小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:返信の返信の返信

公募について 異世界転生系の作品の公募はお勧めしません。なぜなら、ライトノベル公募のトップである電撃にあまり取り上げられないからです。なので、別の作品を作って公募に出されたらいかがでしょうという意味で言わせていただきました。少し分かりにくかったかもしれません。

公募ではオリジナリティが重視される 最近はラノベ界隈自体がラブコメ一強になってきつつあるのでオリジナリティのない脳死ラブコメなども案外通りやすくなっていると思います。なので応募するなら今がチャンスかもしれません。

上記の回答(返信の返信の返信の返信)

スレ主 半額オソーザイ : 0 投稿日時:

浦部さん

ご返事ありがとうございます!

なるほど、そういうことだったんですね。理解力と読解力がなく、申し訳ないです……。

たしかに最近、恋愛系がめちゃくちゃ多くなってきてますよね。(私自身は、恋愛モノに共感できるものが少ないので滅多に読まないですが……)
ラブコメか……うーん、うーん……芸の幅が狭い、と言われたらそれまでですが、私自身が恋愛にからっきし興味がないので、魂を込められるか微妙です。システマティックに書くだけで通れるほど甘い世界でもないでしょうし……。
せめて最終兵器彼女(たとえが古い!)とか、ダーリンインザフランキスみたいに、SF要素を絡められたら書けそうなんですが……(SFが一番親しみがあるので)

脳死、と言っても「好きな子に告白されて付き合ってイチャイチャ」だけじゃ通らないでしょうし……何をどう読んでも、今まで胸キュンというシチュに出会ってこなかった(創作、リアル含めて)ので。それでも、システマティックに表面だけ取り繕って人が共感できるものを書けるなら、その選択肢もアリかなと思います。
なんせ、賞を取って売れるのが一番ですし……こだわって芸術家を気取っているわけにもいきませんしね。

あ、でも、リアルなドロドロした恋愛は書けますね!(闇)

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 自作小説の冒頭シーンについての相談

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元記事:もう少しシンプルに考えた方がいいかもの返信の返信

>「異世界転生者を殺すための魔法を作った。興味はないか?」だけを最初の一文に置いて、その後本筋の話を始めちゃうと、

ああ。
そこを勘違いされたのかな?
「異世界転生者を殺すための魔法を作った。興味はないか?」だけ置くのではなく、もちろんその後に適当な地の文を入れてから、《魔法学園に通う少年、シャル・アーガルベルトは~》につなげる方がいいです。

言いたかったのは、「 」をつけずに書くと他人のセリフなのか主人公の心の声なのか分かりにくいので、セリフであることを明示した方がよいということでした。

それでもダメですか?

私的には「 」をつけないならいいけど「 」をつけるとダメだという理由が分からないのですが。

   *   *   *

>主人公が師匠や他のモブからどう見られて、どんな感じで過ごしているのかを分かるような描写や演出を最初のうちに下地としておいておかないといけないと感じ、その展開を思いつきました。
>ついでに試合で戦う相手の背景も書き切れたらいいと思ったのですが、どうでしょうか?

そう、書きたいなら別に反対はしません。

一応、問題点を指摘すると、最初に下地や背景を丁寧に書き込むと、いつまでたってもストーリーが動き出さないんじゃないか? ということです。
その場合、「下地」「背景」「キャラの日常」そのものに読者を楽しませる演出を盛り込まないと、単に退屈な序盤になります。

キャラの日常を魅力的に描いて読者を引きつけるというのも、それはそれでけっこう難しいと思うのですが、いかがでしょうか?

個人的には、まずストーリーを進め、「下地」「背景」「キャラの日常」は後から適当なタイミングで少しずつ加えていく方が読者を退屈させないと思ったりはします。

   *   *   *

キャラ主導の小説
ストーリー主導の小説。

どちらが良いということはありませんが、作者の資質がどちらに向いているか、ということはあります。

スレ主様は、どちらで行きたいとお考えでしょうか?

上記の回答(もう少しシンプルに考えた方がいいかもの返信の返信の返信)

スレ主 半額オソーザイ : 0 投稿日時:

あまくささん

・私的には「 」をつけないならいいけど「 」をつけるとダメだという理由が分からないのですが。
 ⇒多分、私自身のズレた感性の問題だと思うので、問題ないと思いますw
  読み手はだいたいが普通の感性ですしね……!
  誰の台詞?ってなっちゃうと思うのはその通りで、当然ながら最初のページからだと師匠の台詞だとは分からないと思うので……。誰の台詞か分からないと、初手で読者の心を掴むよりも、読者を混乱させてしまいそうなので……(ある人は美少女ヴォイス、ある人は悪魔の囁き、と脳内再生するだろうし……)
  あ、でも地の文で師匠の台詞だ、的なことを書いたらマシになる……?(とはいえ、師匠も男か女か、若いか老人か、も描写しておかないと読者にイメージとして届かないんじゃあないのかな?と不安にはなります)
  あくまでもこれは自分のような感性のズレた人間が読者になった時に抱くであろう違和感なので、そうでない大多数の読者にとって問題なければ採用できるな、とは思いますが……(自分の感覚よりも、大多数の読者の感じ方を優先するのは当然なので)。

・いつまでたってもストーリーが動き出さないんじゃないか?
 ⇒これは別の方の話でも私自身疑問に思ったことではあったのですが、どうやら何章も挟むものではなく、
 「ここまで頑張ってきたんだ、あと少しだ」「いくらお前でも無理だよ」的な
  ”頑張ってきた”、”実力は周りから認められている”、”対戦相手はそれ以上だとされている”、みたいな情報らしいです。

うーん、こうして考えると「キャラの前提(日常や情報)がないとストーリー自体が盛り上がらない」という意見と、「とりあえずストーリーを進めて読者を飽きさせない」という意見の両方があり、それらは両立させようとすると大事故になる……みたいな認識になりつつあります。俗にいう、二律背反?(意味違うかも?)みたいな……。

・スレ主様は、どちらで行きたいとお考えでしょうか?
 ⇒私自身は「どっちにしたほうが作品を読まれて、面白いと感じて閉じてもらえるか」でしかありません。
  これは私の主観だけでは判断できないことだな、と感じているからです。
  1人でも多くの読者が「面白い」と感じる方向性はどこか。まずはそこからなんじゃないかな、と考えています。
  そういう意味では「とりあえずストーリーを進めつつ、より深くキャラを読者に伝えられる台詞に変えていく」が一番かと自分では思っていますが、どうでしょうか?
  文章量やストーリー展開は変えず、台詞だけもう少しマシなものに変えていく感じです。

正直、自分は物書きとしてはLv.1か2ぐらい(プロを100とすれば)だと思っているので、そこまで深く考える必要はないのかもしれませんが……。ニーズが分かれば、その方向で書いてきたいと感じているので……。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 自作小説の冒頭シーンについての相談

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元記事:盲目設定の登場人物の感情表現について

初めまして。
私が現在執筆している小説には、盲目、つまり目が見えない設定の登場人物がいます。その人物は目元に包帯を巻いています。
困っているのはその人物の感情の描写についてです。
よく、「驚いた様子で目を見開いた」「目を泳がせる」「彼の目はどこか遠くを見ていた」「目を逸らした」など、目を使ってその登場人物の感情を表現することがありますよね? 私はよくします。
ですが、盲目な登場人物の場合、それができません。
ですので、その登場人物の感情をどうやって表現したものか悩んでいます。
しかも私が書いているのは一人称視点のため、その視点の登場人物から見えることしか、盲目の人物を描写することができません。
私はもともと地の文を書くのが苦手で、感情を表現する幅が狭いと悩んでいたのですが、更に狭くなってしまって困り果てています。
勿論目以外を使って感情を表現することはできるのでしょうが、どうしても選択肢狭まってしまって……。
皆様ならどうやって表現しますか? ちょっとしたことでいいので、教えていただきたいです。

上記の回答(盲目設定の登場人物の感情表現についての返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

三人称であれば「目を泳がせる」などで表現するけど、つまりこれは「動揺している」ということを表現した文章であるわけだけど、一人称ならそれは端的に視点主の主観で語れば良いだけで、むしろ「驚いてる様子」を形容する必要があまりないと思う。

「盲目の彼はずいぶん驚いた様子だった」とかダイレクトに、逆に「動揺した盲目の彼は閉じたまぶたの裏で目が泳いでるに違いなかった」と視点主のイメージで書いてしまったりとか、
ようするに、「目を泳がせる」という状況がどういう状況なのかを別の言葉で現す。驚いたり動揺したりしてるのなら、そう書けば良いわけで。
「遠くを見つめた」というのは、なんだろ、哀愁の念でもある場面かな。であれば視点主に「彼は~~に思いを寄せているのだろう」とか主観で語らせれば良いかなと。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 盲目設定の登場人物の感情表現について

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元記事:盲目設定の登場人物の感情表現についての返信

三人称であれば「目を泳がせる」などで表現するけど、つまりこれは「動揺している」ということを表現した文章であるわけだけど、一人称ならそれは端的に視点主の主観で語れば良いだけで、むしろ「驚いてる様子」を形容する必要があまりないと思う。

「盲目の彼はずいぶん驚いた様子だった」とかダイレクトに、逆に「動揺した盲目の彼は閉じたまぶたの裏で目が泳いでるに違いなかった」と視点主のイメージで書いてしまったりとか、
ようするに、「目を泳がせる」という状況がどういう状況なのかを別の言葉で現す。驚いたり動揺したりしてるのなら、そう書けば良いわけで。
「遠くを見つめた」というのは、なんだろ、哀愁の念でもある場面かな。であれば視点主に「彼は~~に思いを寄せているのだろう」とか主観で語らせれば良いかなと。

上記の回答(盲目設定の登場人物の感情表現についての返信の返信)

スレ主 餅宮 : 1 投稿日時:

ありがとうございます!
登場人物の感情表現をする時、あまり直接的じゃない方がいいかと思っていたんですけど、一人称ならありだとしれてよかったです!

カテゴリー : キャラクター スレッド: 盲目設定の登場人物の感情表現について

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元記事:盲目設定の登場人物の感情表現について

初めまして。
私が現在執筆している小説には、盲目、つまり目が見えない設定の登場人物がいます。その人物は目元に包帯を巻いています。
困っているのはその人物の感情の描写についてです。
よく、「驚いた様子で目を見開いた」「目を泳がせる」「彼の目はどこか遠くを見ていた」「目を逸らした」など、目を使ってその登場人物の感情を表現することがありますよね? 私はよくします。
ですが、盲目な登場人物の場合、それができません。
ですので、その登場人物の感情をどうやって表現したものか悩んでいます。
しかも私が書いているのは一人称視点のため、その視点の登場人物から見えることしか、盲目の人物を描写することができません。
私はもともと地の文を書くのが苦手で、感情を表現する幅が狭いと悩んでいたのですが、更に狭くなってしまって困り果てています。
勿論目以外を使って感情を表現することはできるのでしょうが、どうしても選択肢狭まってしまって……。
皆様ならどうやって表現しますか? ちょっとしたことでいいので、教えていただきたいです。

上記の回答(盲目設定の登場人物の感情表現についての返信)

投稿者 大野知人 : 2 投稿日時:

 この問題は複雑で、『リアリティがある描写』と『読者に分かりやすい描写』の二点が別物であると考えます。なぜかと言うと、『比較として言うと、盲目の人は少ない』からです。身の回りに居ないから、リアリティがある描写をされても、それが理解しづらいんですね。その上で。

①リアリティの話。
 目を使って感情を表現するのは、視線の動きを指して『相手が何を考えているか』察しようとする動物の勘を反対に利用しているのだだと思います。

 何が言いたいかと言えば、『盲目の人がどうやって視覚を補っているか』です。答えは手の触覚や匂い、音などです。グロテスク耐性があるなら、『仮面ライダーアマゾンズseason2』の鷹山仁なんかはかなり丁寧な描写がされています。
 目が泳ぐことはありませんが、手遊びをして紛らわそうとすることはあるかも知れません。目は見開かないかもしれませんが、耳に手を当てて『もう一回言って?』と仕草で示せば、驚きは表せます。目を逸らさなくても、『嫌なものに対して鼻を手で押さえる』とか『気まずさのあまりに、耳を押さえた』みたいな書き方は出来るでしょう。

②読みやすさの話。
 個人的に一番いいのは、サタンさんが仰っているような『ダイレクトに書くか、視点人物の主観で決めつけてしまう』という方法だと思いますが、他の方法も模索してみます。

 例えば、生まれつき盲目出ないーー事故や病気などで失明した人は『驚きに目を見開く』などという感情表現に理解がある訳です。彼らの場合、『癖で目を見開く』→『結果として、包帯や鼻の横らへんに皺が寄る』みたいな現象が起こる訳で、

 『きっと○○は癖で目を見開いてしまったのだろう。包帯の陰から、彼の表情がクシャリと歪むのが見えた。不自然に寄った皺を見て、初めて○○が驚いていることを理解する』
 
 の様な描き方も出来ると考えます。

 また、生まれつき盲目の人間は自分の肌感覚に(常人より)敏感だったりします。ですので、案外『人から表情やしぐさを言葉で聞き、それを再現する』能力が高いわけです。この場合

 『××が妙な表情をしているので、これはどういった感情なのかと俺が気をもんでいると、彼女の方から「こういう時、人は目じりを寄せて笑うと聞いたのだが……、違ったか?」と言ってきた。なるほど、包帯で目が隠れているせいでアンバランスさが目立ってしまっていたが、上がった口角や鼻周りのピンと張った皮膚を見るに、それは彼女なりの笑顔だったのだ。「うん、良い笑顔だ」俺がそういえば、彼女はカラカラと声に出して笑った』

 みたいな感じの事も出来るとは思います。

 俺の考えとして言うと、②で例文にした『独特の表情に周囲の人物が戸惑い、それから理解を示す』というのを先にやっておけば、それ以降は『独特な感情表現をするキャラクター』と読者に認識されるので、①の様な『短い描写』で書いても良いと思います。

 参考になれば幸いです。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 盲目設定の登場人物の感情表現について

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元記事:世界観と地の文について

率直に申し上げますと、私は今スランプに陥っています。
世界観が上手く作れず、地の文を書いていても発送がありきたりな部分に陥ってしまい、一つの作品として欠けを感じる部分が増えてしまいました。起承転結や序破急を組んでも上手く書けず、結局流れるままになってしまいます。また以前より自分の作品が評価されず、納得のいく作品を上げたとしても人に見て貰えない事が多いです。自己満で書いているので、これは多少なり仕方ない部分があるとは考えているのですが……。

そこで質問させていただきます。こういったスランプや文章の書き方に悩んでしまった場合、どのような努力及び工夫が必要でしょうか?
また、地の文が丁寧ではないが世界観は広い小説、逆に地の文は丁寧だが世界観が狭い小説だったらどちらの方が読んでいて心地が良いのでしょうか?

皆さんの意見を聞かせて頂ければ幸いです。

上記の回答(世界観と地の文についての返信)

投稿者 ごたんだ : 0

とりあえず、両方書こうか!

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 世界観と地の文について

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投稿日時:

元記事:ゲームについて

『賭ケグルイ』のように、作中にオリジナルのゲームを登場させたいと思っています。そこで質問なのですが、ゲームがゲームとして成立する条件ってなんだと思いますか? また、ゲーム性とはどんなものでしょうか?

上記の回答(ゲームについての返信)

投稿者 ワルプルギス : 1

こんばんは。好きなギャンブルネタのラノベと言えば『蓬莱学園の犯罪』なワルプルギスです。
うん、まあゲームの描写自体はあまり無いんだけどさ。
メインはいかに巨大学園を引っ掻き回すかだし。

さて、本題に入って
>ゲームがゲームとして成立する条件
 細かい定義はウィキペディアに譲るとして、
『複数のプレイヤー間でルールに基づいて勝敗を決める』
ものはおよそ『ゲーム』と呼んで差し支えないかと思います。
テニスだってマージャンだってゲームでしょ、と広めに考えるタイプです。

>ゲーム性とはどんなものでしょうか?
基本は『運とプレイヤーの腕前(スキル・戦略)がバランスよく勝敗に絡むこと』ですかね。
例えば、サイコロの出目を比べるだけとか、単純な双六とかだと完全に運頼り。
それに一喜一憂するのもありではありますが、ゲーム性としては低い。
逆に、将棋、チェス、あるいは各種スポーツになってくると、ほぼ完全に腕前の問題。
競技性が強くなってくるので、ゲーム性としては低目かなと。
この中間の、腕前で勝率を上げられるけど、やはり運からは逃れられないタイプがゲームとしてやっていて面白い=ゲーム性が高いと思うのです。

さらに、『戦略の多様性』が加わると、ボーナスポイントが付きますね。
例えば1回勝負のじゃんけんはほぼ完全なランダムです。
しかし、複数回勝負だと、相手の前の手から次の手の予測をする心理戦要素が加わり、ゲームらしくなってくる。
戦略の多様性を出すために、プレイヤーの取れる行動を増やしたり、相手の情報を一部だけ公開するなどルールが工夫されていると面白い=ゲーム性が高いと感じます。

でも、工夫しすぎてルールが超複雑になると、それはそれで辛いんですよね。
特にゲームを題材とした小説となるとルール説明にどこまで文字数を割くかが悩みどころ。
シンプルすぎるとゲームとして面白くなく、複雑にすると説明が長い。
かといって、ちょっとずつ開示するスタイルは後出しになるのでアンフェア感……
以前読んだポーカーネタのラノベ(タイトル失念)でも、後書きで作者さんがずいぶん苦労したと述べておられました。
茨の道かとは思いますが、がんばってください。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: ゲームについて

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投稿日時:

元記事:やり直しについて

よろしくお願いします。

小説を書いて約十年、幼い頃からの血の滲むような修正、添削、やり直しにて、元々苦手で嫌いであった日本語、国語という枠を克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで参りました。
最初はケータイも無く、ただ1ページ三十五行のノートに物語を書き連ね、酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々でした。それを一般の小説、童話などと比較し、物語の構成や文章の中にさりげなく入れる変化球のような単語、読みやすさなど到底そのレベルに達していないと判断してゴミ箱にシュートしていたのです。
しかしながら、自らの才能を見極める目はありました。私は書いたものの中で、キャラクターがどのように動きたがっているのか、どうすれば不自然ではなくなるのかなど、飲み込みが早いのです。
なので、自分で書いたものを読み返し、必ず改善点を見つけてしまう。妥協をしないから必ずゴミ箱に入れる。これが延々と繰り返されて来ました。
長編を書きたいが、今の自分では面白くない。長編を書き切ったが、見返して改善点を見つけ、これを世に出して良いはずがないと捨てる。
確かにやり直す度に面白くなってはいるが、上限なく面白くなるのだが、底がないのです。
今ではスマホがあり、アプリを入れて小説を書いてもやり直してばかりで未完の小説がゴミ山のように溜まっていくのみ。
私は一体、どこまでやり直せばいいのでしょうか……。

上記の回答(やり直しについての返信)

投稿者 手塚満 : 1

結論から申せば、ある種の幻想に囚われているということです。しかも、その幻想を強化する訓練を続けて、今に至っている恐れが強い。ですので、推敲、改稿はそこそこにして、作品の完成と公開を最優先にすべきでしょう。そこを少し説明してみます。

1.手より先に目が肥える

小説に感動して、読み手から書き手に変わろうと思い、いろいろ書いてみるわけですよね。そのとき何が起こるかって、当然、書くことが上達していきます。一説には長編10本くらいまでは、ただ書きさえすれば上達するとも聞いています。

が、文章を書く手だけが上達するのか。そんなことはなくて、書いているとき書いたものをは逐一追いながら考え、推敲するには改善ポイントを探せるよう、注意深く読むわけですね。それがまた書くことにフィードバックされる。

そうやっていると、確かに書く手は上達するけれども、その前提にはしっかり読む、しばしば分析的に読解することが必要なため、目が肥えても行きます。そしてほぼ間違いなく、手より目が肥える速度のほうが速い。

2.目が求めるものを手はこなせない

そうなりますと、自分が満足する文章を書くことが遠のきます。書き手としてより、読み手としての上達が早いんですから当たり前です。手を動かすと先に目が肥える。どうかすると、書くほどに下手になった気がすることさえある。その点はよく承知しておかねばなりません。実際には着実に上達しているのです。

しかし仰るように改善ポイントは見えてしまう。よく読めるようになっていくだけに、キャラの動き、気持ちを分かることが深くなり、そのために必要な言語化が不足していることだけは分かるようになる。当然、推敲や改稿をしたくなります。創作者としては当然の気持ちです。

3.やってみた気分に騙される

そして手を入れてみる。そこで罠が発動しがちな点は要注意です。「自分が作ったもの、自ら手を入れたものに高い価値を感じてしまう」という「イケア効果」です。鶴の折り紙実験などで知られています。自分が折った出来損ないの折り鶴は正しく折れた鶴より価値があると嘘偽りなく感じてしまう。他人は折る前の折り紙のほうが価値があると思っているにもかかわらず、です。

推敲、改稿でも同じことが発生します。手を入れてみると文章的に改善した気がする。しかし前より良いはずという感覚と、実際の文章は乖離してます。せいぜい数日前の文章のはずです。書き手が数日で格段の進歩を遂げるはずもなく、むしろ同じ程度でしょう。せいぜい、そのときどきのコンディションによる変化があるに過ぎない。

4.同じ自分で大差出せるわけがない

実際は推敲後、改稿後の文章は特によくなってはいない。それをまた読んで、同じように改善ポイントを見出してしまい、同じように気分だけの文章・描写改善に取り組んでしまうわけです。だからよく言われてるわけです。頭を真っ白にしてから推敲せよ、とか。あるプロの言では数か月放置するそうです。そうしないと自作を他人の文章同然に読むことができず、有効な推敲なんかできないから。

5.他での感動を自分の文章の感動と取り違える

スレ主さんのご質問文(やご回答文)を拝読しますと、まだ罠がありそうで危惧しています。それは「借り物の感動」とでも言うべきものです。どこかで見聞きして感動したものを、自分の文章に感じてしまう現象です。自分もよくやらかしますが、偉人の名言とか、有名な警句とか、口に出してみると、実にいい気分で自分が凄いこと言った気がしてしまいます。

しかし実際は、自分の言が自分で感動するほどには他人に感銘を与えたりはしない。せいぜい「ふーん、それで?」くらいの周囲の反応しかありません。上記のイケア効果(自分が言った)以外に、名言や警句を読んだり聞いたりしたときの自分の感動を再現しちゃってるんです。よくある、例えば銀英伝のキャラクターの名言なんかですと、銀英伝を鑑賞したときの感動まで加わっちゃってる。

6.決め台詞だけで感動が発生すると思う勘違い

スレ主さんのご質問文って、大仰な言い回しですよね。ここへは誰かを感動させに来たんじゃなくて、悩みを聞いて欲しくていらっしゃったはずなのに。例えば「幼い頃からの血の滲むような」とか「克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで」とか「酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々」とかとか。大仰であるだけでなく、どっかで聞いた、手垢のついた言い回しでもある。

おそらく、その手の言い回しで感動したことがあるはずです。そして、感動したものについては、その言い回しはうまく用いられていたのでしょう。文章の工夫は感動した文言そのものより、その前の段取り、後のフォローで作られていることが多い。決め台詞などと同じですね。決め台詞そのものより、決め台詞が発生する条件を整えるのが大事。

そこをよく読み取らず、いいと思った文言だけ覚えて使いまわしてしまうと、ちぐはぐなツギハギの感じがする文章になってしまいます。少なくとも、この掲示板に見えるスレ主さんの文章はそういう感じがしてしまっています。

7.書くべきことが分からないと悪いポエムになる

そういう文章は書くことがない、あるいは書くべき内容を整理できないときによく発生します。内容のなさをレトリックで補おうとしてしまうのです。しかも饒舌になる。内容がない、とは思われたくないので文章量を増やしたくなりますし、言い訳にも近いのでついくどくど言いたくなってしまうから。何を書いていいか曖昧なので、具体性を欠いて、情緒重視にもなってしまう。

8.もし未完成で推敲を重ねているならハイリスク

別の問題点としては、スレ主さんのご質問が具体的な説明を欠いていてはっきりしないのですが、もしかして未完成のうちに推敲、改稿を重ねていないかということがあります。

少なくとも、書き進めている最新の2割は有効な推敲はできません。文章は各部分が文脈、つまり前後の支えがあって読めるものになります。最新部分はまだ後があるのに、書いてない。だから推敲するにも、その後の文脈が支えてくれない。これではいくら書き直して納得するものにはなりません。最新部分に拘泥せず、さっさと書き進めたほうがいい。そうすれば戻って来て推敲が有効にできるようになります。

これは当然、書き始めの部分でも発生する現象です。よく言われるコツに「書いたら冒頭をバッサリ捨てろ」というものがあります。読者は嫌いなプロローグを作者は好みがち、なんて指摘があるように、最初の部分には無駄が入りがちだからです。捨てればスッキリする。

しかし書いてみた効果はあります。捨ててしまうとはいえ、新たに実際の書き出しになる部分にもしっかり冒頭より前の文脈が生じるから。そうしない場合でも、書き出し以前には何があるか、しっかり構想くらいはします。慣れればそれで充分に書き出し部分の文脈の支えになります。

ですので、もし未完成のうちに推敲、改稿を重ねて、満足できずに中途で全部捨てているのなら、よく考えたほうがいいでしょう。充分に推敲、改稿ができるのは最初と最後の2割ずつは無理で、その間の6割だけです。推敲すると、特に後に影響しがちで、さらに改稿の必要が出たりしますが、受け入れるべきでしょう。いくら推敲、改稿しても後に影響ない最新部分は書き直しが楽ですが、力を入れるのは無駄であり損です。

9.いわゆる純文学とエンタメ作品の文章の相違

これもスレ主さんのご質問が具体性を欠いていて、はっきりとは申せませんが、純文学とエンタメ作品の文章傾向の違いをはっきり認識しているか、ちょっと不安になります。

純文学では、仮に主人公の言動、行動が特に際立っていなくても、言い回し、視点、比喩などの文章技術で読み手を引き付けることを重視しているようです。朝起きて顔を洗ったとか、パスタを茹でたとかだけで、面白く読めるものに仕上げる技量ですね。

一方、エンタメ系では何が起こったかが大事。それがどう書いてあったかは問題ではありません。すらすら読めて、ぱっぱと分かればいい。読み手は何が起こったかは思えているけど、どう書いてあったかは忘れている。それくらいできれば上等です。念のためですが、それはそれで高等技術です。

どっちを書きたいかがはっきりしないと、どう書いていいか分からなくなりがちです。当然、推敲、改稿も不安定になり、無駄にやり直しするようになります。そのときどきの書き手の気分次第の面がありますので、要注意です。

10.最良の読み直し手は他人の読者

いろいろ工夫するとしても、書き手が自分一人でやっていては限界が低い。何を書こうとしたか分かってるし、文章判断の自分一人、つまり主観でしかない。小説は赤の他人に読んでもらうのが大前提です。

ですから、赤の他人の感想、批評を得る必要がある。これは自作を公開しないことには不可能です。そこで感想を得たら、読者の感想であることを大前提に(決して改善ポイントを指摘してくれないのが読者、たとえアドバイスの体裁であっても)、推敲、改稿に活かすことができます。

複数の赤の他人の批評ですから、きちんとまとめればある程度の客観性は得られます。書き直しに直接役立つだけでなく、自分の(主観的な)判断基準と他人とのずれを意識することにも役立ちます。あまり世間相場と乖離したくないなら必要といっていいでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: やり直しについて

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