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ああ、当時俺が思ってたこととしては『死んだら消滅する』じゃあ詰まらないから、他のパティーンで何か理屈が成り立つことはないかなぁ→そもそも幽霊ってガチで実在しないのか? 辺りの、半分思考実験のような者でございました。
ええ、俺が言いたいのは因果律であってます。
より厳密には、俺が『物理法則』と呼んでいるのは、人間が観測したブツの事ではなく、『世界の仕組み』という非常に雑なイメージ、というか『ラプラスの悪魔』が知っているであろう『真実の物理法則』を指します。
要するに、『人間の観測が正しいかは知らんが、観測前の確かに実在するナニカ』です。
うーんと、そうですね。当時の俺は些か極端な考え方をしていたのですが……。
まず第一に、『人間なんぞ大したもんじゃないし、人間の観測が正しいと思っていない』というのが当時の俺の状態でした。よって、あまくささんの仰る『人間の観測が間違ってるんじゃないの?』というのはある意味的外れであり、当時すでに理解はしていました。
その上で一種思考実験的に、上述の『人間の観測と無関係に「正しい」因果律』が存在する前提でこの話をしていたわけです。
当然、『もしかすると、この世に必然性という物は存在しないのかも知れない』という事も考えました。
以下、問答法的に俺が『あれ、自由意志って存在しなくね?』と思った理由を書きます。(当時)
Q『世界における必然性の割合は次のうち、どれ? ①世界のあらゆる物事は全て必然。②世界のあらゆることは全て偶然。③偶然にも必然も両方存在する』
①あまくささんや読むせんさんに話したヤツ。『俺の考えすら最初から決まってたなら、考える意味なくね?』
②メタ的に『必然』と『偶然』を区別している何らかの規則性が存在するため、『上位概念としての『必然性と偶然性』に対する必然』が発生するため、①に帰結する。
③世界は須らくカオスである。もはや思考することが無意味だ。
A アレ俺いらなくね?
というのが、当時の俺の発想でした。
でまぁ、結論としてはあまくささんの言っていることと近い所です。
あまくささんの言っていることと言うのは『要は全部人間の観測や思い込みじゃない、どっちにしてもその時々どう思うかが大事でしょ?』っていう感じだと思うんですが。
俺の感じた結論としては『依然として、(人間に理解できるかはともかく)「世界を成り立たせている理屈」は存在すると思うが、それはそれとして観測できないから無視しよう』って感じです。
どちらにしても、大前提には「世界に対して身勝手な人間の観測・思考」というのがあって、その上でどこにレールを敷くか、位の感じだと思います。
ですからまあ、これが自由意志でしょうね。このスレッドを書き込んでる「コレ」が。
メタ的視点に飛び過ぎて、『自分が認識できるか』って問題を置き去りにしていたわけですね、当時は。
まあ、こじんまりとまとめてしまえば、『自分』を意識するのに遠回りしまくった、というだけの話なのです。
なんだか細かいすり合わせに付き合わせてしまったようですみません。
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投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
昔むかし、どこぞの坊主が「大きなものを食うホラ話合戦」みたいなことをやったそうで。何人もが挑んだものの、皆すごすごと引き返すはめになったとか。坊主は誰に対しても同じ言葉で返したという。
さて、その言葉とは何か?
答え。「そういうお前を、わしゃ食った」
わりと有名な話なのでご存じかもしれませんが。
これも人間の思考の特徴の一つ。どんなに大きいことを考えても、「それよりも大きい」と言えてしまうんですね。
論理的に突き詰めて考え極限まで突き詰めきった瞬間に、「それを超える何か」「それとは次元の違う人間には観測できない何か」というメタ思考が生じるものです。
しかし、それも人間の脳内でやっていることには違いないですから。
こういうのは少なくとも現実の生活や仕事にも、小説を書くにもほぼ役に立たないので(狂気の哲学者や人を食った生臭坊主をキャラとして登場させるときには役に立つかもしれませんが)、ちょいと面白い思考遊びとしてこじんまりとまとめ、脳の片隅にしまいこみ、たまに取り出して楽しめばよろしいかと考えます。