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もう一度質問です。どうすれば、良い話し合いができたのか。また、自身の攻撃的な発言のダメ出しをお願いします。の返信の返信の返信の返信(元記事)
こんにちは。今のところワルプルギスさんの意見が一番参考になりました。ありがとうございます。
まずは、この掲示板にスレを建てそれから感想欄で話し合いたい旨を伝えることはできたと思います。
まあ、やってみて、だめなら、やっぱり感想欄でやり合うことになるとも思いますが。
・少なくとも、金木犀さんは他人の感想を読むから気にしてるんですよね?
金木犀さんも相手が読むと思って感想欄で他の感想者を批判したんじゃないんですか?
金木犀さんの感想を呼んでカチンときた他の感想者たちが反駁したから炎上したんですよね?
→それは、僕が批判したからですよね?
ちょっとそこは、論点がずれてると思いますよ。
それに、感想だけでは、評点のつけ方について、議論できないと思います。
・叩かれてるのは辛口感想では無くて感想欄で他の感想者を腐したことでしょう。
→悪口は言ってないですね。
批判はしましたが、悪口は、言ってないです。
辛口、というからにはきつい言葉があるわけですが、それを悪口と一緒にするのはおかしいです。
・「結局こいつ、自分が悪いなんて思ってないんだろ」と不信感もりもりの目で金木犀さんを見るのです。
→僕が認めているのは、
・自分自身が規約違反を犯していること。
・自分自身が批判しなければ、二人の利用者がいなくならなかったので、その責任は自分にあるというこt。
であって、批判の内容自体は、悪いと思ってません。そこのところは、あなたの誤解です。
僕は批判の方法が間違っていたと考えているので、その反省をしているのです。
そして、ワルプルギスさんはその方法を教えていただきました。そこは本当に感謝しています。
ありがとうございました。
・事実の分析を間違えると、改善策が的外れになって再発しますから。
→その通りだと思います。たとえば、どこが悪口になっていたか、教えていただけたら、もしかしたら自身にも非はあったと認めることができるかもなので、そこ列挙できたら教えてください。
・客観的に見て正しいコンパスは一つもない。「なるべく多数のコンパスを見て、後は作者が判断する」
→コンパスというのは方向を示すものです。複数のコンパスがまったくバラバラであればグルグルと回るだけですのでその例えはかなりやばいことになります。
もちろん、あくまでも指針の一つとして、狙って書いた作品がちゃんと狙い通りに書いていたら評価してほしいと求めているだけです。逆に狙い通りに書けている作品に「それはダメです」というコンパスがあればそのコンパスはダメなコンパスということになります。
多数意見というのはある種の力にはなりますが、正しさにはなりません。間違っているときは、みんな間違っているものです。
トンネルで火事にあったとき、風上に逃げるか、逃げないかは命を救う選択になります。
もしも多数が風下に逃げていて自分もそうしようと思ってしまえば命の危機に陥ったことになります。
ゆえに、その意見こそナンセンスじゃないですかね。
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投稿者 ワルプルギス 投稿日時: : 2
>それは、僕が批判したからですよね?
個々の感想者が他人の感想を見ていないなら、そもそも炎上していなかったはず。見なければ、批判されているという事実にすら気づかないのですから。
炎上した事実自体が、感想欄に書いた文章で他の感想者らの行動を変えられる証拠です。
後はその動かす方向を変えるための表現方法を模索すればいいじゃないですか。
>悪口は言ってないですね。
「腐した」という表現は良くなかったですね。そこは謝ります。ごめんなさい。
ただ、私が書いた事で大事なのは「感想欄で他の感想者を」の方です。
元々金木犀さんは
>また利用者同士のつながりにより、批評の内容よりも、利用者同士褒めあうことが重点になっているような気がします。
>逆に辛口に書くと今回のように叩かれる案件に発展します。
と書いていました。
これでは、金木犀さんが「炎上の原因は書いた批評が辛口だったからだ」と考えているように読めます。
しかし、炎上の主因は「感想欄で他の感想者を批判したこと自体」だと私は考えているので、考え違いをしているのではないかと指摘しているのです。
もちろんこう書くと「それは誤解です」と返答が来るんだろうと思いますが、「そう読める書き方だ」ってことは理解していただきたいなと。
私は「金木犀さんはそういうつもりで書いてはいないだろう」と信じながら議論を続けていますが、もっと短絡的に決めつける人はいるのです。
>僕が認めているのは、
>・自分自身が規約違反を犯していること。
>・自分自身が批判しなければ、二人の利用者がいなくならなかったので、その責任は自分にあるというこt。
これを真に認めているならなぜ
>まあ、やってみて、だめなら、やっぱり感想欄でやり合うことになるとも思いますが。
が出てくるのでしょう?
「僕は批判の方法が間違っていたと考えている」と言いながら、「新しい方法で自分の思った結果が出なければ、その間違っていた方法に戻す」と宣言しています。
私の提案した方法が上手く行かなければ止めて別の方法を模索するのは分かりますよ。でも、どうして悪かったとわかってる方法に戻すんです?
「ああ、実は金木犀さんにとって今回の結果はそんなに悪くはなかったんだな」と読み取られかねない書き方だと思います。
>多数意見というのはある種の力にはなりますが、正しさにはなりません。間違っているときは、みんな間違っているものです。
私は多数意見が正しいともそれに従えとは言っていません。「なるべく多数のコンパスを見て、後は作者が判断する」と書いたのです。
トンネル火災の例で言えば、「多数のコンパス」はその場にいる人の動向だけではありません。「トンネル火災の時には風上に逃げる方が助かる確率が高い」という知識もコンパスの一つ。
そして「正しい」というのは、何らかの基準や目的に沿っていることです。
同じ行動でも、それが正しいかどうかの評価が割れることはある。
「自分の命を救う」が目的なら「風上に逃げる」ことは正しいです。
しかし、自分の命より大事な何かが風下側にある人にとっても「風上に逃げる」ことは正しいでしょうか?
ましてや、「どんな小説が良いか」の指針となると「良い」が指すもの自体が各人の感覚に依存する。正しい指針を無理やり作ると、作成者の主観か、あるいは具体的な中身のない観念的なものにしかならないでしょう。
であれば、多数の主観意見を聞いたうえで、作者が取捨選択するしかないわけです。
金木犀さんは優しいので的外れな感想で作者が進むべき方向を間違えることを危惧していますが、
私は割と残酷なので、的外れな感想には
建前:「ご感想ありがとうございます」
本音:(ああ、はいはい。的外れなんで無視しますね)
で対応すればいいと考えるし、それが出来ずに迷走しちゃう作者はそこまでの人。
ある感想に対して「その感想は的外れだな」と思っても、せいぜいその感想より強い説得力で自分が的を得ていると思う感想を書いて、後は作者任せです。
私の考える的と作者の考えている的が同じとも限らないし、的外れな感想からでも何かを得ることはできる。そう考えると、自分の考える「正しい感想」を他者に押し付けることは意味がない。
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