物語作品の「何が駄目なのか」が読者視点で分からないの返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信
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>>映画はそもそも撮り方を勉強していないので、まずその勉強から始めないとなので……。
ネット漫画で読んで「おお・・・」ってなった話を振ります。
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①とある漫画家志願者が、御大に漫画の描き方の教えを乞う
②
御大「よし、映画撮れ」
志願者「ファ!?」
③
志願者「俺が作りたいのマンガなんですけど!?ってか何をどうとればーーーー」
御大「はい」書籍化している短編マンガ(たしか白土三平のやつ)を手渡す
御大「マンガのままのアングルで、セリフで、同じカットシーンで撮れば、いいよ」
志願者「えー・・・・・?」
・
・
・
志願者「志願者仲間でキャスト決めて、同じアングルになるように撮影して、セリフ言って、編集したら、マジで映画になった」
志願者「俺ら、ズブの素人なのに・・・・そこそこ観られそうな映画、できちゃうんだ」
御大「マンガって【一人で作る映画】みたいな物なのよ」
少なくとも、そのネット漫画いわく、マンガという形にできたら、ほぼ映画は作れるみたいです。
映画が簡単って意味じゃなくて、マンガってそれくらい難易度が高いってニュアンス強かったですけど。
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まあ少なくともアマチュアとはいえ脚本自体は書いてみたんでしょ?('ω')なら、まあ、いいんじゃね?
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>>あと好きな作品をオススメするのと、自分の作品を発表するのはちょっと別かな、と思っています。
そこは『読むせん』には、分かんないです。
「この作家の作品、あなたが好きそうだと思うの!読んでみない?」ってするの好きな読者っすから。
一緒にこの作家の信者になって、推し作家を印税とか投げ銭で養おうよ☆って派閥なんで。
自分で書くより、書いてくれる人に貢ぎたいし、貢ぐためにも金を稼ぐ日常を頑張ろう☆ってなります。
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あと
>>好きな作品をオススメする
云々は、私がニュアンス伝え間違えたっす。
わたしが好んで使う言い回しだと
Q.【あなたは、もしヨーロッパとか海外の人に【「河童」というもの教えて欲しい】と言われたら、どんな説明をする?】って感じですね。
その瞬間、あなたは【日本の河童】のイメージや運命分岐の責任を負わされる事になる。
あなたの伝え方次第で、河童は海外にどう認知され、どういったものであるか?という共通認識をすり込んでしまう。
その覚悟をもって、河童を語る事ができるのか?
・・・・みたいな、【伝える人間】の責任や自負を尋ねる感じっす。
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変則的な言い方ですが、司馬遼太郎が作家にならなければ、その存在を史実から抹消されてしまっただろう男達が少なからずいる。
横山光輝がマンガに描かなければ、三国志も中華文学も日本では台頭せず、もっとマイナーなものとして消えた可能性がある。
作家は創作者であると同時に伝道者でもある。伝道者の覚悟もなく、安易に自堕落に、世界に言葉を投げ込もうっての?
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海外にデビルマンを伝導しようって時に、本当に実写版で良いと思う?
Cry Babyでもなく、原作コミックスでもなく、【実写版デビルマン】の視聴を勧める覚悟はある?
あなたが安直に勧めたデビルマンのイメージが独断専行し、デビルマンと言う作品を「デビルマン?ああ、あのクソくだらないやつwwww」って世界中から侮らせてしまう覚悟はある?
・・・・みたいな!
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>>普通に作り手の視点でしか見れなく(読めなく)なっていますね。
これ、めっちゃ怖いんですよね!!(;´∀`)
『サンクコスト』と呼ばれるもの、なんだと思います。
作り手サイドに回ると、ついサンクコストを考える癖がついてしまう
【駄作にだって作成サイドは頑張っただろうし・・・・】
【大口叩きやがって、じゃあお前が作ってみろよ】ってやつも、ある意味サンクコスト思考だと思っています。
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傷えぐる言い方で申し訳ないですが、
10年構想して描き上げた作品が、受賞を逃したA氏と、
人の作品をコピペして30分で仕上げた作品が、受賞を逃したB氏
どっちも受賞を逃しているけれど、サンクコスト的には圧倒的にB氏の方が非ダメが少ない。
底なし沼に沈めてしまった時間、A氏の10年とB氏の30分の違いはデカい。
なので作家のサンクコスト的には【コンスタントに、そこそこの駄作を連投するB氏のほうがコスパがいい】事になってしまう。
人間の時間は有限なので、B氏になれば9年&11か月&23時間を別の行動に使えてしまう。
それこそ10年かけているA氏の作品を盗作する時間だって、A氏を酷評して筆を折らせる時間だって捻出できてしまう。
作家のサンクコスト的には【他人のフンドシを使い捨てて相撲をとる】のが一番コスパがよい事になってしまうんですよね。
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昨今のなろう作家群とかは【B氏の群れ】になってきている感じがあります。
そして、それを『誰も困らない』状況になってきている。
だって駄作を連投されて迷惑するのは『読者』だけだもの。
誰も彼も、かいてばっかりで読む気すらねーでやんの。
そういうのは作家になったら見えなくなっちゃいますから、せっかくだし私は読む側でいようと思うの。
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他のジャンルとかで、【作り手側から離れる】必要があるかもですね。
たとえば食品とかで『まずーい』『美味しくなーい』『この味きらーい』って物を買って、食べて、誰もいない所とかで、文句言ってみても良いと思います。
自分で作っちゃあダメ。自分で触ってしまったから不味くなってしまった・・・って素材に罪悪感を抱いてしまうから。
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投稿者 読むせん 投稿日時: : 0
あとは、あるいみ【食堂かたつむり】が良い目安になるかもですね。
食堂かたつむりを視聴するために
①視聴可能なプランに登録し直す
②コロナの危険をおしてでもレンタルしにいく。プレイヤーが無ければプレイヤーも買う
①や②を費やしてしてまで【食堂かたつむり】を観る価値がなかった!!と感じれば、成功です!!\(^q^)/
面倒くさい割に得るものが少なかった!!ムカつく!!金と時間と手間カエセ!!とかも消費者の感覚だと思います。
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