確かにそうですよね。
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キャッチフレーズの作り方と、「僕の異世界冒険記」二部作のテーマとは?の返信の返信の返信の返信の返信(元記事)
はい、初っ端のレスを無視された私がさらに横やりお邪魔しますよー
他の方ほど以前からのスレ主さんとのやりとりに参加していたわけではないのだけれど、ある程度は把握させてもらっています。
ようするに、処女作後編の構想が練れていないので「テーマ」「前提」を見つめ直そうと思ってこういう話題になってる、ってことでよろしいのではないのかな?(邪推だったら申し訳ないけれど、作品が完結していない以上そうとしか思えない)
その意味で「差別のみにこだわり過ぎるのは危険」と言っていたんですが。
ぶっちゃけ、完結を志すにはその思考はけっこう邪魔なんですよ。差別の主張だけしてるってつまり現状の自分をそのまま認めてくれって言ってるのと同じだから。
これは「自分の欠点=個性とみなしてそのまま作品に活かそう」としている人が特に陥りやすいのだけれど、作品を作っていく過程で中盤~終盤あたりからここに苦しみエターなる人がいくらか見受けられます。
何故なら、作品を完成させるためには克服しなくてはいけない自分の欠点があったりするから。そこを直さないままでいることを物語の中核に織り込んでしまうと、そこを否定しないと完成できない、完成してしまったものは個性のない凡作になってしまう……というところにジレンマを感じて膠着状態になってしまうので。
なので「成長して乗り越えることまで前提に入れて」後半を考えたほうがいいですよと私は言いたかったんですが。物語は取り掛かってみないと、自分のどこがどう成長するかもわからないものです。下手なこだわり休むに似たりといいます。完結させるためには最初に考えたテーマすら疑うのも一つの手段です。
何人かの方に「これ、主人公がアスペルガーでなくてもよくね?」と言われていたように思えますが、自分の置かれた状況に必死に取り組む主人公と、それを読者に伝えるために必死に執筆しようとする作者さんは、その状態の時はアスペルガーか否かというのはほぼどうでもよくなります。既に主人公のほうはほぼそういう状態になってきているように見受けられます。あとは作者さんがもう少し、その状態に近づければ、という感じを受けます(実際、やや読みづらいものの全くわからないわけではない内容なので)。
最後に、処女作はなろう受けするかどうか考えなくていいから完結を優先させましょう。特に持病での悩みが深い方は、そこを無理に隠さずに、むしろ思いっきり吐き出してから、次回作から読者受けを考えたほうがいいと思います。主人公達に幸せになってほしいのでしたらその路線で考えればいい。それだけだと思いますが。
確かにそうですよね。
スレ主 壱番合戦 仁 投稿日時: : 0
返信遅れてすみません!
予想以上に反響があったのでメッセージを書く余裕が無かったのです(もう、言い訳するの嫌;;)
>>ようするに、処女作後編の構想が練れていないので「テーマ」「前提」を見つめ直そうと思ってこういう話題になってる、ってことでよろしいのではないのかな?(邪推だったら申し訳ないけれど、作品が完結していない以上そうとしか思えない)
そういう側面もございます。
察して下さって嬉しいです!
あれからいろいろご意見を頂戴しまして、「異世界で人生を再スタートした主人公は冒険生活の中で新たな幸せを掴めるのか?」という所が物語の趣旨なんじゃないかと思いました。
だからテーマは「差別」というよりも、「リスタート」なのかもしれません。
そうなってくるとhexaさんがおっしゃるように、主人公がアスペルガー症候群っていう必要はそこまでないのかもしれませんね。
ああ、そうだ、思い出しました。
僕、これでも一応読者の読みたがるものって何だろうと考えていましてね。(hexaさんの意見がおかしいと書いているわけではないですよ!)
随分前に書きましたが、「いささか流行が過ぎた感のある異世界転移モノ」×「ニッチなニーズを突くことを期待できる全く新しいアスペルガー要素」×「トドメの沖縄文化」=ミラクルが起きるかも!?
・・・って感じです。
文部科学省のデータによると日本の学生の発達障害者の割合は、明確になっているだけでも一クラスにつき二人の割合だそうです。(グレーゾーン、未診断を含めればもっといます)
また日本の発達障害者の全人口は全日本国民の1/100(百分の一)ともいわれています。
ここからは完全に推測なのですが……、彼らは僕らと同じように等身大の自分のまま感情移入できる主人公を欲しているんじゃないかって思うんですよ。
僕なんかもそうです。
どんなにカッコイイリゼロやソードアートオンラインの主人公達などを見ていても、「すっげー!!」と思う反面、『でも自分はこんなスーパー定型発達ヒーローにはなれないよな』とどこか冷めた目で読んでいます。
例えば、SAOの場合で言うと、キリト君がデリカシーのない発言をしてアスナに睨まれたとします。
でも、感情の機微に疎い僕らにしてみれば何のことかサッパリワカラナイのです。
地の文で説明されてようやく「へー、そんなもんなのか・・・?」と首を傾げる程度で納得はできません。
また、人様の苦労に興味が無いor理解したいけれど気が付かないので、「他人様の苦労の為にさ、血反吐吐き散らしてよくもまあここまでするよな」と正直若干引いています。
それでもなお読み続けるのは、カッコイイからです。
完全にそれだけで読んでいます。
だから僕の場合は、一度読んだ巻はもう二度と読みません。
そうやって、のどに魚の小骨が引っかかったような気持ちのままライトノベルを読み進めていくうちに、「あれ?全国にこれだけ発達障害者がいるのに、こんなライトノベルばっかり流行ってしまっていては、発達障害を持った読者を置いてけ堀にしてしまうのでは?」と思いました。
そうしてこの作品の執筆を開始したのです。
きっと多くの人がこういった作品を必要とする日が来ると思います。
なろうユーザーにも少なからず発達障害者がいらっしゃると思いますので、出来ればこの作品で売れたいです。
カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: キャッチフレーズの作り方と、「僕の異世界冒険記」二部作のテーマとは?