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皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか? (No: 1)
スレ主 半額オソーザイ 投稿日時:
お久しぶりです。結局、新人賞は三次選考で落ちて、ゼロから始める執筆生活に戻って新作のプロットと業界勉強に勤しんでいる半額です。
選考で落ちた作品を小説投稿サイトに載せて、次回作に向けて意見を募ろうと考えたのですが、殆どアクセスされずに終わったので、SNS上で「読みますよー」と仰っている方に読んでもらったんですよね。
すると、「面白いと感じるところがない。序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎ」と酷評を受けて、まぁ落ち込むことはなく前向きには考えれたのですが、その方の創作理論が「ん? でもそれって違うくない?」と納得できないところも多くあったんですよね。
一読者の意見とはいえ、それに振り回されすぎて自分の軸を曲げるのは良くないとは分かるのですが、自分が納得できないことにこそ何か改善の余地があるのではないかとも思ってしまうのです。
そこでなのですが、皆さんは「酷評なり、批評なりを受けた際、どこまでそれを受け止めて自作の執筆に取り入れているのかな」とお伺いしたいと思い、相談させていただきました。皆さんの考え方や、体験談も交えて話していただけると助かります。
(久々なので、説明不足なら申し訳ありません!)
カテゴリー: 小説の批評依頼
この質問に返信する!皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 2)
投稿日時:
>自分が納得できないことにこそ何か改善の余地があるのではないかとも思ってしまうのです。
その思考は、けっこう重要だと思います。
半額オソーザイさんの以前のスレでは、自身を卑下しすぎることに否定的な意見を書きました。それと矛盾するようですが、自己否定と冷静な自己批判は似て非なる物です。前者は良くないですが、後者は自身を向上させるためには必要なことだと考えています。
酷評には2種類あります。一つは「何となく、そこを批判されるのではないかと予想していた酷評」。もう一つは、「予想外の角度からの批判で、どうしてそんなことを言われるのかも理解できない酷評」です。
前者は酷評ではあっても意外とすんなり受け入れられてしまうものなんですね。「そうか~、やっぱりね」という感じ。そんなにダメージにならないのです。
問題は後者。これは人間の心理として強い反発が心に生じてしまうのがほぼ必定です。私にも覚えがあります。
ここ何年かはラ研の鍛錬投稿室に投稿したり覗いたりしていませんが、以前は30作くらい自作を投稿し、感想は200くらい書いたんですね。
そのとき痛感したことの一つは、「想定外の酷評」のしんどさでした。半日くらい何もする気がしないほど落ち込むことがあるんですね。「俺はなんでこんなにショックを受けているんだろう?」と、自分でびっくりするくらいでした。この感覚は経験したことがないと分からないんじゃないかと。
しかし感想のやりとりを重ねるうちに少しずつそういうことにも慣れてきて、「想定の範囲外の意見」こそ重要なんじゃないかと思うようになりました。受け入れやすい意見にだけ耳を傾けているというのはダメなんじゃないかと。
なんて言うかな。
誰にでもその人の「思考の枠」みたいなものがあって、それを守って小さく凝り固まっているみたいな状態があるんじゃないかと。そして、そういうものに凝り固まっていることに、自分では気がつきにくいものなんじゃないかと。
理解できない想定外の意見こそ、自分にとって重要なヒントが隠されているんじゃないか。そう考えられるようになったことが、このサイトで感想のやりとりをして得られた最良の収穫なんじゃないかと、個人的には思っていたりします。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 4)
投稿日時:
あまくささん、回答ありがとうございます!
そうなんですよね。想定内の酷評部分であれば、既に自分の中では分かっていることなので答えが出ているものなのですが、想定外となれば自分を疑うプロセスが生じて、しんどいっちゃしんどいんです。そこで下手に自分を信じたり、逆に自分を簡単に折らしたりしちゃうと、本質的な部分での問題が解決できないまま次に行っちゃうので……じっくりと考えたり、他の方からの意見をもらうようにしたりと、結論を焦ってはいけない事なのだというのは自分も分かります。
そういう意味であれば、いちおう二次選考まで通った作品なのに……! 選評でも褒めてもらった部分なのに……!と自信があったところをズバッと言われたので、ショックが無かったとカッコつけては言えない状態です、自分も。ただそれだけ受け止めずらいことほど、自分を良くも悪くも変容させる要因があるとも感じ……難しいですね。
私が完璧な創作者ではないのと同じように、完璧な読み手や創作理論なんてものはないですし、言われたからそれが正しいことと安易に受け止めるわけにもいかない。うごご……
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信 (No: 19)
投稿日時:
言うまでもないと思いますが、酷評であれ好評であれ他人の意見に言いなりになる必要はありません。大切なのは、冷静・客観的に受け止めることです。
>その方の創作理論が「ん? でもそれって違うくない?」と納得できないところも多くあったんですよね。
その感覚も重要ですよ。
ただ、そう思ったときに「納得できない意見」をよく考えずに軽視・拒否するよりも、なぜ自分とその人とでそんなに意見が違うのか冷静に考えてみることによって、有益なヒントを発見できることがあるということです。
もちろん、その人の意見がまるっきりトンチンカンなだけというケースも有り得ます。しかし、仮にトンチンカンであっても、そんなふうに思う人も居るということは少なくとも一つの「情報」にはなります。
以下は、スティーブン・キングが何かに書いていた感想や批評を受けるときの心構えです。
自作を10人に読んでもらった時は、まず全員に微笑を浮かべながら「なるほど」と言いなさい、と(笑
次に、10人の意見の中に到底受け入れられないと感じる指摘があった場合。
その指摘をしたのが1人だけだったら無視しても良い。しかし3人以上に同じ指摘をされた場合は、そこが貴方の作品の問題点になっているとみなして修正しなければならない。
とのことでした。
私なりに補足すると。
常に多数決が真理とは限らないので、不本意な意見を述べた人が3人だろうと7人だろうと、その意見の方が間違っている場合も有り得るんですね。
ただし、10人のうちの複数の人が同じことを感じたということは、その作品を世に出したときに多くの読者が同じ感想を抱く可能性が高いと予想されますから、エンタメ作品としては軽視できない事態です。
そうであっても、その部分が作品の根幹に関わる重要部分の場合は安易に妥協しない方が良いということもあるでしょうが、作品と読者の間にそういう乖離があるということを「情報」として受け取って、何らかの対策は考えることが望ましいです。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 3)
投稿日時:
二次選考通過、すごいじゃないですかー!
お疲れさまでした。
その感想をくれた人が、普段どういう話を好むのか、どういう作品を書くのか、感想をもらう前に分かったほうが、参考になりやすいかもしれませんね。
あくまで個人の意見ですが、参考になれば幸いです。
ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン
プロ作家、編集者にアドバイスしてもらえる!勉強会で腕を高めあえる!小説で飯を食べていきたい人のための創作コミュニティ。学生には交通費1000円を支給。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 5)
投稿日時:
ふじたにかなめさん。回答ありがとうございます!
二次まで通ったので、選評も何個かいただいたのでそれが一番うれしかったです!
次に出す作品も書き終えたので、その次を考えている段階で、止まっちゃいられない状況なのでまだまだ頑張ります()
感想をくださった方は、典型的な“なろう系”は好んでいないようでした。自分が書いたものはそうじゃないのですが、典型的な“なろう系”に対する理解があってこそ、それを裏切る展開をいくつも出していたので、そこが琴線に触れなかったから……だとも思うのです。
ただ言われたことの中には納得できる部分も多く、そうでないところも一般的に創作では言われているようなところだったので(「世界観設定を説明しすぎない」「冒頭に主人公がいない」など)、どうなのかなーと思った次第です。このぐらいならセーフじゃない?と思ってた、度合いの問題でもあるので難しいなぁって……。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信 (No: 20)
投稿日時:
あと、一次選考の発表のときに、ツイートで検索をかけると、書籍化作家さんでも一次落ちしたと呟きを見つけることがあるので、下読みさんの運もあると思いますよー。批評依頼も同じかと思いました。
> 感想をくださった方は、典型的な“なろう系”は好んでいないようでした。自分が書いたものはそうじゃないのですが、典型的な“なろう系”に対する理解があってこそ、それを裏切る展開をいくつも出していたので、そこが琴線に触れなかったから……だとも思うのです。
なろう系かと思いきや実は違った系は、「なろう系をよく読む人向け(知識の下地がある)」が楽しめる作品だと思うので、なろう系を知らない人やむしろ嫌いだから読まない人の反応が悪いのは当然かなって思いましたよ。
むしろ、そういう強い拒否反応をされたってことは、なろう系好きな人にとっては、好みな作風になっているのでは?って思いましたよ。
ただ、ネットに投稿してあまり読まれなかったみたいですけど、対象読者(ターゲット)に届きづらい理由が個人的に気になりました。
タイトルとあらすじなら、以下のサイトで分析できますよー。
https://rawi-novel.work/
何か参考になれば幸いです。お互いに頑張りましょうね。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 6)
投稿日時:
相手の感想を、ちゃんと読み解く。かな?
する側っす。
それよりひっどい酷評を大野さんにしたことあるし、その感想の意味を伝えるために、大野さん側からスレッド建ててもらいました。それくらいしないと「伝えたい部分」が分かんない時は多々あります。
https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/9974
あと甘粕さんに断筆させちゃったかも‥‥というほど凹ましてしまった事もあります。
https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/3044
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
読むせんさん、回答ありがとうございます!
読み解く……が自分、マジで苦手なんですよね。
分からないなら分かるまで相手に聞くべきなんでしょうけど、今となってはそれも困難で……(ワケあって、相手の方から一方的にブロックを受けていまして……)。いちおう文章は残っているのですが、文章に書いてある以上のことは自分には理解できないッス……白旗ッス。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信 (No: 8)
投稿日時:
なら諦めろ(-。-)y-゜゜゜他の人に読んでもらって、その人と同じ感想が来てから悩めや。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信 (No: 9)
投稿日時:
ですねー……小説投稿して初めて実感しましたが、他の人に読まれる機会って本当に少ないですね。気長に待つしかないか……。
ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン
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皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 10)
投稿日時:
感想くれる人はもっと少ないです。
読むだけで満足とか、もういいやとか、わざわざ伝えてくれるタイプは普通に書き手サイドにいくからね。
そりゃあ道場とかに投げ込みたくなる人も出ますねー
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 12)
投稿日時:
わざわざ口に出す労力はしないですよね。実際、私も読んだ漫画の感想なんかを、SNSに載せたりすることも稀なので……それと同じことと考えると、よく分かります。
ここの道場も使いたいなーと思う反面、自分は基礎的な創作スキルをまだ持っていない未熟者ゆえに、感想を投げる側には回れない……と二の足踏んでいます()
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 11)
投稿日時:
私はあんま酷評は受けたこと無いですね。
というのも、そんな凄い作品ばっか書いていたってわけじゃなく、酷評は正直言葉で反論した程度じゃむかっ腹が収まらないので、あんま公開してなかったし公開しても批評を望んでなかったし感想があっても酷評も好評もぶっちゃけ読んでなかった。
応援が力になる・やる気になるって意味がわかんない。私の趣味になんで他人が干渉できるんだろう。
まあ、そんなんだから、私がする批評は割と酷評側に偏りがあると思う。
私なんかの酷評で筆が鈍るってのがまずわからんので。
でも腹は立つだろうことはわかるから、相手が怒れば謝るし相手が望むなら納得するまで指摘した意図を理屈で説明する。
なので、私がする酷評はあくまで理屈の上で説明できること、「こうしたいならココは間違いじゃないですか」というものが多いと思う。
一方で、酷評の中でも私はしない、しないよう心がけているのは、感情による批評。
するときは「私は好きじゃないけど、物語的には間違っていない」といった形であくまで好みですよ、と書く。
次いで、持論による批評。
これはしちゃうことが多々あるけど、出来る限り「持論だ」「私がそう考えてるだけ」と判断は相手に委ねてるつもり。
で。
私個人は批評感想はほとんどスルーしてたし、創作が読者の意見に左右されることはまず無かったけども、
ちょっと偉そうというか玄人ぶってる嫌な感じな回答になりますが、
その上で、「私の批評の場合はどこまで聞いて欲しいか」ってスタンスで質問に回答してみると、
前述した中で「理屈の上で説明できること」の範囲内だけですね。聞いて欲しいのは。
ようはこれって三幕構成ないし各々が理解してる物語の構造のメソッドを持っていれば私が言うまでもないような事で、あるいは作者が凡ミスして気づかなかったかもしれないような指摘であるので、「個人の創作論」ではなくその基礎になってる基本的な部分の習得が出来てりゃ理解できる指摘のハズなので。
その基礎の上に乗っかってる「私個人の創作論」の部分は、その意見を聞いてその通りに書くんであれば、それは「私の創作論」で書くわけで、ならいっそ私が書いたほうが良いわけで、相手様の作品ではなくなっちゃう。
「私個人の創作論」の部分は「私ならこうする」という一例でしかなく、具体例として出してるに過ぎない。
なので、逆にこういう部分で反論されても困るので、万一相手の逆鱗に触れたようなら素直に謝って適当に流しちゃう。
相手は相手の創作論で書くように、私は私の創作論で書くので、おまえの反論なんぞ知らんがな、という話なわけですから。
まあ、そのディベートに乗っかって相手の理屈を理解した上で、なるほどそういう考えもアリですね、ってことにもなるけども。
とはいえ酷評から入ってるわけだし、この段階になるとだいたい誰も感情的になってるから、相手の理屈を理解しようというスタンスではないのが残念だけども。
とまあこんな感じで、そもそも私の意見って「面白いかどうか」ではなくて「物語として成立しているかどうか」が第一で、次いで「物語の成立に無駄はないかどうか」あたりの意見なので。
つーか、そこなんだよなー。私が他人の意見をほぼスルーしてる理由って。
「面白い」は個人によって違うのに、なんで読者は自分の「面白い」を作者に押し付けてくるんだろう?
普通に読めばいいのに、頼んでもないのに感想書く人って結構こういう感情で面白さを書いてくるんだよね。知らんがな。テメーで書けや。
「面白い」にも理屈はあるので、それが成立してれば面白いから、面白く感じられなかったのは私の表現力不足かあるいは読者個人の趣味に合わないというだけの話。
なので、ぶっちゃけ「面白いと感じるところがない」は、知らねーよ、お前が面白さを読み取れなかっただけだろ、と思う。
作品の「面白さ」はコレだと思うけど、それを表現するためにはもう少しインパクトのある展開が欲しいよね、設定にある◯◯をもっと利用すべきじゃないかな、という意見ならわかるし、プロット段階の意見なら私も「面白いものを用意出来てない」とちょいちょい似たような事言うけど、執筆済みの作品を読んで面白い所を読み取れないとか有り得ないと思う。
「面白いところ」をどんどん押し出していって作品はより面白くなるんだからさ、その「面白いところ」がわからんって人が何を言うんだろう。
うーん。なんか無意識に何かを思い出して怨念がこもってきたんで、中途半端だけどここらで止めときます。
まあ、理屈で説明できない部分というか、基礎的な部分以外は私はスルーしちゃうかな。酷評でも好評でも。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 13)
投稿日時:
サタンさん、回答ありがとうございます!
自分の価値観だけで進んでしまうと、良いものは作れないなーと感じているのが自分なので、そうではない考え方はとても刺激になりました。たしかに「面白い」は人によって違いますね。論理的に面白くないことを書いてくださっているものに関しては参考になるかもしれませんが、そうではないなら身になるものはないなぁと。
自分は「頼んでもいないのに感想がくる」ということを経験したことがないので、そう言えるだけなのかもしれません……。そういうのが沢山くると、精神衛生上、スルーするのが一番なのだとは自分も読んでいて感じました。
ただ公募に出し続ける身としては、売れるものを出していかないといけないと思うので、そのうえで「個人の面白い」「個人のつまらない」はケーススタディーとして知っておきたいところはあるんですよね。いくら他の人の作品や批評を勉強しても、勝負するのは自分の作品でなので……。
個人によって違う「面白い」を、いかに多くの個人に感じさせるかが、商業作家の目指すべきところだと個人的には思っているので……無論、読者に媚びすぎるのも良くないですが、到達地点は利益を生み出すことですし。まぁ偉そうに語ってますが、まだ三次選考も突破できていないヒヨっ子なので、今はそこまで考えるべきでもないのかもしれませんね。
それでも、少しでも公募で戦っていけるような作品を安定して書けるようになりたいので、自分の価値観だけじゃなく、多くの意見から自分の血肉にできるものは何でも喰らっていきたいのが本音なので……
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信 (No: 14)
投稿日時:
>まだ三次選考も突破できていない
私が投稿してた頃とはもうシステムが違うと思うけど、私の頃は、一時突破は 小説として成立してる って証明。二次突破は 面白みはある という証明。三次突破は 突出した面白みがある・個性がある という証明。最終突破は、もう運でしかない。
こんな感じだった。何次って段階が今は増えてるって聞いたから正確にはわからんけど、二次突破したなら少なくとも面白いと感じる人はいるって証明だと思うよ。
その要素を強くして(それが難しく燻るが)もっと押し出していけるようになったら、三次は運もあるけどすぐじゃないかな。
それと、
>自分の価値観だけで進んでしまうと
私も割とそう思ってるよ。我が道を行く感じに伝わってしまったかと思ったので、そこは訂正させてください。
私が気をつけているのは、創作のために創作をしないこと、なんです。
だから自分の価値観だけで進まないようにしてるけど、その価値観は創作以外の場所で見つけてます。
「創作の世界で」という時点で視野が狭まってると感じていたし、創作は手段でしかなく、表現したいものは創作には無いので。
創作で自分の価値観を壊したければ手順を変えればいいだけだしさ。
>ただ公募に出し続ける身としては、売れるものを出していかないといけないと思うので、
このあたりは前回「新人賞だけが道じゃないよ」と回答した事の繰り返しになってしまうし、まあ持論でしかない話なんだけどさ。
ケーススタディ、ようは統計的に好まれやすいものを調べる、というニュアンスですよね。
繰り返し、持論ですけども、それほぼ意味ないッスよ。
何故かっつーと、そのデータが取れた頃には流行が代わって別のものになってることが多いからです。
だから流行にとらわれないでターゲット層に好まれやすい要素を考える必要があって、その要素は今の流行ではどのように扱われているかを調べないと、って考えなんだけども、
スレ主さんは前のスレッドで「そういうの読み取れない(中高生に好まれやすい要素がわからない)」ってことだったので、まあ、前々スレだったかで書いたけど、スレ主さんこそ「我が道を行く」のほうが良いと思うよ。
別に読者に媚びるのが良くないとかって話じゃなくて、わざわざ苦手な武器で勝負しに行ってる感じがする。
>自分の価値観だけで進んでしまうと、良いものは作れないなーと感じている
私もそうだよと書いたけど、スレ主さんの場合は「自分の価値観を磨いてない」というだけじゃないのかな。
>少しでも公募で戦っていけるような作品を安定して書けるようになりたいので
二次突破と三次突破の差は「突出した個性」と書いたけども、もちろんこれは私がそう感じていただけのもので絶対ではないし、書いたように今は違うのかもしれないけど、
二次突破と三次突破の差は「個性」なので、そこで必要なのが「磨きに磨いた自分の価値観」だと思いますよ。個性ってそういうものじゃないですかね。
とはいえ
>多くの意見から自分の血肉にできるものは何でも喰らっていきたい
飢えてるのは良いことだとは思いますw
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信 (No: 16)
投稿日時:
>二次突破したなら少なくとも面白いと感じる人はいるって証明
⇒たしかに選評では評価された部分もかなりあり、自分の自信にはなりました……。「これを面白いだろ!」と思って撃ち込んだ弾だったので、当たったことに関しては狙い通りになってよかったな、と。
>創作で自分の価値観を壊したければ手順を変えればいいだけ
⇒なるほど、そういう視点は目から鱗でした。創作に関するスキルや、それに対する価値観って、ひたすら創作に打ち込むだけではどうしても変わらない……と思って、自分の違和感や納得できないことに目を向けてみよう―――とは思っていましたが、創作外のことに目を向けるというのは発想になかったので。
>そのデータが取れた頃には流行が代わって別のものになってることが多いからです。
⇒それは痛感しましたね……。今流行りのフィールドで無理して戦おうとしても、踏んだり蹴ったり担ってしまって上手くいかない……この前、無理して手を出そうとした恋愛モノも結局、バトルものになってしまったし。
新人賞を取った作品を見ていると、流行にマッチしているようなテーマはそこまで多くなく、作者さんの独自色や、流行ではないけど読者が好きよね?ってツボを押さえにいっているものが多かった印象です。そう考えると、人の意見ばかり聞こうとせずに、少しは我が道を行く気概で書いた方がいいのかなぁ。
>「自分の価値観を磨いてない」
⇒つまるところ「我が道」が出来上がっていない、ということですかね?
周りに合わせたり、第三者の視点を過剰に求めすぎたりせず、自分本来が持っている味を極めるみたいな?
>飢えてるのは良いことだとは思いますw
⇒今、マジで飢えています。第三者の視点もそうだし、「自分の中の面白い」を「読者の面白い」に変換させる技量が無さ過ぎて、どうにもって感じでw
私の中では、マジで面白いんですけど、出力したらダメダメになっているって、何か自分のやり方が間違っている気がして()
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 18)
投稿日時:
>創作外のことに目を向けるというのは発想になかったので。
私もそうだったんだけど、私もそう指摘されたときは目から鱗でしたよ。
創作は手段でしかないから、表現したいものソレ自体を持たない癖にいったい何を書こうってんだよ、って感じのこと言われた。
サッカー漫画はサッカーっていう表現したいものを漫画って創作手段で表現してる、お前の作品はファンタジーだけど何を書きたいわけ? みたいな感じ。
ほんで、ああ俺サッカーしてないわ、みたな。球技自体は好きじゃないんでサッカーは例えに出ただけね。
ファンタジー作品なんだけど、そこでサッカー漫画のサッカーに当たるものを全く考えてなかったんだよね。そりゃ面白くねーわな、中身ないんだもん。
創作する人は創作以外の趣味を持ったほうがいいね。
だから、私も小説以外の趣味をアレコレ探したりいろいろした。
これは、まあ、わかんないと思うけど、中でも面白いと思ったのは写真で、ド素人は良さそうな被写体を技術とか知識とか関係なしにポンポン撮るんよ。最初は何もわからんからね。それで個人的には何とも思ってない写真が人に褒められたりする。
んで、ちょっと知識が出てくると、写真の構図でストーリーを表現するようになるんよ。例えば公園の砂場で手前に砂で出来た小山、中距離に背を向けた子供、遠距離に公園の出口。これで「遊んでた子供が帰ろうとしてる」という表現になるでしょ。そういうストーリーを写真で表現しはじめる。
けど、こういうの狡い、と一蹴された。
撮影者が見せたいものを見せられてる、とかなんとか。
ほんで、改めて自分が良いと思った写真家の写真を見てたら、例えばてんとう虫をでかく中央にドンと魚眼で撮ってたり、道路とビルが写ってるんだけど写真の大部分は快晴の空が写ってたり、その写真の意図はわからないけど意味はわかる。てんとう虫はてんとう虫かわええと思って撮ったに違いないのよ。
そしたら自分の、構図にストーリーを持たせた写真がほんと狡いと自分でも思った。で、カメラ買ったばっかの頃に撮った写真は何も知らんから好きなものを好きなように撮ってて、技術は無いけど見せたいものを中央にドンって感じだった。
あー、うん、なるほどね。
と、このとき、たぶん自分の小説の価値観も変わった。
下手に色気出して頭良さそうに思われたい文章(笑)とか、表現したいものをおざなりにして組んだトリッキーな伏線回収カッコいい(笑)とか、あんなの、初心者が下手くそなりに情熱持って書いた作品のほうが何百倍も面白いね。
こうやって別のことから自分の創作に価値観の輸入みたいのが行われて、創作以外から結構いろいろ変わった。
>新人賞を取った作品を見ていると、流行にマッチしているようなテーマはそこまで多くなく、
そうなのよ! ずっとそれ言ってるんだけど、何でだろうね、異世界転生モノを新人賞に出そうとしてる人わりと見かけるのよね。それまず受賞しないネタだぞ、と思うのだけども。
新人賞は次の流行を担う人材を発掘する場だから、「今」の流行りを書いたって通用するわけないのに、そうやって受賞作品を見比べりゃ理屈ですぐわかるだろうに、何故か今の流行りを書いて送る人多いんだよね。
>少しは我が道を行く気概で書いた方がいいのかなぁ。
新人賞は「面白い作品」を求めてると思いがちだけど、正確には「あなたの面白い作品」を求めてるので、ぶちゃけ個性が一番大事だと思うよ。
>「自分の中の面白い」を「読者の面白い」に変換させる技量が無さ過ぎて
読者に楽しんでもらう、面白いと感じてもらう、という考えもあるけど、自分が面白いと思うものを読者に知ってもらう、自分が面白いと感じたものを理解してもらう、面白さを伝える、という考え方もあるので、「読者にとって面白い形」はそれだけが正しい形ではないと思うよ。
巨乳派と貧乳派がいるとして、貧乳派の男に「巨乳が好ましいと感じてもらう形」での説得というのは無理がある。いくら「巨乳の素晴らしさ」を語ったところで暖簾に腕押し。
なので「俺らがどれほど巨乳を愛しているか!」という熱量を伝えると、「立場は違えど共に乳を愛する同士よ!」となるわけさ。しらんけど。
物語でこれをやると、読者は別に巨乳好きじゃないけど、「巨乳好きな主人公の熱量には共感する」といった感じになるんじゃないかな。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 21)
投稿日時:
>創作する人は創作以外の趣味を持ったほうがいいね
⇒創作以外に趣味という趣味が無いんですよねー……物語作品は日頃から接するようにしていますし(好きな畑とそうではない畑、半々ぐらいです)、書いているネタを勉強するためにその分野を勉強したり、全く触れたことのない文化のコラムや、ドキュメンタリーを見て自分の中の引き出しを増やしたり。
ただ、創作と全く関係ない趣味はそこまで無い……というか、何やっていても創作と結びつけて考えてしまうので、切り離せないなーって感じです。
>異世界転生モノを新人賞に
⇒今どき、ド直球な異世界転生モノは受賞作には殆どないなーと……。作品の世界を流行に合わせるのではなく、作品自体が読者を巻き込んでいく引力みたいなものを強く感じる作品が多いです(具体的な作品名を出したいけど、悔しいから嫌という気持ちが←オイ)。
そのテーマが好きなんだなぁということが書き手から伝わってくる作品が殆どです。嫌々、書いているような感じが全くないから悔しい()
>熱量を伝える
⇒読者に合わせることだけが作品なのではなく、作品が読者に熱量をぶつけてくるかたちが望ましいとは感じますね。だから「巨乳好きの読者」のほうを向くのではなく、「巨乳好きな主人公の熱量に共感する読者」のほうを向く……感じですかね?
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 22)
投稿日時:
>創作以外に趣味という趣味が無いんですよねー
カメラと旅行は、振り返ると創作の助けになるからオススメよ。
両方とも単純に資料になる。
まあ、腰が重いと旅行はかなりハードル高いけど。
>ド直球な異世界転生モノは受賞作には殆どないなーと……。
前レスでは全否定なこと書いたけど、異世界転生もの自体は別にいいのよね。
ようは中身の問題だから。流行りと同じことやってても新人賞には響かないので、転生ものを書くなら書くでちゃんと中身を新しいものにしないと。
これはまあ、ようはサッカー漫画のサッカーに当たる部分ですよね。飽和状態のスポーツモノを書く事自体は問題ないけど、じゃあ選手ではなく審判を主人公に新しいアプローチで書こうとか考えないと新人賞は狙えないよね。
サッカー漫画はありふれてるから野球漫画を書こうって思っても中身同じじゃんって話だから。
野球漫画だけどマネージャーを主役にチームを運営する話とかってのは昔流行ったけども、そうやって角度を変えないとね。
>「巨乳好きの読者」のほうを向くのではなく、「巨乳好きな主人公の熱量に共感する読者」のほうを向く……感じですかね?
変な例えをしちゃってすまないけれど、
「巨乳好き読者」がわかってるならそっちに全力投球したほうが良いと思う。
けど、スレ主さんは「読者が何好きかわからない」という状態だと思うので、だったら読者が「もともと興味持ってなかったけど作品を読んで興味を持ち始めた」となるように、作者がどれほど◯◯を好きなのかを読者に伝える書き方をするのも手だよ、という感じです。
そういうこと、日常でもあるでしょ。もともと興味なかったけど何かを切っ掛けに興味持ち始めたってこと。
Youtubeでゲーム実況とかなんとなしに見てたら、興味まったくないけど楽しそうにしてるんで自分もしたくなった、とか。
「楽しさが伝わってくる」から自分もしたくなるんであってさ。
「読者が好む要素を書く」というのも大事だけど、「作者が好きなものを読者に伝える・その楽しさを伝える」というのも方法ですよ、という感じです。
読者の好みは年代や性別で一応の傾向はあるけど、詳しくは千差万別で、ピンポイントで刺さることは少ない。それに、難しいことに「好きだからこそコレは納得できない」って事もあったりする。恋愛モノは好きだけどラブコメは嫌いとか。まさに「個人の面白い」の話ですよね。
でも、「作者の好きなものを伝える」というのは相手を選ばないですから。だからそういう「個人の面白い」のデータを気にかけてる様子のスレ主さんには、データに振り回される必要のない方法かなと思いました。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 24)
投稿日時:
旅行は今のご時世、ちょっと厳しいかもしれませんね……
カメラは資金が不足していますが、スマホのカメラでも出来そうならやってみようかなとは思います。
異世界転生することの、読者視点での旨味以外、ドンデン返しに繋げた作品は見ますし、そういうことなのかもしれません。
読者に合わせた料理ではなく、シェフの気まぐれメニューで勝負しろって感じですかね。この食材、実はこういう料理の仕方があって美味しいんですよと、客側が気づいていない美味しさを伝える……みたいな?
たしかに大勢の読者の面白いと感じる要素を分析して、そこから良さげな設定や展開構成の塩梅を見つけ出すやり方よりも、性に合ってそうな気はします!
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 15)
投稿日時:
どうも一読者の感想に振り回され過ぎな不安を感じます。感想は活かすべきであって、振り回されないよう気を付けるべきものです。以下、少し説明してみます。
1.感想は刹那的な気分を表した創作物
「感想」といっても、一読者が読んだ気分を表現した文字通りの「感想」、一定の客観性や読者層を想定しての「評論/論評/評価」、より優れた書き方を想定しての「指導」みたなものとか、いろいろなタイプがあります。
「面白いと感じるところがない」というのは一読者が読んだ気分でしょう。「序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎ」は評価、さらに指導的なニュアンスを感じます。
しかし、おそらくは全部が「一読者が読んだ気分」です(さらに言えば、「その時の気分」で、別のタイミングで読んでいたら、たいてい別の感想が出てくる)。仮に「小説とはこう書くものだから」みたいな説明が付されていても、気分に説得力持たせようと、それっぽく語るためだけのレトリックに過ぎません。
2.読者は場当たり的な気分しか言わない
なんでかと申せば、読んだ小説を具体的に改善するように感想を書くのは大変すぎるから。小説を読み進めて、ある時点での気分を語るのは簡単です。例えば、主人公がヒロインのピンチに駆けつけ、敵を前に決め台詞吐いたときにスカッとしたら、「ここでスカッとした」と言えばいいだけです。
逆にその決め台詞が浮いているように感じたら、「この台詞は奇妙な感じ」とか言えばいい。しかし感想人(読者)としては、作者に自分の気持ちが響いて欲しいわけです。「あ、そう」くらいに思われたくない。なにせ、きちんと読んで、その気持ちを文章に表して伝えたいわけですからね。感想もある意味、創作物です。
しかし、どう取り繕おうと、その決め台詞一点に絞って言うしかありません。その決め台詞を読んだ時に生じた気分がどうしてそうなのかを、その台詞のみに託します。でも決め台詞って、決め台詞が出てきて然るべきなように前段で準備し、後段でフォローしないといけません。言葉を変えれば、決め台詞が具体的にどんな台詞なのかは、あまり重要でなかったりします。
3.読者は作品を分析して物申してはくれない
しかし読者は「こういう台詞のほうがよくないか?」といった感想を残しがちです。前段と後段の分析までやるのは大変だから。台詞前のこの時点でこういう気分が生じ、主人公の到着がこのタイミングだとこういう気分、少し遅めるとこう、みたいな全体を通してのシミュレーションまではやってくれません。
なぜなら、そんなことを試みるのは作品全体を構想するのと同じ手間がかかるから。むしろ、もっと手間暇が必要かもしれません。作者がどうしようとしてこうなっているか、などの分析も込みとなるからです。そんなことは到底できませんから、読者は感想で気分を言うしかないし、いかに(見せかけの)理論武装しても文脈無視の刹那的な「こうすれば」しか言わないわけです。
ですので、読者の言う通りに作品をいじると、たいてい作品が歪んでおかしくなります。いかに読者の感想がそれらしく感じても、です。読者感想がその読者の創作理論に基づくとしても、作品に適合することは稀でしょう。木を見て森を見ず、ですから。
4.しかし作者としては読者の気分こそ最も聞きたい
しかし、だから読者の言うことなんか放っておけ、というのももったいない。我々小説志望者がなんで小説書くのに拘ってるかって、気分を伝えたいからです。決して、知識の切り売りとか、世相の解説じゃないですよね。キャラ(特に主人公)がドラマを通じてどう感じたかを、読者にも追体験して欲しいわけです。つまり感動して欲しい。
ですので、読者の感じた気分は大事です。問題は我々作者が読者の言をそのままに受け取ることに問題があります。たとえ「序盤のインパクトに欠ける」と言われても、ではもっと刺激的にしよう、と考えるなら安易です。問題は本当に序盤のインパクトなのか、その読者表現はどんな気分を反映したものなのか等々を考えるのが、我々作者の仕事です。
5.読者に生じた気分を分析するのは作者の仕事
読者の感想を読者の気分のエッセンスまで煮詰めてみて、作者が読者の読んだ気分をシミュレーション/追体験して、問題の所在を考える必要があります。そうしてみた結果、感想を切り捨てることもあり得るでしょう。例えば、ターゲットとして想定した読者ではない、とかよくあることです。
逆に「こういう人に読んでほしくて書いた作品なのに、『世界観設定を語りすぎ』と不満を漏らされた」となれば、改善を考えるべきとなります。世界観設定を語りすぎなのかどうか、というところからですね。よくあることですが、世界観設定を必要不可欠にしか語ってないけど、一か所にまとめ過ぎたとか、対応すべきキャラのドラマが連動してないとか、原因はいろいろです。
6.読者は赤の他人、過剰な期待は禁物
読者は読者であり、会社の上司でも学校の先生でもありません。赤の他人で、自分の作品に興味を示してくれた人です。その読者からすれば、我々作者は赤の他人です。ですので、その読者の感想は活かすべきであって、振り回されるべきではありません。
そう申したうえで「酷評」について申せば、ありがたく受けておいたほうがいい、となります。「酷評」って、表現自体も荒れていることがあるわけですが、怒ってるから仕方ないんです。せっかく読んだのにつまらなかったら不快なのは当然です。読んでそういう気分になったんだな、と受け取っておけばいいでしょう。それはそれで示唆になるものがあります。怒りの気分に接すると怒りたくなりますが、こらえるべきです。
(もちろん例外はあって、例えば明らかに読んでないと分かるケース。ひどい場合には定型文で他作品にも同じ感想投下している、いわゆる荒らし行為もよく見ます。上記はあくまでも、こちらの作品を読んでくれている場合についてです。)
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 17)
投稿日時:
手塚満さん、回答ありがとうございます!
仰る通り、めちゃくちゃ振り回されているんですよねー。読者の生の声というのは非常に有難いのですが、一個人という立場である以上、その人が全て正義ってわけでもなく。5で語られた「切り捨てること」をどこまでするべきなのかなーと、ウワーグワーと喘いでいる感じです。
問題の所在はある程度分かっているような、無いような。というのも、自分がその作品を書く上で新人賞を受賞された方の作品を参考にしていた、それら作品群の設定の分量やタイミングなどを真似ているんですよね。なので世界観説明の過剰だったり、序盤の構成に関しては、真似した技法が間違っているのか……!?となっているわけです。
もちろん、プロだから正しい!とか、完璧に真似れている!とか、自分のやり方を過剰に信じているわけでもないですし、技法の使い方が間違っている可能性もあります。そういった自分のやり方をどこまで否定(悪い意味ではなく、スクラップ&ビルド的な意味合いで)すればいいのか……で悩んでいるのです。
その一例だけで判断できるものじゃない、というのは百も承知なのですが、自分の中で疑念が生まれてしまうと、どこまで信じればいいのかが分からなくなってくるってやつです。
ただここで、5で語られた内容の「ターゲットとして想定した読者ではない」の可能性を、今はちょっと感じ始めているところでもあります。
その方は、なろう系に対してアンチな立場らしく、よくある名称を嫌う傾向がありました。逆に私は意図的に読者の理解がスムーズになるようにと、ある程度共通認識ができている言葉で世界観を作ろうとしていました。さらに言えば序盤のインパクトは、なろう系によくある展開を逆に利用したシーンだったので、そもそもなろう系に対する前知識が苦手意識だけの方が読んでもパッとしないのかな?と……。
そう考えると、活かす部分と、活かさなくていい部分は私の判断で決めちゃってもいいのかもしれません……。
……あー、でも
>対応すべきキャラのドラマが連動してない
は、ちょっと心当たりあるかもです。
って……、自作を投下していないのに言われてもピンとこないですよね、申し訳ないです! ただ少しヒントをいただきました! ありがとうございます!
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 23)
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こんにちは
三次までいったことおめでとうございます!
SNSで出会った方の感想は遊びとまでは言いませんが、私なら選評に書かれていることがすべてです。3次で落ちたその作品を仮に担当編集さんの指導でプロ水準まで引き上げたとしても、ほぼ売れないと判断された可能性が高いです。
それが売れない理由として、
「面白いと感じるところがない。序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎ」といった感想がついたのではないかと私なら考えます。
感想に書かれている項目を修正すればその方や一定数の読者にはウケるかもしれませんが、この感想程度のことなら受賞した後や、なんなら今から改稿してもいくらでも修正可能ですよね。
そもそもの話として3次で売れないと判断された理由は他にあるはずです。
おそらくその方は売る側の立場の人間ではありません。
新人賞から販売までやっていて経験者の声となってくるのが選評なので、どこが良くてどこがダメと判断された、修正するためには作品全体をいちから作り直した方がはやいと思うようなこともそれとなく書いてあるはずです。
何かの参考になれば幸いです。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 25)
投稿日時:
tさん、回答ありがとうございます!
選評では「面白いと感じるところがない。序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎ」という感じのことや、売れなさそうということは書かれておらず、むしろ序盤のインパクトやストーリー展開のテンポの良さは評価されていたので……SNSで言われたことと相反することで、どこまでSNSで受けた酷評を真に受けたらいいのかなって感じなのです!(伝わっていないようで申し訳ないです)
落ちた理由が全体的に作品が荒削りだったことでした……あ、落ちた作品を手直しするようなことはしませんよ。ただ自分の作品のダメだったところを洗いざらい出しておかないと、ダメな作品を書いた意味がないなー、と出来る限り殴ってもらえるところに置いている感じです()
良いところはそのまま維持すればいいだけですし、悪かったところを潰すほうが今は伸びやすいのかな、と考えているので……!
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 26)
投稿日時:
「すぐブラバしました」と言う意見はあまり受け止められません。最初から読む気がないと言う受け取り方をします。僕のリアルの知り合いが「全くストーリーの意味がわからず1話の途中でやめた」と言ったのですが、僕は内心「いつそんな理解出来ない話をかいた!?最初からけなすつもりで読んでないのだろう!」と怒りを覚えてその人には見せたくありません。ネットで厳しい意見を受けた事は多々あり最初は受け取めるのが辛い意見もありますが、「きちんと、ある程度もしくは最後まで読んだ」上での感想でかつ指摘が的確であればどんなに辛辣でも時間をかけ受け止めます。多分。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信の返信 (No: 27)
投稿日時:
元々島の人さん、回答ありがとうございます!
指摘が的確であれば
⇒これを判断するのが非常に難しいんですよね……! 今回の場合、公募では評価されていた部分が、SNSでは悪いと言われたので……ただ最後どころか、半分も読まれていない状態でそう言われたので、公募のほうを信じようかなって気持ちにはなっています。評価されている箇所を改善だと言って変えてしまうと、悪い方向にいっちゃうので、それがどうだろうなーと感じているやつです。
皆さんは「自作の酷評」はどこまで受け止めていますか?の返信 (No: 28)
投稿日時:
こんにちは
売れないと直接書くと若い芽を摘むことになってしまいます(笑)、彼らはプロですから、そのような表現よりも具体的に課題を指摘する方が得意でしょう。
彼らがあなたの言うところの酷評が将来きそうだということに、メモを取りながらや赤ペンで添削しながら読んだりしている彼らが、気付かないわけがないので、この場合、選評に書ける文字数で他に優先すべき課題があることになります。
それか、他にも見つけた改善点を荒削りと一言にまとめた可能性もあります。
またこうも考えられます。
SNSで酷評された箇所は手直しといった短所より、魅力の方が上回っているので長所として褒めよう。手直しする時は、
序盤のインパクトやストーリー展開のテンポの良さは残しつつ。
面白いと感じるところがない。序盤のインパクトに欠けるし、ストーリー展開が遅く、世界観設定を語りすぎないようになるまで、何カ月も改稿させればいい。
選評と酷評で矛盾しているように思えるかもしれませんが、一部の人は答えを取ってくる方法を知っているだけかもしれませんし、仮にできなくても、これを修正するために何百時間も費やせばそれなりになるだろうと考えれば、それだけ時間をかければできないこともない気がしますね。
選評ではもっと本質的な部分が書いてありませんでしたか。キャッチーな要素が……とか。中高生に刺さる要素が……とか。読者を楽しませる仕掛けが不足している……とか。荒削りと受け止められた理由が何個か書いてあると思うのですが、そういったところに考える時間を使った方が建設的だと思いますよ。
酷評された部分が上手く書けることで次の審査に進めるなら選評にそう書いてあるはずです、彼らが読みながら気付かないわけがないので……、新人賞に送られてきた箸にも棒にもかからない作品から、受賞作まで、今書店で流行ってる本も知り尽くしています。
もっと深いところまであなたの作品を分析していてそれが選評で語られているはずです。あなたが言うところの酷評の方は後でどうとでもなる問題のように思います。
これがどちらを信じるかの話だとするなら、SNSは課題を教えてくれたありがたいことで小さな箱、私なら選評に書かれている大きな箱について考え続けます。
三次までいける実力があるということは武器となる素晴らしい個性があります、応援しています。