すみません、たぶんこれで最後にします
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ええ、この年になればまあそうなんですが……。
じゃあそれが小3の俺に分かったかと言えばそうじゃ無いわけでして、『まあそういう頃もあったよね』という話なんですよこれが。
ホラ、『無限』とか『無数の可能性』みたいなのが妙にかっこよく感じる時期あったじゃないですか、あの感じ。
大本のところにある、『俺がどうして今みたいな文章を書くようになったか』から始まり、アスペルガーの話を経て、『こういう価値観や思考実験があって、今の俺になった』というだけの話で、別に今でも悩んでるってわけじゃないのです。
アドバイスはありがたいのですが、俺の中では大雑把にキリが付いている事なので、ちょっとムキになってしまいました。ごめんなさい。
ええ、時折取り出して楽しむ程度でちょうどいいと、俺も思いますよ。
すみません、たぶんこれで最後にします
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
そういうことなら、今回私が一番言いたかったのは№34です。
すりあわせもですが、少し変わったことをやってみようかと思ったときに、意味の無いこだわりなのか、挑戦してみる価値のある新機軸なのかの見極め。
それができれば苦労しないと思うかもしれませんが。
自分がそうしたい理由が自分の性格や過去の経験からきていると自己分析できたのなら、その上でなおこだわる価値があるのかを、もう一度考えてみるのは有効じゃないかと。性格や経験由来が必ずしもわるいわけじゃないとも考えますが、せっかく自己分析したのなら、そこからもう一歩考えを進めてみてはどうかという提案です。
技術論から考えるというのは。
「作者がこれをやりたい」も重要ですが、ベースは作品の効果として有効かどうかから考えるということです。その上で「作者がこれをやりたい」をどう盛り込むか考えたらどうかなと。