物語作品の「何が駄目なのか」が読者視点で分からないの返信の返信
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物語作品の「何が駄目なのか」が読者視点で分からないの返信(元記事)
例えば、生きている作品と機械の作品で二つに分けるとします。
生きている作品は読者からすると、主人公や他のキャラクターの思考や行動が物語を作っていき、展開と結末に大きな期待を生むことが出来て、読者が中盤まで読んでくれると最後までついてきてくれます。
結果が全て。最後の最後に良い作品なのか、駄作なのかを判定されます。
対して機械の作品は、演者の舞台であり、最高の結末へ導くため不自然でも主人公やキャラクターを舞台装置にし、強引に読者の読後感を良くします。
約束されないが読者を引き込もうとする生きている作品か、約束されていて好む人なら必ず食いつく機械の作品か。質問主様がこの二つのどれを選んでいるかによって自身の作品の傾向も知れるはずです。
ただ、生きている作品は読者が読者自身の理想像という期待を当てはめて読まれてしまうので、中途半端な所で不評されてしまうと全員を敵に回します。自身の作品の特性を読み返せば、問題とされた箇所がなんなのか分かると思いますし、それをどうするのか決められるはずです。
つまらない面白いは読者の感覚。結局作者の元々の素材をどう料理するのかというだけなんじゃないでしょうか。
物語作品の「何が駄目なのか」が読者視点で分からないの返信の返信
スレ主 半額オソーザイ 投稿日時: : 0
回答ありがとうございます!
たぶん自分は前者を目指しつつも、後者になっているタイプかなと感じます。読者の理想像という期待に沿えるか不安で、思いっきり動かせずに結果的に舞台側に動いてもらう感じ……。
つまり感性は関係なく、それを描く技術によって面白い面白くないは決まるって考えですかね。たしかに冴えないオッサンが主人公なんて!って思うかもしれませんが、「いぬやしき」って漫画はそれでアニメ化までしていますから、結局は技術の問題なのかもしれません。素材を選んで料理の仕方を選ぶ。どんな具材でも料理次第ですかね……。
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