小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:全体を見通した上でのシーンの意味の返信

詳細な解説ありがとうございます。
女性の存在を繰り返し意識しながらのモノローグという方法もあったかと思います。

ドラマトゥルギーについては、参考までに次の文章をご覧ください。
https://www.johnan.jp/soukei/pdf/2018/waseda_seikei_kokugo_01.pdf
 古典的な5幕構成(悲劇)の順序が説明されています。
1、AとBの対立の事情
2、対立を通してAの力が強くなる
3、AとBの決定的対立
4、Bに敗れたAの力が弱まる
5、終結=調和
もし、伝説を観客が知っていたのであれば、「ひねり」は感じられないでしょう。
むしろ、観客の興味を引き付ける「劇的なもの」は、運命の反転を招いたものです。
そこでソフォクレスが選んだ「1」は「神をも畏れぬ傲慢」、つまり「人と神の対立」だったのではないかと思います。実際、「オイディプスが犯人だ」と告げる盲目の預言者テイレシアスは「第1エペソディオン」で登場していますから。
余談ですが、平田オリザなども……。
「仮名手本忠臣蔵」で最も重要なのは「大評定」の場だといいます。これは「バカな殿様のせいで家臣たちが右往左往する話」だからです。
「ロミオとジュリエット」なら、「2人が出会ってしまった」ことが最も重要ということになります。「無鉄砲な子供が大人たちを振り回した挙句、2~3日で死んでしまう」話なのですから。

 ではなぜ、「忠臣蔵」は「松の廊下」が先に来るのか。
 それはまさに、日本の伝統的な「絵巻物的方法」によるといえるでしょう。ひとつひとつの出来事が、独立した事件なのです。
 それでも全体を通してみれば、「大評定」での対立が吉良邸討ち入りまでの事件を動かしているという点で、「ドラマトゥルギー」が働いているとみることができます。

上記の回答(全体を見通した上でのシーンの意味の返信の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

ひねりと書いたのは結末までストレートに進展しないという意味です。観客が先を知っているかどうかは関係ありません。
そういう意味で前の書き込みに、「犯人を捜す者自身が犯人だったと分かる意外性」と書いたのは、「意外性」という言葉は適当ではなかったかもなと後で少し思いました。なので、「ひねり」または、「皮肉な展開」。

なお、意外性についても、「先を知っていても意外な展開が効果を持つ奇妙な読者(観客)心理」について、先の書き込みで触れました。
ここにくると、さすがに私の個人的な持論にすぎないかもしれませんが……
名作は結末を知っていても何度も読み返せるのは、どうしてなのでしょうか?

ここんとこ、創作者が「器用に作品をまとめあげられる」レベルから抜けられるヒントが含まれているような気がします。

5幕構成については、これから出かけるところなので、帰ってから考えてみます。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

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元記事:全体を見通した上でのシーンの意味の返信の返信

ひねりと書いたのは結末までストレートに進展しないという意味です。観客が先を知っているかどうかは関係ありません。
そういう意味で前の書き込みに、「犯人を捜す者自身が犯人だったと分かる意外性」と書いたのは、「意外性」という言葉は適当ではなかったかもなと後で少し思いました。なので、「ひねり」または、「皮肉な展開」。

なお、意外性についても、「先を知っていても意外な展開が効果を持つ奇妙な読者(観客)心理」について、先の書き込みで触れました。
ここにくると、さすがに私の個人的な持論にすぎないかもしれませんが……
名作は結末を知っていても何度も読み返せるのは、どうしてなのでしょうか?

ここんとこ、創作者が「器用に作品をまとめあげられる」レベルから抜けられるヒントが含まれているような気がします。

5幕構成については、これから出かけるところなので、帰ってから考えてみます。

上記の回答(全体を見通した上でのシーンの意味の返信の返信の返信)

スレ主 兵藤晴佳 : 1 投稿日時:

木下順二は、ドラマトゥルギーを支えるものとして「2つの力がなぜ対立するのか」を問題にしています。さらに、その対立の根源的な理由は現実の中にあるといいます。優れた創り手は、それが変化をもたらす対立であることを受け手に示すということです。
そこまで行くと、もう創り手の世界観(思想)の問題になってきます。書いたものには作者のものの考え方が現れてしまうわけですね。恐ろしいことです。

その一歩手前のところでいえば、劇的な対立は変化を起こし続けるということになります。逆に言えば、書き手はそのために、次々に対立と危機のレベルを上げていかなければなりません。それが「ひねり」だといえばそうでしょう。登場人物にとって予想外の「危機」です。
こう考えると、「器用に作品をまとめあげる」ことは、対立と変化の関係の語り方によるといえそうです。

名作が何度も読み返すに足るのは、ここにとどまらないからでしょう。やはり、それは書き手がいかに現実と向き合うかというところにかかってくるのではないかと思います。作品中にあらわれた「対立の構図」に、読者が「ああ、そういうことってあるよな」と思えることが、読み返しを誘う本当の感動となるのでしょう。

ただし。
作品が読者の間口に合わないと、どんな傑作でも埋もれてしまうものです。
就学前児童に古典落語は理解できません。
ナチスから解放されたパリで観客を大爆笑させたベケットの『ゴドーを待ちながら』を、戦火の「せ」の字もしらないフロリダのマイアミビーチで上演したところ、幕が降りた劇場に残っていたのは、劇団関係者とテネシー・ウィリアムズ(と、ワイルダーだったかな?)だけだったそうです。
満を持した作品が受けなかったときは、これを思い出して自分を慰めるしかないですね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

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元記事:問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

https://www.raitonoveru.jp/cms2/2019/11/30/46153/
 「冒頭で主人公が焦っている傾向」が挙げられていますが、これは大昔からそうなっているので、決して珍しいことではありません。
 そもそも、「自己紹介パート」という概念があること自体が不自然なことだったのではないかと思いますが……。

 紀元前427年頃にソフォクレスが書いた『オイディプス王』では、主人公のオイディプスがテーバイを襲う天変地異に冒頭から焦っています。
 ここで長い長いセリフのやりとりによって語られるのは、事件の背景です。
 大事件を最初に起こしておけば、それを解決しようとして登場人物たちが動き出すのは当然のことです。その葛藤によるセリフのやりとりを通して「時・所・人」の情報を提示するのは、「自己紹介パート」の設定より効率的ではないかと思います。

 では、なぜ今まで、そんな当たり前のことが当たり前ではなかったのでしょうか?
 かくいう私もラ研の企画で「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」方法を酷評されたことがありましたので……。
 
 言われた通り2~3本書き直しましたけど、いやほんと、キャラと背景の説明してから事件を示すのは、まどろっこしくていけません。書き直すんじゃなかったと後悔してます。

上記の回答(問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

>名作が何度も読み返すに足るのは、ここにとどまらないからでしょう。やはり、それは書き手がいかに現実と向き合うかというところにかかってくるのではないかと思います。作品中にあらわれた「対立の構図」に、読者が「ああ、そういうことってあるよな」と思えることが、読み返しを誘う本当の感動となるのでしょう。

そのへんは兵藤さんと私では考え方が違うのかもしれません。
私は物語には「型」があって、人間の脳が条件反射的にそれに反応するのだと考えているんですよ。

小説ってすべからく作り話ですよね? まあ、私小説というのもあるし、それでなくても純文学寄りの作者は虚構の真実性みたいなことをいいますけど。「事実ではないが、真実ではある」とかね。

それはそれでいいのですが、私的にはもっと不思議に思っていることがあります。それは、物語性の豊かな、読者をハラハラドキドキさせるタイプのストーリー
何が不思議かというと、そういう作品の読者って作り話だって分かりきっている物語を読んで、どうしてハラハラドキドキするのでしょうか? (ハラハラドキドキすることを否定しているわけではなく、そういう物語の力に驚いているんです)

何年か前に読んだ本に、純文学系の研究者がラノベに興味を持ち、それについての研究成果をラノベ形式で書いてみたというのがあったんですね。主人公は若い芥川龍之介の研究者なのですが、ある女の子がラノベを読みながらうっすら涙を浮かべている姿に強い印象をうけます。で、「芥川龍之介を読んで泣いている読者を見たことがない」と思い、読者を泣かせる力を持つラノベって何なんだろうと。

「現実と向き合っている」文学者や批評家なら、もしかしたらその種の心の動きを「感動ではなく感傷に過ぎない」と軽蔑するかもしれませんけどね。
しかし私は、そういう素朴な涙にも人間の本質が表れているんじゃないかと思います。まだ文明がなく、裸で洞窟に住んでいた、知恵のある動物の一種でしかなかった人間。自然に対する畏れ、獲物を狩ることに成功して今日は飢えなくてすむという安堵感。山の端にのぼる曙の美しさ。火をおこして暖をとり、食物を口にしやすく変えることもできることを発見した驚き。
そういうプリミティブな感動の数々が人間の心のどこかに刷り込まれていて、それを言葉によって語り継ごうとしたのが物語の原型なんじゃないかと思うんです。

蛇が怖いのは、毒をもつ種類がいるから。しかし蛇の写真や絵を見ても気持ち悪いのは、理性を超えて人間の防衛本能が刺激されるからなんじゃないですか?
ゴキブリというのはたいして害はない生き物ですが、ひどく気持ち悪いのはたぶん異質感です。異質なものには未知なる危険が潜んでいるかもしれないという、これも本能的な防衛意識なのだろうと考えられます。
文明化された人間の心の奥底にもそういう原初の本能は生きていて、作り話だと分かっている物語に反応してしまうという読者心理につながっているのだと。

創作されたコンテンツによる感動とは、何らかの形でそういう人間の原始的な深層心理を揺さぶるすべを発見した創作者によって作るられるのだと私は思います。

まあ。
純文学系の小説家は「現実に真摯に向かい合う」ことによって、そういう人間の心の深淵に辿り着くのかもしれません。そういう人って真摯に向かい合いすぎて自殺したりしますけどね。
でも私みたいなヘナチョコは自殺なんてしたくないですから、一つの技術と割り切って読者心理の誘導術を探ります。

なので。

私は物語には「型」があって、人間の脳が条件反射的にそれに反応するのだと考えているんですよ。

という乾いた思考でアプローチしようとしているわけです。

対立の構図。
そうですね。それは心理操作のテクニックと割り切ってしまえば、もっともっと精緻にできます。プラグマティックなヤンキーはそのへんを割り切るのが得意みたいで、ハリウッド式なんてなかなかイイ線行ってますぜ、旦那さん。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

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元記事:問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信

>名作が何度も読み返すに足るのは、ここにとどまらないからでしょう。やはり、それは書き手がいかに現実と向き合うかというところにかかってくるのではないかと思います。作品中にあらわれた「対立の構図」に、読者が「ああ、そういうことってあるよな」と思えることが、読み返しを誘う本当の感動となるのでしょう。

そのへんは兵藤さんと私では考え方が違うのかもしれません。
私は物語には「型」があって、人間の脳が条件反射的にそれに反応するのだと考えているんですよ。

小説ってすべからく作り話ですよね? まあ、私小説というのもあるし、それでなくても純文学寄りの作者は虚構の真実性みたいなことをいいますけど。「事実ではないが、真実ではある」とかね。

それはそれでいいのですが、私的にはもっと不思議に思っていることがあります。それは、物語性の豊かな、読者をハラハラドキドキさせるタイプのストーリー
何が不思議かというと、そういう作品の読者って作り話だって分かりきっている物語を読んで、どうしてハラハラドキドキするのでしょうか? (ハラハラドキドキすることを否定しているわけではなく、そういう物語の力に驚いているんです)

何年か前に読んだ本に、純文学系の研究者がラノベに興味を持ち、それについての研究成果をラノベ形式で書いてみたというのがあったんですね。主人公は若い芥川龍之介の研究者なのですが、ある女の子がラノベを読みながらうっすら涙を浮かべている姿に強い印象をうけます。で、「芥川龍之介を読んで泣いている読者を見たことがない」と思い、読者を泣かせる力を持つラノベって何なんだろうと。

「現実と向き合っている」文学者や批評家なら、もしかしたらその種の心の動きを「感動ではなく感傷に過ぎない」と軽蔑するかもしれませんけどね。
しかし私は、そういう素朴な涙にも人間の本質が表れているんじゃないかと思います。まだ文明がなく、裸で洞窟に住んでいた、知恵のある動物の一種でしかなかった人間。自然に対する畏れ、獲物を狩ることに成功して今日は飢えなくてすむという安堵感。山の端にのぼる曙の美しさ。火をおこして暖をとり、食物を口にしやすく変えることもできることを発見した驚き。
そういうプリミティブな感動の数々が人間の心のどこかに刷り込まれていて、それを言葉によって語り継ごうとしたのが物語の原型なんじゃないかと思うんです。

蛇が怖いのは、毒をもつ種類がいるから。しかし蛇の写真や絵を見ても気持ち悪いのは、理性を超えて人間の防衛本能が刺激されるからなんじゃないですか?
ゴキブリというのはたいして害はない生き物ですが、ひどく気持ち悪いのはたぶん異質感です。異質なものには未知なる危険が潜んでいるかもしれないという、これも本能的な防衛意識なのだろうと考えられます。
文明化された人間の心の奥底にもそういう原初の本能は生きていて、作り話だと分かっている物語に反応してしまうという読者心理につながっているのだと。

創作されたコンテンツによる感動とは、何らかの形でそういう人間の原始的な深層心理を揺さぶるすべを発見した創作者によって作るられるのだと私は思います。

まあ。
純文学系の小説家は「現実に真摯に向かい合う」ことによって、そういう人間の心の深淵に辿り着くのかもしれません。そういう人って真摯に向かい合いすぎて自殺したりしますけどね。
でも私みたいなヘナチョコは自殺なんてしたくないですから、一つの技術と割り切って読者心理の誘導術を探ります。

なので。

私は物語には「型」があって、人間の脳が条件反射的にそれに反応するのだと考えているんですよ。

という乾いた思考でアプローチしようとしているわけです。

対立の構図。
そうですね。それは心理操作のテクニックと割り切ってしまえば、もっともっと精緻にできます。プラグマティックなヤンキーはそのへんを割り切るのが得意みたいで、ハリウッド式なんてなかなかイイ線行ってますぜ、旦那さん。

上記の回答(リンク先について)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

さて。
リンク先、読んできました。

まずドラマツルギーという言葉の意味については、私は劇作術でいいと思いますけどね。技術を軽視してはいけないと思います。

次に。
日本における文学や演劇の理解が浅いという話をしたいのなら、それは明治日本の近代化という問題ですよ。
近代って言ったって、それは西洋の近代なんですから。日本には日本の精神文化史があったところに、わりと強引に西洋流を持ち込もうとしたんです。19世紀ヨーロッパの芸術思潮はロマン主義全盛ですが、明治時代は19世紀も後半なのであっちではロマン主義はやや通俗的なんじゃないかとか言い出して自然主義が勃興。日本近代文学はそこらへんを移植したので、自然主義が至高と思われてやや極端な形でもてはやされた時期もあります。でもって日本独特の「私小説」がガラパゴス的に席巻していったんです。そりゃもうね、小説には0.1ミリも嘘を書いてはいけないという思想ですが、そんなことできるわけないじゃんという。

もどってヨーロッパ19世紀のロマン主義の本質は、ものすごく簡単に言い切れば「自我に目覚めよ」。これです。
18世紀の終わりころにフランス革命というのがあって、宗教もからんだ伝統的世界観が崩壊。個人の価値を尊重する思想がむちゃくちゃ重視されて、それが芸術や文学に強い影響を与えたんです。音楽なら革命から生まれたナポレオンを絶賛して英雄交響曲を作曲し、皇帝になったナポレオンを嫌悪して自曲の表紙を引き裂いたというベートーベン。ベートーベン自身は古典派と呼ばれますが、シューベルトやブラームスなどロマン派の巨匠たちがベト氏をめちゃくちゃ尊敬しています。
文学ならスタンダール・ドストエフスキーとか。ドストエフスキー『罪と罰』の主人公はナポレオンに憧れて殺人を犯し、神と個人の自我という問題に苦しむんですね。哲学者ニーチェは「神は死せり。されば我々は超人の出現を望む」と書きました。
19世紀の西洋人は神を殺してしまったのですが、神のいない世界では「自己責任」が重要になるんですね。そういう精神的葛藤の中で生み出された「近代文学」を、明治の日本人は蒸気機関とかと同じような感覚で「なんか分からないけど、すげえ」という感じで移植したんです。

次。演劇ね。

演劇が小説と違うのは、当たり前ですけど「劇場」という現実空間があることです。そこには役者がいて、観客もいます。脚本家の書くシナリオは小説にわりと近いものですが、劇場空間における役者と観客の一体感は独特なものです。つまりライブ感覚。今ならロック・コンサートなんかの方が近いかもしれません。
そういう意味では日本の能や歌舞伎だって同じだと思うんですね。能や歌舞伎にないものは、西洋流の「個人主義」。それと精緻をきわめる劇作術。
だから、ドラマツルギーは劇作術でいいと思うんですよ。それこそが日本の伝統にはなかったきわめて高度な技術です。

ゆえに。

ドラマツルギーを劇作術と解釈するのは理解が浅いという人は、理解が浅いんじゃないかと私なんかは思ったりします(笑

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?

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元記事:全く書けなくなりました。

こんばんは、
前話を投稿してから1ヶ月が経ちました。
合宿、試合、試験、卒業、競輪学校、デビュー戦とあるのですが書けなくなりました。思い付いた事はメモしてありますが使えそうなネタにはなりません。
あと少しなので助けてください。
よろしくお願いします。

上記の回答(全く書けなくなりました。の返信)

投稿者 t : 0 投稿日時:

こんばんは。合宿に行く前と行った後の心境の変化に注目します。
合宿所(?)の扉を開けて入る瞬間と、全日程を完了し合宿所の扉を開けて出ていく瞬間の、心境の違いをまず! 書きます。
例えば、
合宿所の扉を開けて入る瞬間→→(この合宿で肉をいっぱい食べるぞ)
全日程を終えて合宿所を去る→→(やっぱり野菜も食べないとだめだ)

↑の例では、合宿がはじまる前と合宿が終わった後で、主人公の考え方に変化が生まれています。では、合宿中にどんなイベントがあったのか、考え方が変化するだけの理由を考えて、それをメインに話を書いてみます。

合宿所に入るとき私は肉料理を食べて体を一回り大きくするつもりだったが、食事中に悪役令嬢から嫌がらせを受けたのがきっかけで彼女と練習試合をすることになった、惨敗してしまった。一晩考え抜いたがこれからは悪役令嬢を見習い、野菜も食べることにした。終わり。

以上のように、
合宿、試合、試験、卒業、競輪学校、デビュー戦で計6つの機会があります。
今は説明のため合宿に絞って話をしてみました。
合宿、試合、試験、卒業、競輪学校、デビュー戦で、それを行う前と後で主人公には何かしらの考え方の変化があるはずです。その変化を6つの機会で丁寧に拾っていくと話が長くなってしまい、ラストにはあまりふさわしくありません。

合宿、試合、試験と卒業、競輪学校、デビュー戦の2つに分けてまとめます。合宿の建物に入る前と試験が終わって建物からでるとき。卒業式が行われる建物に入るときとデビュー戦を終えて建物から出るとき。
”何があって考え方が変わったか”、その原因をメインに話を書き、結末は建物から出るときの心境で話を締めくくるようにしてみるといいのではないでしょうか。

これらはあくまでも提案であり強制するつもりも、それをしなかったといって批難するつもりもありません。また、これよりも優れた書き方があることを忘れないようにしてください。何かのお役にたてば幸いです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 全く書けなくなりました。

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元記事:設定を作るうえでおすすめの本(主に科学技術)

 設定を作るうえで役立ちそう、役立った本を教えていただけると嬉しいです。サイトでもいいです。特に科学技術や工業機械(?)の歴史についてです。
 例えば、リボルバーというのはたしか19世紀に発明されたものだった思うのですが、それが単に思いつきにくい技術だから、それまで作り出されなかったのか、それとも材料がなかったのか、それとも材料の加工方法がなかったからなのか、というようにある道具が出来るまで、出来れば量産できるために、どのような材料、技術、加工の条件が必要であるかという知識が欲しいです。フィクションと絡めると、ある道具が登場した際、そのフィクション世界を現実のこの世界基準で考えるかぎり、その世界ではどのような道具や技術が存在可能になってしまうか、ということを考えるための知識です。
 多分それぞれの専門分野に散らばっていると思いますので、こういう機械技術を知ることが出来る情報が載っているならジャンルは何でもいいですので(やさしいのが好きです)、なんでも気楽に教えてくださいませ。

上記の回答(設定を作るうえでおすすめの本(主に科学技術)の返信)

投稿者 サタン : 2

>ある道具が登場した際、そのフィクション世界を現実のこの世界基準で考えるかぎり、その世界ではどのような道具や技術が存在可能になってしまうか、ということを考えるための知識です。
つまり道具に対する知識だけでなく理解も必要となってしまうので、各々の分野の専門書を読むしかないと思います。
リボルバーを例にしているけど、このように知りたいことだけピンポイントで書いてある、という本は少ないでしょう。
そんな内容じゃ、その本は単なる雑学本としてしか用をなさないためです。
長ったらしく堅苦しいネタに使えそうもない専門的な技術書などを読んでくなかで、一行二行、リボルバーについて書いてある、という感じです。

そもそも「現実基準で考える」と、ほぼ現実と変わらない世界観になるので、あんまり意味ないような気がします。
銃がある以上は火薬があるわけですが、最初期の銃は中国の火槍という武器で、飛び道具というよりでかい音で威嚇するのがメインの武器でした。
例えば剣と魔法のファンタジー世界に銃があるとしたら、そもそもこの火槍(ないし火薬)の役割は魔法で補えるので、火薬が登場することさえない。火薬の代わりに魔法や魔道具を使ってると設定すると、今度は「形が銃に似てるだけ」の別物なので、「現実」とは加工の行程も変わってくる。魔法なら火皿もいらないわけだし。
現実を参考にするならともかく、その知識を使いすぎれば現実と同じ世界感しか生まれず、無理に変えれば歯車が噛み合わない箇所が出てくるので、「現実的にしよう」とか「リアリティある設定を」と思うほど、現実的ではない結果になります。
魔法も神秘もない世界観だと言う場合、科学よりむしろ歴史書のほうが良い参考になるでしょう。

そのうえで、何らかのネタになりそうな雑学が欲しい、という本でオススメなのは、コンビニの単行本コーナーに置いてある500円くらいの本です。
あれは安いし、専門書と比べると一般人を対象にしてるのでやさしく書いてあるし、目立った面白そうなネタを全面に出して購買意欲を刺激してくる構成なので、ネタとして使えそうな話題がすぐ見つかる。
代わりに、細かいことは書いてないうえぶっちゃけ信頼性が低い内容なので、利用するならコレと決めた話題は別途調べる必要があります。
十数年前に買った、「世界の拷問」とか「組織の雑学」みたいなのは未だに資料として使ってる。「拷問辞典」なんて無いし、軽い刑罰から重い拷問まで載ってるので、すごい役立つ。
ただ、コンビニの入荷はオーナーの発注によるので、場所によっては扱ってなかったりもするし、いつどこでどんな本が手に入るかもわからんため、役立つのが買えるかどうかは完全な運だったりもする。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 設定を作るうえでおすすめの本(主に科学技術)

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投稿日時:

元記事:主人公側のキャラクターやストーリーが思いつかない

異能力系の小説を構想中です。そこで、悪役キャラ等のアイデアは出てくるのですが、それに対立する肝心の主人公やその周辺人物がまったく思いつきません。思いついたとしても薄っぺらな感じがします…。
キャラは後にしてストーリーを考えようとするとそれもなんだか悪役を立たせるようなストーリーばかりになってしまいます。
主人公が決まらないとプロットや物語の大筋も決まらないので困っています。

上記の回答(主人公側のキャラクターやストーリーが思いつかないの返信)

投稿者 とある書籍化作家 : 2

こんばんわ。

悪役を考えるのは楽しいし、多くの場合は主人公を作るよりも簡単です。
なぜなら悪は倫理的でなくていいし、正気である必要もないからです。
たとえばエイリアンのように、本能のおもむくままの悪役でも構わないのです。

ゆえにはっきり言いますが、主人公を作れないのは致命的です。
薄っぺらい気がするなら、それがなくなるまで考えましょう。
たとえばハンニバルやスターウォーズなど悪役が評価されてる作品は数多くあります。
そこから徹底的に主人公を学ぶしかありません。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公側のキャラクターやストーリーが思いつかない

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投稿日時:

元記事:「つらい思いをしている」のは本当に趣味のせいなのか?

創作には直接関係ありませんが、皆さんの考えを聞かせてもらいたいと思います。

ネットのサブカル界隈を見ていると「オタクへの偏見のせいでモテない」とか「学生の時、みんなと好きなものが違ったから友達ができなかった」みたいなことを言っている人が少なくありません。
これが私の実感とどうも合わないんです。
(以下はあくまで私の実体験の範囲内の話になります)

少なくとも私自身や私の周囲にいる人達は、アニメや特撮のオタクであっても、みんなと同じドラマを観ていなかったりゲームをやっていなかったりしても、平均レベルのコミュ力や社会性、一般常識さえ持っていれば、普通に非オタクや陽キャを含めた人達との友達付き合いや恋愛が問題なくできていました。実際、私と付き合いのあるオタクはほとんどが結婚しています。
(だいたい「オタクは陰キャでコミュ障の非モテ」みたいなのも、そうか? と思いますし、それを言っているのがオタクだったら「自分がモテないのをオタク趣味のせいにするなよ」と思います)

たしかにみんなからバカにされたり、孤立したりしているオタクはいましたが、そうなる原因は、TPOをわきまえないとか、他者への配慮を欠いた言動、といった人間性の問題や、遊びや会話に誘われるのを待っているばかりで自分からは誘わない、他の人の好きなことに無関心、といった消極的な態度などであって、趣味とは無関係でした。

私の経験上、それまでに良好な関係さえ築けていれば、アニメ好きと打ち明ければ「へえ、どんな作品が好きなの?」くらいには話に乗ってもらえます。
みんながやっているゲームをやっていなくても「どんなゲームなの?」と聞けばそれをきっかけに会話に入れるし、「自分もやってみたい」と言えば、「じゃあ、うちで一緒にやろう」とか、それが漫画や雑誌なら「じゃあ、貸してあげるよ」と言ってくれる世話好きが一人はいるものです。

長々と書きましたが、短く言うと「趣味のせいでつらい思いをしているとか人生がうまくいかないとか言っている人のそれは、本当に趣味が原因なのか?」というのが私の疑問です。
近年、アニメ、漫画、ゲームをはじめとするオタクカルチャー全般に対する世間の評価が上がってきているにもかかわらず、サブカル界隈の雰囲気があまりに変化しないように見えて、「そもそもが本人の性格や人間性の問題であって、趣味とか関係なかったんじゃないか?」という疑問がわいてきたことから質問させてもらいました。

もっとも私は三十代前半でオタク差別が一番ひどかったとされる頃のことは覚えていません。もしかしたら私が知らないだけで「社交的で明るい性格からみんなの人気者だった人物が、オタクだと分かった途端に仲間外れにされたり、いじめられたりしだした」みたいなことがあったのかもしれません。
皆さんの体験や見聞きしたところはどうでしょうか。

上記の回答(「つらい思いをしている」のは本当に趣味のせいなのか?の返信)

投稿者 通りすがり : 1

性格だよ、性格。
たまたま趣味がアニメだっただけで他の趣味でも結果は一緒だと思う。
大体こーゆー人は自分の好き以外には排他的なんだよね。だから周りはうんざりして離れていくのよ。

カテゴリー : その他 スレッド: 「つらい思いをしている」のは本当に趣味のせいなのか?

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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