日時:

元記事:甘粕事件について、小説の題材にするのはどうか?

こんにちは、JJ改め甘粕義政(あまかす よしまさ)です。
甘粕事件について、小説を書きたいと思う気持ちがあるんですが
(色々読み進めていくにつれて甘粕に興味が出てきてしまって)

相州戦神館學園八命陣などでも題材にされている甘粕正彦、そしてとアナーキスト達を騒がせた甘粕事件を題材にしたいのですが、
(あれは伊藤野枝の子孫だったから許されたのか?)

ライトノベル風に若者に読みやすくするのは難しいのでしょうか?

上記の回答(甘粕事件について、小説の題材にするのはどうか?の返信)

投稿者 あざらし : 2

小説としてなら私は面白そうだと思います。
ですが、向き不向きでいうと、残念ながらラノベには向いてないと思います。
個人的に一般もラノベも、というか活字があるというだけで絵本だって読みますが、「ライトノベルを読むときはライトノベルを期待」して読みます。

>甘粕事件を題材にしたいのですが、

「この言葉をストレートにとれば」ですが、時代や人物が固定されてますよね。
なによりも執筆の動機が、

>甘粕に興味が出てきてしまって

とありますので『甘粕大尉を描きたい』という強力なモチベーションが働いていらっしゃるのでしょう。
これを小説で、となるとジャンルでいえば史実小説・歴史小説に区分けされます。
もちろん単純に歴史をなぞるのではなく、著者なりのモチーフや解釈が加えられるものですが、歴史小説を楽しむには大前提があります。
御作の場合、具体的にちょっとあげても(社会主義思想)(憲兵特攻隊)(警察と軍部との関係)(アカ狩り)他にも山ほどありますが、人物を書く上で特にここらが重要になってきますよね。
これらについて「興味を持ってくれるか」ということです。
「誰が」というと、

>ライトノベル風に若者に読みやすくするのは難しいのでしょうか?

こうありますので『ライトノベルを求めている読者に』ですね。
ちょっと感覚的な話になりますが、漫画で例えると”ライトノベルど真ん中”の作風は少年誌。雑誌でいうと少年ジャンプとか少年サンデーです。
作風が青年誌、たとえばヤングジャンプだとかヤングサンデーになると、ライトノベルでもレーベルが変わります。各社ありますがメディアワークス文庫なんかが代表格でしょう。ライトノベルといっても現在は幅が広くなってますよね。
で、ですね、

>>ライトノベル風に若者に読みやすくするのは難しいのでしょうか?

こっから『若者』を変えれば、つまり青年向け以上のラノベとしてなら、一応は成立するはずです。(”一応は”と書いたのは、より読者が求める場として既に一般小説がある、ということ)

実際に読者層として、青年漫画雑誌の歴史物は定番ですよね。いちいち例をあげませんが、坂本龍馬を題材にした漫画が良い例でしょう。いっぱいあります。
でも歴史物の読者層、作品のステージは漫画でも、おおよそ少年誌ではなく青年誌です。
たとえば現在連載中の歴史物を例にしますが【作画吉田史朗:村上海賊の娘】原作は【和田竜:村上海賊の娘】
これも漫画はビッグコミックスピリッツ。小説は週刊新潮の連載です。
おおよそ歴史物の小説と漫画の読者層はこういう感じです。

甘粕義政さんが『どうしてもラノベ』と仰るならば、ですが『(年齢層を下げるなら)どれぐらい史実から離れられるのか』もっといえば『ライトに読めるのか?』というのがポイントになるかと思います。

たとえば当時の世情のひとつに言論統制・思想統制がありますよね。
これは現代人の価値観からすれば、解りやすいディストピアです。この時点で大半の物語の下地となる時代背景を割愛できますから、『いつかどこか』でも『近未来』でも『セカイ系』でもやりたい放題、より人物により焦点をあてることが出来ますよね。
人物や組織の相関関係をかり、ディストピアものとしてならギリギリ少年誌の雰囲気に擦ってきますし、ラノベなら普通にあります。(というか以前から手垢がついてるパターン)
あとは大杉栄の息子の年齢を変え、彼を主人公にする、事件から生き延びる、といった具合ですね。

と、まあ大杉栄側から腐ったような一例を書きましたが、甘粕大尉を書きたいなら、焦点の合わせどころとポイントの外し方を意識されればラノベでも成立するとは思います。

いずれにせよ、ライトノベルを期待する読者を裏切ることに意味があるとは思えませんので、『外したポイントと書きたいこと』が喧嘩するなら、これはもう一般小説として執筆される方が、甘粕義政さんも幸せなのではないでしょうか。
とりあえずは書きたいこと、モチベーションを最大限利用して書き、それから発表の場を考えるのも方法だと思います。

参考になれば幸いです。
執筆頑張って下さい。
応援いたします。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 甘粕事件について、小説の題材にするのはどうか?

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投稿日時:

元記事:バランスの良い「なろう系」の主人公にしたい。

すいません、食文化の方に余計な書き込みをしてしまった結果、返ってとっ散らかってしまったので、改めて相談させて頂きます。

現在考えている、「異世界スローライフ系の主人公」の能力についてです。

主人公は、転生する時に一つだけ願いを叶えてもらいます。その時に、

「どんな物でも作る事が出来て、自分だけにしか使えなくて、絶対に痛んだり壊れたりしなくて、失くしたり盗まれたりして手元から離れても、任意で取り戻せる指輪」

を、もらいます。

なぜ指輪の形にしたのかと言うと、

「ただ思ったり願ったりするだけだと、自分の意志に反して即発動して力が暴発する可能性があるので、思いを込める象徴が欲しい。それに対して願う事で、改めて力が発動するという安全装置。それに、指輪だと大きさが手頃だから」

と、いう理由です。

ただし、制約として以下の条件を付けられます。

①無から有を生み出す事は出来ない(自然の法則に反する為)。
②生命(動物)の創造の禁止(生命を創造出来るのは神だけ)。
③何かを作る為には代わりの物を必要とし、作成にはSP(スキルポイント)を消費する(①に加えて、無限に力を使えない)。
④生命の自然な流れに手を加えてはならない。生き返らせたり、若返りや老化の禁止。

補足すると、

何も無い空間から物体をいきなり取り出す事は出来ない。何かを作るには別の何かを必要とし、SPを消費する事で物体を作成する。生産と言うよりは物体の変換を行う。
その際に、望む物と素になる物との価値や大きさによって、SPをより多く消費する。
例えるなら、拳程度の大きさの石を金にする場合と、同じ大きさの銀を金にする場合とでは、前者の方が消費SPが増える。
また、拳大の銀とソフトボールくらいの大きさの銀とでは、金にする時の消費SPが増える。

ただし、同じ大きさの物を変換した場合、最終的に同じ物を作る場合は消費SPは同じになる。

石→銅→銀→金と変換した時と、いきなり石→金と変換した場合、両者の合計SPは同じになる。

逆に、価値の低い物や、元の大きさより小くなる場合は、消費SPが軽減される。

例として、同じ大きさの金を鉄にしたり、大木を丸太にする時には、消費SPが少なくて済む。
ただし、材質が違う場合はこの限りでは無い。巨大な岩を指先くらいのダイヤモンドにする場合は、やはり消費SPが増える。
価値の違いに加え、物を小さく作る事は、物を大きく作る事と同じくらい労力が必要な為。

また、余りに大きな物は作る事が出来ない事がある。それと、複数の材質で出来た物は作れない場合がある。
同時に、複数の違う種類の物を作り出す事は出来ない場合があるし、つながった物の一部だけを変換する事も出来ない。

作成(変換)が可能な例
①腕時計や拳銃、機関銃、ロケットランチャーなどの火器(複雑さと大きさの限界。自分の身長を越える様な物は無理)。
②椅子や机などの家具(構造が複雑でも、ミシン程度は可能)。
③単一の物質同士の変換(鉄を銅に、銀を金にするなど)。
④荷車や馬車の荷台(大型だが構造が単純な為)。
⑤家を砂や紙に変える(家は巨大だが、変換する物が単一で価値が低いから)。
⑥液体の入った瓶など、中身を伴う容器(中が空の容器だけでも可能)。
⑦複数の混ざった物質を単一の物質に変化させる事(ただし、かごに入ったばらばらの果物を、かごごと変換する様な事は出来ない)。
⑧形を変えて変換する事()

作成(変換)不可能な例
①家(構成するパーツが複雑で、材質もそれぞれ違う為。そして大き過ぎる)。
②自動車(余りに構造が複雑な上に大型)。
③大砲などの重火器(②と同様)。
④建物の一部だけを変化させる事。なぜなら、家は全体がつながっているので、能力が全体へ及ぶ可能性がある(家の壁や柱だけを直したり、壁に穴を開けるなどは無理。ただし、ドアや窓は修理可能)。
⑤単一の物を複数の物に分けて変換する事(砂を半分づつ砂金と砂鉄にしたり、1本の木を4つの椅子にするなど)。
⑥人間を砂に変えるなど、生物を無生物にする事。
⑦生物を一から作る事(無生物を生物にしてはならない)。
⑧生物(動物)を違う種類に変える事(犬を猫にする、象を牛にするなど)。
⑨生命の死からの蘇生、若返りや老化の禁止(ただし、怪我や病気を治すのは問題無い)。

それで、食文化スレで挙げたのですが、「栽培したい作物を手に入れるのにどうするか。」という問題の抜け道として、「一から作ると生命の創造に引っかかる可能性があるので、植物の変化は禁止されていない(動物は禁止だが、植物は言われていない)為、最初からその世界に存在する別の植物を変化させて、目的の作物を手に入れる」という抜け道を使いたいと思います。
例えるなら、石ころをレタスにするのではなく、キャベツをレタスにする様な事です。

本当なら、何でもパパパっと作ってしまえる様にしたいのですが、これには理由があります。
以前に応募した作品の評価で、

「チートしたキャラが強過ぎて面白味に欠ける。チートキャラの苦悩が欲しい」

と、言われた事があったので、俺様チート無双にならない様に適当に制約を考えました。

ただし、徐々にキャラクターにも強くなって欲しいので、「FFⅡ」みたいに、「使えば使うほど強くなる」という要素を加えました。
「限界近くまでSPを使うと、SPの上限が増える」事にしたり、眠る(6時間以上の睡眠)と全回復、気持ち的に何か良い事がある(おいしい物を食べたり、うれしい事や楽しい事がある)と、状況に応じてSPがそれなりに回復、という様にしました。
なお、SPを回復するアイテムも考えましたが、この場合は回復と言うより貯金で、「SPを消費して作ったアイテムを使っても、作成に消費した分しか回復しない」という事にしました。なぜなら、そうしないとSPの無限回復が出来てしまうからです。

それと、主人公は肉体的には普通の人間で、不老不死じゃないです。殴られれば痛いし、怪我や病気もします(これは、自分で回復アイテムを使って治せますけどね)。

あと、年齢は少し高めの大学生です。高校生よりは精神的に大人で頭も良いです。

と、長くなりましたが、大体こんな感じなのですけど、いかがでしょうか。

上記の回答(バランスの良い「なろう系」の主人公にしたい。の返信)

投稿者 大野知人 : 1

 なんかすげえ細かくまとめてくれてるんだけど……。能力については分かったけど、その人『どういう人間』なの?
 結局、キャラクター性がつかめないと言える意見は少ないし、多分その選評で言われた『チートキャラの苦悩が欲しい』っていうのは『苦戦してほしい』じゃなくて、『精神的に悩み、成長してほしい』ってことだと思う。

 で、その上で能力について話す前にもう一個だけ。俺結構スレた人間だから、かなり『趣味』が強い意見になると思う。ちょっと今、チートに喧嘩売るような作品書いてて、『客観的』な意見は言いづらいのです、メンタル的に。
 そういう訳で、『あくまで一意見』と思って聞いてください。

 ご都合が過ぎる。
 まあ、この一言に尽きるんですが。『チートって、そもそもご都合的な激ツヨ能力だから!』という意見があると思うので、俺にとって理想的な『チート』の話をまずはします。
 バツ:『使いやすくて、拡張性が広い能力。コスト面で他の能力との差別化無し』
 マル:『使いにくくて、一点特化の能力。要求コストが他スキルと大きく異なる』

 この場合、俺が気に入らないと言っている部分は『生物への干渉以外なんでも生み出せる』っていう、どこぞの創造神じみた汎用性の高さと、『SP&原材料(なんでもいい)を使う』っていう、滅茶苦茶安価かつ、恐らく『ゲーム的なスキルシステム』があるであろう異世界でのSP消費という要素が好ましくありません。
 
 チート能力の面白みが何かという問題について言えば、それこそ『俺様チート無双』の一部作品を除いては『やたら尖った能力を、奇抜な発想をした主人公が上手に使いこなす』事だと思うんです。

 例えばなろうとは違いますけど、上条当麻の『幻想殺し』。アレは、魔術や超能力相手なら何でも打ち消せるというチートですが、根本的に『右腕にしか効果が無い』上に『代わりに様々な不幸・不運を背負い込む』というリスクを持ち、しかも攻撃性能が皆無なので、相手によってはひたすら防戦を強いられる仕様になって居ます。
 そんな中でも挫けずに、敵を強く説得したり、或いは粘り強く仲間・ヒロインが助けに来るまで抗い続けるからこそ上条さんはカッコイイ訳です。
 しかして彼の能力が『視界内の全ての魔術を無効化する』とかだったり、『幻想殺し』とは別に超能力が使えたり、或いはいっそ懐に拳銃を忍ばせていたらどうでしょう? それらを使えばもっと楽に敵を倒すことはできますが、その主人公はカッコイイですか?

 迷える狼さんが仰る能力においては、正直『俺様チート無双』以外でこのキャラは嫌だなァ、っていう風にしか感じませんでした。

 具体的に変更すべきと思う点は二つ。
 『例外はあるけど何でも作れるよ』ではなくて、『例外はあるけど、一部の物しか作れないよ』にした方が面白いと思う。
 そしてコスト・リスク面。割とシンプルに『一日三回しか使えない』でもいいし、まあ『作ることが可能な物』の範囲にもよるんだけど、技術的・伝承的根拠の及ぼせる範囲で材料もちゃんと揃えた方が良い。

 まあ後、スローライフ物を目指すのであれば『人間の手で出来る部分は人間の手でやって、無理な部分をチートに依存』くらいが良いんじゃないかな、と思う。

 個人的にスローライフ系チートで好きなのは、『異界の軍師の救国奇譚』ってラノベ。名前は軍記物っぽいけど、タイトル詐欺で普通にスローライフ物です。
 主人公は農家出身の家事万能系男子。魔力ゼロ。ヒロインは攻撃魔法がまるで使えないために無能扱いされていた王女で、その能力は『一日二株まで、好きな植物を収穫可能な状態まで成長させる』能力。ただし、『株』の概念が違うせいか、糠床や酒についても『成長(熟成)』させることが可能。
 その代わり、それ以外の要素はほぼほぼクソで、主人公は慣れない環境下で地道に人脈をこしらえ、色んな人と仲良くなり、或いはヒロインの能力で超高速品種改良をしつつ、異世界の食文化に干渉していく、ってストーリー。
 よんでみて、参考にすると良いと思う。

 とにかく一番に変えるべきなのは『例外はあるけど何でも作れる』ってとこかな。スローライフでも『俺様チート無双』は有るけど、それがしたいわけじゃないんでしょ? 主人公が悩んだり、考えたり、成長できるように、『出来る事の選択肢は広く、手段は狭く』用意してあげるのが良い作者だと思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: バランスの良い「なろう系」の主人公にしたい。

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