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手塚満さんの返信一覧。得点の高い順3ページ目

元記事:流行要素が少なめの異世界転生でもウケるのかの返信の返信

手塚満様、レスをありがとうございます。

>>質問返しになるようで恐縮なのですが~~

構いませんよ。むしろ疑問を抱いたまま無意義な時間を過ごされる方がまずいと思うので歓迎します。

Aについて
売りというには不適切かもしれないですが、主人公の器を作った錬金術師の事業を拡大するというのが物語の目的ですね。
錬金術師は自分の立ち上げた組織を世界一の錬金術師結社にするという野望を持っているキャラクターで、主人公はその野望の実現のためにコキ使われるという話になります。(つまり転生した後も社畜人生です)
(私にしては珍しく)若干コメディー色のあるバトル作品になると思います。

Bについて
本当にその客層に受けるかはわかりませんが、平成中期の少年ジャンプが好きな人向けでしょうかね。
ワンピースで言ったらウォーターセブン編からパンクハザード編が連載していた時期に子供だった人達向けみたいな感じです。
ちなみに私がその時期で好きなジャンプ作品は銀魂とデスノートです。

Cについて
Aはある程度決まっていました。Bは質問を見てから考えましたね。

上記の回答(流行要素が少なめの異世界転生でもウケるのかの返信の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 4 人気回答! 投稿日時:

お手数をおかけしまして恐縮です。ご回答に沿って、説明してみようと思います。

多少長くなりましたので、先に結論を簡潔に申せば「嫌いなものが、なぜ、どこが嫌いか突き詰めたほうがいいのでは」になります。

1.Aについてのご回答は曖昧

Aについてのご回答は、スレ主さんも「売りというには不適切かもしれない」と違和感を述べてお出での通り、売りを表したものではなさそうです。単に物語内容やジャンル分類をご紹介頂いたに過ぎません。

言い換えれば「現時点で明確に言える売りがない」ということになります。それにも関わらず、Cについてのご回答では「Aはある程度決まっていました」と仰ってお出でです。おそらく、感覚的には「こういうものだ」となっていても、具体化はまだだったと判断すべきでしょう。

2.Bは補足的に仰ったことにポイントがありそう

質問を見てからお考えになったという、Bについてのご回答は割と明確ではないかと思います。「平成中期の少年ジャンプが好きな人向け」というのはちょっと間口が広い感じです。ワンピースを挙げてのご説明は、時期と年齢を少し明確化したに過ぎません。しかし、続けてスレ主さんが好まれた作品を2つ挙げておいでです。

Bについてのご回答には「○○が好き」が含まれています。こちらから作品名までお尋ねしたわけではないのに、スレ主さんがお書きになったということは、自然な発想であるはずです。好きなものは思い浮かびやすいということですね。連想も起こりやすい。その作品が好きな他の読者の、作品に対する気持ちも理解しやすいでしょう。

3.嫌いなものの否定を創作に活かせるか

翻ってご質問はどうでしょうか。まず「これが嫌い」から入っています。否定したい気持ちも垣間見えます。このまま進めると「嫌いなものをどう否定するか」になりやすいでしょう。そういうタイプの作品が面白がられるとか、好かれることはあまりありません。不利な戦略となります。

Aについてのご回答がダイレクトに売りを表現できなかったのも、おそらく「嫌いなものの否定」が邪魔しているんではないかと思います。感情で言い換えると、嫌悪、憎悪、怒り等々です。もちろん、何かが嫌いであっても、何ら問題ありません。問題が出るのは、その気持ちが直接創作に反映されることです。

「○○が嫌い」→「○○をなくせばいい」となりがちになるわけです。しかも、ジャンル的な特徴ですから、「(たとえスレ主さんが嫌っていても、多数の読者から)好かれているポイントを削る」ということになりかねません。そういう創作動機では、売りが何かはなかなか出てこないように思います。「売り」は「好き」から発生します。

では「○○が嫌い」を単に鎮めて、何が好きかを考えればいいかというと、それも損でしょう。もしスレ主さんが「○○が嫌い」とお思いのとき、単に「無くなれ」「避ける」と続けてしまうと、建設的ではありません。作品アイデアや売りの生まれようがない。

4.嫌いなものの否定を創作に活かせるとしたら

嫌いなものの実体が何か、どこがどう嫌いかを考えるのは辛い作業ではあります。循環論法的ですが、嫌いなんだから当たり前です。そのため、そうした作品群もお読みではないわけですよね。

ですが、もし「○○が嫌いだから、作品を生み出したい」とお考えなら、嫌いを突き抜けるまで何が嫌いかを見極める必要があります。そうすると、嫌いなタイプの対極にある好きなタイプを把握しやすくなります。

そこまで行ければ、しめたものです。例えば、嫌いなタイプを悪役に据え、好きなタイプの主人公が打ち勝つ話とか、思いつけて来ます。

そうするには、まず嫌悪や怒りの感情を創作のバネにしてはマズいでしょう。喜びや悲しみの感情であっても同じです。そのまま使うのはマズい。なぜなら強い感情は自分を疑うことを不可能にしますから。正しくても間違っていても突っ走ってしまう。

これは自然なことなので仕方ないです。例えば怒りの感情は何らかの危機において発生します。危機に対処するのに、自分を疑っていたら行動が遅れます。ですので、合理性などの理性を抑えてでも行動に移れるようにする(脳の前頭極の機能などで説明される現象)。それが怒りの感情です。

しかし平時に怒りの感情のまま突っ走るのはマズい。暴走を招きますから。じゃあ怒りは捨てないといけなのか、となるとそうでもないです。落ち着くのは必要です。時間も必要でしょう。そうして感情はいったん鎮まる。しかし記憶は残ってますね。何があったか、感情と一緒に忘れるわけじゃない。

5.嫌いを避けずに突き抜けるならアリかも

そうして落ち着いて考えられるようになったとき、自問自答してみる。主に怒りの感情が湧いた自分に対する反論です(反論に対する再反論は控えめにするのがコツ)。いろいろ反論しても、どうしても「やはり、これだけは理不尽だ」みたいに残るものがあります。感情抜きの怒りみたいなものです。信念と言い換えてもいいでしょう。

そこまで突き詰めると、ではどうすればいいか、も自ずと出てきます。フィクション作品に対する「嫌い」も同じです。突き詰めないと、売り、テーマといったものは出て来ません。「嫌い」が突き詰められていない間は、「好き」から作品を生み出すほうが、読者にも作者にも有利ではないかと思います。

ですので、一度立ち止まるべきでしょう。嫌いを突き詰められるか、突き詰めるだけの意義はあるか、お考えになってはどうでしょうか。

それについては、とても不利な状況とまではいえないと思います。着地点は何となく見えていますから。ターゲット読者層、特にスレ主さんが好んだ作品ですね。まだ直感的なものが大きいとは思いますが、経験の裏付けがある直感は侮れません。

「チート・ハーレムは嫌いで、なぜ銀魂・デスノートが思い浮かんだのか」辺りから手を付けると、成果を得るのは割と有望ではないかと思います。ただ、嫌悪や怒りの感情ピークが去ってから、ですが。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 流行要素が少なめの異世界転生でもウケるのか

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元記事:創作してぶつかる悩み

こんにちは、初めて相談いたします。
私は先日、創作小説を通信販売しました。初めての本だからなのか、人の評価が気になって仕方ないです。名前も知られていないので当然ですが、作品への評価がないことから、いまでは他の方へ妬みすら抱いてしまうようになりました。
マイナス点であれ言ってくれるのなら知りたいと思います。けど、なんの反応もない状況に、少しずつSNSからも離れるようになりました。
「自分が書きたいんだから書く」を心に持ち続けるには、どのような考えでいればいいのでしょうか。(二次創作はwebに上げております。それに関しては評価がなくても気にはなりません。自分が読みたい話を書きたい。としっかり思えています。なぜ二次と同じように一次ができないのか…)
それでも気になるとSNSを覗いてしまう日もあります。負のループとでも言うのでしょうか。気持ちを切らさず、いま書いている作品だけでも完成させたいです。
もうひとつ質問があります。
状況するには、小説を読んで学ぶことがよいとは思うのですが、無意識に真似てしまわないか不安です。友人は、先生方の作品は真似するとかいう次元にない。と言ってました。けど絵でも、目の描き方や画風が似ていると言われているのを見ました。小説の場合は、それが表現方法や言い回しに当たると思います。語尾や表現は単調にならないよう気をつけて書いています。何度も考え直していくうちに、頭の隅にあるそれらを取り入れてしまうのではないかと思うと怖いです。なので小説はほとんど読んでいません。
これらがあって、自分の力不足から、上で述べたように評価がもらえないことに繋がっていくんだろうなと感じてはいます。
きっと私が悩んでいることは、創作している人がぶつかる壁だと思いますが、みなさんはこれらをどうやって乗り越えていったのでしょうか。

上記の回答(創作してぶつかる悩みの返信)

投稿者 手塚満 : 4 人気回答! 投稿日時:

良回答がたくさんありまして、どうしようか迷ったのですが、自分の失敗を繰り返す方は少ないほうがいいと思い、回答を試みてみます。以下で、駄目な事例を書いてたりしますが、ほとんどは自分の実体験と思ってください。

多少長くなりましたので結論から先に申し上げますと、「たくさん読んで、たくさん書くしかない」となります。

1.手段と目的が入れ替わってしまう

読むせんさんが、パズルゲーム実験でお示しのことは、現実でもよくあります。類例として、次のようなものがあります。

―――――――――――――――――――
「空き地で子どもが集まって球技をするので、うるさくて仕方ないと思った隣接の住人がいた。そこで子どもたちに「お小遣いを上げる代わりに、あっちの公園で遊んでくれ」と頼んだ。子どもたちはお小遣いがもらえるならと、喜んで応じた。
しかし次の日も子どもたちは空き地にやって来る。住人はまた小遣いをやって去らせた。そういうことが1週間続いた。
さらに次の日、子どもたちが空き地にやって来たが、立札があった。
『今日からお小遣いはありません』
これを読んだ子どもたちは、
「ちぇっ、お小遣いくれないんなら、もういいや」
と言って立ち去り、二度と空き地に近づかなくなった。
―――――――――――――――――――

子どもたちは最初、球技がしたいから空き地に来たわけです。しかし代償を得て、喜んでしまった。繰り返されて、子どもたちは目的が「球技がしたい」から「小遣いをもらいたい」にすり替わってしまった。

作品を通信販売してみて、書いたり読んだりする楽しさから、読者評価(結果は販売数に現れる)にすり替わってないでしょうか。おそらくそうだから、「他の方へ妬みすら抱いてしまう」という気持ちも起こるんじゃないかと思います。売れている作家のようになりたい、ですね。作品内容よりも、作者の知名度や、販売実績(やら感想やら、無料作品ならPVやら)に憧れるようになってしまってないでしょうか。

2.模倣は成長の第一歩

「あの人のようになりたい」「この作品のように書きたい」というのは、決して安易でも下卑てもいません。人間の基本的性質で、何かを見て「いいな」と思ったら自分でもやりたくなるのです。そうして個人の資質は上がっていきます(さらに属する集団のレベルも上がっていく)。模倣は向上のための第一歩になるわけです。

3.書きたいから書くのは、なぜ?

「自分が書きたいんだから書く」というのは二次創作ならおありであるわけですね。しかし「なぜ書きたい?」まで突き詰めたでしょうか。オリジナルではモチベが湧きにくく、二次創作なら面白がってやれるのはなぜか。

二次創作で起こりやすいモチベや興奮は、元作品(さらにジャンル)で得られた快の経験が刺激されることが大きく影響します。書いてみた(あるいは読んでみた)作品だけの面白さだけではないわけです。

これは他のことでもよくあることでして、美味いラーメンを食べると、ラーメンを食べ歩くようになるのと似ています。たとえ、美味しさに感動したラーメンに及ばないラーメンでも、最初の感動が蘇る効果があるから、充実度、満足感が得やすい。それが次のラーメンを食べに行くモチベともなります。一度もラーメンの味で感動したことがなければ、そんな好循環は生まれません。

4.作品1つだけで面白がれるわけではない

二次創作であれば、元になったオリジナル作品の面白さや、それに感動したことが、創作のモチベに加わるわけです。自分で作ってみた作品を読み返しても、元作品で得た感動が加わってくれます。共通の好きな作品があるファン同士だと、その作品で駄弁っても盛り上がります。その延長線上に二次創作の感動があるわけです。

オリジナル作品を書くと、そういう効果は得られません。書いてみた作品そのものの感動になるわけです。二次創作では面白がって書けて、オリジナル創作ではモチベが保ちにくいなら、自分の中の快の経験・記憶が刺激されるかどうかが影響している可能性があります。

対策がないわけではありません。二次創作の元作品とて、たいてい何らかのジャンルには属するでしょう。作品レベルではなく、ジャンルレベルで自分が好きなものを選べば、そのジャンルで培った快さが共鳴してくれる可能性が高くなります。

しかしもし、受けることを意識するあまり、自分が好きなジャンルや要素を犠牲にしていたら、難行苦行になりやすいでしょう。それに、興味が薄いことを書いていても、例えばリアリティは出しにくくなります。盛り上げ方もよく分からないはずです。興味が薄い分野は知識も少なくなりがちだからです。よく知らなことは見様見真似すらできない、と申したらいいでしょうか。

5.守破離の段階を確実に踏むべき

しかし、面白がって書いてさえすればいいのか。趣味で書いていても、(無料・有料を問わず)誰かに読んで欲しいから公表するわけですよね。プロでも自分が書きたいように書いて、評価されないと言っている事例がある。評価されるためには評価されるように書かねばならないわけです。これで売れるか、ではなく、これで買いたくなるかで書く。つまり、読者のために書く。

となると、書きたいように書いているだけではダメだけど、好きなことを書くべきという、一見は矛盾になります。これは段階別の話だからで、サタンさんがお示しの守破離だと、以下のように腕を磨いていって、最後に好きなことが書けるようになるからです。

守:1つの流派、1人の師を真似る
 →好きな作家の面白さを研究し、追求する。わき目はふらない。
破:他の上級者も真似てみる
 →守で得た基礎をもとに、優れていると思う他の作家の技術を盗んでみる(盗むには基礎が要る、守なしにはできない)
離:自分流に到達する
 →学んだことが自分の中でこなれて、身に着いたら到達できる。この時点で「きちんと真似するなんて、不可能に近い」と分かったりもする。

6.守の難しさは離に至ってから分かる

例えば、夏目漱石の「坊っちゃん」を読んで、模倣作品を書いたとして、元より面白くするのは至難の業です。
(ただし、書いた本人は元作品より面白いと思うことはしばしばある。イケア効果と呼ばれ「自分の手掛けたことに価値を感じる」から。自分の作品は同等の他人の作品より20倍面白く感じてしまう。)

無意識に名手の技を出せるかって、そんなことは確率的にもあり得ません(←よく引き合いに出される「猿がデタラメにタイプライターを叩いたら、シェークスピア作品になっていた」のレベル)。

劣化コピーになってしまうことはあります。模倣を意識しても、意識しなくてもです。普段、何気なく話している言葉だって、聞き覚えたものです。大なり小なり、真似て覚えたことを喋っているのがほとんどです。だから、他人が聞いて言葉自体に感動されるなんて、ほとんどない。意味内容・知識部分とて、たいていどっかで仕入れたものです。完全オリジナルの考え方なんて、滅多に出てくるものではありません。

では、誰の話も聞かず、書籍等から学ばずで、名言を吐いたり、他人が感心するような考えを編み出せるのか。無理なことはお分かりと思います。せいぜいが「車輪の再発明」でしょうか。もう誰でも分かっていることに行きつくのがせいぜいです。それ以外の圧倒的多数は、間違えただけになります。まずは人並みを目指すべきであるわけです。

7.結論再掲「たくさん読んで、たくさん書く」

ですので、小説を書きたかったら、小説をたくさん読んで、たくさん書くしかありません。小説を書くための基礎的な勉学も必須です。自分らしさを出せるのは、その先の先にあります。まずは、たった1つをそこそこ真似できるレベル(守破離の守)に達しなければなりません。

でないと、自分だけが気持ちよく、他人は読みたがらないものを書き続けてしまうことになりかねません。自分だけがしたい遊びに他人を巻き込むと、高確率で嫌われます。要注意です。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 創作してぶつかる悩み

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元記事:テーマに飲まれていると感じさせないための技術

自分自身の欠点だと思う点について、指摘していただきたく、投稿させていただきました。

https://ranove.sakura.ne.jp/story_system/public_story/07182.shtml

先日、久しぶりに作品を投稿したのですが、鋭い感想をいただきました。

・テーマに飲まれている
ストーリー上主人公に都合の良い人物たちが登場しているように見える
・「主人公を救うためだけに書いたストーリーを読まされている」
・この尺であれば、主人公が報われるのは、最後の最後。ほんの一、二行だけのほうが収まりよかった。

というものです。
僕は今最も書きたい作品がありまして、それを書くには、ライト文芸的な書き方を習得しないといけないと感じています。
そう考えると、心理描写に作為的なものを感じるのは非常にまずいと思っています。
恣意的な心理描写になってしまったり不自然な心の動きになってしまうのは避けたいのですが、どうしたら読者に「作為的ではない」「テーマにストーリーを飲まれない」書き方ができるか。

教えていただければと思います。

上記の回答(テーマに飲まれていると感じさせないための技術の返信)

投稿者 手塚満 : 4 人気回答! 投稿日時:

読むせんさんが、「大事なのはその人(好きな人)の所にまで作品が届く」とご指摘で、至言だと思います。嫌われないように気を付けるんじゃなくて、好かれるように工夫する。そのためには嫌いになる人が出たって、何も問題ない。

そうではあるんですが、お示しの感想がスレ主さんに刺さるものがあったという点も、もしかしたら大事なのかもしれません。お示しの作品が合わなかった読者って、好き、面白いという感情があまり湧かなかっただけに、冷静、客観的に作品を見ている可能性もあります。

御作を拝読しまして、自分は合わないほうに分類されるようです。スレ主さんが気になさった感想以外に、時系列の制御に難があって分かりにくいという指摘もありますね。そこは割とデカい要素のような気がします。分かりにくかったら分析的に読む傾向が出たりしますから。御作の情感に訴える狙いと齟齬します。

自分も「どういう話になってるの?」と思い、多少行きつ戻りつで拝読しました。ですので、話の尺以上に長く感じたように思います。そのためか、くどさが目に付いた点もあります。

例えば、検索すると分かりますが、単語「優し(い/く/さ)」が本文に13か所あります。それも最初のほうと、最後のほうに集中しています。センテンスでは「優しい人って、うぅ、自分のこと優しいって、うぅ、言わないね」は2度繰り返されている。それが主人公の「魂に刻まれている」し、「優しいと思ってくれた。本心から、思ってくれたのだ」と念押しするようにも独白する。

これだけの繰り返し、念押しがあったら、押しつけがましく感じるケースはあるでしょう。少なくとも、自分も幾分かはそう感じます。しかも、おそらくはテーマ、ないしはテーマに極めて近い部分でしょう、「優し」は。それを読者が察するように書いてあるのではなく、作者が直接強調しているわけです。

もし「優し」が大事なポイントであるなら、読者が察するように書くほうが有利でしょう。納得度が違いますから。他人から「こういうもんだ」と言われると、「そうなんだろうか?」と確認する気が起こすことはよくあります。下手すると反発すらします。しかし、自分で「こういうことなんだろう」と思えたら、受け入れやすくなります。
(確証バイアスとかチェリーピッキングみたいな心理学的効果はよく知られるところ。現実問題ではまずいけど、フィクションなら使わない手はない。)

然るに、

>  優しさは行為であって、人格ではない。人それぞれ違う優しさの形があり、優しいと思う形があるだけだ。

といった、いわゆる哲学語りになりますと、人によりますが「そうかあ?」という気持ち(←思考、ではない)になることもあるでしょう。一人称であり、主人公がそう思う、ということは分かっていても、例えば「じゃあ、優しい行為の根っこには人格、性格があるのでは」とか、つい考えを巡らせたりもするでしょう。

構成面でも問題がありそうです。主人公を「優しい」と評する、キーとなる人物「柳沢さん」は冒頭の回想直後に、主人公の「優しさ」について結論めいたことを言い、ラストで同じことを主人公が回想してます。言い換えれば、冒頭で結論出ちゃってるわけですよね。

長編ならそれでもいいかもしれません。例えば「幸せの青い鳥」は紆余曲折あって、最初の状況で良かったことを発見する物語です。しかし御作は尺が短く、紆余曲折も少ない。例えば、主人公は小学校時に誤解され、物語現時点での職場でも誤解されるエピソードが示されてます。繰り返し発生ですが、例えば前回を踏まえて2度目で何か変わるわけではなさそうです。

2度目(職場)では「先輩」が出てきますが、主人公が保護する対象ですよね。そこは「柳沢さん」と被る。が、個々に存在しているだけで、何らかの物語的、有機的なつながりがあるわけではない。多少極論すれば、主人公の承認のためにいるだけ。

掌編の尺で小学校時からの時系列を使っていながら、主人公に何ら変化はなく、承認されるだけになっているとも言えます。これ、ブレないといったこととは違う問題です。ブレないことを示すとしたら、主人公が自らブレなさ、ブレなくていいことを見つける、再発見するとかいった話でないと、ブレなさは感じにくいでしょう。

簡潔にまとめてみます。主人公の半生を使って、主人公が変化するでもなく、単に承認される。それも結論は明示されて、読者が想像をめぐらす余地が少ない。そう感じれば、お示しのような感想が出てくることもやむを得ないでしょう。

だから改善したほうがいい、ということではありません。最初に申しましたが、読むせんさんのご指摘は至言です。自分的には上記並べ立てたことは「欠点」ではありますが(だから否定的な言い方になる)、しかしOne man's meat is another man's poison.です。分析したうえで、欠点か長所かの判断、スレ主さんがやりたいことの方向性といったことをお考えになってはどうかと思います。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: テーマに飲まれていると感じさせないための技術

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元記事:異世界の食文化について(改)の返信の返信

一旦個レスで失礼します。

Wikより抜粋

「18世紀前半、ドイツ・ハンブルクでは挽肉にパン粉を入れた料理に火を通すようになった。これがハンバーグの起源である。
この料理はドイツで「フリカデレ」(frikadelle) と呼ばれ、労働者を中心に広がりを見せると、瞬く間にドイツの代表的な家庭料理となった。
フリカデレがドイツからヨーロッパ中に広まると、人々はハンブルクから来たこの料理を「ハンブルク風の料理」と呼ぶようになる。

ハンナグラスの『The Art of Cookery Made Plain and Easy』に記載されたハンバーグ
ドイツ人がイギリスに渡ると、ハンバーグもドーバー海峡を超えてイギリスへと伝わった。1758年にイギリスで出版されたハンナグラスの『The Art of Cookery Made Plain and Easy』 には「Hamburgh Sausage」という名称でレシピが収載されている。当時のハンバーグはみじん切りの牛肉、スエット、スパイスで構成されていた。」

と、あります。

サヴァさんの仰る事は、半分だけ正解です。

上記からも解る様に、それまでは火を通さずに生で食べていたと言う事になります。つまり、15世紀には、まだ火で焼いて食べてなかったんですね。仰られる「フリカデレ」の登場は、そこからさらに300年くらい先になります。

上記の回答(異世界の食文化について(改)の返信の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 4 人気回答! 投稿日時:

2度目になってしまいますが、さすがに横槍入れておきます。

> 上記からも解る様に、それまでは火を通さずに生で食べていたと言う事になります。

どこをどう読んでますか? 引用元のリンクを示さないのはわざとですか?

確かに「8世紀前半、ドイツ・ハンブルクでは挽肉にパン粉を入れた料理に火を通すようになった」と書いてはある。引用元では、その直前にタルタルステーキ起源説の紹介もある。タルタルステーキは生肉ですね。しかし俗説と断じてもいる。

当該ウィキペディア記事著者の意図は明らかです。それ以前に生で食べていたという意図は一切ない。スレ主さんの誤読(意図的かどうかは分からないが)は明らかです。

しかも、そこは相対的に小さい問題でしかない。もっと大きい問題は、サヴァさんの、非難とかの意図が一切見えない、むしろ知恵を出して力になろうするご回答に不当なケチをつけようと試みたことです。

サヴァさんのご回答をきちんと読んでごらんなさい。大事な点は、

> 中世にも名前が異なるだけでハンバーグに類する料理は存在していたと考えるほうが自然だと思います。

ですよ? フリカデレが中世にあったなどとは一言も仰ってない。近世にフリカデレがあるんなら、中世に類するものがあっても不自然にならないようにできるのでは、というアドバイスではないですか。

しかも、「腸詰肉を作る過程で余った挽肉はどう処分しているのでしょうか」という、挽肉料理がソーセージ以外にも存在してよさそうな理由のヒントまで出してくださっているではないですか。

スレ主さん、頭を冷やしたほうがいい。回答や返信を貰ったら、とにかく反論しよう、無理やりにでもねじ伏せようと躍起になってしまってますよ。そのためには、飛躍も、誤読も、いろいろ厭わないようにすら見えます。

少なくとも、何かを相談する態度じゃありません。例えばですが、旧掲示板での反省をお忘れなんじゃないですか? それが何だったか、内容までは蒸し返しませんけど。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 異世界の食文化について(改)

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元記事:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信

みなさんご意見ありがとうございます。

私個人としては、にわとりさんのご意見が一番しっくりときました。

『読み手個人個人は本来小学3年以上の知性があるはずだけれど、「ラノベというコンテンツは頭空っぽにして楽しむもの」という意識があるため本来の知性は発揮されず、ラノベ読書時は偏差値40の状態になっている』。これが実態な気がします。ラノベってエンターテイメント・コンテンツですものね。私の中に「本を読む=知的活動」という先入観があり、「人の知性レベルは状況・状態によって変動する」というのが盲点になっていました。

また、「『語彙力ベースで考えれば小3程度で大抵のことは表現可能』だから、そのレベルが作り手の想定する知性のボトムラインとなっている」という考えも納得できました。

他、いただいた意見の中で、自分の考えと異なるものに意見を添えさせていただきます。

■手塚満さんの「本当は読者は必ず作者より賢い」について

必ずしもそうではないと思っています。というのも、読者の集合知は、あくまで各々の知識集まりであって、一つの体系としてまとまっているわけではないからです。読者集団の知識は体系化される際の批判プロセスを経ていないため、根本で間違えている可能性があります。例えば、集団の多くが特定の偏見を共有していた場合、集団の主張する『統計的根拠』は信用できないものになります。これには実例があり、作家の竜騎士07氏が自作「うみねこのなく頃に」にて問題出題編にてミステリーの謎を読者に提示して、同作の次エピソードを執筆している(エピソード8まであり、半年単位で発売された)際、2ちゃんねるに正しい答えを提示した人が一人いたらしいですが、その答えがその他大勢の連携によって「間違っている」と潰されるのを氏はリアルタイムで目撃したらしいです。
上記のような話もあり、大衆の知は、統計的に有意となる特定条件下でない限りは、あまりあてにならないと思っています。それよりかは、多くの批判を超えた専門的な体系知の方を信用すべきです。

■あざらしさんの「小説において『面白い』は少数を向いてても良い」について

そうだったら嬉しいなあと思っています。ただ、プロとしての活動を想定する際は、この考えは取り間違えるとリスクになると思っています。というのも、ラノベのビジネスモデルには以下二点の特性があるからです。

①ラノベのキャッシュは「数」によってもたらされるため
※競争差別化の話は置いておいておきます。

ラノベのビジネスモデルは、基本値上げを想定していません。これは、ライトノベルが「数のビジネス」であることを示しています。「100人に価値200を提供する」のと「200人に価値100を提供する」のでは、集団に同じ量の価値を提供していますが、後者の方がキャッシュが入ります。出版社は営利団体のため、後者の作家のほうを重宝すると考えられます。

②ラノベ作家は「売れるか売れないか」による格差が極めて大きい職業のため

ラノベのビジネスモデルは、メディアミックスを前提にしています。ラノベの中で売れたものをアニメ化してメディアミックスで稼ぐ。「リスクの少ないところでテストする」という合理的な考え方です。この時、メディアミックスの有無によって出版社にもたらされるキャッシュの差が100倍あると聞きます。また、編集者は一人当たり50人前後の作家を担当しているため、優先順位が低い人に対してはあまり時間を使えないらしいです。

これら二点は、作家の所得/待遇に対する格差の存在を表しています。私個人も前者のような「少数に強く受ける作品」を書く/読むのが好きなのですが、だから「それでいいんだ!」と開き直るのは、プロ作家活動としてのリスクになると考えています。まあ、この辺りの方針は自身の思想や技術と相談しつつ、自己責任で決定してくものだと思います。

■あざらしさんの「存在しないスポンサーではなく、読者を向いて執筆して欲しく」について

……まあ、スポンサーいるんですよね。出版社というスポンサーが。そして、スポンサーがキャッシュ上のリスクを負っている以上、それに背く意思決定は事実上できないし、してはいけないのだと思っています。会社と株主の関係と同じですね。自由なものを書きたいのなら自分の資本でやれって話ですし。ビジネス上のこの点には納得していますし、そうあるべきだとも思っています。

プロ作家としては、スポンサーの利潤を追求しつつ、エンドユーザーの要望に応えるのが職業的な義務である。スポンサーの利潤にならない商品は、自分の資本で出して、自分で資本的責任を持つ。これが正しい考え方じゃないかと思います。

時間が遅くなったので、この辺りで。
みなさん、ありがとうございました。

上記の回答(ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 3 人気回答! 投稿日時:

(No: 11:スレ主さんへの返信です)

竜騎士07さんの「うみねこのなく頃に」1作についてのみ、しかも謎解きの1人に対する多数からの批判の1例のみというのは、傾向を語るには統計学、論理学的にいささか不足ではないかと思います。傾向について説明するための代表的な具体例だとしても、「うみねこのなく頃に」は情報提示が不規則であるなどの、ミスディレクションの不手際があるようであり、説明のための参考事例とするには、あまり適切とはいえないように思われます。
(作者が想定したものと、描いたものの間にしばしば生じる齟齬等、いろいろ要因、原因ありますが、作品批評が目的ではありませんので割愛します。)

読者グループの集合知が体系化されるか否かですが、作品全体の好き嫌い、感動ポイント等の主観的な部分については体系化はされません。賢愚の基準でもありませんよね。

問題としているのは、仰るような謎解き等の客観基準があるものについてです。これは、70年代以降に多発した事例(ニューエイジ運動などでもよく見られたもの)から、各個人がコミュニケーション可能な集団が問題解決に優れた能力を見せたことなどを参考に申し上げてみました。

今でもそうですが、昔から会社組織は問題解決に優れた手腕を発揮することは周知の事実だと思います。指揮系統、役割分担等がはっきりした(後述する雑多な集団と比べてですが)少数精鋭の組織です。

ところが、70年代以降、無関係な人々が何らかの問題をきっかけに一時的に集まり、一気に問題を解決してしまう現象が見られるようになりました。日常的に見られるほどだったので、いちいち事例として記録はされていません(まだネットもなかったことですし)。会社組織が取り組みをためらったようなものも含まれます。

どう問題解決しているか、傾向を調べてみると、問題を熟知している1人(ないしは少数)が他の大勢に指示を出している(会社組織では普通のやり方)ではなかった。ある種の分散型システムで、解きたい問題の一部を知っている人がそこだけ解決する、すると他の部分についても同様にする人が出て来て、次第に全体が解決されていくというプロセスだったとのことです。
(こういうことが何度も起こって、例えば非営利組織などになっていったりもする。つまり、有用なものは組織化される傾向がみられるのは興味深いですが、これも今の話から逸れますので割愛。)

もう少し枠を広げた言い方をしますと、整然としたカオス、といったことになります。そういう集合知です。何らかの目的が生じると、突如として整然と動き出す。これが成立するようになったのは理由があります。

整然としたカオスが成立、機能する条件は「個々の成員が一定以上に賢いこと」なんです。教育の普及から高度化と無縁ではありません。日本では昔から初等教育は広く施されていましたが、高校(ないしは専門学校等)以降となると70年代以降に顕著になったものですね。これがあるため、カオスから専門的にも正しい知見、成果も生じるわけです。専門的な事項とて、学際的なものは多くあり(巨大プロジェクト等)、同様な現象が生じます。学生が主要な役割を担うことも少なくありません。

集合知について、他に注意すべき点があります。今は作者1人対読者多数を考えているわけですよね。集団的に出されてきた結論を、1人が批判し切れるのかどうか。多数の知恵が集まったんだから1人より賢い、とは別問題です。現在の学習型AIにも通じる問題で、例えば結論ははっきり出て来ているけれど、結論に至るプロセスが解析できないということがしばしば起こります。こうなるからそうなるといった決定論的ではなく、いわば確率論的なんです。

簡潔に言えば、集合知はしばしばアカウンタブルではない、といったことになります。あたかも1人が考えて結論を出したように考えて扱うと間違うことが多くなります。集合知への批判に際しては充分に留意すべきです。

気になりましたので一応の説明は致しましたが、読者は実は賢い、単に頭を使ってないことがあるだけ、ということを踏まえてお出でなら、そうそう心配はないように思います。

カテゴリー : その他 スレッド: ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

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元記事:中華風ファンタジーでの「タイムリープ」ネタについて

 ドラコンです。
 
 下記スレッドで質問した、「皇帝と皇后が御召列車で、想定チベットの聖地巡拝する話」の追加質問となります。なお、キャラや世界感は、後述します。

 お答えくださるなら、お手数をお掛けし申し訳ないのですが、下記スレッドもお目通しいただければ幸いです。

「中華風ファンタジーでの皇帝・皇后へのみみっちい嫌がらせは何があるか?」
https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/14792

「架空旅行記に明確な「悪役」は必要なのか? (スレッド「物語に「対立」「敵役」は必ず必要なのか?」のスレッド立て直し)」
https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/14623

 上記スレッドで、ご意見をくださった皆さん、本当にありがとうございます。

 ただ、いただいたご意見やそれを基に出てきた案は、「後宮内ならともかく、御召列車の旅にはどうもしっくりこない」との感じを禁じ得ません。

●タイムリープネタ

 そこで、「同じ一日が繰り返されるタイムリープ」ネタを考え付きました。「宮中陰謀劇」があまり好きではありません。「旅モノ」ということで、高貴な人がおしのびで悪代官を退治する『水戸黄門』型も考えましたが、御召列車を目玉にすると、「おしのび」にならぬので、ボツにしました。

 とにかく、舞台は作れても、ストーリーが上手く作れません。

 参考は、『ドラクエ7』の「過去のリートルード」のイベントです。

「DQ大辞典を作ろうぜ!!」「リートルード」
https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/%E3%80%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%91

 具体的には、こんな感じです。

 ・銀鈴(主人公の皇后)と香々(幽霊皇后)が、蔵の整理をしていると、玉雉(悪妃)の遺品(『4』以前の『ドラクエ』の「呪い装備」みたいな感じ?)を見付ける。遺品は、宝石をちりばめた想定西洋製の置時計か? (徳川家康に、スペインから時計が献上された例がある< https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7%E3%81%AE%E6%B4%8B%E6%99%82%E8%A8%88 >)。 まがまがしい気配から、箱に入れて封印する。
 
 ・聖地巡拝の予定があるので、玉雉の遺品を聖地に運んで、高僧にお祓いしてもらうことを発案。
 
 ・御召列車が、峠を越えて、想定チベットに入る。が、一晩経つと、峠のふもとに戻っている。
 
 ・聖地で舞を奉納、大祈祷会で呪物(玉雉の遺品)をお祓い。

●質問事項

 特に気になっているのは、以下の点です。

 1、時系列を混乱させないために、書き方で注意することは?
 
 2、タイムリープからの抜け出し方は? 『ドラクエ7』では、時計塔を停止させて、町の時の流れを止めて入るダンジョン内のボスを倒すことで、タイムリープから抜け出せた。
 
 3、タイムリープに気付くのは、誰か? 銀鈴と香々が気付くのは当然だが、仁瑜(皇帝)はじめ、他の同行者も気付くべきか?

【キャラ・世界観】

 ・張銀鈴(ちょう ぎんれい) 主人公、女、14歳、皇后、好奇心旺盛、天性の無邪気娘、食いしん坊。
 
 ・紀仁瑜(き じんゆ) 皇帝、男、18歳、美形で「女装していなくても『男装の麗人』に間違われる」。銀鈴との関係は「夫婦」というより「兄と妹」。祖父の祖母の皇后が、香々(後述)の弟のひ孫。
 
 ・皇太后 年齢不詳、仁瑜の実母、後宮劇団の娘役トップ女優(娘役なら、100歳越えの老婆から15、4歳の少女まで、役柄も悪役から悲劇の主人公まで何でも演じられる)。ある程度呪術にも通じている。
 
 ・薛霜楓(せつ そうふう) 総女官長兼皇太后と銀鈴の侍女頭、年齢未設定(先々帝の代から後宮仕え)、皇太后の姉分、仁瑜の養育係。
 
 ・越忠元(えつ ちゅうげん) 仁瑜の兄貴分、最高裁長官、後宮太学教師、25歳、男、今作は腹黒軍師か?
 
 ・昌芳雲(しょう ほううん) 判事見習、後宮太学教師手伝い、父は学者。呪術の素質あり。16歳、女、銀鈴や女官たちの姉分。
 
 ・芬秋水(ふん すうすい) 娘子軍(後宮の警備・牢獄の管理担当)の将軍、18歳、女、後宮太学の寮では銀鈴と同室で、親友。

 ・麹香々(きく こうこう) 300年前の人で、銀鈴を気に入り取り付く幽霊皇后、外見年齢25、6歳。野玉雉の嫉妬で投獄され、獄死させられた(表向き急病死)。冊封国・火昌王国(中国新疆ウイグル自治区を想定)の王女で、踊り子。西方(インド、ペルシャ、アラビアを想定)の呪術には多少通じてはいる。だが、東方(中国を想定)の呪術には無知。隣国・胡との軍事的緊張が高まったので、寿国からの保護を求めるための政略結婚。寿国後宮への入内は前々から計画されていたが、胡との関係緊張で、急遽皇后として迎えられた。
 
 ・野玉雉(や ぎょくち) 側室(位は貴妃)。皇后冊立一歩手前で、皇后の座を香々に奪われ嫉妬。初代皇帝の天下取りに貢献した「開国の元勲」の一族。初代皇帝のころは立派な一族だったが、代を経るにつれて劣化。一族全体が吉良上野介。とはいえ、初代皇帝が世話になった一族のため、皇帝や皇族といえども、手を出しづらい。後述の『梨妙音伝』での「悪妃」のモデル。
 
 ・紀広卓(きこ うたく)(元号で「業平帝(「ぎょうへい)」) 300年前の人物。男。女好きのバカ皇帝。董卓や袁術のような感じか? 人の話を妄信しやすい。玉雉と組んで香々の皇后位を剥奪しようとしたが、外交上の配慮で、宰相に阻まれた。玉雉ともども非業死。≪後宮女官伝」での「悪帝」のモデル。
 
 ・バカ皇帝の跡継ぎ(元号で「正光(せいこう)帝」) 300年前の人物。男。バカ皇帝のまた従弟。名君。広卓の女好きに嫌気がさして、皇后以外とは関係を持たない。その後の皇帝もこれに倣う。このため、官界に女性の登用が進む。後宮も女性官吏独身者寮になる。『梨妙音伝』での『新帝』のモデル。

・世界観
【舞台全体】
 王朝名は「寿国(じゅこく)。帝政。鉄道や呪術(『ドラえもん のび太の魔界大冒険』での魔法世界ののび太の町のように、家電置き換えの魔法道具もあり)が存在する、中華時代劇風ファンタジー世界。

【後宮】
 皇帝の子を成す場所というより、女性だけの劇団や芸能学校、女性官吏の独身者寮の意味が強い。

【『梨妙音伝』】
 銀鈴が初主演(梨妙音役)を務めた後宮劇団の演目。香々を獄死させた玉雉の後日譚。舞台の王朝「寿国」とは、別の「架空王朝」での出来事との体裁を取っている。

 【『梨妙音伝』】あらすじと配役
・あらすじ
 嫉妬から、讒言で幽霊皇后の投獄に成功し、幽霊皇后を死に追いやった悪妃は、そのたたりで毎夜悪夢にうなされていた。
 そのストレスのはけ口に、梨妙音を虐待していた。ある朝、梨妙音は悪妃に洗面用の水をぶっかけてしまい、それが「不敬罪」とされ、投獄される。
 梨妙音は、公開で百叩きの上、無期限の重労役の刑に処される。そして、労役として、悪妃宮中庭の石畳磨きを命じられる。
 連日の重労働と虐待、空腹に耐える梨妙音は、夢の中で公主(姫)に転生し、同時に悪妃も公主付侍女に転生。そして侍女頭と共に、公主付侍女(悪妃)を「馬」にして、「お馬さんごっこ」をする。
 悪妃は連夜の夢の中での「馬」扱いの心労で、死亡。悪妃の讒言を聞き入れた≪悪帝≫も、長年の不摂生がたたって死亡。
 ≪悪帝≫のまた従弟の王子が新帝として即位。梨妙音も釈放され、新帝付の侍女となる。その後、梨妙音は新帝に見初められ皇后となった。

上記の回答(中華風ファンタジーでの「タイムリープ」ネタについての返信)

投稿者 読むせん : 1

おお、ワタシの大嫌いなタイムリープネタ!!もう脳死でタイムリープ無双する系が馬鹿流行りして、うざくなったのよね。(´・ω・)(・ω・`)ネー

1、
「タイムリープしている」事をちゃんと言葉にする事ちゃうかな?「‥‥‥なんかずっと同じ日を繰り返しちゃってる?」とか。世界感を壊さない程度に。

2、
タイムリープあるあるとしては、【原因】があって、その【原因】を解消する事によってリープしなくなることが多いです。

 昔に見て「好きだなー」ってなった作品だと【フラグを建てる事】でした。作中ではレコードをしょっちゅう出してきて、「針飛び」によって同じフレーズだけを繰り返し、回り続けてしまう事とタイムリープを重ねて表現していました。
 レコードの針飛び自体が【軽すぎる事】によって起こるらしいので、フワフワ生活に見切りをつけて、重い決断をする事で針飛びが止まるって感じでした。時計なら止めるか逆に動かすですね。

 3、
香々さんは死者無双で気づいてもいいと思う。なんなら主人公じゃないキャラを掘り下げ目的でリープさせてもいいかもね。
でもって、「リープに気付いていない主人公」が頑張ってサポートしてくれるとか面白いかも。

「よく分からないけど、あんたは、そんな変な冗談を言う性格じゃないし、そもそも酷い顔色よ?」
「わたしに「そのこと」言うの自体もすっごく怖かったでしょ?そこまで怖いのに勇気を出して私に教えてくれたんでしょ?」
「だから、私よく分かんないけど・・・・・手伝えることがあったら何でも言ってよ、やってみるからさ!!」

とか、銀鈴なら言いそう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 中華風ファンタジーでの「タイムリープ」ネタについて

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投稿日時:

元記事:あり得ない展開

わたしの小説には常人が理解できない頭のおかしい人が出てきます。狂信者とか猟奇○人鬼とかそういう奴です。でもこんなの現実的じゃないからキャラとしてクソと言われました。これってダメなんでしょうか

上記の回答(あり得ない展開の返信)

投稿者 ニーチャァ : 2

お前こそ自分が何をしているか理解していないようだな
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

カテゴリー : ストーリー スレッド: あり得ない展開

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投稿日時:

元記事:選んだ題材を、物語に必要不可欠な要素にする方法

自分の書いた小説を、友人や新人賞の下読みの方に読んでもらったところ
「選んだ題材が、他のものとすげ替えても成立してしまう」と言われてしまいました。
仮に題材が「天使(ヒロイン)と悪魔(主人公)」だったとすると、
「天使と人間」や「人間と人間でも」作品は十分成立してしまうそうなんです。
しかしその指摘を受けても、何をどう改善すればいいのかいまいちよく分かりませんでした。
というか捻くれた見方をすれば、どんな作品の題材でも他のもので成立してしまうのではないかと思っている自分もいます。
たとえば猫型ロボットの『ドラえもん』だって、犬型でもいいし、たぬき型だって成立はすると思うんです。
(もちろん、猫型でないと微妙につじつまが合わないこともあるとは思いますが)

なので、どのように人物や物語を書けば、題材を必要不可欠なものにできるのかを教えてもらえればと思います。
できれば、例のようなものを交えて説明してもらえるとたいへん助かります。
厚かましい質問でもうしわけないんですが、よろしくお願いします。

上記の回答(選んだ題材を、物語に必要不可欠な要素にする方法の返信)

投稿者 サタン : 4 人気回答!

>というか捻くれた見方をすれば、どんな作品の題材でも他のもので成立してしまうのではないかと思っている自分もいます。
そうなんだけど、そうじゃないのよ。
ドラえもんのロボのモチーフが猫だろうと犬だろうとたぬきだろうと問題ないのは事実で、何でもいい。あえて猫にしたって理由はないだろうと思う。
でも、「未来から来たロボット」という部分は動かせないよね?
これを、例えば「魔法の世界から来た」とか「宇宙の彼方から来た」としてしまうと、雰囲気がガラッと変わってしまう(出来ないことはないけども)。
ドラえもんのモチーフが何かってのは、どうでもいい事なので、実際何でもいいしなんであろうと成立します。
でも、「未来からのび太のために来た」というのは動かせません。

というのも、そもそも「ドラえもん」という物語において「猫型ロボット」というのは重要ではありませんよね。
ドラえもんが出す道具でのび太が何をするかってのがザックリとした内容だと思うんです。
この一番重要な要素(話の本筋)に関係するモノ、が大事なわけですよ。
だから、えーと、あえて「ドラえもん」を面白くなくす設定を加えると、「道具がたくさんある未来世界が舞台」としたら、たぶん面白くなくなるでしょう。そういう回や映画はあったと思うけども、それは別の話。
この未来設定が何故面白くないかというと、「道具がたくさんある」ので、別に「ドラえもんに道具を出してもらわなくても良い」ためで、別にポケットじゃなくてもいいよね、ドラえもんじゃなくてもいいよね、てかこの猫型ロボはなんでもいいじゃんか、ってことになる。
これが、スレ主さんが今議題にしてる状態になった「ドラえもん」。
「ドラえもんが出す道具でのび太が何かする」の、「ドラえもんが出す道具」の部分が何でもいい状態になってる感じ。

だから、
>仮に題材が「天使(ヒロイン)と悪魔(主人公)」だったとすると、
この例題の場合、お互いに天使であり悪魔である必要性が欲しいところ、ということになる。
題材だけの問題じゃなく、「一番重要な要素に関係するモノ」まあ、つまり「その作品を一言で表現してみた内容」が関係してくる問題だと思います。
なので、例えばこの題材で「ヒロインと主人公がお互い一目惚れして恋に落ちる」という内容なら、これはロミオとジュリエットまんまですが、ヒロインと主人公は「敵対関係にある両者」でなければ成立しないので、天使と悪魔のチョイスは王道で良いと思います。
もちろんこの場合「敵対関係にある両者」であればなんでも成立するわけですが、主人公が悪魔であればヒロインはその敵対関係にある天使でなければ成立しないって事になる。

そんで、んーと……。
>仮に題材が「天使(ヒロイン)と悪魔(主人公)」だったとすると、
>「天使と人間」や「人間と人間でも」作品は十分成立してしまうそうなんです。
ちょっと話がズレてしまうのだけど、このたとえ話は友人から言われたままでしょうか、スレ主さんが意訳して書き直したものでしょうか。
というのも、
>「天使(ヒロイン)と悪魔(主人公)」だったとすると、
>「天使と人間」や「人間と人間でも」
どっちも「主人公」が変わってるってトコが気になったんです。
要するに、「主人公が悪魔である必要性がない」って事が問題なのでは。

えっと、主人公ってのは基本的に動かせないんですよ。
悪魔の話なら悪魔の話なので、これを人間に変えたほうがいいって言われても、主人公を人間に変えたら悪魔の話じゃなく人間の話になるので、別の話になっちゃう。
言ってることわかるかな……。
これが動かせる状態にあるって事が、そもそも「悪魔の話をしていない」ってことなので、「悪魔じゃなくてもいいよね」ってことになってるのでは。
だから例えば、
「童貞のインキュバス」という主人公設定があるとしたら、「インキュバスなのに童貞」「それをなんとかしようとドタバタするラブコメ」ってな内容になるから、主人公がインキュバス(悪魔)なのは動かしようがないですよね?
で、この例は「悪魔の話」をしていますよね。
「設定のうえで悪魔という内容」なんじゃなくて、「悪魔だから生まれる話」をしていると思います。

設定で考えるんじゃなく、物語で考えると、このように自然と設定を活かした内容ができると思います。
主人公はまず大事で、そもそも「主人公だからこの物語がある」わけですから、主人公と物語は大きく関わりがあります。
主人公が動かせるような状態は好ましくないですし、まあ例外はありますし絶対ではないのですが、主人公だからの物語を考えるようにしたら良いのではと思います。

でまあ、そうなると主人公は動かせないので、その主人公の設定「悪魔」に対してロミオとジュリエットがごとく「敵対関係」と考えると「ヒロインは天使」というのは納得できるものではないかと思う。
これも「敵対関係にあるモノ」なら何でもいいので、別に「天使」でなくてもいいんだけど、
主人公は「悪魔」で動かせないので、その「敵対関係にあるもの」となれば「天使」というのも、また動かしにくい不可欠な要素ではないでしょうか。
とまあ、こんな感じで私は考えています。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 選んだ題材を、物語に必要不可欠な要素にする方法

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