じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信
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じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信(元記事)
では、もう少し解きほぐしてみましょうか。
動物と人間の比較というところで延々と話がこじれつづけている理由は、おわかりでしょうか?
ひょっとすると大野さんの側にも私がまだ理解できていない深いお考えがあるのかもしれませんが、私サイドの理由はわりと簡単です。
(№37から)
>第一に、比較の仕方に無理があり。
>第二に、例え話として破綻しているように見える。
>よってそもそも他の動物の社会について語ることが間違っていたんじゃないか。
他にも同様の文章がいくつもありましたが、これは私の見解をけっこう明確に否定していますよね?
一つ前のレス(№47)では、動物と人間の知性には連続性がないという点については見解の一致をみたように思います。
しかし、それに続く文章で、
(№47から)
>何度も書いてますが、俺は『前提』としてあまくささんが挙げられた『動物と人間の比較』というやり方が良くない、と言う話をしているだけで、
>俺はそれでもやはり『動物と人間の知能・学習性を比べるやり方』は良くないと思うし、好きじゃないですよ。
結局、これが出てきちゃうんだよね(笑
「好きじゃない」という部分で少し表現が緩和されている気もしますが、「その考えは良くないことだ」という一文だけは、すべりこませないと気が済まないという感じです。
断っておきますが、別に自分の考えが常に正しいと思い込んでいるわけではありませんよ。
ただ、上のように言われた場合、「どこが、なぜ良くないのですか?」と質問する権利くらいはあるのではないでしょうか?
それで、ずっとこだわっているのです。
* * *
人間と動物の比較についての話は、一番最初は№27の私の発言から始まっているように思います。
(№27から再掲)
人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。
ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。
(再掲終わり)
そもそもこの考えは、そこまでおかしくはないと思うのですが。
ただ、論じ方が粗雑だったとは自分でも思います。ああいうふうに突っ込まれるとは予想していなかったので、軽い気持ちで書いたのですが。
何が粗雑かと言うと、「本能」という言葉を安易に使いすぎているんですね。
世間には「それは動物の本能だ」みたいな言い方を深く考えもしないで口にする人が多いようには感じます。
しかし、その後のやりとりで、私が「本能」という言葉をそんなに単純な意味で使ったわけではないことは、ご理解いただけたでしょうか?
そこは一応クリアしたとして。
ならば、上記№27の文章は、ミツバチの生態と人間の思考による社会形成には連続性がないと言っていることもおわかりになるのではないかと。
この後提出された大野さんのご意見には、人間の思考による行動も実は根底では本能に根ざしているのではないか、という主旨の指摘もありました。
それも分かるのですが、ここでそれを言い出すと、方向性の違う論旨が交錯してしまい、議論が混乱する元になります。
そのことを指して、
(№31から再掲)
これじゃあ、右をさらに右から見たら左、左をさらに左から見たら右と言っているだけじゃないかと思いますが。
(再掲終わり)
と指摘しました。
* * *
でだ。
そもそも最初の時点で、人間と動物を比較することによって私が何を言いたかったのかというと。
要するに人間という生物は、ちょっとバグってるんじゃないの? ということです。
で、なんでバグったのかと考えると。
一つ思い当たるのは、人間でも動物でも、ある機能に障害を持ったとき、それを補うために別の器官が異常に発達するという現象がみられることです。
ここで、粗雑ながら「本能」という言葉を使っちゃいますね。私がこの言葉をそんなに安易に使っているわけではないということは理解していただけたと思うので、文章をいたずらに煩雑にしないためです。
簡単にまとめると、以下のような流れを考えています。
1)人間にも本能はあるでしょうか、何らかの理由でそれに障害、または欠陥が生じている。
2)そこで、その代償として脳という器官が異常発達した。
3)人間は異常に発達した脳の機能を使って、環境に対応している。
4)しかしそれはあくまで代替機能であるため、生物の本来のあり方である本能による環境対応と比べて、不完全でバランスが悪い。
こんなようなことなんじゃないかと考えています。
バグと言ったのは発端である本能の障害のことよりも、異常発達した脳の思考の複雑性がさらなる不具合を発生させているんじゃないかということね。
これはあくまで仮説であって、証明はできません。
しかし、上記の文脈において、少なくとも人間と動物のあり方を比較して論ずる論法そのものは、間違っているとは思えないんです。
その点、いかがでしょうか?
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スレ主 大野知人 投稿日時: : 0
そうですね、単純化するために、今までの物を含めて総括的に下の質問に答えさせていただきます。
>ただ、上のように言われた場合、「どこが、なぜ良くないのですか?」と質問する権利くらいはあるのではないでしょうか?
前提とする知識・思考
①動物、人間共に、それぞれ独自に複雑な思考を持っており
②かつ社会的・個体的に見た「総体」の在り方が違う知性を持っていて
③部分ごとに抜き出して比較にくく
④あるいは比較しえたとしても、どちらか一方に偏りがちである物を
⑤しかも特に連続性のある知性を互いに共有している訳ではないにもかかわらず。
考えている事。
①比較しようとしているのがおかしいと思う。
と、いう事です。
ここまで『前提とする知識・思考』の部分のすり合わせを二日ほどかけてやってきたと思います。
全てについて説明する余裕が無かったので、また失礼ながらあまくささんがどの程度まで考えていらっしゃるか/どの程度まで俺と同じ前提を共有しているのかわからなかったので、早い段階では『その例え話は間違っていると思う』という言い方をしました。安直に、結論だけ言うべく。
本能に関する議論に関しては、恐らく、お互いに『相手が広義な、或いは浅い意味での「本能」と言う言葉を使っているのだろう』と思ってお互いに掘り下げ、却って事態をややこしくしてしまったものと思います。
すみません。
ただ一方で、
>それも分かるのですが、ここでそれを言い出すと、方向性の違う論旨が交錯してしまい、議論が混乱する元になります。
①何度も書いているように、これは余談であり、方向性の違う議論です。No29からこっちは概ね全部。
②それでも、俺は方向性の違う議論になってでも『そのやり方はおかしいと思う』と言いたかったのです。
人間がバグってる、とのことですが。
個人的には順番が違うんじゃないかなぁ、と思います。
俺はどちらかと言うと、『脳の発達に肉体の進化が追い付いていない』状態である、と考えています。
状態としては『設計通りの暴走』とでも言うべきでしょうか。脳を中心に神経系の発達が早すぎたんですよ、結局。だから不足したのはむしろ『肉体』の側で。
その後に、↓コレが来て
>ある機能に障害を持ったとき、それを補うために別の器官が異常に発達するという現象がみられることです。
『脳の発達に肉体が追い付かない』ため、人間は『道具』や『衣服』の形で、外側に肉体機能を求めたのです。
進化論における自然選択は御存じですね。
基本的に生き物は『こう進化しよう』と思って進化するわけではなく、『偶々そう進化した』ものが生き残って来ただけなのです。
『人間の進化』に『人間の生態が適応する』ことはあっても、『人間が自然に適応して進化』することは厳密には正しくない。(まあ、慣用的には後者の表現でも良いんですが)
上に書いた通り、人間と動物の在り方を比較して論ずる方法は、『比較するにはお互いに複雑すぎて、比較しようとすれば極端な情報の抜出が必要になる』ため、やり方として間違っている。と思います。
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