皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信
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皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?(元記事)
お久しぶりです。結局、新人賞は三次選考で落ちて、ゼロから始める執筆生活に戻って新作のプロットと業界勉強に勤しんでいる半額です。
選考で落ちた作品を小説投稿サイトに載せて、次回作に向けて意見を募ろうと考えたのですが、殆どアクセスされずに終わったので、SNS上で「読みますよー」と仰っている方に読んでもらったんですよね。
すると、「面白いと感じるところがない。序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎ」と酷評を受けて、まぁ落ち込むことはなく前向きには考えれたのですが、その方の創作理論が「ん? でもそれって違うくない?」と納得できないところも多くあったんですよね。
一読者の意見とはいえ、それに振り回されすぎて自分の軸を曲げるのは良くないとは分かるのですが、自分が納得できないことにこそ何か改善の余地があるのではないかとも思ってしまうのです。
そこでなのですが、皆さんは「酷評なり、批評なりを受けた際、どこまでそれを受け止めて自作の執筆に取り入れているのかな」とお伺いしたいと思い、相談させていただきました。皆さんの考え方や、体験談も交えて話していただけると助かります。
(久々なので、説明不足なら申し訳ありません!)
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信
投稿者 t 投稿日時: : 0
こんにちは
売れないと直接書くと若い芽を摘むことになってしまいます(笑)、彼らはプロですから、そのような表現よりも具体的に課題を指摘する方が得意でしょう。
彼らがあなたの言うところの酷評が将来きそうだということに、メモを取りながらや赤ペンで添削しながら読んだりしている彼らが、気付かないわけがないので、この場合、選評に書ける文字数で他に優先すべき課題があることになります。
それか、他にも見つけた改善点を荒削りと一言にまとめた可能性もあります。
またこうも考えられます。
SNSで酷評された箇所は手直しといった短所より、魅力の方が上回っているので長所として褒めよう。手直しする時は、
序盤のインパクトやストーリー展開のテンポの良さは残しつつ。
面白いと感じるところがない。序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎないようになるまで、何カ月も改稿させればいい。
選評と酷評で矛盾しているように思えるかもしれませんが、一部の人は答えを取ってくる方法を知っているだけかもしれませんし、仮にできなくても、これを修正するために何百時間も費やせばそれなりになるだろうと考えれば、それだけ時間をかければできないこともない気がしますね。
選評ではもっと本質的な部分が書いてありませんでしたか。キャッチーな要素が……とか。中高生に刺さる要素が……とか。読者を楽しませる仕掛けが不足している……とか。荒削りと受け止められた理由が何個か書いてあると思うのですが、そういったところに考える時間を使った方が建設的だと思いますよ。
酷評された部分が上手く書けることで次の審査に進めるなら選評にそう書いてあるはずです、彼らが読みながら気付かないわけがないので……、新人賞に送られてきた箸にも棒にもかからない作品から、受賞作まで、今書店で流行ってる本も知り尽くしています。
もっと深いところまであなたの作品を分析していてそれが選評で語られているはずです。あなたが言うところの酷評の方は後でどうとでもなる問題のように思います。
これがどちらを信じるかの話だとするなら、SNSは課題を教えてくれたありがたいことで小さな箱、私なら選評に書かれている大きな箱について考え続けます。
三次までいける実力があるということは武器となる素晴らしい個性があります、応援しています。
カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?