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一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか? (No: 1)
スレ主 回向 若葉 投稿日時:
はじめまして。回向若葉(えこうわかば)と申します。はじめて質問させていただきますm(_ _)m
今私は主人公視点の一人称ラノベを書いているのですが、地の文を主人公の口調にして、それを厳守すべきか、とても迷っています。ちなみにその主人公は高校一年生の男の子で、性格はナヨナヨしていて、クラスでも目立たないタイプです。一応モデルは、漫画『はじめの一歩』の主人公の幕之内一歩くんです。
どういうところで迷うのかというと、たとえば、逆説をすべて「~けれど」や「でも、」にすべきかとか、文の終わりを「のだ」「である」にすべきじゃないのか、などです。
しかし、そうすると、元々の性格がナヨナヨしてイジメられやすいこともあるのか、作者の私が読んでいても、イライラしてきてしまうんです……。ちなみに私はまったくリアルではヤンキー寄りではないです。いつも教室で一人小説を読んでいるタイプでした。
でも、逆説に「が」とか「ところが」をつかったり、文の終わりを「である」や「のだ」を使うと、んーこの主人公はこういう口調はしてないなー、となってしまいます。
どうすべきなのかホントに迷っています。
「まだそんなことで悩んでるのか!?」と思わるかもしれませんが、ぜひ助言をいただきたいと存じますm(_ _)m
カテゴリー: キャラクター
この質問に返信する!人気回答!一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信 (No: 2)
投稿日時:
説明しにくいけど、少なくとも私は一人称においてもセリフほど地の文に主人公の性格を反映させたりしていません。
これは個人的な感性によるのだけど、地の文全てで主人公の性格を反映させた文章にしてしまうと、例えば「見上げると僕の身長よりずっと背の高い人が、僕を見下ろしていた」とか書いたとして、セリフと遜色ないくらい性格を反映させてるとこの状況説明の地の文が「主人公の心の声」みたいに読めちゃう。
でも、実際人間ってそんな冷静に周囲を分析したりしてないから、これは変じゃないか? と思うため。
ちなみに、ほぼ地の文全てに主人公の性格を反映させた一人称でパッと浮かぶのが「スレイヤーズ」で、あれは表現力が凄いと思う。
だから別に私の主張は「一人称でも主人公の性格を地の文に反映させてはいけない」というものではない。
あくまで私個人が、私が持ってるスキルで書いた文章の内容に納得がいかないってだけの話と、その解決法として「反映させない」って道を選んだってだけね。
地の文に性格を反映させまくるのも、一つの表現手段だと思う。
迷ってることはわかるけども、それって現状スレ主さんの文章の個性でもあると思うので、安易に否定はできないと思う。
あくまで私の場合はって参考例は書いたけど、まあ、強いていうなら一人称で「である調」はどうかと思うけど、とりあえず今書いてる作品は今の調子のまま書き上げるのが良いと思います。
主人公を動かしてイライラするんであれば、そのイライラを代弁してくれるキャラを作ってぶっこんでみるのも手だと思います。
一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信の返信 (No: 6)
投稿日時:
助言感謝します! やはり地の文とセリフの口調を一致させようとすると、作者の私でさえ主人公のなよなよ具合にイライラしてきてしまうので、ということは恐らく読者はもっとイライラすると思うので、セリフと地の文の一致率はほどほどにする、ぐらいでいってみようとおもいます!
人気回答!一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信 (No: 3)
投稿日時:
まあ、人によると思うんだけど。俺の場合、『台詞と地の文は全然違う口調』で書くことが多いかな。
剽軽ぶってるけど根は真面目、とか。敬語キャラだけど脳内ではタメ口、とか。表向きは柔らかい物腰だけど裏では毒づく、とか。
まあ、本当に作者ごとに違うと思うんだけど、『二面性のある主人公』を目指して書いている俺としては、むしろ『台詞と地の文を同じ口調』にすることに必要性を感じないです。
一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
助言ありがとうございます! 私は二面性のある主人公を書いているわけではないのですが、大野知人さんの助言はとても参考になりました! 一応、私はセリフと地の文の口調をほどほどに一致させる、で行こうとおもいます!
一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信 (No: 4)
投稿日時:
まず。
そもそも一人称と三人称は地の文の性格が根本的に異なることを理解されているでしょうか?
一人称の地の文は、語り手キャラ(普通は主人公)が語っている文章です。
三人称の地の文は、「カメラ」または「神視点」などと言ったりしますが、誰か(人間)が語っているわけではないんですね。(まあ、実態としては作者が語っているのですが)
なので、三人称の地の文が主人公のセリフと同じ言い回しになることは有り得ません。
じゃあ、一人称の場合はどうなるのか、と。
一人称の地の文は、
1)語り手キャラ(普通は主人公)の性格を直接反映していることは必須。
だって、その人が語っているんですからね(心の声を含む)。
2)しかし、口調は必ずしもセリフと一致している必要はない。
これは、他人との会話と心の声が同じ口調とは限らないからです。
例えば、見栄やサービス精神から友達と話すときはことさらふざけた喋り方をするキャラがいたとしますね。そういう人間でも心の中のつぶやきは見栄を張る必要がないですから、大人しい普通の言葉になってもおかしくないでしょう?
ただ、そこまで考慮して語り手の性格を地の文の文体に反映させるのはむしろ難しいので、ある程度、セリフと地の文は一致させてしまう方が楽です。
* * *
例として。のび太が源静香を可愛いと思っている表現。
(一人称)
1)静香ちゃんは、可愛いなあ。
(三人称)
2)のび太は、静香のことを可愛いと思っている。
シンプルに例示すると、こうなります。
でですね。
一人称でも、
3)僕は、静香ちゃんは可愛いと思っている。
と書いても、そうおかしくはありません。しかし、
4)僕は、静香は可愛いと思っている。
これも有り得なくはないのですが、少し違和感がないでしょうか?
これだと「静香」と呼び捨てにしてる感じになってしまうので、のび太の性格に相応しくないんですね。
一方、三人称の場合、地の文を(1)のように書くと明らかにおかしいのはお分かりだと思います。
基本としては (No: 5)
投稿日時:
1)一人称では、語り手が見ていないものは書けない。
この原則を認めるなら、
2)一人称では、語り手が考えないことは書けない。
これも同様に言えるはずです。だから、一人称の地の文は語り手の性格を少なくともまったく意識しないで書いてはいけません。
ただ。
実際に小説を書いてみると、そう杓子定規に決めてかかっても上手くいかないと実感すると思います。
そこで、一人称・三人称を横断する地の文のテクニックというやつが出てくるんですね。
しかし、そこまで踏み込むとけっこう難しい創作論になってくるので、基本としては、
3)一人称の地の文は語り手の性格を反映する。
4)ただし、口調まで一致させる必要はない。
5)このキャラがそんなことは言わないだろう、と感じるようなことは避ける。
くらいに押さえておくのが、いいんじゃないかと。
基本としてはの返信 (No: 8)
投稿日時:
アドバイス、ありがとうございます! 「4)ただし、口調まで一致させる必要はない。5)このキャラがそんなことは言わないだろう、と感じるようなことは避ける」この部分がめちゃくちゃ参考になりました! 程度問題ということで、私も地の文とセリフの口調の一致率はほどほどにして、頑なに一致させようとはしない、こんな感じで行こうと決心しました! 今、完全に決まりました! スッキリしました、ありがとうございました!
一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信 (No: 9)
投稿日時:
一人称ということで、台詞も地の文も主人公が喋っている場合、細かいところでは口調が変わるか(変えるべきか)、さらには主人公が見せる性格も変わるか、といったところでしょうか。それには一人称での台詞と地の文について考えてみてもいいと思います。
主人公の台詞は他のキャラに向かって話しかけているわけですよね。それ以外に、独り言の場合もありますが、後述の地の文に近いと考えておくことにします。
台詞は、作中リアルでの主人公の行動の1つであり、目的が他のキャラへの作用ということになります。必要なことや言いたいことしか言わないわけですから、主人公の主観がベースと考えてよさそうです。喋る内容も話しかけるキャラに分かればいいものになります。
地の文も主人公の台詞ではあります。が、誰に向かって喋ってるのか。読者のはずですね。読者って、作品を読み始めて、初めて主人公に遭遇するキャラクターです。主人公の世界も、主人公についても最初は何も知らない。そういう人に話しかける台詞が地の文となります。
読者って、主人公からしたらどういうキャラクターか。主人公が自分の内心や秘密までも話す相手です。他のキャラに言ってないことまで知ってもらいたい欲求がある(実はそれ、作者の気持ちですが、主人公に託されていると考えて可)。
かつ、読者は決して作品内容に干渉しない(できない)。主人公からすると、何を話しても秘密を守ってくれ、何を言っても言い返さない聞き上手の相手です。しかし主人公については、その暮らしぶりや交友関係にも無知。
そういう「読者」というキャラクターに話しかける台詞が地の文だと考えると、口調や見せる性格も判断、設定しやすくなると思います。何も事情を知らない人に話すという点からは、話す内容は全般的で客観的に寄るはずです。事情を知らない相手への説明ですから。
口調や見せる性格は主人公の素を包み隠さない傾向が出そうです(むしろ内心もさらけ出さないと、読者に伝わらない)。黙って話を聞いてくれるのが読者ですから、作中の他のキャラよりも遠慮なしでいいはずです。
口調なら他のキャラ、例えば親友に対してでも自称が「僕」だとしても、読者向けには「俺」でも問題ありません。それに合わせて、地の文に見える性格も自信満々、傲慢であっても構わないはずです(他のキャラへの台詞、態度等ではおどおどしていたとしても)。
簡潔にまとめてみます。主人公は、作中の他のキャラに対しても、親密度、年齢差、立ち位置等々で口調も、態度も変えるはずです。読者も、無知だが無口の聞き上手キャラだと考え、主人公が何をどう見せたいか、知って欲しいかを考えれば、口調(言葉遣い)から見せる性格まで、決めやすくなると思います。
一人称作品の地の文は、視点者の口調にすることを厳守すべきですか?の返信 (No: 10)
投稿日時:
手塚さんの意見聞いて「あー、それか」ってなりました。
多分ですが、あまりに一人称すぎると【ほぼ二人称】になっちゃうのよ。
二人称の作品って基本少ないんですが、「あるジャンル」に関して8割くらい二人称を使うのよ。
ずばり『歌詞』!
歌手や歌い手がオーディエンスに語り掛けるように、二人称が多いの。語尾とかも歌手らしさや、歌っているイメージキャラクターらしさが出るように意識するし。
謡うように、あるいは謳うように、一歩間違えたら押し付けがましく感じるの、それが理由じゃね?
私的に三人称寄りの歌詞の歌って、どんな人気曲でも、ちょっと陳腐に聞こえる気がするし。
とりあえず"両方"書きましょう! (No: 11)
投稿日時:
痔の文で面白いと思った作品は『オオカミセブン』ですネ!
地の文はお伽話を装った炭酸の抜けた妖精みたいな文なのですが、主人公の漁師くんの一人称はイラストが劇画調になるほど男らしく、ヒロインの一人称はイラストが少女マンガみたくメンヘラでした。