最後に、読み返して気づいたことの返信
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最後に、読み返して気づいたこと(元記事)
やりとりを最初から全部、精読し直してみました。
一つ分かったことがあるので、これで本当に最後にするつもりですがお伝えしておきます。
「比較」という言葉をやや違う意味で使っていたようです。
大野さんは、大きいものと小さいものは比較できるが、大きいものと赤いものは比較のしようが無いと仰っていたんですね?
それに対して私が「比較」と言っていたのは、単に二つ並べて見比べるという意味でした。
持論になってしまいますが、そういう比較にも意味があると思っていまして。
(人間の脳がバグっているかどうかは置くとして)
人間の脳には直列的な論理だけではなく、並列的に一見非論理的とも思える把握ができてしまうという、ちょっと不思議な特徴があります。
この能力は知的生産のための武器になり得ると考えているのですが、他人と議論するにあたっては話がかみ合わない要因になってしまうようなので、注意するべきだったかもしれません。
大野さんの言われていた方が、「比較」という言葉の一般的な共通認識には近いかもしれませんね。
以後、気をつけようと思います。
最後に、読み返して気づいたことの返信
スレ主 大野知人 投稿日時: : 0
>大野さんは、大きいものと小さいものは比較できるが、大きいものと赤いものは比較のしようが無いと仰っていたんですね?
はい、そうですね。
『比較』と言う言葉は
『見比べる』
『どちらがより、○○しいか考える』
の二つの意味があって、確かに紛らわしいですね。
俺は『情報を整理する』と言う意味で『どちらがより、○○しいか考える』を使ってましたが、あまくささんは『見比べる』の方で使って居た訳ですね。
並列で考えた物事をそのまま出力――表現してしまうと、情報がゴッチャになる可能性が高いなと思いまして、それで『一個一個の特徴を比較する』と言う意味で使っていたんですが、確かに『どうやってやるか』の話であるなら、『単純に見比べる』の方の意味が通じやすかったですよね。
いや、これは俺も融通の利かない考え方をしていた側面がかなりあるように思います。
『見比べる』と言う意味の方がポピュラーで、自然に出やすい物なのかもしれません。俺も、今後はもう少し気を付けるようにします。
わざわざのご連絡、ありがとうございます。
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