もう一度質問です。どうすれば、良い話し合いができたのか。また、自身の攻撃的な発言のダメ出しをお願いします。の返信の返信
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もう一度質問です。どうすれば、良い話し合いができたのか。また、自身の攻撃的な発言のダメ出しをお願いします。の返信(元記事)
まず。
議論は大事だと思っています。日本人は議論することに少し及び腰なんじゃないかと。
確かに議論というものは、たとえ悪意がなくてもこじれてトラブルにつながることがあるし、人を傷つける結果になることもあります。しかし過度にそれを懸念して率直な意見を述べることを避けるのも、実は長い目で見れば良い結果につながらないんじゃないかと考えています。理由は、
1)問題点を洗い出し、衆知によって解決の道を探る機会が失われる。
2)問題含みの意見を公表することをひかえても、内心ではそう思っている限り、くすぶりつづけてより屈折した形で噴出してしまうことがある。
この2点です。
それに加え、「引き算の思考」と「足し算の思考」というのがあると思うんですね。
人間というのは本当に様々なので、複数の人間が集まって何かやると多少の問題はどこかしら生じるものだし、全員をパーフェクトに納得させることは難しいです。
そういう場合にデメリットを一つ一つ消去していこうとするのが「引き算の思考」。メリットを見つけて積み上げていこうとするのが「足し算の思考」です。
どちらが正しいとは言えませんが、「引き算の思考」による選択は傷つく人が少ない反面、小さく縮こまってしまい、事態を大きく前に進めることができなくなります。
かと言って「足し算の思考」による選択は、誰かに及ぶ被害が大きくなりすぎる可能性もありますから、慎重さは必要です。
今回の件についての私の個人的な見解は、金木犀さん支持になります。他の方たちからの批判の多くは妥当だとは思いますが、許しがたいというほど度を超しているようには少なくとも私は感じません。
金木犀さんの批評が原因でラ研を去りそうな方が出てしまったようですが、必ずしもフォローは手遅れではないかもしれないし、フォローできなかったとしても人の集団ではそういうことは起こってしまうものです。冷たいようですが。
それとも、自分ならそういう事態を絶対に引き起こさないと言い切れる人がいるでしょうか?
* * *
私はここに10年以上いますが、ラ研にはやや独特の点数制度と酷評推奨主義があるんですね。
点数制度にクセがあるのは、かつて機能していた「殿堂入り」制度にかなり関わっています。合計300点以上、平均25点以上に達すると「高得点掲載所」に作品が移されていました。それがあったから、古参の参加者は30点以上の点数をつけることにきわめて慎重でした。
もう一つは赤点(マイナス点)制度です。0点の評価は「普通です」で、さらに下があるから必ずしも酷評ではないのですが、0点という語感には低評価のイメージがあります。それとマイナス点は赤で表示されるので印象が強いんですね。
それらが原因で、ラ研初心者と慣れた人の間で点数に対する感覚の乖離が生じました。
ところが新しく入ってくる人の中にも作品面の実力者や批評巧者がいるんですね。そういう人が常連と感覚がずれた点数の付け方をするケースがあり、新たな影響力をもってしまったり、一部の人の反感をまねくということが頻繁に起こっていました。
それに加えて、切磋琢磨を目的としてサイト自体が奨励していた酷評主義ともあいまって、活気もありましたが荒れてしまうことも日常茶飯事でした。そして荒れすぎた時には反省の機運も起こり、活気づいた時期と抑制的な時期を何度も揺れ動きながら現在に至る感じです。
今はかなり抑制的な時期と言えます。
このサイトに金木犀さんが顔を出し始めたころは(それ以前に別のHNで参加されていたのなら分かりませんが)、ややサイト全体としては抑制的だったように記憶しています。強めに酷評する人と荒らす人は散発的に(今よりは多めに)いた感じで、そういう人が浮き始めていた気がします。
そんな中で当時の金木犀さんは、どちらかと言うと不用意に人を傷つける批評に批判気味な姿勢をみせていたように記憶しています。私は金木犀さんは酷評反対派だったとみていて、いくぶん歯がゆく感じていました。
だからこのスレで仰っている金木犀さんの、作者の気持ちに配慮した甘めの批評は本人のためにならないこともあるという意見は、少なくとも自己弁護や安易な思いつきで言っているわけではないと思います。金木犀さんなりに何年も経験を重ねた上での現在の心境なのかなと。
だから、金木犀さんの今の言動や主張は、少なくともデメリットの方が多い過度の足し算思考ではないと推測しました。
以上の理由で、この件では金木犀さんを支持します。
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スレ主 金木犀 投稿日時: : 1
こんにちは。
ありがとうございます。
もちろん今回の件は僕がまず悪いのです。
場を乱す可能性のある感想を投稿し、不要な出来事といえばまさにその通りのことをてしまいました。
批評に批判をするという行為はやはり褒められたものではありません。
ですが、それに至った経緯が、僕にもございます。
そちらを汲んでいただける方がいらっしゃり、わざわざこのようなコメントを載せていただいたこと感謝します。
それはそれとして、他の方からの批判は素直に受け止めたいと思います。
自身の非を認めつつ、次回に活かすために、ですね。
●議論しないことのデメリット
1)問題点を洗い出し、衆知によって解決の道を探る機会が失われる。
2)問題含みの意見を公表することをひかえても、内心ではそう思っている限り、くすぶりつづけてより屈折した形で噴出してしまうことがある。
→おっしゃるとおりだと思います。
そんな中で当時の金木犀さんは、どちらかと言うと不用意に人を傷つける批評に批判気味な姿勢をみせていたように記憶しています。私は金木犀さんは酷評反対派だったとみていて、いくぶん歯がゆく感じていました。
→僕自体は、当時から妥当な批判についてはむしろ好きでした。本当にすきだったんですよ。
如月さんとかもそうだけど、自分が本当に頑張っていること、大事にしていることというのは、誰かに批判されたくらいで変わったりしないと思いますし、大事だからこそ、譲れないからこそ、見っともなくなったりするのは、むしろ人間として美しい行為だとすら僕は思います。
ただ、それはそれ。やっぱり行き過ぎた行為はあかん。今の僕も含め。猛省。
とにかく、僕も、なんだかんだ言って、ラケンの辛口批評は、好きだったんですよ。
なれ合わず、でも根本はその作者のためを思って書く感想。
それが本質であれば。
そして多くはそのような感想が主体のサイトでした。
今となってみれば、すべてが懐かしいです。
それでは、あまくささん。ありがとうございました。
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