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ライトノベルにおける子ども・女性キャラクターの筋力描写についての返信の返信の返信

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ライトノベルにおける子ども・女性キャラクターの筋力描写についての返信の返信(元記事)

ありがとうございます。

> そういう長弓兵にまじって、体格的に平凡な、小柄でスリムなキャラが同じ長弓を楽々扱って、他の長弓兵より優れた技量を見せる描写なんてやったら、読者としては何がどうなっているか分からなくなります。言い換えれば、なんでもあり、と感じてしまい、読む楽しみの中でも最大級の要素である想像を諦めることになります。つまり面白くなくなる。
これはつまり、女子供が当然のように威力の強い弓(威力を100とする)を操れる世界なら、屈強な大男が使う弓は更に強い物(威力200)でなければ話がおかしい、ということですよね。

そうなると、それはそれで個人的には話がつまらなくなると感じてしまいます。パワーインフレは好みでないためです。

結局、女子供は成人男性とは同じ土俵に立てないというか、立てたとしても作戦やテクニックで凌駕する(あるいは敵対する男性キャラの頭が悪いか技術が下)しかないのか?と…。
ゲームなら女性キャラクターのステータスの方が男性キャラクターよりも高いなんてことはザラですが、小説だと何かしらの理由付け(生まれが特殊、特別な才能など)がないと難しいのでしょうかね。

ライトノベルにおける子ども・女性キャラクターの筋力描写についての返信の返信の返信

投稿者 手塚満 投稿日時: : 1

スレ主さんの他の返信も少し拝読してみますと、マズい傾向が感じられます。マズいところに拘ってしまっているようです。このご質問自体、否定的な感想にどう対処しようか、ということですよね。

どうも、マズい点にばかり注意を向け、どうして嫌いかばかり考えてしまいがちな傾向がないでしょうか。もしそうなら危険です。好むと好まざるにかかわらず、行ったことに習熟してしまうからです。結果、マズい点ばかり目につくようになってしまいます。いい点とか、マズい点を回避するほうに頭が回らなくなります。

自分の回答も、マズいケースをサンプルとして想定してますが、そこから敷衍されても困るかなと思います。パワーインフレというのは、よく言われた強さのインフレだとすると、強い敵が出る→主人公が強くなる→もっと強い敵→さらに主人公が上回る、みたいな話ですよね。

1.英国の長弓兵は参考にすべきでない事例

自分が実際の英国の長弓兵を例にしたものは、バランスです。華奢な主人公が強い弓を引けたら、同様の体格の他のキャラもそうできてしまうと読者が想像してしまう、ということです。おそらく、主人公以外の主人公と同等の体格のキャラには、主人公のような能力(この場合は主に筋力)は持たせないでしょう。そうなると、読者は分からなくなる危険性があるわけです。

ですので、筋骨隆々の男との比較ではありません。確かに、もっと筋力があるはず、と想像できますが、本題はそこじゃない。想像ができる部分は、言い換えれば分かる部分であり、問題ないわけですから。大事なのは、分からなくなる部分です。さらに大事な点があるとすれば、どうしたら分かった気にになれるか、でしょう(正しく分かることは、フィクションでは重要ではない)。

2.女子供と大雑把にくくる弊害

「女子供」とくくるのも、とりあえずやめたほうがよさそうです。男性と女性、大人と子供、で分けたほうがいい。女性の大人ならば、今、五輪やってますよね。例えば、女子体操選手はどうでしょう。体重軽めながら、腕力だけで全身をぶん回す演技とかやってるわけです。生半可な膂力ではないですが、筋骨隆々には見えないですよね。それでも、そこいらの力自慢の男性では、おそらく力負けするでしょう。
(このことは、筋力が筋断面積だけでなく、筋線維を駆動する運動神経の発達が関与していることが大きい。筋肥大させず、運動神経の強度を上げる筋トレもあり、体格≒筋肉の太さだけでは測れない面がある。)

「女子供」と大雑把に捉え、曖昧に非力と規定してしまってないでしょうか。それが作品に無用なタガをはめてしまっている恐れがあります。例えば、海音寺潮五郎の小説「孫子」では、主人公(孫ピン)が小柄で華奢な女性キャラに助けられるシーンがあります(奴隷として幽閉された主人公を女性キャラが助ける)。その女性キャラは自分よりはるかに大柄な主人公を抱え上げて、馬車に乗せているんですが、三人称の語り手は「どこにそんな力があるのか、軽々と」とさらっと描写するのみです。それで不自然でなかったりする。

3.サラッと流す手もあるし、読者に欲しがらせるのも有効

例えば「火事場の馬鹿力」を知っている人なら、「緊急時にはそんなこともあり得る」と思うかもしれません。しかし、知らない人、あるいは思い浮かべなかった人は「そんなバカな」と思うリスクがあります。ですので、できる限りですが、そうならない工夫が入れてあります。肝心な部分をさらっと流す、ということです。

かつ、女性が膂力を発揮する直前に、「主人公がこの女性に抱え上げられないとマズい」という緊張感が生じるよう、じっくりとピンチを描写しています。読者としてはそっちに注意が向くし、主人公が無事助かって欲しいという気持ちも生じます。読者が「こうなって欲しい」と思う事柄は、多少不自然でも受け入れられます。作者がこうしたい、ということを、読者に欲しがってもらうのが大事であるわけです。

スレ主さんは、「ここは不自然」と言われたら、不自然さを消すにはどう盛るかしか考えない傾向があったりしませんか? 上述の通り、逆の処方もあり得るわけです。簡潔に申せば、目くらましするテクです。周辺に注意をそらし、核心(であり嘘)はさらっと流し、うまく行ったとまくしたてる、みたいな感じです。

アリストテレスの創作論(詩学)では、目を引くには「あり得そうな気がしないが、実際に可能なこと」よりも、「実際には不可能だが、あり得そうなこと」を描けとされているとのことです。少し言い換えると、ちゃんと考えたら絶対無理なことを、目くらまししてあり得そうな気にさせる、となります。リアルでは詐欺師がそうしてますし、マジシャンも同じです。

4.読者の思い込みや知識を使う(ドラゴンボールの事例から)

それには読者の思い込みも使えます。いわゆる読者の引き出しの一種と考えていいでしょう。実際には無理ですが、武道・武術で「小柄で枯れ木のような老人が実は熟練の使い手で強い」なんてイメージがあります。フィクションにもよく使われます。スレ主さんは「ドラゴンボール」を「パワーインフレ」だとしてお嫌いなようですが、その「ドラゴンボール」も、老人や小柄な者が強い、という作劇を効果的に、随所に用いています。

例えば、亀仙人。杖突いた老人です。筋骨隆々ではない。けれど、悟空が出会った時点では圧倒的に強い。高名な武術家、という肩書をうまく使っていることも大きいでしょうし、悟空と同程度の強さに見えるクリリンの亀仙人への敬意も説得力に一役買ってます。

その亀仙人を悟空が乗り越えた後、今度はまだ子供の悟空がピッコロ大魔王(初代)を倒すわけですよね。小さな悟空がデカくて強い悪役を倒してほしい、とうまく持って行ってます。修行演出も効果的で(老人然とした「神」は亀仙人演出の繰り返し)、以降は修行して克服というパターンにもなっていきます。

その後、ピッコロ(2代目)と戦う頃には悟空も大人になってますが、サイヤ人が襲来する。特にベジータとナッパですね。悟空よりはるかに小柄なベジータを、大柄で筋骨隆々なナッパが異様に恐れている。ナッパの強さは先に描かれますから、ベジータは遥かに強そうという気がするわけです。実際にベジータが戦い始めると、ナッパとは段違いで、悟空も単独では到底かなわない。

仲間の協力でベジータを撃退した後、名敵役フリーザが登場するわけですよね。フリーザも小柄です。筋骨隆々でもない。しかし、周りの強そうな部下が異様に恐れています。それでなんとなく「フリーザは想像を絶する強さ」と感じ取れるようになってます。ベジータに対するナッパと同じ演出手法です。さらに「戦闘力」なる強さ指標が劇中で定着すると、他の強敵から抜きんでた53万という数字も出してくる。

弱そうな者が実は強い、という設定を効果的に見せる演出が何度も出てくるわけです。パワーインフレとして、曖昧に退けているとしたら、大変に損をしているんじゃないかと思います。もしそうなら、スレ主さんはご自身を、うまく行かない方向に鍛錬してしまっている恐れがあります。

5.嫌いだとばかり考えていると嫌いなものが身についてしまう

ご質問に対して直接的に役立つ処方は、良回答者の皆さんがあれもこれもと提示してくださっています。自分も微力ながら、思いつくままに申し上げています。然るに、スレ主さんの返信では、気に入らない点に力を注ぎがちのようにしか見えません。嫌いなものに力を注ぎ、知らず知らず身に着け、ご自分でご自分の道を閉ざそうとしている感じです。

6.アニメキャラの髪の色の意味

アニメでの髪の色にしたって、そうです。あれをリアルにキャラの特徴として捉えて、ネガティブにしか解釈なさってない。あれって、アニメの絵だからです。アニメの絵は線が少ない。大量に描くにはそうするしかないからです。少ない線でキャラを見分ける工夫が必要になります。遠くにいても、どのキャラか分からないとマズい。大勢いても見分けがつかないと話が分からなくなる。

そこで髪の色です。髪型もそれに準じます。目(瞳)の色も同様に役立つでしょう。現実にある髪の色では足りません。現実にはない、ピンク、緑、青等々も必要になってきます。それが分かりやすいため、不自然でも受け入れられ、当たり前になってくると、アニメ絵の影響が強いラノベで採用するのもおかしな話ではありません。商業ラノベでは必須の、文章とセットになるイラストも、アニメ絵表現を採用してくるわけですんで。

7.嫌いなものがどうして駄目かしか考えないならマズい

表現上の都合という、ごく当然のことが目に見えているのに、そこを考えず、不思議とか、そういうお話の世界とかに思考が向いてしまうようでは、とてもマズいだろうと思います。サラっと流せてはないです。サラっと流せてたら、このスレだけでも複数回言及することはあり得ません。「何かをおかしいと思い、おかしい理由を考える」悪癖が身につきつつあると用心すべきと思います。

いい面、効果的な点がないか、常に考える方向に癖を修正したほうがいいと思います。受けているものには、それなりの理由があるわけですから。そうできないと、この先は暗いことになりそうです。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: ライトノベルにおける子ども・女性キャラクターの筋力描写について

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