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>手塚満さん、コメントありがとうございます!
>構想してお出で作品であれば、テーマは「母親を取り戻す」とすれば、セントラル・クエスチョンは「母親を取り戻せるか?」となりそうです。
なんか、多くの回答者さんからテーマは「母親を取り戻す」だとご指摘をいただくんですが、母親を取り戻すことが書きたいんじゃなくて、「大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい」というのを書きたいんですけど……。
クライマックスで、大切な人(息子)が死んだ悲しみに我を忘れ悪に身を落とし自殺したヴィランの悲しみを目の当たりにして、同じように大切な人(父)の後を追って星になりたがる母の気持ちを汲んで星にしてあげようとする主人公を、ヒーローが励まして、素直になった主人公が「これを言ったら私のわがままかもしれないけど、ママ、死なないで」と頼む、そして、死んだ父の魂を星にしないといけない夜白の悲しみを知った母が夜白を支えるために生きることを決意する、というクライマックスが書きたいんです。だから、単純に母を取り戻すというのがセントラル・クエスチョンと言えるのか、あんまり納得できない気持ちがあります。それでいうと「母は、父が死んだ世界で一緒に生きてくれるか?」というのがセントラル・クエスチョンかなーと思いました。
>しかし、主人公が何をしようとしているか(何をする話なのか)が提示できないと、読者としては読む目的を見失い、読了するモチベが削がれます。ですので、偽の目的を与えておくわけです。明示的なセントラル・クエスチョンも偽の目的に沿うことになります。
確かに。目的がわからないと読む気が失せるので、いつも主人公の目的は何かを意識して書くようにしていました。
それで言うと、セントラル・クエスチョンを暗示的にしていいわけないですね。
>劇的アイロニーは「読者は真相を知っているけれど、作中のキャラは知らない」というものです。
三人称多元視点にしようと思っていたので、やってみる価値はありそうですね。
◆プロローグ
第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
◆幕間
摩耶が母に月の神殿の禁書庫に侵入して禁書を盗んでくるように命令しているシーン
セントラル・クエスチョン(偽):主人公の解決しなければならない問題:主人公は摩耶を取り戻せるか?
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する
こんな感じでしょうか。
ちょっと冒頭で視点移動多めですが……。
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スレ主 みりん 投稿日時: : 0
訂正
>セントラル・クエスチョン(偽):主人公の解決しなければならない問題:主人公は摩耶を取り戻せるか?
摩耶はヴィランの名前でした。正しくは母杏里を取り戻せるか?
です!
視点移動が冒頭付近で多いのは小説的にはあまり良くない気がするのですが、
デメリットを補ってあまりあるメリットを感じるので、できればこれでいきたいなーと思いました。
ありがとうございます!
カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?